第6話 変化


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スパァァン…!


「っ…」


空を切り的の真ん中に当たった矢は、緊張感が漂う弓道場に爽快な音を響かせた。その音に、私は思わず息を飲んだ。



「…どう、だったかな?み…美子が、見ていたから少し緊張してしまっていつも通りとはいかなかったんだけど…」


最後の動作を終えた馨が、自分よりも大きな弓を手に持ったまま私の方を振り向いてそう訊ねた。表情から察するに、きっと本人的には納得のいくものではなかったのだろう。だけど、初めて弓道というものを見た私は大興奮していた。


「すごかった!あと、すっごくかっこよかったよ!」


静かな弓道場に私のそんな声が響き渡り、返ってきた木霊で我に返ると慌てて口を押さえた。そして周りに私と馨以外に誰もいないことを確認するために頭を右へ左へ動かした。それがよっぽど面白かったのか、馨はプッと笑って肩を震わせた。


「ふふっ、大丈夫だよ。ここは【朱雀】の当主様に許可を頂かないと立ち入れない場所だから。」


笑いながら丁寧にそう説明してくれた馨を見ながら、恐る恐る手を下ろして苦笑いをした。


「よかったぁ……お父さまにね、大人しくしてなさいって言われてるから大声とか出すと怒られちゃうんだ。」


「うん、拝殿での応龍様とのやり取りから漠然とだけどそうかなって思ってたんだ。」


よく見てよく考えているんだなと改めて感心していると、ふとあることを思い出した。


「そういえば、どうして馨のお父さまは“朱雀殿”じゃなくて“権宮司殿”って呼ばれてるの?」


思い出したその疑問を口にすると、馨は曖昧に笑って答えた。


「…うん。あのね、お父様は【朱雀】の当主じゃないんだ。」


「えっ…?」


意味は分かるけど理解が出来ないその答えに、私の脳内は大混乱していた。


「えっ、えっ!?じゃ、じゃあ【朱雀】には当主がいないってことっ!?」


何故か慌てふためく私とは対照的に、落ち着いた様子の馨はなだめるように笑って首を横に振った。


「ごめん、僕の言い方に問題があったね。そういう意味ではないから安心して?」


「…う、うん…?」


ぎこちなく頷いて優しい瞳を見つめると、馨はゆっくり瞬きをしてから口を開いた。



「…【朱雀】の当主はお父様ではなくお母様なんだ。【朱雀】の一族では男性よりも女性の方が朱雀の加護が強いようで、代々当主を務めるのは女性なんだ。」


「へー…そうなんだ。【応龍】と【青龍】は男の人が当主だったからてっきりそうかと思ってたけど違うんだね。」


「うん。でも他の【四神】と同じく実力主義であることは変わらないよ。かなり前だけど男性が当主を務めたことがあるって家系図にも記されていたからね。」


「へー!家系図か!わたしもいつか見てみたいな!」


正直今まで興味なんて全くなかったけどそういうことが知れるなら案外面白いのかも!なんて思いながら目を輝かせた。




「…あれ?そういえば、朱雀殿は拝殿にいなかったよね?どうして?」


そう言うと、馨は目を伏せて少し悲しそうに笑った。その仕草から聞いてはいけないことを無遠慮に聞いてしまったような気がして慌てて口を開いた。


「あっ!ご、ごめん!言いたくないなら言わなくてもいいから!!」


すると馨は静かに首を横に振って微笑んで見せた。


「…ううん。何れ分かることだから、話すよ。」


決意のようなものを湛えた瞳で見つめられ、私は無意識に頷いていた。何を伝えるつもりなのか全く見当が付かなかったけど、何となく嫌な予感がしていた。



「…【朱雀】の現当主、即ち僕のお母様はご懐妊なさっていてね、今は大事を取ってお休みになられているんだ。だから朱雀神社の権宮司であるお父様が一時的に当主代理を務めていらっしゃるんだ。」


「ごかいにん??」


「お腹に赤ちゃんがいるってことだよ。」


予想とは真逆の、とってもおめでたい内容に目を丸くしてしまった。そして、それをなぜ覚悟を持って話さなければならないのかが分からなかった。


「赤ちゃんが生まれることってすごく良いことだよね?なのに、どうして馨はそんなに悲しそうなの?」


思ったことをそのまま言葉にすると、馨は弱々しく笑った。



「…うん。僕も、良いことだと思うよ。【朱雀】の未来を思えば、尚更に…。」


「じゃあー…」


シャンシャンシャンシャンっ!!


私達の声しか聞こえなかった静かな弓道場に、突如鈴の音が響き渡った。驚いて音のする方を見てみると、弓道場の入り口に吊るされた鈴の装飾品が一人でに揺れて音を鳴らしていた。その不気味な現象に怖がる私とは対照的に、馨は眉一つ動かすことなく口を開いた。


「…お父様が呼んでいるみたいだ。多分昼食の用意が整ったんじゃないかな。行こう、美子。」


そう言ってから持っていた弓を元の場所に戻し振り返って私に笑いかけた。正直、途中になっている話の方がすごく気になったけど、お父様や権宮司殿を待たせる訳にもいかず、渋々馨の後に付いて行った。






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「昼食はお口に合いましたでしょうか?」


お箸を置いてご馳走様をした私にそう声をかけたのははす向かいに座る権宮司殿だった。


「あっ、はい。とてもおいしかったです。」


「それは良かったです。皆も喜ぶことでしょう。」


私が笑っても笑顔を返してくれないのを見ると、何だか悲しくなってくる。どうして当主という人たちは揃いも揃って無愛想なのかと口を尖らせると、急に馨が立ち上がって頭を下げた。


「私は明日の用意がございますので、お先に失礼させて頂きます。」


「えっ…?」


てっきりまた弓道場で弓を射る所を見せてくれるものだとばかり思っていたから、馨のその言葉に思わず驚いてしまった。でも、それは私だけのようで権宮司殿は顔を軽く向けて口を開いた。


「不備のないようしっかり用意をしなさい。」


「はい、畏まりました。」


呆気に取られる私を最後にチラリと見た後に部屋を出て行く後ろ姿は、何だか悲しそうですごく追い掛けたかった。でも、その衝動も権宮司殿の声で掻き消されてしまう。


「応龍様、美子様、よろしければ境内をご案内致します。」


「ええ、是非。」


何も答えない私に代わってお父様がそう返事をした。私の意思とは関係なく物事が決まっていく、そんな見慣れた光景に小さく溜息を吐いた。溜息を吐いても一向に晴れない懸念を抱えたまま、お父様に促されて立ち上がり、冷たくて長い廊下を歩いて行った。






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権宮司殿に案内されて見た朱雀神社の境内は、色々な曰く付きの物があって意外と楽しかった。特に朱雀が羽休めに使ったという石や朱雀が水遊びをしたという池は確かに神秘的な空気に包まれていて心地良かった。そして、最後にと言われて案内されたのが石で出来た大きな鳥籠のような、灯籠のようなものがある開けた場所だった。


「こちらは「赫焔籠かくえんろう」という朱雀の焔を灯す灯籠になります。」


「えっ、でも…」


その説明を受けて私は思わず灯籠を指差してしまった。…どう見ても、その灯籠には焔なんか灯ってなくて、ただ煤けた鳥籠があるだけだったから…。



「…ええ、ご覧の通り現在は朱雀の焔はおろか火すら灯っておらず、この鳥籠が残るだけでございます。まあ、鳥の一羽もおりませんのでただの装飾と化してしまっておりますが…。」


空虚な目で「赫焔籠」を見つめる横顔は、やっぱり何を考えているのか分からなかった。だけど、その空っぽの鳥籠は長い間現れぬ主人を待っているようで寂しそうだと思った。


「…この「赫焔籠」は、朱雀が真の神託を告げる時に火が宿り、朱雀が認めた者の神力によって焔へ育つと言われております。」


「真の神託…?」


「はい。【朱雀】の者達は、必ず六つになる年の立夏に神託を受ける試練に挑まねばなりません。そして、その試練によってのみ受けられるのが真の神託なのです。」


すると、一通り話し終えた権宮司殿の後ろから男の人の声が聞こえて来た。食事の用意が出来たとのことで、早速移動することになった。でも、何故か離れ難くて、じっとその鳥籠を眺めているとお父様が私の名前を呼んだ。仕方なく背中を向けて歩き出した、その時だった。





『……ミコ……』



…風の調べにのせて聞こえてきたのは、まるで琴の余韻が響くような澄んだ声だった。急いで振り返り声のした方を見ても、夕焼けに照らされた鳥籠があるだけで誰もいなかった。



(…でも、この感じはー…)


速まる鼓動が確信に変わって、どうしようもなく惹かれた。この声の主と話したい、姿を見てみたいとー…


「…美子、何をしている?」


いつの間にか私の真後ろまで戻って来ていたお父様が私の肩に手を置いた瞬間、夢から醒めるようにその衝動が消えていった。


「…あ、ごめんなさい。なんでも、ないです…。」


伏し目がちにそう答えれば、お父様の無言が返ってくる。しばらく風の音だけを聞いていると、お父様が踵を返して歩き始めた。玉砂利を踏む音が付いて来なさいと言っているようで、後ろ髪を引かれつつ私も歩き出した。






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「…ふぅー、さっぱりしたぁ!」


夕食を食べ終えた後、お風呂に案内してもらい、大きな湯船を独り占めして体も心も満たされた私は、長い縁側を一人で歩いていた。火照った体に触れる夜の風が気持ち良くて、風の吹いてくる方に顔を向けた。すると、大きな庭にある小さな木の橋が架かった池の傍に立ち尽くす人影があることに気が付いた。目を凝らして見ていると、その人影が振り返って私を見つめた。そして一歩二歩と歩み寄って来て綺麗な笑みを浮かべた。


「こんばんは、美子。」


「こんばんは、馨!」


庭に立つ馨と同じ目線の高さにする為にしゃがんで元気よく挨拶をした。


「お風呂に入ってたの?髪の毛、濡れてるよ。」


そう言って私の首にかけていたタオルを使って髪の毛を丁寧に拭いてくれた。それが嬉しくて、頬がふにゃりと緩んだ。


「…へへっ、なんだかお兄さまみたいだね、馨。」


「そうかな?でも、こうやって誰かの世話を焼くのは嫌いじゃないかもしれないね。」



しばらくして私の髪を拭き終えると、馨も縁側に上った。


「ここにいたら折角温まったのに体を冷やすよ。良かったら部屋まで送るけど…。」


素敵な提案だったけど私は首を横に振った。


「ううん、大丈夫!それよりも、馨はこの後は何するの?」


「僕はお風呂を済ませて部屋で本でも読もうかなって。」


それを聞いて少し安心した。さっきの夕食の時に姿が見えなかったから、また何か用事でもあるのか気になっていた。だけど、用事がないならあの計画を実行できると確信し、ニヤリと笑った。


「…良かった!あとさ、馨の部屋ってどこにあるの?」


「僕の部屋…?えっと、ここから南に行って突き当たりを右に曲がってー…」


馨は突然の質問に少し戸惑いながらも丁寧に何度も説明してくれた。そして、ようやく私が道順を覚えると爽やかに笑って口を開いた。


「…何をするのか分からないけど、お役に立てたかな?」


「うん!すごく助かった!ありがとう!」


そう言ってから手を振り、自分の部屋まで走って戻ると気合を入れる為に両頬をパチン!と叩いた。


「…よぉーし!ちょっと遠いけどがんばるぞ!!」


少し頬が痛かったけど、さする時間も惜しいと準備に取り掛かった。…静かな夜に、慌ただしい物音が風と共に流れていった。






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「……えっと、美子…?」


「ん?なぁに?」


呆然と私を見つめる馨と、平然と用意をする私。対照的だけど、この場合はどちらも正しい反応だと思った。


「…あの、何をしてるの?」


多分、目の前で起きている光景については理解ができるけど、それがどうして自分の部屋なのかと疑問に思っているんだろうなと思った。大人の人みたいに余裕のある馨がこんなに動揺してるなんて、なんだか少し面白かった。


「何って寝るとこの準備だよ!」


パンパンと皺を伸ばしながらそう答えると、馨は更に困った顔をした。


「…えっと…ここ、僕の部屋だよ…?もしかして、部屋が気に入らなかった?それなら他の部屋をー…」


「ううん!いらない!わたし、馨と一緒に寝るから!」


はっきりそう言うと、馨の顔は真っ赤になってからすぐに真っ青になった。


「…い、いや、でも、その…良くないと、思う……美子はお客様で、女の子だから……」


「どうして?だって健の家に泊まった時は一緒のふとんで寝たよ?」


枕を叩く手を止めて馨の目を見てそう言えば、目をパチクリさせて考え込むような仕草をした。



「…健って、もしかして【青龍】の次期当主、東堂健様のこと?」


「うん。馨も健のこと知ってるの?」


「一応顔と名前は知ってるけど、私的に関わったことはないよ。」


さらっと言ったその言葉に、今度は私が驚く番だった。【四神】同士だから会合とか行事とかで交流があるだろうと思ってたのに、まさか関わりがないなんて信じられなかった。



「…どうして一緒に遊んだりしないの?」


純粋に気になったことを問えば、馨は真面目な顔をして口を開いた。


「…僕ら【四神】は、各々が最強であることで均衡を保っている。そして、その均衡状態こそが守護者としての理想であり責務なんだ。だから、馴れ合うことで起こるいさかいや偏頗へんぱを避けるために、必要以上に関わらないことを暗黙のルールとしているんだ。」


それを聞いて確かにそれはそうかもしれないけど、何となく…何かが間違っているんじゃないかと思った。だけど、こんな曖昧な考えをどうやって言葉にしたらいいのか全く分からなくて、ただ口を閉ざしていた。


すると、立っていた馨が私の正面でしゃがんだ。顔を上げて馨を見れば、戸惑いながらも微笑んでいた。



「…ずっと、お母様やお父様に「守護者として正しくありなさい」って言われていたから、僕もそうであるべきだと思ってた。他の【四神】や【応龍】とは必要以上に関わらないようにしようって…。」


そこで一度言葉を区切ると、小さく深呼吸をしてから顔を上げて真っ直ぐ私の目を見た。…その目には、もう迷いなんてなかった。



「…でも、美子と会って、美子と話して、それは嫌だと思った。だって、すごく楽しかったから…。」


「馨…。」


心からの言葉が嬉しくて、名前を呼ぶのでいっぱいいっぱいだった。でも馨は、呼ばれた自分の名前にくすぐったそうに笑った。


「…二人で寝るには少し小さいかもしれないけど、美子が良いなら一緒に寝ようか。」


欲しかった言葉が、屈託のない笑顔と共に現れて胸が躍り出す。そして、はしゃぎたい気持ちをなんとか抑えて、私もとびっきりの笑顔を返した。


「うん!わたしもふとん持ってきたから小さかったらくっつければ大丈夫だよ!」


「…うん、でもそれ、掛け布団だから意味ないと思うけど…。」


「えっ!?」



…きっと、お父様や権宮司殿にばれたら怒られてしまうけど、まるで味方でもしてくれるかのように夜の風が明るい二つの声を掻き消してくれる。そして、二人だけの、秘密の夜はゆっくり更けていった。






続く…

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