第5話 南門馨


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「わぁ!すごくあったか〜い!」


初めて乗った飛行機の興奮が覚めやらぬままに降り立った新天地は、とても暖かくて陽気な空気に満ち満ちていた。その空気に誘われて走り回りたいという衝動に駆られて装束の袖をたくし上げた時、後ろから冷ややかな咳払いが聞こえてきた。



「…袖などまくし上げてどうした?まさか、走ってやろうと思っているのではないだろうな?」


「うっ…!」


図星を突かれて変な声を出してしまった私を見て、お父様は一つ溜息を吐いてから口を開いた。


「東堂家でお前に科した罰をもう忘れたのか?ならもう一度、今度は忘れられぬようにー…」


「お、覚えてます!!しっかり!ちゃんと!!」


そう言って慌ててまくったばかりの袖を元に戻して直立した。お父様はそんな私を何も言わずに見下ろしていた。




…あの後、健の家に帰った私達はたくさん叱られ、罰として健はしばらくの外出禁止を、そして私は挨拶周り中は大人しくしていることを言い渡された。許可を取らず自分勝手な行動をしたのに与えられたのが軽い罰だったのは、健のおじいちゃんが口添えをしてくれたからだった。



「…南門みなかど家でお前がどう振る舞うのか、期待しておくとしよう。」


言葉とは裏腹にあまり期待してなさそうな顔をしたお父様は、懐から時計を取り出して文字盤を眺めた。


「これから行くのが南門家というところなんですか?」


「ああ、そうだ。【朱雀すざく】の一族である南門家は南を司る神獣・朱雀の加護を受けた一族であり、【四神】の一つでもある。」


そう一息に説明してから、お父様は何かを探すように辺りを見回した。すると突然、私達の前に一台の赤い車が止まって運転席から浅葱あさぎ色の袴を穿いた男の人が現れて頭を下げた。



「おはようございます。応龍様、美子様、お待たせしてしまい申し訳ございません。権宮司ごんぐうじ様の命により、お迎えに参りました。」


見惚れてしまうほど美しい所作で、後部座席の扉を開けたその人を思わず見つめてしまったが、お父様に肩をトンと叩かれて慌てて車に乗り込んだ。私の後に続くようにお父様も乗り込むとドアが閉められてトランクに二人分の荷物が積み込まれた。そして、トランクの扉を閉めて運転席に座った男の人は、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。動き出した車の中は三人いるはずなのにとても静かで、居た堪れなくなった私は窓の外を見つめた。すると、いきなり窓ガラスが下がって温かい風が頬を撫でた。


「朱雀神社には三十分程で到着致しますので、それまで外の景色をお楽しみ下さいませ。」


そう言われて運転席の方を見ると、バックミラー越しに目が合ったので慌てて頭を下げた。すると、その人も軽く会釈をして目を前方に戻したので、開け放たれた車窓に視線を戻して見慣れない外の景色を眺めて楽しむことにした。




………

……





…男の人が言った通り、車に乗ってから三十分程経った頃に朱色の立派な鳥居がある神社に到着した。すると、鳥居の前に立っていた浅葱色の袴を穿いた別の男の人が後部座席のドアを開けた。お父様が降りたので私も続けて降りると、ドアを開けてくれた男の人がお辞儀をしてから口を開いた。


「応龍様、美子様、ようこそおいでくださりました。権宮司様と次期当主様が拝殿にてお待ちですのでご案内致します。」



そう言ってクルッと踵を返し、鳥居の前で一礼をしてから歩き出した。付いて行って良いのか判らずお父様を見上げると、軽く頷いて答えてくれた。なので同じように一礼をして鳥居をくぐると、【応龍】の地とも【青龍】の地とも異なる神聖さに包まれた。同じ【四神】でもこんなに変わるものなのかと驚きつつ、快い空気を楽しみながら参道を歩いて行った。



………

……




「お履物はそのままで結構ですのでこちらよりお上がり下さい。」


拝殿の階段の前で草履を脱ぐとそんなことを言われた。いつもとは違う特別扱いに何だかむず痒くなって曖昧に笑って誤魔化し、一段二段と先を行くお父様の後を追って丁寧に階段を上ると、拝殿の中央に座る二つの人影が見えた。



「…応龍様、美子様、遠路遥々お越しいただきまして心より御礼申し上げます。」


そう言うと、二つの人影が深々と頭を下げた。見慣れないその光景にたじろいで思わずお父様の袴を握ると、お父様は私をちらりと見た後に口を開いた。


「権宮司殿、そして次期当主殿、頭をお上げください。こちらこそ、色々とご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします。」


「…よ、よろしくお願いします。」


軽くお辞儀をしたお父様に倣って私もお辞儀をした。不格好ではないだろうか…と不安を抱きながら頭を上げた時、さっきまで頭を下げていたその子と目が合った。



(…わぁ…すごく綺麗な子だなぁ…)



少し渋い青緑色の髪の毛に優しげな二重の垂れ目、そして上品に微笑むその男の子は私と同じくらいに見えるのに、どこか大人びた雰囲気を纏っていて綺麗だった。



「美子、そんな所に立っていないでこちらに来なさい。挨拶が出来ないだろう。」


「…あっ、ご、ごめんなさい!」


思わず見惚れてしまったことに気付かされ、慌てて空席となっていた座布団の上に正座をした。恥ずかしくてチラリとその男の子を見れば、穏やかで上品な笑顔を浮かべて私を見ていた。


「馨、美子様にご挨拶を。」


「はい、お父様。」


柔らかな声音でそう返事をしたその子は、改めて私に頭を下げてから口を開いた。


「美子様、お会いできて光栄です。私は南門馨みなかどかおると申します。【朱雀】の次期当主にして南方の守護者でございます。まだまだ未熟者ですが、美子様のお力となれるように誠心誠意努めてまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。」


流麗な言葉に思わず感心してしまう。そしてそれは私だけでなく、あのお父様ですら感嘆の声を漏らしていた。


「そのよわいにしてその言葉遣い、流石は「礼」を司る神獣の一族ですね。この子にも馨殿の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものです。」


「身に余る御言葉、痛み入ります。」


上品なやりとりに、私はただ目をパチクリさせる事しか出来なかった。妙な疎外感を抱き始めた頃、お父様が私を見て挨拶を促した。


「あっ、えっと、天地美子です。おとといに六つになりました。よろしくお願いします。」


こんな挨拶しか出来ない自分に悲しくなってくる。もっと礼儀作法や上品な言葉を真面目に学べば良かった…と後悔していると、南門馨君は柔らかく笑った。その笑顔に、何だか救われたような気がした。


「美子様、この後のご予定ですが馨は弓の稽古がございますのでそちらを見学なさっては如何でしょうか。」


「弓…?」


噂には聞いた事があるあの武道を実際に見られるんだろうか、と興味を引かれお父様を見上げれば頷いて応えてくれた。


「私は権宮司殿と話がある。お前はそちらを見学しておくといい。」


「はい!」


大人同士の堅苦しい話に巻き込まれずに済んだことや弓というものを初めて見られることが嬉しくて、堪らずに元気よく返事をしてしまった。そして、お父様の呆れ顔で自分の失態に気付き、小さく「すみません…」と謝った。南門馨君はというと、少し俯きながら小さく「ふふっ」と笑っていた。



「馨、美子様を道場までお連れしなさい。くれぐれも失礼のないように。」


「畏まりました。」


お父様に「権宮司殿」と呼ばれていた男の人にそう命じられると、恭しくお辞儀をしてから立ち上がり、私の目を見て口を開いた。


「美子様、僭越ながら私が弓道場までご案内致します。大変恐縮ですが御足労いただけますでしょうか?」


「あっ、はい!いただけます!」


その綺麗な言葉遣いを意識しすぎたあまり変な言葉を返してしまった。はっ!と口を噤んでも手遅れで、お父様は顔を顰めて溜息を吐き、南門馨君は一瞬驚いた表情をしてからすぐに優しく笑った。


「ありがとうございます。では参りましょうか。」


そう言うと拝殿の出入口まで歩いて行き、「失礼致します」と頭を下げてから階段を下りて行った。その後ろ姿が見えなくなった時にようやく着いて行かなければならないことを思い出し、同じように出入口の所で頭を下げてから階段を下った。




階段を下った所で自分の草履を履いて立ち上がると、爽やかな笑みを浮かべる彼が話し始めた。


「美子様、弓道場までご案内する道中に簡単ではありますが、この朱雀神社や【朱雀】についてご説明致します。」


「あっ、はい…」


歯切れの悪い返事に私の異変を感じ取ったのか、彼は心配そうに私を見つめた。


「如何なさいましたか?もしや具合でも…」


「あっ、いや!そういうわけじゃなくて…!」


首をぶんぶん横に振って否定すると少しホッとした顔をしてから「では…」と言った。


「何かご不満なことでもございましたか?私が至らぬばかりに申し訳ありません。何かございましたら改めますので遠慮なさらずに仰ってください。」


真っ直ぐな目でそう言われ、不要な謝罪をさせてしまった申し訳なさが残るものの、気になっていたことを言い出すチャンスだと思い、意を決して口を開いた。



「…その、お願いがあるの。聞いてくれる…?」


顔色を伺うようにそう言えば、彼は優しく笑って頷いてくれた。


「もちろんです。私に出来ることでしたら何なりとお申し付けください。」


その言葉に安堵してとびっきりの笑顔を返した。


「ありがとう!それじゃあ…」


緊張で少し早くなった鼓動を落ち着かせるように深呼吸をしてから、彼の目を真っ直ぐ見つめて言葉を紡いだ。




「…わたしのこと「美子様」じゃなくて「美子」って呼んで?あと、敬語もやめてほしいな。」


そう言うと、彼は大きく目を見開いて固まってしまった。瞬きはおろか呼吸すら忘れて立ち尽くすその姿が痛々しくて、思わず私も苦しげな顔をしてしまった。



「…もしかしていやだった…?ご、ごめんなさい!その、嫌がらせがしたかったわけじゃなくてー…」


「ち、違います!嫌という訳ではありません!」


私の言葉を遮って響いたのは紛れもなく目の前にいる彼の声で、私も当の本人も驚いた表情をして暫くの間見つめ合っていた。





「…あ、いえ、その……急に大声を出してしまい申し訳ありませんでした。」


「う、ううん……。」


まだ少し動揺しながら私の視線から逃げるように俯く彼が気の毒ですごく胸が痛んだ。だけど、それよりも私の頭の中はさっきの彼の言葉でいっぱいだった。




「……いやじゃ、ない…?わたしのこと、「美子」って呼ぶことと、敬語やめること…。」


恐る恐るそう問えば、俯いていた彼がちらりと私を見てから小さく頷いた。


「…!ほ、本当っ!?本当にいやじゃない!?」


嬉しさと驚きと不安が混じった表情のまま、勢いよく顔を近付けると彼は全身をビクッと震わせてから真っ赤な顔をして頷いた。


「…は、はい。本当、です。…ですが、私は常語に慣れていませんので聞き苦しいと思われるかも知れませんが…。」


申し訳なさそうにそう言った彼の両手を握り締めて私は首を横にブンブン振って答えた。


「そんなこと思わないよ!というか慣れてないならわたしとたくさん話そう!たくさん話して、いっぱい仲良くなろう!!」


「…なかよく…」


そう呟いてから包み込まれるように握られた自分の両手をジッと見つめていた。それを見て、私は今言ったことは嘘偽りのない本心だと伝えるためにさっきよりも強く彼の両手を握り締めた。





「……み、美子…?」


震える唇で呼ばれた自分の名前には彼の精一杯が込められていて、嬉しくなった私は満面の笑みで頷き返した。


「…うん!わたしは美子!美しい子って書くんだよ!これからよろしくね、馨っ!!」


今度はお返しに彼の名前を精一杯呼んだ。するとまた目を大きく見開いてから照れくさそうに笑って「…うん」と手を握り返してくれた。



…ただ名前を呼び合っただけだったけど、彼との距離が一気に縮まったような気がして、単純な私には天にも昇れるくらい嬉しい出来事だった。






続く…

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