第4話 約束


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「…はぁ、はぁっ…!な、んでだよっ…」


黄昏時の森の中、息を切らしながら歩くオレは焦燥感に駆られていた。何故かと言うと…


「…っ、なんで、歩いても歩いても森の外に出られねぇんだよ!」


…そう、暗くなってきたから帰ろうと歩いているのに、一向に森の外に出られずにいたからだった。何度か遊んだことのある場所だからある程度の土地勘はある。なのに、気が付いたら元いた場所に戻ってきてしまう。


そして不気味なのはそれだけじゃなかった。


「…っ!またっ…!」


森の至る所から何者かに見られているような気味の悪さも、帰ろうとした時から感じていた。


始めは何とかなるだろうと軽く考えていたけど、邪悪な気配が濃くなっていくにつれて焦りに変わっていった。だけど、急ぐ気持ちに反して歩く足はとても遅かった。


「…いってぇ…腕とかだったらまだ良かったんだけどな…」


木にもたれ掛かりながらズキズキ痛む自分の左足首をそっと撫でた。帰りを急いだからか、木の根っこに躓いて挫いてしまった。だけど無理して歩いたせいで更に悪化し、堪え切れないほどの痛みが生じるようになってしまっていた。



「…はぁ…嫌なことばっかだな…」


仕方なく休むことにして一番に口から出たのがそんな言葉だった。「嫌なこと」というのは今の状況のこともそうだが、それよりも大きな原因は他にあった。


「…なんで【応龍】なんだよ…」


今朝になって突き付けられた真実こそ、「嫌なこと」の大部分を占めている事柄で、悪夢の始まりとも言えるのかもしれない。



「…【応龍】は、オレが一番嫌いな奴…」


言葉にしてみるとやっぱり湧き上がってくるのは憎しみや怒りだ。まだ五年しか生きていないけど、その短い人生の中で何度も父ちゃんとじいちゃんがオレに言った言葉。



『…健、お前は【青龍】の次期当主であり応龍様と巫女様をお護りする義務がある。それ故遊んではおられんのだ。稽古と修行を積み、立派な守護者となれ。それがお前の宿命なのだ。』


『…なんじゃその太刀筋は。それでは応龍様や巫女様をお護りすることなどできんぞ。わしら【青龍】は神官として守護者として強く在らねばならん。忘れるな、それがお前の宿命なのじゃ。』



「…くそっ!!!」


呪いのようにオレの身体と心に根付いた「宿命」という言葉。そんなもんのために奪われた自由は、徐々に憎しみの感情を育てていった。でも逆らうだけ無駄であることも知っていたから、その黒い感情を腹の中にしまって何の面白みもない稽古と修行をこなしていった。だけど、転機があった。



『…ぜってぇ【応龍】のためになんか生きねぇ…!強くなって「宿命」とかいうやつから逃げてやるっ…!』


それは自分の運命に対してそう決意し、自分のためだけに強くなると心に誓った日からだった。適当にこなしていた稽古や修行を積極的に励むようになり、そのおかげでほんの少しの時間だけなら遊びに行ってもいいと許されるようになったことには少なからず驚いた。あんなに渇望していた自由を、「宿命」から逃げても自分のための努力をしたおかげであっさり手にすることができたからだ。



…そして、外出を許されて初めて行った神ヶ森で出逢ったのが美子だった。何で神ヶ森に行ったのかは判からないけど、美子に会ったのはオレの、自由の意志が引き合わせてくれたからだと思った。だから、慌てて「遊ぼう!」って誘ったら、笑顔で「いいよ!」と返してくれた。それからは本当に楽しい時間を過ごした。



思いっきり遊ぶことがこんなに楽しいなんて、

心から笑うことがこんなに疲れるなんて、

誰かと手を繋ぐことがこんなに心地良いなんて

知らなかった。


オレの知らなかったことを、たくさん教えてくれる美子のことがいつの間にか大好きになっていた。そして、たくさん笑ってたくさん走る美子はオレが求めていた自由そのものだと思った。



…だから、美子が「帰りたくない」と泣いた時、助けてやりたいと思った。大好きだから、大切だから、似たような苦しみだったから、少しでも楽になれるようにその手を引いた。そしてその日の夜、自分の本心を打ち明けた時、オレの苦しみを受け止めてくれた美子を守りたいと思った。




「…でも、美子は、【応龍】の巫女…」


…正直、自分がどうしたいのか判らない。


美子は守りたい。

だけど【応龍】は護りたくない。


その迷いが太刀筋に表れているとじいちゃんに指摘され、カッとなって道場を飛び出した。そして、辿り着いた神ヶ森で色々考えようと座り込んだ瞬間に強烈な眠気に襲われて眠ってしまった。目が覚めたのは空が茜色に染まる頃で、その後色々あって現在に至る。



「…そういや、何でこんなに気味が悪いんだ…?オレが来た時はこんなんじゃ…」


いつもとは違う雰囲気の漂う森について考えようとした時だった。背後から感じたことのない邪気を感じて振り返ると、少し離れた木の近くに背丈が2メートルほどある一つ目の鬼がいた。余りにも非現実的な光景に思考が追いつかず、呆然と眺めているとその鬼が急に鼻を大きく広げて吸い込み始めた。その行動に嫌な予感がした。



『…ン?オォ!?ウマソウナニオイ!!ヒトダ!!コンナモリニヒトガイルゾォッ!!』


その鬼はよだれをダラダラ流しながら草を踏み分けてオレの方へ物凄い速さで走って来た。


「っ…!!」


危険を察知して、本能的に逃げようと足に力を入れた途端に激痛が走った。その痛みに立ち上がることはおろか動くことすら出来なかった。しかし、一つ目の鬼はそんなことはお構い無しでまっしぐらにオレの方に走ってくる。


『ヒトダヒトダヒトダァァア!!クワセロォオ!!!』


怒り狂ったような声は狂喜に満ちていて、その迫力に気圧されて何も考えることが出来なかった。そしてその鬼の、濁った鋭い爪が振り下ろされた時だった。



バシィッッ!!


『ウグググゥ…!!?』


肌を木べらで叩いたような音がしたと思ったら、狂喜の笑みを浮かべていた鬼が苦しそうな声を出し、頭を抱え離れていった。そして、鬼からオレを守るように立ち塞がったは、見覚えのある後ろ姿だった…。





「…み、こ…?」


拙くその名を呼べば、ずっと前を向いていたその人がゆっくり振り返った。



「…迎えに来たよ、健。一緒に帰ろう。」


そう言って笑った顔を見た瞬間、オレは思わず泣きそうになった。


「…っ、なんで…だって、オレは…」


目に浮かべた涙を隠すように俯きながらそう言えば、美子はクスッと笑って膝を折った。


「…だって、「またね」って言ったでしょ?あの約束は健としたから、【応龍】も【青龍】も関係ないと思って。」


その言葉に顔を上げれば、優しく笑う美子がいた。この森で遊ぶ時みたいに、憂いも迷いもない自由な笑顔だった。




「…健、あのね『グゥアァァア!!!!!』


話そうとする美子の言葉を遮って轟く怒号。その先にはさっきの、一つ目の鬼が顔を真っ赤にして全身を震わせながら立っていた。


『ヨクモヨクモヨクモッ!!!ジャマシテクレタナァ!!オマエカラクッテヤルッッ!!!』


そう言って地を蹴る鬼は物凄い速さで距離を詰めてきた。慌ててオレは美子の腕を掴んで叫んだ。


「美子!逃げろ!!あいつはオレが…」


しかし、美子は首を横に振った。そして掴んだオレの手を優しく握って口を開いた。


「大丈夫。健、見ててね。」


美子の強い決意のようなものを感じて、何も言えずにただ見つめた。すると、美子はスッと立ち上がって迫り来る鬼にオレの木刀の切っ先を向けた。



「青龍。」



美子がそう呟いた瞬間、木刀が緑青色の光を纏った。ただの木刀なのにまるで真剣のような鋭さを放っていて、オレは息を呑んだ。そして、それはオレだけじゃなかった。



『…ソ、ソノヒカリハ!?マサカ、オマエガウワサノミコナノカァッ!!?』


さっきまでの威勢が嘘のようにガタガタ震えながら美子を指差す一つ目の鬼。そんな鬼に、美子は落ち着いた様子で声を掛けた。


「…あなたを倒すためにここに来たわけじゃないの。わたしと健を見逃してくれるなら何もしないから、お願い。」


凛とした声が夕闇の森に木霊した。その後ろ姿はどこか大人びていて、美子なのにオレの知らない人みたいだった。



『…ク、クッソォオ…!!!』



最後にオレを一瞥して森の闇に溶けて行った鬼を見届けた美子は、その場に崩れるように座り込んだ。


「美子っ!!だ、大丈夫か!?ケガしてねぇか!?」


這いつくばって美子のもとまで行き、その肩を強く引くと、美子は笑顔を見せた。


「…だ、大丈夫!心配してくれて、ありがとう…」


そう気丈に振る舞っていたけど、触れた肩から伝わる微かな震えが全てを物語っていた。



「…っ、ごめんな、美子……オレのせいで、こんなー…」


「違うよ!健!!」


巻き込んで怖い思いをさせてしまったと謝ろうとしたのに、美子がそれを大声で遮った。



「…謝るのは、わたしの方だよ。【応龍わたしたち】のせいで健は今まで嫌な思いをしてきたんだもん…!だから、ごめっ」


「違うっ!!」



頭を下げようとした美子を今度はオレが遮った。そんなオレを美子は目をまん丸にして見つめた。



「…確かに、【応龍】のためだとか宿命だとか言って自由を奪われて、稽古とか修行とかばっかだったのはいやだった!!」



いつの間にかもう片方の手も、美子の肩を掴んでいた。強く肩を掴むその手は、苦しそうに震えていた。



「…だけど!美子は違う!!【応龍】とか【青龍】とか、宿命とか義務とか関係なく守りたいって思ったんだ!!」


自分の本心をありのままに吐き出せば、あんなに迷っていたのが嘘のように心が軽くなった。



(…何で迷ってたんだろうな……答えなんかとっくに出てたのに…)



「…健……」


躊躇いがちな声でオレの名前を読んだその子を見れば、今にも泣き出しそうな顔をしていた。きっと、オレも同じ顔をしているんだろうなと思った。


「…また、遊んでくれる…?これからも、ずっと…」


まさかそんなことを聞かれるとは思わなくて、しばしその目を見つめてしまったが笑って頷いた。



「…当たり前だろ。だって、美子はオレの、生まれて初めての友達なんだから。」


そう言うと目を見開いてから顔をくしゃくしゃにして口を開いた。


「…ありが、とう…友達って、言ってくれて……遊ぶって、言ってくれてっ…!」


ついに堪えきれなくなった大粒の涙をポロポロ溢しながら感謝の言葉をオレにくれる美子。そんな美子に釣られてオレも泣き出してしまった。



…すっかり陽が落ちた森の中を、二人の子供の、泣き笑いする声が風と共に流れていった。





………

……






「グズッ…さあ、そろそろ帰らないと!」


鼻をすすって立ち上がった美子は膝をパンパンと叩いて土を落とした。


「おう、そうだー…」


美子に続いて立ち上がろうとした瞬間、左足首に激痛が走って転んでしまった。


「健!?どうしたの!?」


慌ててしゃがんだ美子はとても心配そうな顔でオレの顔を覗き込んだ。


「っ……足、ケガしてんの忘れてた…」


「足…?」


そう言ってオレの足に目を向けた美子は息を呑んで固まった。



「…ははっ、木につまずいて転んだだけだから気にすんなって。」


恥ずかしいやら気まずいやらで思わず笑ってしまった。すると、美子が顔を真っ青にして口を開いた。


「わ、笑い事じゃないよ!!ど、どうしよう…!あ!わたしがおんぶしようか?!」


そう言って背中を向けた美子に相当慌てているんだなと思った。


「い、いや、おんぶはいいって!!それより、誰か大人のやつを連れて来てくれよ、な?」


オレの腕を自分の肩に乗せようとする美子にそう頼むと、少し冷静になったのか「でも…」と小さな声で言った。


「…この森、すごくいやな感じがするから、健を置いてなんか行けないよ。」


そう言われてハッとした。確かにさっきの鬼のような邪悪な気配があちこちから感じられる。そして、今こうして何ともなく過ごせているのは間違いなく美子の力のおかげだろう。その美子がいなくなった後、無事でいられるとは到底考えられない。しかし、だからと言って女の子の美子におんぶをしてもらうのも無理がある。



二人で頭を悩ませていた時、美子が急に「えっ…?」と言った。それから、何もない自分の右肩を見つめて相槌でも打っているかのように「うん…うん…」と言った。



「…み、美子?どうしたんだ…?」


恐る恐る訊ねると、勢いよくオレの方に頭を向けて口を開いた。


「…その、初めてだから上手くできるか分からないんだけど、わたしのこと信じてくれる…?」


少し自信なさそうにそう言った美子を、オレは真っ直ぐ見つめた。そして、片頬を上げて笑った。



「…信じねぇわけねぇだろ?何すんのか分かんねぇけど、美子ならいいぜ、信じてっから!」


オレの言葉に目を見開いた後、すぐに笑顔になって「うん!」と頷いた。その顔が見られただけでオレは安心できた。




「じゃ、じゃあ!始めるね…!」


「ん?お、おお…?」


何をするのかの説明がないまま何かを始めようとする美子は、その両手をオレの左足首にかざして目を閉じた。



…すると次の瞬間、美子の手から黄金の光が生まれてオレの左足首を優しく包んだ。その光は雲みたいに柔らかくて、春の日差しみたいに温かった。



異様だけど美しい光景に見惚れていると、目を開いた美子と目が合った。その大きな二つの目にオレが映っていて、それに何故か鼓動が早くなった。



「ど、どう!?足、治った!?」


一向に動かないオレに、期待に満ちた顔を近付ける美子。少しどぎまぎしながら自分の左足を動かしてみると、さっきまでの激痛が嘘みたいになくなっていた。


「…いたく、ねぇ…!すごいな!美子!」


不思議な出来事に、面白くなってジャンプをしてみたけどやっぱり痛みはなくて、寧ろいつも以上に調子が良かった。


「…よ、良かったぁ…!」


ホッと胸を撫で下ろした美子にオレは笑顔で手を差し出した。


「帰ろうぜ、美子!多分…ってか絶対怒られるけど、今度はオレが守るから!!」


目を大きく見開いてから、照れたような顔をした美子は、オレの手を握って立ち上がると真っ直ぐ目を見つめて口を開いた。



「…健、わたし強くなるね。自分のことは自分で守れるくらい、健のことも守れるくらい強くなる!!」


そう言い放った美子は真っ直ぐで強くて、羨ましいくらい格好良かった。だからオレもニカっと笑って口を開いた。


「…なら、オレも強くなる。【四神】の中で一番強くなって美子を守る!!」


繋いだ手に力を込めて、そう高らかに宣言した。美子はまた嬉しそうに笑って手を握り返した。


「じゃあ約束ね!二人だけの約束!」


「ああ!約束だ!」




…響き渡る決意の言葉に、柔らかな風の音が重なって森の闇を駆けていく。木の葉から漏れる月明かりに照らされていたからか、二人で手を繋いで帰る道は眩しいくらい輝いていた。






続く…

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