第3話 美術部の愉快な仲間たち

「一色くんのクラスと合同授業って珍しいね」

「……水無月のクラスの体育の先生、休みだからな」


 その日、一色と水無月のクラスは体育の授業が合同で行われていた。本来ならばそれぞれ別々で同じ時間に行われているのだが、今日は水無月の担当が体調不良で仕事を休んだのである。そこで丁度同じ学年で同じ時間に体育をしている一色のクラスと合同となったわけだ。

 ……しかし一色も水無月も体育に参加しているわけではない。互いに見学していた。


「でも、まさか見学まで一緒になるなんてねー」

「俺は楽が出来て良いよ」


 一色は足を軽く怪我したことを理由に休んでおり、水無月は体操着を忘れて体育を休んでいた。休む分のレポートを後で提出しないといけないからか、二人とも画板を首から下げていた。


「高校生になって画板を使うことがあるとは思ってなかった」

「あはは、でも可愛いよね。なんか小学生の頃、思い出すよ。画板は必需品だったなー」

「……想像できるな。画板を首から下げた水無月の姿」

「たぶん想像通りだと思うよ。学校で一番画板が似合う女子だったから!」


 何故かそれを誇らしげに語るところも水無月らしい、と一色は苦笑しながら思った。

 ……しかし早々にレポートを書き終えたため、一色は暇を持て余していた。レポートの余白に漫画のキャラをサラサラと描くものの、一色は速筆なためにすぐに余白が無くなってしまう。

 これならば白紙の紙でも用意してこれば良かったと後悔していると、水無月は彼の画板の中を横から覗いた。


「ふへー、やっぱり上手だね。流石は漫画コース――あ、レインちゃんだ!」

「妹が好きで、良く描いてってせがまれるからな」


 水無月は一色作のイラストの中でも、可愛いゆるキャラのようなタッチの絵を指して喜ぶ。それは一色たちの住む地域で親しみ深く愛されている「レインちゃん」という小鳥のキャラクターであった。ご当地キャラクターとしてそれなりに人気があり、一色の妹が特に気に入っているキャラクターだという。

 何気なく発した一色の新情報に、水無月はすぐに反応した。


「妹ちゃん、いるんだー」

「今年で小学三年生になるよ。手間はかからないけど、世話を焼かせる妹だ」

「……えっと、どういう意味かは分からないけど、とりあえず仲が良いってことだよね」


 水無月はうんうんと頷いて、「仲が良いのは良いことだ」と一人納得していた。


「兄妹がいるのは良いなー。私は一人っ子だから羨ましいよ」

「貴音先輩とは姉妹みたいだって思うけど……」

「うん、世話の掛かるダメなお姉ちゃんだね」

「……水無月って意外と貴音先輩には毒舌だよな」


 しかし水無月が何一つ嘘を言っていないことは理解できるため、一色はそれも仕方ないと思う始末である。

 ――今の彼女の発言通り、水無月と美月は幼少期から交友が続く幼馴染の親友である。水無月が生まれた時からの幼馴染という点で、どれほどの縁なのかは察しがつくだろう。

 そして年々二人の力関係が逆転していること、そしてそれがどちらに傾いているか。それは言うまでもない。


「個人的には年下の妹か、年上のお兄ちゃんが欲しかったなー。一色くんみたいに落ち着いた優しいお兄ちゃん!!」

「……兄妹のいない人って大体そう言うな――悪い、話が変わるんだけど、良いか?」


 一色は水無月の言葉に照れ隠しをするように、突然、話の腰を折ってそう言った。


「別に良いけど、どうしたの?」

「今日、部活休むから一応伝えておこうと思って。……ほら、先輩たちの相手が大変だと思うからさ」

「あ……ま、まぁ一日くらい大丈夫だよ? それでどうして?」

「さっき話した妹が体調を崩してて、しばらくは早く帰って傍に居てやりたくて」


 すると一色は心配そうな表情を浮かべた。その表情は水無月からすれば初めて見る「お兄ちゃん」としての一色であったため、新鮮に見えた。


「うんうん、やっぱり優しいお兄ちゃんだなぁ、一色くんは――わかった! 私から美月ちゃんに言っておくよ!」

「悪いな。頼むよ。……妹云々は誤魔化しててもらえるか? 家に看病に来るとか言いそうだから」

「……一色くんも美月ちゃんの行動パターンが理解出来てきたね。あと海老名先輩たちの方も。お家の事情って伝えておくね」


 水無月は引き笑いを浮かべながら、一色のお願いを承る。


「悪い、恩に着る」


 ……その後、水無月伝で一色が休むことは美月に伝えられた。しかし、この時の水無月は思っていたかったことだろう――まさかこの一件が、あれほどに回りくさい出来事の発端になるということを。


○●○●


「……これは由々しき問題だ」


 それはその日に起きた。五月の半ば、まだ涼しさを感じる放課後の部室で、美月が突然そんなことを言い出したのだ。

 その日、一色は家の事情という理由で部活を休んだ。よって部員も少しばかり今日は大人しいのだが……美月のそのような発言で、皆の筆が止まる。


「問題ってなんだよ」


 そう言うのは同学年の雪彦である。雪彦は興が乗っていたのを阻害されたからか、少し不満げな表情である。しかし彼女の発言自体は気になるようで、ぶっきらぼうにそう聞いた。


「一色が美術部に入って初めて部活を休んだ」

「そうだねー。でも家の事情なら仕方ないと思うけど……」


 水無月は一色から直接休む理由を聞いたため、そこまで問題を感じていないのであるが……残念ながら美月はそのようには考えてはいなかった。


「そうなんだけどな。一色が詳しい理由を言わないで休むものかと思って」

「確かに、家の用事って部活をサボる時の常套句だよな」


 美月の疑問に雪彦はそう付け加えた。しかしそれは一色を想っての水無月の優しさである。事実、もしこの場で水無月が真実を言えば、この三人がお見舞いの品を持って一色家へ向かう可能性は少なくない。それが例え、会ったことのない彼の妹が相手であっても、だ。

 そのため本当のことを話さない水無月であるが、話さないが故に彼らの予測は思わぬ方向に向かった。


「――ちひろん、早速うちのノリに嫌気を指したんじゃ……」

「「「ッッッ」」」


 初香の何気ない一言に、他三人は戦慄した。

 それぞれはその言葉に瞬時に想像する。彼女の発言と真意と、本当にそうであるかという辻褄合わせだ。


「(そんなことないよね。だって私に直接言ってくれたし……あ、でも)」


 ……水無月は思った。そんなことないとは思うが、完全に否定する根拠が自分の中にないことを。そして一色が美術部に入ってから自分の負担が圧倒的に減ったことを考えると、むしろ……となるわけだ。


「い、一大事だよ!!」


 その考えに至り、水無月は慌てふためく。一色が辞めてしまうということは、つまりこの色の濃い面子をまた一手で引き受ける生活が始まるということだ。

……一色が部活に入ったのは五月の初頭。つまりそれまで一年生は水無月一人であったということである。そのときの美月たち先輩たちの相手をし続けることの意味を、水無月は身を持って知っているのである。

 もちろん嫌ではない。嫌ではないが――一人では手が足りないのだ。


「こ、このままじゃ一色くんが辞めちゃう!!」

「お、落ち着け虹! いくらなんでもそれは……」


 ……美月は思った。果たしてそれはあるのか。自分のこれまでの行動を鑑みて、一度冷静に考えてみた。

 校内で一色が歩いていれば面倒臭い絡み方を、彼を見るたびにした。それは親しくなろうとした結果の行動であるが……彼がどう思うかなど明白だ。そして水無月関連で一方的に激昂していたりもしていることを考えて――顔が真っ青になる。


「ま、まずいぞ!! こうなれば今すぐに家に押しかけて」

「お前も落ち着け!! 律儀なあいつがそんなことをするわけがないだろ!! そんなはず……あるわけ……」

「そうだよぉ~。ちひろんは真面目で優しいから、そんなすぐに辞めるはずが……」


 そして海老名兄妹は思った。その優しさや律儀さ、真面目さから色々と悪戯をしまくっていたことを。その度に困った表情を浮かべていた彼のことを思い出した。

 水無月は焦り、上級生である三人は冷や汗を掻いているこの状況。一色は知る由もないだろう。何故なら、彼は特にそんなことを一切思っていない上に、欠席の理由も本当に家庭の事情であるからだ。水無月には話したが、実際に彼の妹は高熱を出して家で寝ているのである。

 しかし美術部の愉快な仲間たちはとても想像力が豊かである。よって……


「――さ、作戦会議だ!! 今日の部活動の内容を急遽変更する!!」


 ……このように、可笑しな状況をつくり出してしまうのであった。




「我々は勘違いしていたのかもしれない。馴れ馴れしく彼を困らせることで仲が深まる近道であると思っていたが、それは恐らく違う」

「そうだね、急がば回れっていうくらいだし、もっと遠まわりした方が良いと思うなぁ~。急いては事を仕損じるって奴だね!」

「あいつも仕方ない奴だなぁ。段階を踏まないといけないってわけか」

「――あ、駄目だね、これ。絶対に失敗する流れだよ」


 水無月虹は頭を抱えていた。

 作戦会議を開始して以降、確かに話は進んでいた。しかしその話の経過は絶対に失敗する流れなのである。それは今までの彼らを観察していれば想像するのは容易い。

 そもそも困らせることは迷惑であり、近道どころか行き止まりが目に見えている。急がば回れというのも、そもそもそれが交友関係の構築する上で当然の流れであり、最後の馬鹿の言っていることはもはや論外だ。一色千尋が面倒というより彼らが面倒な存在であることは間違いない。


「……みんな、間違ってるよ!!」

「「「なに!?」」」


 水無月は勇気を振り絞ってそう言うと、予想外に三人は驚く。それに水無月は更に驚いた。

 何に驚いたかといえば、間違っていることにすら気づいていないことに驚いているのである。つまり、三人の考えのなさに驚いているのである。


「ちょっと待ってね、私も考えを整理するから」


 水無月は頭を抑えて状況を整理する。

 この三人に任せておいては確実に失敗する。そもそも段階を踏むことを争点に入れていない三人にこの問題を任せていて成功への道筋が存在するわけないのだ。

 ――今回の問題は水無月にとって、今後の彼女の生活に関わる重要な一件である。より具体的に論じるのであれば、この三人の無茶ぶりや暴走を一人で止めなければならないということである。

 答えを言おう――そんなことは絶対に不可能であると。彼女は深くそう思っていた。


「何が駄目とか、もうそんなの言っても仕方ないから置いておくとして……手遅れですし」

「て、手遅れとは何て言い草だ、虹!!」

「そーだ、そーだ、横暴だー」

「…………まぁまぁ、落ち着けよ」


 水無月の評価に納得のいかない美月と初香は、声を大にしてそう反論する。雪彦は少なくとも思い辺りがあるのか無言を貫いていた。


「と、ともかく考えましょうよ! 私たちがまず何をしないといけないかってことを」


 そう切り出すも、そもそも何をどうすれば良いか、水無月自身も理解していなかった。

 とにかく分かることは自分の危機であるということ。そして水無月にとって、それを抜きにしても一色が美術部から去るということは寂しく、避けたい結末なのだ。


「何を出来るかって言われてもよー。俺、千尋のこと良く知らないしなぁ」


 雪彦は腕を組んで、唸りながらも考える。雪彦の言う通りで、一色が美術部に入ってまだ日は浅いのだ。

 そういう彼に、美月と初香も同調する。


「そうだな。一色はあまり自分のことを話すタイプでもないし、中々難しい話だ」

「うんうん、ちひろん内気さんだからねー」


 三者三様の意見を言うと、それを聞いて水無月はハッとした。


「――それですよ!!」


 水無月は雪彦の顔を見て、バンッと机を叩いて立ち上がった。

 雪彦の意見とは、そもそも一色千尋のことを良く知らないということである。それは機会がないとか、いつも騒がしいばかりでゆっくりと話す時間がなかったとか、様々な理由がある。

 彼を知らなければ何も始まらない。水無月はそう考えると、自然と案が頭の中に浮かんだ。


「皆、一色くんのことをもっと知るべきだと思います! 何が好きとか、どういう性格だとか、どんなことでも良いから!」

「……なるほど、まともな意見だな」


 雪彦は腕を組んで、うんうんと頷く。実際に当然な意見だ。しかしいきなり一色のことを知ろうと言われても、それは難しい。

 そこで水無月の思いついた作戦がある。それは彼と仲良くなる小さなきっかけのようなものだった。


「一色くんの歓迎会をしましょう! 一色くんが楽しんでくれて、なおかつ私たちも楽しめる楽しい時間! それを作りましょう!!」


 水無月がそう言うと、上級生の三人は顔を見合わせる。そして頷きあって……


「なんていうか……普通だな」

「普通だねぇ~」

「普通だよなぁ」

「――普通で良いの!!!」


 つい敬語が無くなってしまう水無月であった。

 どうして彼らは普通のことを嫌がるのか、どうして癖を付けたがるのか。それは水無月には決して理解できないことである。

 ……かくして一色の歓迎会の開催が決定したのであった。


○●○●


 歓迎会をすることが決まり、それからその内容決めでその日の部活は終わった。

 その内容は普段の活動と照らし合わせてすることになった。それは学校のない休日に、定期的に行っている写生会である。

 自然に満ち溢れた、とある高原にピクニック気分で向かい、そこで各々描きたいものを描くという分かり易い活動だ。それと歓迎会を兼ねるというわけである。

 そして上級生三人は一つ、譲れない提案を出した。

 ……それはサプライズである。サプライズだけは譲れないと言いだしたのだ。水無月も別にその案を否定する気はないため、受け入れたのだが……不安は残る。

 ――そもそも彼らに、聡い一色に悟られないようにすることなんて出来るのか。それに尽きる。

 ……ともあれサプライズ企画は出来たのだが、後はそれを実行に移すだけである。その実行は今週の土曜日にする予定になった。

 それまでの間、彼らが何もしないはずはなく……それまでの間に、彼に決して悟らせずに彼の情報を得ようというのが、目下の目的であった。

 それは一色の好きな食べ物とか、そんな普通の情報である。少なくとも水無月はそのことだと思っている。

 ……さて、そんな今日であるのだが、その曜日をお教えしよう。

 ――金曜日である。何を隠そう、明日は歓迎会なのだ。

 それなのにも関わらず彼らは、何一つ情報を獲得できていなかった。


「――何か、言い訳があるなら聞くぞ?」

「い、言い訳なんて、いいわけ……」

「あ?」


 珍しくも高圧的なのは雪彦、その人である。そしてそんな彼を前に正座をして、どうしようもない駄洒落を言おうとしたのは美月だ。

 ……更に言えば、彼の前で正座しているのは、何も美月だけではない。彼の妹である初香と、あの水無月までもが正座をしているのだ。それがどれだけ異常なことということは、言うまでもない。


「同じ日に各々が行動したら千尋に悟られる可能性があるから、一人一日時間を分けたのは知ってる――それでこの様か」

「う、うるさい! わ、私だってやれることはやった! でもあいつの情報秘匿が凄まじくてな?」

「うるせぇ、かっこつけた言い方すんな! ――まぁいい。とりあえず一人ずつ、何があったか話すんだ」

「「「はい」」」


 雪彦の言葉に、三人は素直に頷いた。

 ……別に彼女たちだって、遊んでいたわけではない。むしろ一色のことを知ろうと躍起になっていた。

 しかし上手くいかないのが美術部の常である。

 ……初日の担当は美月であった。今より三日前の火曜日、美月は妙に意気込んでいた。


「まぁ、私ほどの素晴らしい部長であるならば、一色もひょひょいと心を開いてくれるさ。出番がなくて申し訳ないな、お前たち」


 その日の朝、美月は部室に集まった他三人にそう息巻いたのだ。

 彼らもその自信の程に少しばかり期待を寄せた。実際に、対して難しいことではない。普段通りに接していれば、聞けば一色も答えるはずなのだから。

 ……しかし美月は一味違ったのである。


「おはよう、一色! 今日は天気が素晴らしいな! お前の笑顔も、こんな風に素晴らしいということは私も知っているぞ」

「朝から何を気持ち悪いことを……いえ、なんでもありません。俺、ホームルームあるので失礼します」


 ――開口一番がそれである。

 普段の美月ならば……

『おはよう、一色!! 朝なのに何をそんな辛気臭い顔をしている! 元気が足らんぞ!! そういう時は飯を食べるんだ!!』

 これくらい言っても可笑しくない。しかし彼女の暴走は止まらず、


「一色、昼食を共にしよう!! 実は私はお弁当を作ってきたから、ぜひ食べて……」

「貴音先輩が料理できないっていうのは水無月から聞いています。昔、死にかけたって言っていましたよ」


 母親が作ったにも関わらず嘘を言い、

「今日は何を描いているんだ?」

「アゲハチョウをモノクロで表現しています」

「羽が色鮮やかで綺麗だな!!」

「だからモノクロって言っていますよね?」

 素直にアゲハチョウが好きなのか、と聞けば良いモノを、変な返しをしてしまった結果、一色は完全に彼女を警戒してしまったのだ。

 ……最後に関しては、美月も完全に焦ってしまっただけである。度重なる失敗と朝のビッグマウス、この二つが重なって起きた失敗だった。

 そうして美月の日は終了したのであった。


 ……二日目は初香の担当であった。美月はともかく、初香は基本的に頭の回転も速く会話も達者なものだ。彼女としても特に気にする必要もなく、いつも通り彼に接そうと思っていた。


「おっはよー、ちひろん! 今日は雲一つないねー」

「……そうですね」

「……そ、それだけ? ほら、天気に負けないくらい先輩も元気ですねとか、そんな感じで返答してくれても良いんだよー?」

「何か企んでますよね、先輩たち」


 ――警戒心が凄まじかった。むしろ彼らの行動に裏があると見抜いていたのだ。その理由は明らかで、先日の美月の不審な行動である。

 登校時間に鉢合わせが二日連続で起きることに一色は疑問を感じた。それもそのはずで、初香も美月も偶然を装っていたからである。

 警戒がなければ簡単なことだが、警戒されてしまったのであれば、まともに会話など成立するはずがなかった。そもそも会話という土俵の上に立つことすら出来ないのだから。

 ……一応初香も最善は尽くしたのだが、初日で失敗した美月のせいで、その日は彼の警戒を解くことで精いっぱいだった。

 ――二人の話を聞き、雪彦は美月の頭をガシッと掴んだ。


「完全にお前、やらかしてんじゃねぇかー!!」

「わ、悪いとは、思っているさ……」

「本当に、辛かったよ。最初から警戒されてるなら、私なんてただのあざといだけの先輩だよ」


 初香がげんなりとした表情でそう呟く。彼女としても非常に不本意な選択だったのだ。次の水無月が警戒されないために、自然にいつも通り振る舞うことこそが彼女の最善であったというわけだ。むしろ彼の警戒を解いたという点は評価に値するものだ。

 ……美月、初香の話が済んで、最後は水無月へと視線が向いた。その気持ちは同じで ――単純な疑問であった。

 水無月は美月や初香とは違って一色と真っ当に交流を深めており、かつ彼からの好感度も見るからに高い。事実、水無月の日である木曜日の部活の時も仲良さげに話している姿を三人も確認していたのだ。

 だからこそ余計に何故彼女が失敗したのか理解できなかった。失敗する要素が欠片もないからである。


「俺的には虹ちゃんがどうして失敗したのかが知りたいな。ここの二人と違って千尋に警戒されていないし、昨日だって仲良さげに話していたのに」

「えっと……仲が良かったのが原因と言いますか、当初の目的を忘れたと言いますか――とにかく言い訳の次第もないです」


 水無月はその場で深々と頭を下げると共に、事の次第を話し始めるのであった。



 水無月は使命感に燃えていた。何故なら自分を除く美術部の面子が、立て続けに失敗を繰り返したからである。この上で後を控えている雪彦に任せることの危険性を考えれば、一色から何とか情報を引き出さなければならないことは明白だ。

 そうして自分の番を迎えた木曜日の朝。水無月はそんな考え事をしながら電車に乗り合わせていた。


「(私がしっかりとしないと……美月ちゃんは戦力にならないことは分かってたけど、まさか初香先輩まで――)」


 彼女もそれなりに毒舌である。しかし、考え事をしていたからか彼女は電車が一色の乗ってくる停車駅に到着したことに気づかなかった。

 偶然を装っていた美月と初香はともかく、水無月は特にそういった作戦を企てていたわけではない。わけではないのだが……偶然とはあるもので、同じ時間帯の電車に一色は乗り合わせていた。

 なおかつ電車に乗った水無月に気づき、挨拶をしようと彼女に近づく。しかし水無月は考え事のために気づかないわけだ。


「…………」


 彼も困った。普段ならすぐに気づいてくれる水無月が、何か考え事をしているものだから、声をかけるべきか迷った。基本的に人見知りな一色はまだ関係性の薄い彼女との距離感に迷いがあるのか、すぐには声をかけない。

 そして熟考を重ね、顔見知りで部活仲間に声を掛けないのは常識を考えて駄目だと判断し、彼女に話しかけた。


「おはよう、水無月」

「――へ?」


 水無月は突然挨拶をされてか、最初は一色の方を目を丸くして見つめ、情けない声を漏らす。しかしすぐに一色と気づいてか、朝一番から全快の笑顔を浮かべた。


「おはよう、一色くん! 珍しいね、この時間の電車に乗ってるなんて」

「いや、昨日と一昨日で海老名先輩と貴音先輩と遭遇したから、ちょっと時間をずらしたんだよ。……いつも通りなら良いんだけど、なんでかいつもと違う感じで絡んできたから。絶対にまた何か企んでるって思ってる」

「あ、あははは……」


 その理由に一石を投じているため、水無月は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 ――しかし幸運とは巡ってくるものであると、内心では思っていた。この偶然は好機である。一色は水無月のことを不審に思っていないことと、朝の偶然を逃すべきではないと思った水無月は、彼に話しかけようとした。


「水無月は朝早くから部室で活動していたりするのか?」


 すると珍しいことに一色から彼女に質問をした。普段は基本的に水無月からのアプローチが基本であったため、水無月は彼からの問いかけに驚く。それと同時に……


「朝はそうだね。時々だけど、いつもより早く登校して絵を描こうかなーって時はしてるよ?」

 それが少し嬉しかったのか、そう意気揚々と返答した。

「だから朝早いんだな。俺も普通よりは早く家を出るから、珍しいなって思って」

「そっかそっか。それで」

「今日も絵を描くために早く登校してるのか?」

「――そうだよ!」


 切り替えそうとするのだが、一色はすかさず彼女にそう尋ねた。水無月も一々律儀であるからか一色に返答するのだ。面白いほどに予定通りにいかないが、しかし当の本人は彼との会話を楽しんでいるのは間違いない。


「昨日の続きを描こうかなーって思ってね。微妙に色合わせが済んでなくて」

「そうか。……邪魔じゃなかったら、俺も部室に行っても良いか?」

「もちろんだよ! 一色くんも一緒に絵を描こうー」


 更に嬉しがる水無月は、一色の提案に強く頷く。まさか一色の方から歩み寄ってくれるとは思ってもいなかったのだ。それはもう嬉しくて、ついつい会話をすることを楽しんでしまう。

 そう――目的をすっかりと忘れて。

 電車の中で会話が途切れることがなく、そのまま学校に登校する。そしてその足で部室に向かった。そしてキャンバスと向き合った水無月は、そのときになって気づく。


「(――絶好のチャンスを逃した!?)」


 機会を逃したことに今頃になって気づいた水無月は、バッと一色の方を向いた。まだ機会は残っているのであるが……。

一色は水無月の視線に気づいて首を傾げる。すると一色は立ち上がり、彼女の近くに寄って興味深そうに彼女の絵を見つめた。


「今回は……フルーツバスケットか?」

「え、あ……うん、果物食べたいなーって思ってたら描きたくなってね」

「……水無月らしいな」

「えー、それどういう意味なの~。私、食いしん坊に見える!?」


 冗談を言わない一色が冗談めいたことを言うものだから、水無月はそのことを本気で捉えた。すると一色はクスリと笑う。


「冗談だ。……普段は言われる側だから、たまには俺も言わないと釣り合いがとれないだろ」

「も、もぅ。……えへへ」


 本当に珍しいことをするからか、水無月も嬉しそうに笑んでみせた。困ったことに嬉しいのである。そしてこのときも、それがきっかけで目的を忘れてしまう水無月。


「水無月が一番好きなのはりんごなのか?」

「え? そうだけど……どうしてわかったの?」

「りんごだけ妙に描き込んでるから、よっぽど強い思い入れがあるのかなって思って」


 一色はキャンパスの中のりんごを指してそう言うと、水無月は納得したのか、彼に関心を寄せた。一色の洞察力の高さに感服しているのである。


「すごいね、一色くん。パッと見ただけで言い当てられるなんて」

「別に、思ったことを言っただけだから」


 褒める水無月と、照れる一色。普段通りの図がそこにはあった。

 ……そう、普段通りである。しかし普段と違うことは、一色が妙に話すという点だ。

 ――一色としても、いつまでも一定の距離を保ち続けるのは本意ではない。更に言えば彼は水無月の描く作品に興味があり、それを知るために彼女を知りたいと思っていたのだ。

 それが表面化したことが今回の行動に起因しているのだが……ただ一つ言いたいことがあるとすれば、タイミングが最悪であった。

 一色のことを聞きたいが、真面目で素直な水無月が自分のことを聞かれて返答しない、なんて選択肢を選ぶはずがない。しかもそれが一色であるならば余計に真摯に受け答えしてしまうのだ

 ――そうしてその日一日、水無月は一色との会話を普通に楽しんでしまうのである。

 ……放課後となる。一色も水無月も自然に話していた。部室に美月たち上級生が着いた頃には、部室で部活の準備をしている二人がいた。


「これはもう虹ちゃんで決まりだな」

「そ、そうだな」

「……あはは」


 まだこのとき、美月と初香は雪彦に自分たちの失態を話せていなかったからか、微妙な反応を見せていたものだ。


「美月ちゃん、今日は何するの?」

「……平和なのをお願いします」

「う、うむ! 今日は――」


 そうしていつも通りの部活動に、仲良さげに話す一色と水無月。そして部活が終わり、駅まで足を揃えてそして別れ、家に着く。

 水無月は自分の部屋で今日あったことを嬉しく思い、日記に記そうと思った時だった。


「……あ」


 一行目に「今日は楽しかった」という一文を書こうとした時、思い出したのだ。


「い、一色くんから聞くの……忘れてた」


 そうして水無月は痛恨の失態をしてしまうのであった。

 ……実に彼女らしい失敗に、上級生たちは誰も攻めることが出来ないことは間違いない。


○●○●


 水無月は話を終えて、燃え尽きたように灰になっていた。


「もう私、そこらへんの石になります。皆のことを小馬鹿にしてこの有り様は、もう死んでしまいたい気分です……」

「お、落ち着いて虹ちゃん! 誰も攻めてないから!! 虹ちゃんの小馬鹿なんて、こいつらに比べたら可愛いものだからさ!」


 水無月が部室で体育座りをして落ち込むのを必死で止めさせるのは、雪彦である。初香や美月は特別気遣わないが、彼は基本的に女性に対して攻めることはしない。特にお気に入りの後輩である水無月のことを別段攻めるつもりはないが……、水無月の真面目さは筋金入りである。

 その分、反省の色は十分見える。よって出来れば雪彦は水無月が落ち込む姿を見たくなかった。


「誰でも失敗はあるからさ。虹ちゃん、あんまり気にする必要ねぇからさ」


 彼の素性を知らない女性ならば、少なからずときめいてしまうであろう爽やかな笑みを浮かべ、雪彦はそう水無月に言葉を掛けた。


「虹、あいつはいつもああいった手で女子を手篭めにするんだ。気をつけろよ」

「うちのこーちゃんに手を出そうだなんて、良いドキョーだね」

「――お前らは反省しろよ、おい」


 雪彦は例外共の顔を本気の力でわし掴みにした。効果音をつけるならば「ミシミシ」といった具合だろうか。無論、叫び声は聞こえるが、雪彦はとりあえずそれは無視する。


「ったく、何を面倒臭くしているんだよ。普通なら大して難しくないことなのに、無駄に難易度上げやがって」

「ぐうの音も出ないくらい正論だから、そろそろ手を離してくれないかなー? なんて言ってみたり?」

「うるせぇ、しばらく唸ってろ」


 雪彦は解放を求める妹を無視して、その状態のまま考える。

 下手な小芝居をすれば一色に不審がられることは明白。かといって回りくどいやり方をしても上手く行くとは思えない。

 あれこれと考えた挙句……


「あぁぁぁ、面倒くせぇ!!!」

「「ぎゃぁぁぁぁ!!!」」

 そう叫ぶ雪彦と、そのとき瞬発的に手に力を込めたためか、叫び声を出す両名。間違いなく女性が出すような声ではない。その効果音をつけるならば、「ぐしゃり」である。

 だが実際に面倒くさいものは面倒くさいのである。基本的に海老名雪彦とは考えを巡らすようなタイプでもなければ、裏で暗躍するような器用な人間ではない。

 感情論に身を任せ、思ったことをそのまま口にし、行動する。まさに美月と同じようなタイプの人間だ。そういった人間が策を講じようとするから、今回の美月のような失敗をする。


「よし、決めた! 面倒くせぇから普通に聞く!!」


 そこでようやく美月と初香を解放する雪彦。そして解放した直後、雪彦は教室を飛び出していった。

 取り残された三人は顔を見合わせる。


「普通に聞くって……どうするんだろ。あと何を聞くんだろ」

「さぁ。……でもサプライズのことを考えたら、あんまり分かりやすく聞くのは危険だよねぇ~」

「普通に聞ければ苦労はしない!!」


 ……こうして最後の金曜日。全ては雪彦に託されたのであった。


○●○●


 水無月、美月、初香は雪彦の動向に注目していた。彼が如何に一色に話しかけるか、そしてその結果がどうなるかが知りたかったためだ。

 しかしその日、ずっと観察していたが特に行動を起こすことはなかった。

 休み時間は数少ないクラスメイトたちと談笑したり、昼休みも一色を誘うことはしなかった。そうして放課後となった今も、雪彦は特に目立った行動をしていなかった。


「すみません、ちょっと席を外します」


 一色は部活中、席を立つ。作業中に手が汚れたから、手を洗いに行ったのだ。一色が部室を離れたのを見計らって三人は雪彦の方に詰め寄った。


「雪彦、どういうつもりだ? 何もしてないじゃないか!」

「な、何もしてないことねぇぞ? 機会を伺ってだな……」

「朝、あれだけ啖呵切ってそれ!?」


 朝、無駄に攻撃されたことを根に持っているのか、美月と初香は彼に詰め寄った。

 ――海老名雪彦、啖呵を切った後に、今回のことがサプライズであることを思い出したのである。サプライズは気づかれてはならない。根本的なことを完全に失念していたのだ。

 そうして彼は気づいた。自分が普段、一色に対して普通に絡んでいないことを。つまり絡み方が分からないのである。

 するとどうだ。彼に何を聞くかも思いつかないのである。彼に同姓の友人が圧倒的に少ないのは、それが理由だろう。間違いなくそうである。

 普段女性ばかりに話しかけていることが、こういう時に仇となった。


「ま、待てよ。まだ部活が始まったばかりじゃないか?」

「……聞けなかったら、分かってるよね?」


 初香は低い声で兄にそう言うと、ゴクリと喉が鳴る音がした。もちろん、雪彦からのものである。

 兄である彼は知っている。妹の海老名初香が、本当に仕置きをするということを。それも肉体的にでは精神的に攻めてくるということを。

 ……なりふり構っていられるはずがない。

 雪彦に逃げ道などない。彼は既に美月と初香に制裁を与えてしまったのだ。もしここで自分が美月や初香と同じ轍を踏めば、もはや彼の居場所はないようなものだ――主にこの学校の風評被害が拡大することを意味している。

 ここに来て自分の浅はかな行動に後悔する海老名雪彦。そこまで考え込むような問題ではないことは傍から見れば明らかだが、今の彼に客観的観測は不可能である。


「ち、千尋、どこだぁぁぁ!!!」

「ここにいますけど」


 雪彦が叫びながら彼の名を呼ぶと、手洗いから帰って来た一色が不思議そうな表情を浮かべていた。手をハンカチで拭きながら首を傾げていると、雪彦は彼の肩を掴む。


「な、なんですか。何をいきなり……」

「……お前の」


 周りの三名はゴクリと唾を飲み込む。これから雪彦が何を聞くかに注目をする。

 戸惑う一色に対し、冷静さを微塵も感じさせない雪彦は、追い込まれた表情でこう質問するのだ。


「お前の、好きな、女の子の、タイプを、教えてくれ!!」


 ――海老名雪彦、彼はただ馬鹿であった。


○●○●


「お前は何を考えているー!!」

「歓迎会に絶対それ関係ないよね!? ちひろんの好きなタイプを聞いてどうなるの!? 需要はあるけど今じゃないでしょ、お兄ちゃん!?」


 朝とは裏腹に、廊下で正座をする雪彦。目の前には美月と初香が仁王立ちしていた。


「だって、男子同士で一番聞きたいことってそれなんだもん……いいえ、なんでもありません。全面的に俺が至らなかったです」

「……今はこーちゃんが誤魔化してくれると思うけどさ~。本当にここぞって時にダメだよね、お兄ちゃんは」


 ゲシゲシと兄を蹴りながらそう罵倒する妹。

 ――雪彦の意味不明な質問に対し、一色は固まった。何を焦った表情をしているのかと身構えた結果、言われたことが本当にどうでもいいことだったのだ。一色が唖然とするのも無理はない。

 そして一色が声を発する前に美月と初香が雪彦の首根っこを掴んで外に連れ出したのである。そして現在に至るというわけだ。

 水無月は部室に残っており、彼女たちの予想では誤魔化す役目を担っているというわけだ。


「……だがどうする。これではサプライズが成功する気がしないぞ。何をすればあいつが喜ぶかも全然理解出来ん」

「こうなったら美月ちゃんが脱ぐしかないね!」

「待て、なんでそうなる! 雪彦ならともかく、一色はたぶん喜ばないぞ!」

「お、俺だっててめぇの裸なんぞで喜ぶか!」

「な、なんだとぉ!? 嘘をつけ、いつもお前の視線は私の胸元に行って――」

「そそそそ、そんなことねーから!!」


 ……などと部室から離れたところで口論をしている三人。

 そんな残念な上級生をさて置いて、部室に残された一年生二人はと言うと……


「今週の月曜日に一色くんが休んだのがきっかけで、一色くんが部活を辞めるんじゃないかっていう結論になったの」


 ――誤魔化すことなく、普通に真実を話していた。

 それはもう、綺麗に隠すことなく話すその姿が清々しいという一言に尽きる。

 ……上級生三人が部室から去った後、一色の視線は無論、水無月に向いた。その視線は疑いの視線であり、それを向けられた水無月は誤魔化すことは不可能と悟ったのだ。

 それならばもう、サプライズの歓迎会を除く全てのことを洗いざらい吐いてしまった方が早いと決断し、こうして話しているのである。

 水無月の話を聞いて、一色は開いた口が閉まらなくなった。


「……馬鹿なのか?」

「返す言葉も見つからないよ……その通り過ぎて」

「いや、水無月に言ったわけじゃないけど――ちゃんと伝えてくれたんだよな? 俺が部活を休むのは家庭の事情だって」

「うん。言って、こうなったの。私も最初はあり得ないって思ったんだけど……ほら、普段の三人の絡み方を考えたら、あり得ない話じゃないって思えてきて」


 一色はそれを聞いて更に溜息を吐く。


「まあ事情は分かったよ。最近やけに貴音先輩が変な絡み方してくるのも、海老名先輩が普通なのも納得がいった。でも雪彦先輩のあれは全く理解できないんだけど」

「あれは私も理解できないから安心して」


 水無月は一色に同調する。

 ……水無月はここまで言ったからには、素直に全部話した方が良いと判断した。それは事情だけではなく、水無月たちがどう思っていたのかということも。そもそもこのような行動に至った気持ちを。


「皆、一色くんのことを知りたかったんだよ」

「……俺のことを?」


 そう言われる一色は、目を丸く見開いた。


「そうだよ。良く考えたら私たちは一色くんのこと、あんまり知らないなーって気付いてね。だから皆、一色くんに自分なりに知ろうとしたの――結果は散々だったけどね」

「……悪い気はしないし、そもそも俺が自分から話そうとしていないことも、ダメだと思う」

 すると一色は、殊勝なことを言う。

「俺は人と話すのがあまり得意じゃないから、分かりにくいと思うけど……それなりにここでは楽しんでるって、自分では思ってるよ――だから辞めるとか、そういうのは早計だ」

「……ありがとう、一色くん」

「それに――あの人たちも、面倒って思うことは割とあるけど、それを嫌だって思ったことはないから」

「……そういうことは、本人たちに言ってあげてよ」

「調子に乗りそうだし、それをネタに弄られるから絶対に嫌だ」

 水無月は彼の多少の本音を聞けて、嬉しそうに笑顔を浮かべた。そして改めて彼の前に立つ。

「じゃあ教えてもらっても良いかな? 一色くんのお話」

「……面白い話なんてないぞ」

「それでもいいの。一色くんの好きな食べ物の話とか、普段はどんなテレビ見ているとか……家での妹さんとの話とか、どんな話でも良い。話してくれると、私、たぶん楽しくて笑うから! ……同じ場所で絵を描く人のことは知りたいものなんだよ? ほら、話して話して!」

「……はぁ。じゃあ、何から話そうか――」


 少しばかり照れた表情で一色は話し始める。それは些細なことだ。特に特別凄いことでもない彼の日常の、何気ない一ページ。それを一色は水無月に話し、水無月はそれを楽しそうに聞く。

 ……一色が水無月のことを知りたいように、彼女も彼のことを知りたいのだ。せっかく仲間になったのだから、仲良くなりたい。それこそが水無月らしい発想だ。

 せっかく同じ木の下にいるのだから。彼女らしい言葉を使うのならば、そういう表現になるだろう。


「特に好き嫌いはないけど、強いて言うなら和食が好きだな」

「和食かー。煮物ってシンプルだけどおいしいよね。私も休みの日は凝った料理作るから、今度和食に挑戦しようかな? あ、休日は何をしてるの?」

「基本的に家で妹の世話を焼いているか、天気が良い日は割と外に出てる。……意外だと思うけど、レジャーも嫌いじゃない」

「外の大自然の中で絵を描くのも楽しいよね」


 そうした他愛無い会話を続けると、一色の内事情も少しは見えてくる。そうやって少しずつ仲を深めて行くのだ。

 話しながら一色は思った。水無月だけでなく、他の先輩たちにもこうやって接していかないといけないなと。そうして仲を深めて、いつかは――と思った。

 ともあれ、とてつもない遠回りをした結果、真の当事者たちがいないままで問題は完全に解決する。一色から大まかな情報を得た水無月に絶大な拍手を送りたいところであるが……。

 ……実はまだ、表面化していないことがあるのだが。そのことに誰も気づいてはいなかった。この時の水無月は、一色との会話にまたもや楽しんでいるのであった。


○●○●


「結局、虹が良い所を全部持っていくパターンか」

「待って、結局今回まともに動いたの私だけだよね!? っていうか空回りをしていたのは終始皆だよ!?」


 ぐぅの音も出ない真実である。

 ――あれから一色は一足先に帰宅した。一人で留守番をしている彼の妹が寂しさから電話を掛けてきたのだ。

 そして今、一色を除く四人で通学路を歩いている。水無月の結果報告というわけだ。

 一色との会話で知り得た情報を元に明日のサプライズについて企画を詰めていくということであるが……レジャーが好きであり、休日は主に妹の世話をしている。実はこれは、元からある美術部の活動の写生会で解決することであった。


「虹北高原なら軽い登山も出来るし、アスレチックとかもあるからピッタリだな。お弁当は和食メインで用意すれば良いし――完璧だ」


 そう、完璧である。活動内容に関しては。

 しかしながら誰一人として、あることに気付いていなかった。それは――


「……そういえば、誰か一色くんに写生会のこと、話したんですか?」


 ……ふと、水無月がそう言葉を漏らした。すると他の三人は顔を見合わせて、首を横に振る。むしろ水無月に対して何を言っているんだという顔をしていた。


「こーちゃん、それじゃあサプライズにならないじゃん」

「そうだぞ、重要なのはサプライズだ。サプライズはそれだけで効果覿面だ。それは俺の過去のプレゼント作戦が功を期しているから間違いない」

「何かをされるということが嫌な人なんていないからな!!」

「……写生会は部活の内容だから別に話しても良いよね? サプライズはその写生会と兼ねているんだから」


 水無月が冷静にそう指摘する。

 ――そう、彼らは失念していた。いつの間にか写生会と歓迎会が同じものであるという認識になっていたのだ。写生会はあくまで部活動の一環で、その内容にこっそり歓迎会を忍ばせるということが既にサプライズであり、別に写生会を知らせても問題はないのだ。

 むしろ知らせないことの方が不自然である。水無月は一色が既に知っているものとして認識していたから敢えて言ってこなかったが……すると彼女の中で嫌な予感が芽生えた。


「あの……もしかして、誰も一色くんに予定の確認をしてないってことは、ありませんよね?」

「「「…………」」」


 三人は黙る。そもそも部活動の内容は水無月が決めるものでもない上に、日程の確認は美月がするべきことである。そのことで水無月が気を回す方が無理な話だ。

 ……サプライズをする上での絶対条件。それは本人が来ることが確定的なことだ。本当ならそれを最初に確定させなければならないのに、それを忘れて内容ばかりに気を取られていた。

 それが彼らの気付いていない、最大の問題であった。


「……サプライズの日程って明日だよね? もし明日一色くんに予定があったら、どうするの?」

「……い」


 水無月の冷たい視線と声音が彼女の背筋を凍らせる。


「今から、確認するよ」

「――美月ちゃん!?」


 ……水無月は美月のことを「世話の掛かるダメなお姉ちゃん」と称した。今ほどそれを強く思うことは、前にも後にもなかった。

 ……美術部員、目下でしなければならないことはただ一つ。

 ――一色の予定を確認することである。

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