若葉の怒り

『結局、原因となるようなものは何も見つからなかったよ』


 若葉は昨日燈真から来たメッセージを読み返してため息をついた。同時に空気を読まないケトルが湯気を出す。

 お湯が冷めない内に若葉はインスタント粉末をマグカップに入れてコーンポタージュを作る。仕上げに粉チーズを振り掛けると匂いがたって、食欲をそそった。

 1人きりの部室。とても静かな空間。心地の良い静寂が部屋に溢れる。まるで静かな川。

 だが、頭を過った一抹の不安が、投げ込まれた石のように若葉の心を乱した。


『明日の16時半頃、また部室に行くとするよ』


 これも昨日燈真から届いたメッセージだ。しかし17時半を過ぎても燈真が来る兆しはない。さっき若葉が送ったメッセージには既読が付いていない。


「調べてる途中に何かあったりして……。

 なーんて──」


「やあやあ若葉君!!今朝の出来事を聞きたまえよ!!」


 扉を勢いよく開け放ち叫ばれた燈真の声に、若葉の鼓膜がビリビリと震わされる。

 とりあえず燈真が無事で良かった。そう思った若葉が顔を上げると燈真の松葉杖とギプスが目に入った。


「何があったんですか!?その怪我!!

 大丈夫ですか!?痛みませんか!?」


 いつもの若葉からは考えられない程の大声で燈真に矢継早に質問をする。ただそれは何か情報を頭に入れようと思ってのことではなく、パニックになった頭が思い付いた文章がそれであっただけで質問としての意義はない。


「お、落ち着け。どうしたんだい若葉君!!

 いつもの塩対応はどこに飛んだのだ!」


 珍しく燈真が引き気味になる始末である。


「だって、燈真先輩2年前には男の子助けようとして海で流されたし、3年前にはスリの犯人に清水の舞台から文字通り落とされたじゃないですか!!

 今度は何の事態ですか!!

 ……いい加減、自分を大事にするということを覚えてください。お願いですから」


 ここまで息継ぎをせずに話した若葉は大きく息を吸って酸素を取り込んだ。

 燈真は思い当たる節が若葉が挙げた2つだけではなかったせいかバツが悪そうにしている。


「……ごめんよ。この手のこととなると僕は些か視野狭窄に陥ってしまう。君に心配をかけたね」


 若葉は燈真の分の味噌汁を作り始めた。


「いえ。すみません。私も騒ぎすぎました」


 粉末を入れたお湯をマドラー代わりの割り箸でクルクルと回す。


「……どうしてそんな怪我をしたんですか?」


「どうせ調べるのなら事故が多発している朝の方が良いと思ってね。今朝ヤドリギ団地に向かったんだよ。そしたら轢き逃げされて」


 燈真はそれが大したことでないかのように肩をすくめた。だが、それを大したことでないとは思えないのが若葉である。まあ、その感覚は正しいのだが。


「轢き逃げ……!?

 先輩を轢いた挙げ句逃げたんですか、そのクズは。何とかして見つけ出さなければ」


 今回はその『大したこと』が若葉の地雷を踏んだようだった。

 怒りスイッチが押されてしまった。


「若葉君。僕を誰だと思っているんだ。犯人ならとっくに特定したし連絡先まで把握済みだ。制服で学校は割れるし、朝練に行くところだったようでラケットを背負っていて部活も分かったからね。まあ、その件と病院のために遅刻してしまった訳だが」


「さすが。

 では、事件の真相も何としてでも解明しなくては……!」


「それでこそ僕の助手だ!!ああ、楽しくなってきたね!!」


 ちなみにこの探偵、助手のこの怒りスイッチONの状態が大好きである。そこからは探偵の享楽主義が伺える。


「あっ、ですが先輩は休んでてくださいね。怪我人ですから」


 助手の念押しに探偵はククッと声を漏らすように笑う。


「分かったよ。今回は君1人に任せるとしよう。期待してるぞ」


 探偵は満面の笑みを浮かべながら、助手にウインクをした。

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