探偵の基本

 燈真が言うには探偵の基本は観察、推測、現場、そして聞き込みの4つ。これらの要素の内、最低3つはクリアしなければ探偵として認められないらしい。

 そして今は放課後。若葉と燈真はヤドリギ団地の東側にある公園で男子小学生相手に聞き込みを行っていた。

 知らない高校生相手だと言うのに、賄賂に駄菓子を与えたらほいほいと知っていることを話してくれた。小学生の危機感のなさに感謝である。


「あれだろ。幽霊が取り憑くってやつ!」

「最近、朝に団地の前で轢かれる人が増えたんだよ」

「そうそう。2年くらい前かな?夜に事故が多くて、街灯をつけたんだ。それで事故が減ったのに、また増えちゃって……」

「珍しいよね。夜じゃなくて朝に事故なんて」

「俺の兄ちゃんも学校に行くときに轢かれて……」


 収穫はあまり多くはなかった。事故のことで分かったことは朝に多いということくらい。燈真はメモを取ったルーズリーフを見て、思わずため息をついた。

 若葉と燈真が小学生たちに別れを告げ、そろそろ帰ろうかという時だった。


「おい、お前ら何をしてるんだ?」


 声をかけられ、二人は振り向く。そこには皆手高校の合気道部顧問である酒井瞳が立っていた。二十代後半の若さだが、腕が立つのと顔が怖いのとで生徒たちから恐れられている数学教師だ。噂によれば元暴走族の頭だとかなんだとか……。そんな噂があるにも関わらず生徒指導部の担当で、放課後はこの辺りの見回りをしている。


「こんにちは」

「お久し振りです。酒井先生」


 二人はペコリと頭を下げる。


「あぁ、確かに若葉はともかくこの問題児を見るのは久しぶりだな」


 だいぶトゲのある言い方だが、燈真は全く意に介していないようで笑いながら答えた。


「先生は相変わらずご冗談がお上手だ。

 先程の質問ですが、我々は今ヤドリギ団地の事故について調査していたところです」


「また探偵ごっこか。若葉も大変だな、こんなのに巻き込まれて」


 瞳は生徒指導部。つまり、問題を起こしまくる燈真はしょっちゅう彼女のお世話になっているわけである。その分、瞳の残業は増えるのだ。


「酒井先生までそう仰る!!

 若葉君は自らの意志で僕についてきてくれているというのに!!」


「……なるほど。これに見込まれたなら若葉も逃れられまいて」


 若葉は『巻き込まれる』という言葉にチクリと胸の痛みを感じた。

 確かに若葉はこの先輩のせいでトラブルに巻き込まれることは多い。だが若葉はそれを楽しんでいる節がある。自ら望んで巻き込まれに行っているという方が正しい。

 ──でも、私はこのままでいいのだろうか。

 燈真は中学生の頃から若葉の憧れであった。友達にかかった疑いを燈真が晴らしてくれたその日から、この腐れ縁は続いている。

 高校選びに悩んでいた時も、燈真が「では、僕と同じ学校はどうだろうか」とパンフレットを渡してくれたから若葉は皆手高校を受験した。

 若葉は彼に追い付きたいと本気で思っている。いつの日にかあの日の彼のようにと、その一心で──。

 だが、燈真の行動に着いて回るだけでは彼には追い付けない。燈真なしに何も解決できないようではまだ足りない。彼の起こすトラブルに『巻き込まれる』だけの存在であってはならないのだ。

 今はまだ、若葉は燈真と肩を並べられてすらいない。彼女はそう思っていた。


「まあ、事故に遭わないようせいぜい気を付けろよ。

 原因を調べて事故に遭ったんならザマないからな」


 瞳の呆れ返った声で若葉は我に返った。

 隣では燈真が歳に似合わず頬を膨らませている。


「ですからっ!そんなヘマ誰がするとお思いですかっ!

 この僕がついているのですよ!?」


「ったく、だから心配なんだよ。

 じゃあな、明智探偵と小林少年」


 瞳は手を振ると、公園から出ていった。


「まったく。酒井先生は僕を信用しないんだ。酷いと思わないかい、若葉君!?」


「ご自分の胸に聞かれたら良いかと」


「若葉君はつれないなぁ」


 燈真はわしゃわしゃと若葉の頭を撫でる。


「先輩。ソーシャルディスタンスは保ちましょう。それとこれはセクシュアル・ハラスメントにあたります」


 若葉は表情を変えずに答える。まるでこの行動に一切心を動かされていないとでも言うかのように。この先輩は若葉に関してはパーソナルスペースが壊れている。だからこの行動には何の意味も込められていない。だから、何も期待してはいけない。


「怖いこと言うなよ、若葉君!」


 燈真は若葉の言葉に思わず手を離した。

 若葉はその様子を見てくすりと笑う。


「……僕で遊んでいるな?」


「いいえ。そんなつもりはありませんよ」


 燈真は唇を尖らせる。厳密にはマスクでそれは見えないが。


「後輩は従順な方が可愛いぞ」


「少しは生意気でないと、面白味がないじゃないですか」


「どうやら君は僕に毒されたと見受けられるな」


 先輩は後輩の態度についてぶつくさ文句を言いながらルーズリーフの入ったバインダーをエナメルバッグにしまった。このバッグには『お宝ファイル』と油性ペンで書かれたファイルも入っている。前に燈真がそこから落とした写真を、慌ててしまったのを見たので若葉は何が入っているのかずっと気になっていた。もし自分との共通項が一切見つからないアイドルの写真だったら嫌なので詮索はしていない。これが若葉の謎ランキング2位。ちなみに1位はミステリー同好会設立がなぜ許可されたかである。


「まあ、そうだな。このくらいでないと僕の助手としては頂けない」


 燈真は顎に手を当てたまま納得したように頷いた。そしてチラリと公園の時計に目をやる。


「こんな時間か」


 ぽつりと呟く。時計の短針は6と7の間を指していた。空は暗く、公園の周りに生えている木がそれをいっそう強調するようであった。


「この後団地の方に行ってみようかと思っていたが……。もう遅いし、若葉君は帰ったらどうだい。君に何かあったら堪らないからな」


「大丈夫ですよ。何か起きても、足の速さには自信があるので逃げ切ります」


「そういう問題じゃないんだが……」


 燈真が若葉の顔を覗き込む。まさかの不意打ちに若葉の顔が赤くなった。

 燈真の大きな手がふわりと若葉の頭に被さる。先程とはまた違う優しさが、手の温度から伝わってくる。


「君は僕の優秀な助手だからね。君に何かあったら僕だって困るさ」


「……だから、セクハラですって」


 ──この人には敵わないな。

 若葉は燈真から視線を逸らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る