第5話 夢から覚める
終業式が終わり、夏休みが始まった。
「さくら……ちょっと良いか」
お父さんが呼んでいる。
「うん、すぐに行くから待ってて」
リビングに行くと、お母さんとお父さんが辛そうな表情をしていた。
「ど、どうしたの?」
私はたまらずにそう切り出した。
「実はね――」
お母さんがそう言いかけると、お父さんがかぶせるようにして、机に頭をこすり付けた。
「本当にすまないっ! 父さんの仕事の都合で、来週までには引っ越さないといけなくなった」
お父さんの言葉は、私の体の中にゆっくりと染み込んでいく。
何度もその言葉を反芻し、ようやく意味を理解出来たとき、私の世界からは色が抜け落ちていった。
私は目の前が真っ暗になった。
お母さんとお父さんは、いつだって私の味方だった。
何よりも私を一番大事にしてくれた。
何度転校を繰り返しても決して私の心が折れなかったのは、両親からの愛情をしっかりと受けているという実感があったからだ。
「顔を上げてよ、お父さん」
私は震える声でそう言うと、二人を安心させるために、精一杯の笑顔を浮かべようと思った。
「私なら大丈夫だから! 今まで何度もあったし、あったけど、あった……あれ?」
涙が頬を伝っているのが分かった。
気持ちは大きく波打っている。
現実を受け止め切れなくて、私はどうしても涙が止められなかった。
「さくら、あぁ……ごめんなさい、いつも辛い想いをさせてしまって――」
私の顔を見たお母さんも、釣られるように泣き始めてしまった。
「俺が全部悪いんだ……。お前の大事な青春時代を何度も犠牲にしてしまった」
お父さんも涙を流しながら、顔をくしゃくしゃにしている。
「うん、うん、大丈夫……ちゃんとお別れしてくる。みんなとお別れしてくるから、心配しないで――」
私はそれだけ言い切ると、自分の部屋に篭って、体中の水分が枯れ果てるまで涙を流し続けた。
一週間後、それは花火大会当日で、出発の時間を考えると、恐らく寛太君との約束は果たせないだろう。
その事実が、私の心臓を握りつぶしていた。
私は結局、一週間ずっと泣き続けていた。
初めて一目ぼれをした。
初めて人を大好きになった。
そして、初めて大好きな人と別れる日がやって来た。
「さくら、本当に良いの?」
お母さんが、不安そうな顔でこちらを見てくる。
「うん……ちゃんと考えたから。これで良いの」
両親は、私のために出来るだけ時間を作ってくれた。
それでも私は、ついに誰にもお別れを言う事が出来なかった。
頬杖を付きながら、外の景色を眺めている。
寛太君の家のそばは、随分前に通り過ぎた。
交通規制のせいで、トロトロとしか進まない渋滞に巻き込まれている。
打ち上げ花火は、ビルに隠れて見る事が出来ない。
風に乗って追いかけて来る音の波だけが、後ろ髪を強く引いている。
もう零れ落ちる涙も枯れ果てたというのに。
私は弱々しく脈動する胸に両手を添えながら、今日までの感謝を精一杯込めて、ありがとう、と心の中で呟いた。
時折揺られる車内で両目を瞑り、体中に響く音を聞きながら、私はゆっくりと意識を落としていった。
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