第4話 幻想的な風景
「今日、うちで晩御飯を食べていかない?」
勉強が終わって帰ろうとする私に、彼はそう言ってきた。
「お母さんに聞いてみないと――」
「実は、もう許可は取ってあるんだ。うちのお母さんに頼んでもらったんだよ!」
彼は満面の笑みでそう言った。
私も釣られて笑顔になっていくのが分かる。
「食べ終わったら花火もやろう」
「えっ本当? すごい楽しみ!」
私は何度も心の中で神様に感謝をしていた。
夕食は、しめじの乗ったハンバーグだった。ブロッコリーとじゃがいもを添えて、上には大根おろしがかかっている。
「さくらちゃんも遠慮せずに食べてね」
「ありがとうございます」
彼のお母さんは、すごい優しそうな顔をしている。もしかすると、彼の柔らかい雰囲気は、お母さんに似たのかもしれない。
「寛太がこんな素敵なお嬢さんを連れてくるとはね、驚いたよ」
彼のお父さんは、ビールを飲みながら笑顔でそう言った。
私は何だかちょっと恥ずかしくなって、下を向いてモグモグと口を動かし続けた。
きっと彼も将来は、こういう渋くてかっこいいお父さんになるに違いない。
「もう、あんまり変な事を言わないでよ」
彼はちょっとムキになって反抗している。あまり見た事のない、意外な一面を見ることが出来て、私はちょっと嬉しかった。
デザートにはスイカを出して頂いた。種を一生懸命ほじる彼は、なんだか少し可愛いかった。
「それじゃあ、花火をしようか」
彼は大きな袋を持って来た。
「結構たくさんあるんだね」
「昔お父さんが買ってきてくれたやつが残っていたんだ」
そう言うと彼は、庭の奥にバケツを置きに行って、花火を準備し始めた。
私は彼を追いかけながら、花火に火をつける様子を眺めている。
何となく初めて出会った時の彼の後姿を思い出して、今の状況が少し信じられない様な気持ちになった。
すると、シュゥゥゥと音を立てて、彼の背丈を超えるほどの火柱が上がった。
こちらを振り返った彼の笑顔は、火花に負けないくらいキラキラと輝いている。
夜の帳に包まれる中、白い煙がモウモウと立ち込める庭の一角は、この世界から隔絶された様な気配さえあった。
そのまま彼は、次々と準備した花火に火を付けていく。
ねずみ花火は私の足元にまで走ってきて、乾いた音と共に、勢い良く弾けた。
「あはは、活きが良いね」
「笑い事じゃないよ!」
私は何だかおかしくなって、釣られて一緒に笑った。
視界を埋め尽くし始めた白煙の中で、火花が煌く様はとても鮮やかで、花火の音が、彼の声が、風鈴の音が、虫の鳴き声が――私の鼓膜を震わせて、体の中に押し寄せてくる。
私が手に持った花火に火を付けると、彼も同じ様に火を付けて、一緒になって庭の中を走り回った。
暗闇に映える火花が彼の楽しそうな表情を照らし出し、私達はいよいよ白煙に包み込まれている。
幻想的な風景は、火薬の匂いがした。
「ほら、さくらもこっちに来てよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
彼は、私を名前で呼んだ事に気付いているのだろうか。
時折吹く風はどこか生暖かくて、私と彼を共振させている様に感じる。
きっとこれは、神様からの贈り物に違いない。
夢のような世界で私は、彼の笑顔を追いかけ続けていた。
「最後はこれをやろうか」
そう言って彼が取り出したのは、線香花火だった。
「あぁ、情緒があって良いよね」
私がそう言うと、彼は得意な顔をして言った。
「侘び寂びってやつだよ」
それを聞いた彼の両親は、何を言っているんだ、と言って縁側で優しそうに笑っている。
少しふくれっ面になった彼は、私を連れて縁側から離れ、庭の奥へと向かうと、バケツの近くにしゃがみ込んだ。
「ほら、火を付けるよ」
彼はバケツの上で、二人の線香花火に火を付ける。
チリチリと音を立てながら、黄金色の花弁が静かに散っていく。
二人とも無言でそれを眺めている。
そんな瞬間が、最高に心地良かった。
やがて私の線香花火は、先端に光の球を作り始めると、バケツの中へと引っ張られていった。
悲鳴を上げながら吸い込まれた光は、小さな波紋を一つ残して、うたかたのごとく消えて行く。
それを見た私の心には、幾ばくかの侘しさが残った。
「鈴木君のは長持ちしてるね」
「寛太で良いよ」
彼は自分の線香花火を見つめながら、そう言った。
それを聞いた私はちょっと驚いて、良く分からない喜びの様な気持ちで胸が満たされていった。
「寛太君、今日は本当にありがとう」
私が心からの感謝を伝えると、彼はピクッと反応し、右手の線香花火からは、光の球が落ちていく。
「あっ……」
私は思わず、小さく声を上げてしまった。
ジュッと熱を奪う音がすると、後を追うようにして波紋が広がっていく。
やがて水面は静かに二人の顔を映し出し、私の心には寂しさが押し寄せる様にして募っていった。
「あっ……はは」
バケツの中の彼は、小さく笑った。
「あの、さっきは興奮しちゃって、上野さんの事を――」
「私も名前で呼んで欲しいな」
水面に映る彼の顔を見つめながら、私はそう言った。
少しずるかったかもしれない。答えを直接聞くのが怖くて、でもやっぱり聞きたくて、彼の目を正面から見据える事が出来なかったのだ。
「う、うん。さくら……こちらこそ、今日はどうもありがとう」
私は何だか少し気恥ずかしくて、紡ぐべき言葉を探しながら、くるみ割り人形の様に口を開閉させている。
「――うん」
なんとかそれだけ搾り出すと、私達は少し無言になった。
「何だかちょっと、ドキドキするね」
彼はそう言いながら照れ笑いを浮かべて、おでこに浮かんだ汗を手のひらで拭っている。
そして大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。
水面が僅かに揺れて、小さな波が走る。
「もし、さくら……が良ければだけど、来月の花火大会、一緒に見に行かない?」
彼の言葉が、今度は私の心に波紋を広げていく。
顔を上げた私は彼の目を見つめながら、あらん限りの喜びを込めて返事をした。
「嬉しい! 絶対一緒に行こうね!」
寛太君と花火大会に行けるなんて夢みたいだ。
私の気持ちは、ついに最高潮へ達した。
「あぁ、約束だよ――良かった、すごい勇気を出したんだ」
彼はほっとした様な顔をしている。
二人の距離が、今夜、完全に無くなったと私は思った。
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