聖なる夜のキヨシコ!

ナタリー爆川244歳

聖なる夜のキヨシコ!

 サンタさん、僕に未来をください――。

 キヨシコの両親は、息子の書いたサンタ宛の手紙を読んで泣いた。我が子がサンタにゲームソフトでもラジコンカーでもなく、未来をねだっていることが悲しくて仕方なかったからだ。

 キヨシコの命は長くなかった。医者でも治療不可能な難病に侵され、それこそ奇跡でも起きない限りはもって数か月の命であった。

 両親は強く願う。

 ――サンタクロース様、もし本当にいらっしゃるのでしたら、どうか、この子に未来をお授けください、と。


「これネズミだよな」地面に横たわる薄汚い生き物を見ながら、キヨシコが言う。

「あ、こいつ怪我してるぞ」と聖也せいやが指をさす。ネズミは腹の部分から血をにじませ、プルプルと震えている。

「この辺に獣医ってあったっけ?」キヨシコが聖也に尋ねる。

「いや、ねえだろ。ここ、飲み屋街だぜ」

「じゃあ、薬局は?」

「そこの角にあるけど・・・・・・って、まさか、お前、治療してやるつもりか? 可哀想だけどほっとけよ。どんなバイ菌持ってるかわかんねえし」

「でも、見ちまった以上、ほっとけねえよ。小さくても命なんだぜ」

 きらびやかなイルミネーションと街中に流れるクリスマスソングが、死にかけたネズミの悲壮感をより一層際立たせていた。加えて、身を切るような寒さがキヨシコの憐憫れんびんの情をくすぐったのである。

「また、始まったよ。キヨシコの〈命を大事に〉が。だからお前の家は害虫まみれで・・・・・・」

「それは掃除して追い出したの!」キヨシコは聖也の言葉を遮って、薬局へ走っていった。

 キヨシコは治療道具を買って戻ってくると、ネズミの傷口を消毒し、絆創膏を貼り、包帯を巻いた。そして、ふわふわの暖かそうなタオルでネズミを包むと公園の片隅に置いた。

「これで、よし!」

「全く、よくやるよ。あとでよく手ぇ洗っとけな」満足げなキヨシコに対し、聖也の表情は苦々しい。


「まさか、どこの飲み屋も一杯だとは」

 キヨシコは先程の、ネズミを置いた公園のベンチに背を預け、缶ビールを飲んだ。公園には二人のほかに人影はない。

「クリスマス前日でも混んでるもんだな。お前がネズミ助けてなかったら入れてたかもしれねえが」聖也がキヨシコを茶化す。

「そう言うなって。あのまま、見捨ててたら後味悪いだろうが」

「なんでお前は昔っから、命が~、って妙にこだわるんだよ」

「言ってなかったっけ? 昔、サンタに命もらったことがあるんだ。だから、他の動物の命も大事にしねえと」

「酔ってんのかお前」

「違うって。本当なんだよ。俺、子供の頃に死にかけたんだよ。医者もさじを投げちまうような不治の病ってやつでさ。で、未来をくれー、って、神頼みならぬサンタ頼みをしたら、本当に治っちまったんだ」

「んな、都合のいい話あるかってんだ」聖也はキヨシコの話を一笑に付した。でも、と缶ビールを一口飲んでから「もし、サンタが本当にいるなら、俺だってプレゼントねだりたいもんだよ」と聖也が愚痴っぽく言う。

「豪邸とか大金が欲しいとか、ロマンのねえこと言うなよ」

「違う。百美子もみこの誕生日プレゼントだよ。最近流行りのおもちゃなんだが、どこに行っても品薄で全然手に入らねえんだ」

 独り身でぶらぶらと自由に生きているキヨシコとは正反対に、聖也は早くに結婚し、百美子という娘を授かっていた。

「そりゃあ、困ったな。他のおもちゃじゃダメなのかよ」

「約束しちゃったからな。パパが絶対手に入れてやる、って」

 〈約束〉という言葉の重みをキヨシコは理解していた。百美子は聖也と一緒に暮らしていない。離婚後に妻のもとに引き取られ、めったに会うことが出来ないのだ。

「そうか、じゃあさ、俺に出来ることがあったら言ってくれよ。俺もその玩具売ってたら、買って聖也に渡すよ」

「キヨシコ、お前ホントに良いやつだよな」

「親友とその娘のためなら当然のことだ」

「なんで、お前みたいな良いやつに恋人の一人も出来ないのかねぇ」

「汚いネズミを助けるからじゃねーの」

 キヨシコの鼻頭にフワリと舞い降りる、冷たい感触。

「おっ、初雪だ」

「もしかしたら今年のクリスマスは、ホワイト・クリスマスになるかもな」

 何だあれ、と聖也が夜空を指差す。星のきらめく濃紺の中を、トナカイのようなものに引かれて飛行する一台のソリがあった。ソリは高度を落とし、どんどん二人のもとに近づいてくる。

「おい、降りて来るぞ」「マジかよ」

 二人の前に着地したソリから、白髭を蓄えた赤い服の老人が降りてきて、メリークリスマス! と快活な挨拶をした。

 驚きのあまり、キヨシコと聖也は口をポカンと開けるばかりである。

「ホッホッホ。驚かせてしまったかな。わしはサンタクロース。君らも聞いたことあるだろう」

「俺らのところに、どうして」キヨシコは頭を雪より真っ白にさせながらもサンタに問うた。

「サンタのやること、といえば、決まっておるじゃろ」サンタは白い袋の中から、大きな箱を取り出した。

「百美子の欲しがってたオモチャだ!」

「サンタはの、耳がええんじゃ。お主らの会話を聞きつけて、これをあげようと思ってな」サンタは白い立派なひげをさすりながら、微笑んだ。

「ありがとうございます!」

 聖也に起こった聖夜の奇跡だ、と叫んで狂喜する親友の服の袖を引っ張り、キヨシコが耳打ちする。

「待てよ。どうにも話がうますぎる。俺たち酒に酔って変な夢を見てるんだ」

「何いってんだ。これは聖也の、いや聖夜の奇跡だ」

「それはもうわかったから。つーか、クリスマスは明日だろ?」

「この爺さんが、あの有名な〈あわてんぼうのサンタクロース〉なんだよ!」

 口論している二人の背後で、おわっ、とサンタが悲鳴をあげた。足をジタバタさせて、あっちいけ、と喚いている。

 キヨシコは、サンタの足元を小さな影が走り回っているのに気づいた。それは先刻、キヨシコが助けてやったネズミだった。

「薄汚いネズミめ!」

 サンタに蹴り飛ばされたネズミは、道の端にふっ飛んだ。

「何しやがる!」

 キヨシコは固く握りしめた拳で、サンタの顔をぶん殴った。ぎゃふん、と言って地面に転んだサンタは、あわててソリに乗り込むと、猛スピードで夜空へ消えていった。

「逃げんじゃねえ! 待ちやがれ、偽サンタが!」

「何してくれてんだ、てめえ!」キヨシコの頬に聖也の拳が叩き込まれ、倒れたところを胸ぐらを掴んで引き起こされる。

「せっかく百美子のプレゼントが手に入るところだったのによ! てめえのせいで台無しだ!」

「あの野郎、ネズミを蹴っ飛ばしやがった!」

「てめえは親友の娘より、汚えネズミのほうが大事なのかよ。俺の力になるってのは嘘だったのか」

「ウソじゃねえ。でも、サンタは俺に未来を、命をくれたいい人だ。そんな人が小さい動物をいじめたりするもんか」

「もういい。いきなり人を殴るようなやつとは今日限りで絶交だ。二度と俺の前に面晒すんじゃねえ」聖也がキヨシコを地面に放り出した。

「おい、待てったら!」しかし聖也はキヨシコを無視して、どんどん遠ざかっていく。キヨシコも、知るかあんな奴、と意地になって、その場をあとにした。首筋に吹き込む師走の風が、彼にコートの襟を立てさせる。


 昨晩のことは夢であってほしい。

 キヨシコは切に願う。しかし、殴られた頬の痛みが現実であることを、文字通り痛いほど突き付けてくる。昨晩は全く眠れず体中に疲れが残っていた。それでも出社の時間は待ってはくれない。

 キヨシコが職場につくと、早々に社長に呼び出された。嫌な予感を胸に社長室に入る。

「おうおう、ひでえ怪我だな」

 三田みたが言う。彼はキヨシコの働く小さな運送会社「三田運送」の社長である。大柄で恰幅がよく、立派な白ひげをたくわえていることから、社員たちは密かに彼を「ミンタ」の愛称で呼んでいる。

「いやあ、昨日、階段で転んだもんで」

「嘘つくとロクなことになんねえぞ」

 三田のすべてを射抜くような鋭い眼光がキヨシコの体に凍りつくような緊張感を走らせる。これまでか、と観念したキヨシコは、昨晩のことを社長に打ち明けた。

「どえらいことをしてくれたもんだ。てめえ、覚悟は出来てんだろうな」

「ど、どのような処分でも甘んじて受け入れます」

 三田が椅子から立ち上がり、キヨシコのそばに歩み寄ってきた。

 今からとんでもない雷を落とされるに違いない。そう思うと、恐怖で足が震え、地面が沈んでいくような、ひどい眩暈に襲われた。

 いや、違う。

 地面が実際に沈んでいるのだ。上を見上げると、社長室の天井がどんどん遠ざかっていく。いつの間にか、キヨシコは三田と二人、エレベーターで地の底へ下っているのだ。

「えっえっえっ」

 三田は黙ったままで、キヨシコのことを見もしない。やがて、下降が止まり、目の前の壁が横にスライドして開いた。

 キヨシコの眼前に開ける、巨大な格納庫のごとき空間。そこには、大勢のサンタ服を来た人々が整列していた。

 一体、何が起こっているのか。キヨシコは飲み込めないまま、三田についていき、演説台のような場所に上がった。

「ちょ、ちょっと。社長。一体これはなんですか」

 狼狽するキヨシコを尻目に三田はこう言った。

「諸君、今日は新たに〈サンタ騎士団〉に入るものを連れてきた。この者は先日、自分の親友を〈偽サンタ〉の魔の手から見事、守ったのである。彼の名誉の負傷に歓声を!」

 サンタ服の集団たちから、大歓声が上がる。

 自分の理解の範疇を超えすぎた出来事に直面し、キヨシコは貧血を起こして倒れた。


 昨夜の睡眠不足も相まって、キヨシコが目覚めたのは夕方になってからだった。

「やっと起きたか。お前には話しておくことがある」

 他言無用だ、と前置きして、三田は次のようなことをキヨシコに話した。

 キヨシコの働いている会社〈三田運送〉の正体は、人々に不幸を渡して回る偽サンタ軍団〈サタンクロース〉から人々を守り、人々に幸福を届けるための団体〈サンタ騎士団〉の本拠地だったのである。三田は社長と騎士団長の二役を兼任している。

 〈サタンクロース〉を構成するのは人間の絶望を食い物にする悪魔たちである。心の弱った人々に目をつけ、サンタに化けて、欲しい物に偽装した不幸の贈り物〈ミミック〉を渡し、それを媒介に絶望を食らうのである。

 先日、キヨシコが殴ったのは〈サタンクロース〉の偽サンタであった。騎士団がマークしていた偽サンタを偶然にもキヨシコが退治してしまったのである。キヨシコの一連の行動は騎士団内部の諜報員の手によって、三田の知るところとなった。

「お前、どんな処分も甘んじて受け入れます、って言ったよな」

「そうですけど、サンタやるなんて俺には無理ですよ。大体なんで俺なんですか」

「たまたま偽サンタをやっつけただけで、サンタ騎士団に入れたわけじゃねえよ」

 三田の肩の上で、包帯を巻いたネズミが尻尾をピコピコ動かしている。

「あの時のネズミ!」

「このネズミは諜報員だ。偽サンタを見つける力を持っておる。この間、いなくなって探しておったんだ。こいつのケガ、お前が治療してくれたんだろ?」ネズミは保護されたあとで洗われたのか、すっかりきれいになっていた。

「早速だが仕事をしてもらうぞ。まず最初はサンタの本分、プレゼントの配達からだ。配達場所はこのメモに書いてある」

「待ってください、この住所って――」

「いいから、さっさと行きやがれ!」

 三田はキヨシコをソリに押し込むと、猛スピードで夜空へ旅立たせた。

 ソリの出入り口には、騎士団のスローガンが大きく書かれている。

 

 〈送って送られ紡がれる、人の絆は鉄より固し〉

 

――僕に未来をください。もし、大人になれたら、サンタさんみたいに、みんなを幸せに出来る人になりたいです。

「あん時の子供が、すっかりデカくなりやがって」

 三田は昔にもらった手紙のことを思い出して苦笑する。


 クリスマスの翌日。聖也が自宅で一人寂しくカップラーメンをすすっていると、携帯電話が鳴った。画面には別れた妻からの名前が表示されている。

「もしもし、どうしたの?――そうか、百美子のやつ、喜んでくれてるか」

 聖也の部屋のデスクの上には「これがホントの〈聖也〉の奇跡!」と書かれた走り書きのメモが置かれていた。(了)

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