第164話 開戦


 約束の日。

 あの“化け物”が現れてから、三週間。

 すぐ目の前に迫った決戦の日だというのに。


 「未だ、何も“視え”ませんか……」


 門の前には多くの兵士やウォーカーが集まり、以前のスタンピードとは比べ物にならない程の規模となっている。

 今回の相手はダンジョンと繋がりがありそうだと言う事で、ウォーカーを前に配置したが……果たしてどうなることやら。

 これで“人”を使ってくるようならウォーカーと兵の位置を入れ替え、予想通り魔獣の群れならウォーカーの皆様に対処をお願いしながら、兵は幅広く展開。

 そういう作戦ではあるのだが。


 「このままでは私がココに居る意味がありませんね……」


 戦場の先端に、私は突っ立っていた。

 悪食の皆様と、ギルさんやエレオノーラに守られながら。

 何も“視えない”のであれば、私は彼等の足枷にしかならない。


 「一日中警戒しているというのも、かなり神経を使います。一度下がった方がよろしいのでは?」


 ナカジマ様がそう声を掛けながら飲み物を差し出してくれた。

 それを受け取りながら喉の奥へと流しこんでみれば、びっくりするくらいに自分の喉が渇いていた事に気付いた。

 不味いな、自身の事さえ把握出来ないくらいに緊張している。


 「ナカジマさんの言う通り、下がる事をお勧めします。姫様は、こういう“状況”に慣れている訳ではありませんから」


 そう言いながら、アナベル様が治癒魔法を施してくれた。

 今までの息苦しさが嘘の様に、フッと肩が軽くなった気がする。

 いけない、このままでは本当に皆様の負担にしかならない。

 軽く首を振り、思い切り深呼吸をしてみれば。


 『全部終わったら、君が“探究者”の名を継げば良い。私はズルチートに頼っているから、本物じゃない。私の代わりに、長生きできる君が探究者になりなよ』


 「……え?」


 未来の英雄譚が“視えた”訳じゃない。

 だというのに、確かに聞こえた気がした。

 聞いた事も無い、その声が。


 「姫様?」


 心配そうに覗き込んでくるハツミ様を尻目に、声の主を捜した。

 でも、いない。

 居る筈がない。

 なんたってさっきの声は、間違いなく“今”の英雄譚ではないのだから。

 おかしい、最近の私の能力は。

 どう考えたって視えない筈の遠く離れた“彼等”の動きが視えたり、他の“ノイズ”の様な物を拾ってしまう。

 戦場に立った事によりレベルが上がった影響なのか、それとも“全てを視る”と覚悟を決めた影響なのか。

 私の瞳は、耳は、鼻は、肌は。

 様々な物語を感じ取る。

 それがどこで起きた話なのか、いつ起きる出来事なのか。

 それすらも分からない様な曖昧なお話まで、私に語って聞かせてくるのだ。

 “英雄譚”。

 それだけは間違いない。

 だからこそ、先程の声も……。

 なんて、頭を抱えそうになったその時。


 「せってーき! 数、不明! 正面から魔獣の大群!」


 見張り台に立っていた兵士から大声が上がり、余計な思考を断ち切った。

 今は、我が国の戦士達の“未来”を視なければ。

 キッと奥歯を噛みしめながら正面を睨んでみると。


 「なんですか、これは……」


 思わず口が開いてしまった。

 視界を埋め尽くす程の数の魔獣。

 数多くの他種類の魔獣が、一斉にこちらに向かって走り込んできている。

 スタンピード。

 その言葉を体現する魔獣達は、一心不乱に我が国へと歩を進めていた。


 「全員戦闘準備! 来ますよ!」


 ナカジマ様が声を上げれば、悪食の皆様が腰を落としながら武器を構えた。


 「てめぇら! 稼ぎ時だ! 魔法組に全部食われちまう前にしっかりと稼げよ!?」


 カイル様の怒号と共に、周囲に集まったウォーカー達が声を上げる。

 とても頼もしい。

 彼等だけで全て喰らってしまうのではないかという想いまで浮かんで来る程、頼もしい国民達。

 だというのに、この不安は何だ?

 前線に立って居るからか?

 迫って来る魔獣達が、非常に小さい小型の獣でさえ。

 とてつもなく恐ろしく感じる。

 なんだ、この違和感は。

 前のスタンピードと何が違う?


 「魔術師と弓使いの皆さん! 攻撃開始!」


 ナカジマ様が指示を出し、幾つもの魔法と矢が降り注ぐ中。

 魔獣達は真っすぐにコチラに向かって走って来る。

 あぁ、なるほど。

 この時、初めて違和感に気付いた。

 あの魔獣達は、“恐れ”を知らないんだ。

 魔獣とは言え、獣。

 以前のスタンピード時なら攻撃すれば怯んだし、大物を討伐すれば細かい魔獣は動きが悪くなった。

 だというのに、だ。


 「アナベル様……広範囲魔法を放っていただけますか?」


 「え? あ、はい。大丈夫ですが……今ですか?」


 「今すぐにです、コレ以上“アレ”の接近を許してはなりません。乱戦になれば、間違いなく手の出しようが無くなる! 早く!」


 叫ぶと同時に彼女は詠唱を始め、周囲のメンバーも彼女を守る陣形へと変わっていく。

 お願いだ、間に合ってくれ。

 あんな様子の獣を懐に入れてみろ。

 どれ程の被害が出るか分かった物じゃない。

 手負いの獣は恐ろしいというが、それ以上に。

 “恐怖を知らない生物”というのは、相手にとって恐れる対象どころか嫌悪する対象に他ならないだろう。

 いくら傷つけても、いくら多くの同胞を葬ろうと、最後の一匹まで突き進んでくる。

 そんなおぞましいものを懐に入れてはならない。


 「なんだアイツ等……全然怯まねぇ」


 「構わねぇ、放ち続けろ! 一匹も通すな!」


 そこら中から、不安の声が上がる。

 気持ちは分かる。

 普通の魔獣に見えても、どこか“気持ち悪い”のだ。

 仲間を殺されても、自身の身に傷を受けても突き進んでくる。

 生物としてはありえないその姿勢が、私達を恐怖させるのだ。

 “特攻”。

 その命令だけに忠実に従っている人形の様で、周りの事など知った事ではないと言いたげな攻撃。

 とても、“気味が悪い”のだ。


 「アナベル様! 早く!」


 「お待たせしました、いきますよ! “氷界”!」


 彼女の魔法が前方を真っ白に染め上げても、相手の攻撃は止まらなかった。

 雪や氷に足を滑らせながらも、続く獣は着実にコチラへと近づいて来る。

 凍り付いた同胞を足場に、息絶えた死骸を踏み砕きながら。

 獣たちは特攻を続けた。

 ……コレは、なんだ?

 まるで命令に従うだけの、自我を持っていない化け物を相手にしているみたいだ。

 凍り付いた同胞に見向きもせず、目の前の仲間が殺されても戦意が微塵も変わらない。

 ただただ、私達を殺さんと牙を向く獣たちがひたすらに迫って来るだけ。

 矢に貫かれ、魔法で粉砕され。

 やっと近づいたかと思えば剣や槍で突かれて絶命する。

 だというのに、いつまで経っても終わらないのだ。


 「何なんですかコレは……」


 まるで作業の様に命を刈り取る現場を眼にしながら、私はそう呟く事しか出来なかった。

 未だに“英雄譚”は見えない。

 これだけ多くのウォーカーや兵士が奮闘しているのだ。

 前回の戦争の様に、幾人もの未来が見えてもおかしくない筈なのに。

 語り継がれる英雄にはならなくとも、ほんの小さな憧れだったとしても。

 誰かにとっての“英雄”になれれば、私はその物語を見る事が出来る程に“称号”を使える様になった。

 その筈だった、というのに。


 「何も視えない……」


 目の前に広がっている死屍累々とした光景以外、私の瞳には何も映りこんでこなかった。

 怖い。

 本能がそう感じた。

 辛い。

 あまりにも悍ましく、目の前に迫った“死”を嫌悪した。

 だとしても、“ソレら”は段々とコチラに押し寄せて来る。


 「ギルさん! 左腕を使ってください! 待機中の兵士達は、姫様を連れて下がって! 様子がおかしいです!」


 アナベル様の叫びと同時に、私は兵達に抱き抱えられた。

 離れていく戦場。

 駄目、私は一番前に立って居ないと役に立たない。

 だから――。


 「安心してください、姫様。初戦くらいはどうにでもしてみせますよ」


 私とは逆に、前線に向かって走り出すギルさんの声が聞こえた。

 その左腕はもはや兵器。

 とてもじゃないが人間に付いていて良い大きさじゃない。

 彼を見た瞬間、ほんの少しだけ“英雄譚”が見えた。


 「ギルさんが攻撃した後、アナベル様に続いてもらってください! そして勇者にも! すぐに追撃が来ます!」


 「了解ですよ姫様!」


 巨大な義手の親指を立てながら、彼は誰よりも前に踏み出していく。

 多くの人々に遮られ、皆の姿が見えなくなったその時。

 戦場に巨大な炎の竜巻が出現したのであった。


 ――――


 「いってぇ……変な態勢で使うと、肩外れそうになるなコレ……」


 「動かないで下さいませ、ギルさん。まだ治療の途中です」


 悪食のシスターさんにピシャリと怒られてしまったが、言いたくもなる。

 あの気持ち悪いエルフが宣言した厄災一日目。

 なんとか乗り切った。

 現在はあの場に居た多くの人間が王宮へと戻り、治療を受けている。

 俺もその一人ってのが情けないが、致し方ない。

 随分と熱を持った義手が、肌に張り付いて痛いどころじゃないのだ。

 このバカでかい義手、威力は相当だが魔法を連発するには向いていない。

 いや、義手自体は耐えられているんだが……如何せん人間の方が先に参っちまう。

 悪食の魔女様と勇者の坊主の広範囲魔法が無ければ、もっと連発する事になっていただろう。

 そしてそうなった場合、多分俺は火傷どころじゃ済まなくなっていた筈だ。

 普通の魔術師も頑張ってくれてはいたが、どうしたって魔女や勇者の様に特大魔法とはいかない。

 そんな二人と無理矢理肩を並べたのだ、多少の無理は覚悟していたが……。


 「なかなか酷いですね……ノアちゃん! アナベルさん! こちらにお願いします!」


 俺の体を治療してくれているシスター、クーアさんが険しい顔で声を上げた。

 彼女の声に反応した二人が、こちらに走り寄って来る訳だが。


 「おいおい、二人共大丈夫かよ」


 「えぇ、こんな所でヘバっていられませんから」


 「大丈夫です、ボクもまだ平気」


 やってきた魔女様も、ノアの嬢ちゃんも顔色が良くない。

 驚異的なバフが使えるノアの嬢ちゃんは、回復魔法が使える奴らの元へ走り回り、魔女様の方は戦闘に参加したどころか誰よりも大規模な魔法を放ち続けたのだ。

 その後城に戻ってからは、治療班の手伝いをしている。

 間違いなく限界を超えている事だろう。


 「魔女様は流石に休めよ、昼間あんなに魔法を使ったんだ。それにもしかしたら、明日だって似た様な状態になるかもしれねぇ。だから本当に無理しないでくれ」


 「そうかもしれませんが……しかし、周りがこの状況では。それにギルさんの腕は“私達”が作った物です。だったら、私がちゃんとしないと」


 「だとしても、だよ。アンタに倒れられたりしたら、本当に“詰み”だ。だから頼む、休んでくれ」


 何処か納得していなそうな魔女様にため息を溢してみれば、隣に座っていたシスターが笑顔のまま立ち上がった。

 そして。


 「ていっ」


 「あいたっ」


 偉く気の抜けた声を上げながら、魔女様の額にチョップを振り下ろすシスター。


 「貴女をこの場に呼んだのは、ギルさんの義手を一度外す為です。その後は休んでください。コレ以上の魔法使用は“悪食救護班”として許可できません」


 「で、でも……」


 「でもじゃありません。ギルさんの左腕を外したら、さっさと横になって下さい。もうすぐ食事も届くでしょうから、それまで休んでくださいませ。後の事は、私達に。戦場で役に立たない分、こちらでは活躍しますから」


 笑顔でお怒りになられているシスターと、唇をとがらせながらムスッとしている魔女。

 こんな意味の分からない光景、悪食だからこそ見られるんだろうな……何てことを思っていると。

 ゴシャンッと派手な音を立てて、俺のいつもの左腕が姿を現した。


 「やっぱり強化装備の熱が全然抜けていなかったみたいですね……ノアちゃん、お願いして平気?」


 「大丈夫、シスター」


 二人から魔法が放たれ、先程よりもずっと早い速度で俺の傷が癒えていく。

 魔人のバフってのは、やっぱりとんでもねぇ効果なんだな……。

 とか何とか思いながら、ちょっとだけズレた彼女のデッカイ魔女帽子を直してやる。


 「ちゃんと角隠しておけよ? 嬢ちゃん。これだけ人が居るからな」


 「ん、ありがとうございます」


 なんて会話をしていた、その時だった。

 急に、ゾッと背筋が冷える感覚を覚える。


 「アナタ……今回は人数も居るから平気だって、怪我なんかしないって言っていたわよね?」


 いつもより物凄く低い声が、ヒシヒシと敵意を放ちながら背後から聞こえて来た。

 思わず頬をヒクつかせながら振り返ってみれば、そこには。


 「スマン、ソフィー」


 「全く……騎士に戻るのだって反対だったというのにこの人は……なんでクーアさんとノアちゃんに集中治療受ける程に怪我しているんですか」


 「あぁいや、コレは怪我って言うより自滅……」


 言い訳をしようとした瞬間、顔面に拳がめり込んだ。

 物凄く痛い。


 「明日もそんな怪我をする様なら、私も戦場に立ちますからね?」


 「わりぃ、それだけは勘弁だわ。ちゃんと気を付けるからよ」


 そんなことを言いながら、嫁の頭に手を乗せてみれば。

 彼女は静かにその身を寄せて来た。

 前より、少しだけ大きくなったお腹に手を当てながら。


 「絶対に、帰って来て下さい」


 「当たり前だ」


 何てことを呟きながらソフィーを抱きしめた。

 一度は諦めかけた人生。

 俺なんか死んだ方が良いなんて思った事もあった。

 でも、今なら思う。

 生きていて良かった。

 立ち直れてよかった。

 今の様な安定した仕事に戻り、更には姫様の護衛として扱われる為、今の所長く国を空ける心配も無い。

 そのお陰で愛する人と、その身に宿った新しい命を。

 こんなにも近くで守ってやれるのだから。


 「この戦争、勝って来るぜ」


 そう言ってから、ソフィーをより一層抱きしめた。

 生き残る、絶対に。

 決意させるだけの存在が、目の前に居るのだから。


 「お前も、その子も。そんでもってついでに国も守ってやらぁ」


 「随分と勇ましくなったモノですね、全く……少し前まではお酒に逃げてばかりだったというのに」


 「今更ソレを言うなっての……」


 守る物が増えるってのは、良いもんだ。

 何てことを思いながら俺は周りのウォーカー達に中指を立てられ、冷やかしを受けるのであった。

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