二層式洗濯機

増田朋美

二層式洗濯機

二層式洗濯機

寒い日であった。みんな部屋のなかにいた。寒いだけではなく今年は年末ぎりぎりまで、おかしな感染症も流行ってしまったものだから、外へ出るのが嫌だなあという人が大勢いた。そんな中でいろんな商売が、つぶれて消えることを繰り返し、本当に今年は、日本が弱体化したなと思われる一年であった。

そんな中今日も蘭の家では、いつも通りの生活をしていた。蘭は丸洗いできる着物を、洗濯ネットに入れて、洗濯機に入れてスイッチを押したのであるが、洗濯機は全く動かなかった。どうしようかと蘭は困っていると、玄関のインターフォンが音を立ててなった。

「おーい蘭。何をやっているんだ?早く買い物へ行こうやあ。」

デカい声でそういっているのは杉ちゃんであった。

「ああ全く、こういう時に限って杉ちゃんは、来るんだな。」

と蘭は困ってしまうが、杉ちゃんいうひとは、玄関先で待っててという言葉が通じない。玄関先で待ってなどいないで、どんどん入ってきてしまうのが杉ちゃんである。

「なんだ。ここにいたのか。早く買い物行こうよ。」

まさしく杉ちゃんは、いつの間にか洗濯機置き場にいた。蘭はこういうときに自分の家がまったく段差がないように作られているのを、恨めしく思った。

「どうしたんだよ。何か故障でもしたの?そんな浮かない顔をして。」

と、杉ちゃんはいきなり蘭に尋ねた。こういう風にすぐに尋ねてしまうのも、本当に杉ちゃんならではである。

「まあ、そういうことだ。洗濯機が運の悪いことに故障してしまった。全くタイミングの悪い時になんでこうなるんだろう。コインランドリーに行くにも、時間がなくて困る。」

蘭は大きなため息をついた。

「ほんなら、僕のうちの洗濯機を使えばよいじゃないか。すぐに使えるから、使っていいよ。」

と、杉ちゃんはいった。洗濯機を貸してもらうなんて、大昔のご近所付き合いを再現しているようなものだ。一寸現代社会からかけ離れているが、蘭はそうしてもらわなければだめだなと思った。仕方なく、杉ちゃんの家に行って、洗濯機を貸してもらうことにした。洗濯する着物をもって杉ちゃんの家に行き、洗濯機の洗濯槽に入れた。杉ちゃんの家の洗濯機は、とても古いもので、洗うことと脱水する所が、別々の二層式洗濯機である。こんな古臭い洗濯機を使っているのかと、蘭はあきれてしまったが、それでもちゃんと洗濯物を洗ってくれた。二層式だから、洗うときにいちいち中身を取り出さなければならないけど、ちゃんと洗ってくれて、脱水もしてくれた。洗濯ものは、杉ちゃんの家の物干し場に干させてもらった。

「いやあ本当に助かったよ。杉ちゃん洗濯機を貸してくれて、どうもありがとうね。」

蘭はお礼に、何かしなければならないなと思ったが、何をしようか迷った。お金の事にはさっぱり無頓着な杉ちゃんだから、お金をあげても、よくわからないで終わってしまうことだろう。

「杉ちゃん、御礼したいんだけど何をしたらいいかなあ。」

蘭はなるべく気軽な気持ちで杉ちゃんに言った。

「礼なんかしなくてもいいよ。ただしてやることをしてやったっだけの事だもん。何もいらないよ。」

杉ちゃんは、平気な顔をして蘭に言った。

「それにしてもなんで今なのに二層式の洗濯機なんか持ってるんだろうか。本当に変わっているなあ。」

蘭が思わずそういうことをつぶやくと、杉ちゃんはすぐにそれを聞き取ってしまうのであった。

「うるさいなあ。こっちのほうが気軽に洗濯ができていいんだよ。自動でやるのなんて、一度壊れちまったら、何もできなくなるだろうが。其れよりも、出来ることを分散した方が良いだろ。」

と、杉ちゃんにいわれて、蘭ははあとため息をついた。

その数日後。蘭の家に新しい全自動洗濯機がやってきた。これで蘭の家では再び洗濯ができるようになった。蘭の妻アリスがインターネット通販であの後すぐに買ってしまったものだ。設置もお金を払えば業者がしてくれる。確かにスイッチを入れれば洗濯から乾燥まで自動でやってくれるのであるが、どうもなんだか物足りないと感じてしまった蘭であった。なんだろう、何か物足りないというか。

蘭の新しい洗濯機が設置されてから二三日たって、杉ちゃんと蘭は、菊祭りが開かれるというので、それに参加するため、文化センター近くの公園に行った。この菊祭りは、もう30年近く前からやっている、伝統行事だ。公園の中には大量の菊の花が植えられていて、菊の花でモニュメントが設置されてもいた。

その菊のモニュメントの近くで、ひとりの男性と一人の女性が写真を取り合っているのが見えた。

「あれ、素雄さんじゃないか?」

と、杉ちゃんが言うとその男性も杉ちゃんに気が付いたようである。

「やあ、素雄さん!」

と、杉ちゃんが手を振ると、その男性、つまり吉田素雄さんは、にこやかに笑って、杉ちゃんに手を振り返した。杉ちゃんという人は、すぐに誰か知り合いがいると、すぐにその人のところに行ってしまう癖があった。蘭は、ちょっと待ってくれと言いながら、それを追いかける。

「やあやあやあやあ、素雄さん。今年は、いろいろ制限の多い年でもあったけど、こういう菊祭りが開催できてよかったな。途中で途絶えちまうのも悲しいところだよな。」

と、杉ちゃんはなれなれしく素雄さんに言った。

「そうですね、繰り返しができるということは、素晴らしいことですね。最近それを実感してます。」

素雄さんもにこやかに笑って、杉ちゃんに言った。

「来年も菊祭りが実行されてくれればいいななんて思ってしまいますよ。何だかこういう事が開催できるっていうのは、すごいことだと思います。もう来年の事をっていうかもしれないけど、考えてしまいますね。」

「そうですね。素雄さん、今は勤務中ですか?」

蘭は、素雄さんに聞いた。素雄さんは確か、障碍を持っている人たちの外出を支援している仕事をしている。素雄さん自身も足が少し不自由だったが、障碍者だからこそできる支援があると言って、この仕事をしているのだった。特に、福祉がなかなか行き届かない、精神障碍のある人の支援を中心にすることが多い。

「ええ。彼女、磯部由香さんが、菊祭りを見にいきたいという依頼がありましたので、それに付き添っています。」

と素雄さんは言った。確かに、磯部由香さんと言われた女性は、一寸体と心のバランスが崩れているのかなと思われる女性だった。この場所で悲しい顔をする必要などないのに、悲しそうな顔をしているからだ。

「彼女は、分裂病でしてね。感情の表し方がうまくできないのです。いつも悲しい気持ちが続いているというか、憂鬱な気持ちが続いてしまう。鬱にも似たような症状がありますが、鬱の人は、まだ自分でつらいと言えます。でも彼女はつらい気持ちがあるのを当然だと思ってしまっているようです。」

「そうですか。其れは大変ですね。でも、そういうことを、ストイックに話せるっていいですね。僕たちも、歩けないけど、そういう風に、歩けないんだとあっさり話しをすることが出来たらいいなって思うときがありますよ。」

蘭は、素雄さんの説明に、なるほどと思いながら言った。

「えーと、由香さんって言ったな。ほら、この菊、きれいだろう。これはな、一寸ダリアみたいだけど、菊の一種なんだ。はは、ここにはいろんな種類の菊があるな。面白いじゃないか。」

と、杉ちゃんは目の前の菊の花を指さしながら言った。

「赤い色って怖いわね。」

と由香さんと言われた女性が言う。

「なんで怖いの?」

杉ちゃんが聞くと、

「とにかく怖いのよ!」

と彼女は一寸強く言った。

「はあ、なんでだ。そう逆上するな。お前さんの事を敵だとか、そういう風には思ってはいないから。」

杉ちゃんは笑顔で言うのであるが、彼女はまだ杉ちゃんを警戒してるようだ。まだ、赤い菊に対して、恐怖心があるような顔をしている。

「一体どうしたの彼女?」

と、杉ちゃんは素雄さんに言った。杉ちゃんはいい加減な回答では、まったく容赦しないのを知っていた蘭は、杉ちゃんにこれ以上聞くのをやめさせようと思ったが、

「はい、質問に答えますね。彼女は、学校で虐待を受けたことが在ったんです。」

と素雄さんは静かに答えた。

「虐待だって?」

と、杉ちゃんはびっくりして聞いた。

「ええ、間違いなく虐待です。彼女が小学校一年生の時です。授業をさぼっていたからということで、彼女は、担任教師にドラム式の洗濯機の中に閉じ込められるという虐待を受けたことが在るのだそうです。」

と、素雄さんは、淡々と杉ちゃんに言った。

「あの、其れは、彼女が素直にあなたに言ったのでしょうか。そういう壮絶な過去を話させるということは、非常に難しいと思いますが。」

蘭は、素雄さんに確認したくて、そういうことを聞いてみた。刺青の依頼をしてくる客でも、なかなか自分の事を話せない人もいることは知っている。もちろん彫っているときは、痛みを伴うので、客のほとんどは気を紛らわせようと何かしゃべる客も多いが、逆を言えばそういうことでもしないと、本当のことは簡単に聞き出せない。

「ええ、精神科医の先生や、カウンセリングの先生の話をもとに僕がまとめました。彼女は、ひとりで行動することができないので、僕が必ず付き添っているものですから、カウンセリングを受けているときや、診察を受けているときも、付き合っているんです。」

と、素雄さんは答える。

「それはもしかすると、プライベートなことを聞き出して、商売道具にしようとしているのではありませんか?」

と蘭は聞く。刺青を施術するとき、お客さんは確かに自分の生い立ちをしゃべることが在るが、蘭はその時は、言いっぱなし聞きっぱなしのコンセプトで接しているので、彫りながら聞き流すようにしているのだが、素雄さんの場合は違うようだ。

「まあ、そういう見方もありますね。でも、彼女を理解にするにはそれを理解してもらわなければ

なりません。彼女は、小学生の時に、ドラム式の洗濯機に閉じ込められて、放置されたという経験をしている。其れのせいで、赤いものを見ると極端に怖がりますし、洗濯機の電源を押されてしまうのではないかという恐怖もあったのでしょう。洗濯機の音がするとパニックになって暴れることもあります。」

「しかし、なぜ今になって、子どものころにさせられた恐怖心が現れてくるんですか?だって、その時に、誰かに訴えることもできたでしょう。其れなのに大の大人になって、なんでその当時に逆戻りしたような感じになっているんですか?」

蘭は、ありふれたことを聞いてしまった。お客さんでもたまに重大なことを言ってくる人もいるが蘭は、彫る時に吐き出してしまえと言っている。何よりも、刺青を入れてしまえば、もう彫る前の自分はいない、ということをお客さんにいつも言い聞かせている。

「ええ、蘭さんはそう思うかもしれませんが、由香さんは、その当時言うことができなかったんだと思います。でも、過去のことを持ち出しても仕方ありません。由香さんは、精神のバランスが崩れてしまっているのですから、まず安定しいた情緒を取り戻してもらうということから始めないと。」

素雄さんは、そういうことを言った。まるで、医者よりも、彼女のことを理解しているような口ぶりだった。

「でも、洗濯機の音を聞いてパニックしてしまうのでは、彼女のご家族も大変ですね。洗濯するときは、どこか、出かけさせているのですか?」

と、蘭は聞いた。

「ええ、それは仕方ありませんから、こうして外へ出させることにしています。仕方ないのではなく、彼女にはいずれもとのせかいに戻ってもらえるように、何かいい方法があればいいんですけど、、、。」

と言って素雄さんはまた黙ってしまった。

「いやそれならいい方法があるよ。洗濯機も全自動洗濯機だけがすべてではないからね。僕のうちにある二層式の洗濯機は、スイッチを押せば動くのではなく、水は水道から入れて、稼働するには、アナログ式に、つまみをひねれば動くようになっているよ。」

不意に杉ちゃんがそういうことを言った。その言葉には、何だかすごい響きがあった。杉ちゃんはにこやかに笑って、彼女の顔を見た。

「大丈夫だよ。全部が自動でやる洗濯機ばかりじゃない。親御さんにでも二層式の洗濯機を買ってもらえ。それで、何とかできるんじゃないかな。少なくとも、スイッチを押す音はしないからね。僕の顔、見れるか?」

と、杉ちゃんは、彼女の顔を見た。

「こんな風来坊の顔だけどよ。僕、悪いことは言わないから、お前さんも僕の事、信じてくれるかな?」

と、杉ちゃんは彼女に右手を差し出した。彼女は、はいと言ってその手を握り返した。

「ほら、二層式の洗濯機が役に立つ時もあるじゃないか。こういう時も、使ってあげような。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二層式洗濯機 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る