2 正体不明
ノックの音がトントンと部屋に鳴り響いた。
「入るね」
少し低く、柔らかな声がドアの向こうから聞こえる。
「はい、どうぞ」
僕は少し緊張しながら返事をする。
ガチャっと音がしてドアが開き、その向こうには優しい目をした凛々しい紳士が立っていた。
紳士は部屋に入り、大和の目の前まで近づくと、ココアの入ったマグカップを差し出した。
「飲みなさい、体が温まるよ」
紳士は優しく微笑んだ。僕はマグカップを受けとると、ココアを口にした。
「温かい」
体の冷たい部分にぽかぽかと熱が流れていくのを感じた。
紳士は、ココアを飲む僕を見てニコニコと頬を緩めていた。
ココアを飲み終わった僕は、目の前の紳士に、これまでの経緯をどう話せばいいのかわからなかった。
紳士は優しく笑うと僕に問いかけた。
「落ち着いたかい?」
僕は頷いた。紳士はほっとした表情を見せると、近くにあったパイプ椅子を持ってきて、大和の向かいに座った。
「1つずつゆっくり話してくれればいい」
紳士の優しい表情に、大和自身の感情をほっとさせるものがあった。
「そういえば、まだ名乗っていなかったね。私の名前は
「僕は、鹿我大和です」
「鹿我…大和君か、いい名前だね」
「ありがとうございます」
名前を褒められることはあまりなく、僕は苦笑する。
「君は不思議な縁があるようだね」
蓮真は感慨深い表情で、大和の頭を撫でた。大和は気恥ずかしい気分になる。
蓮真は重い口を開き、大和に告げた。
「大和君、君はこれからとても困難な道を歩むことになる」
蓮真の言葉の重さや、表情からは嘘ではないことは明白だった。否定したいが、赤い男が脳裏に浮かぶ。
僕は不安や心配で体が震える。そんな僕に蓮真が告げる。
「大丈夫だ。大丈夫だよ。私達がいるから不安や心配する必要はない」
蓮真は大和の肩をぽんぽんと叩く。何故だろう?この人に肩を叩かれると安心する。
「まずは何があったか、聞いても大丈夫かい?」
大和は頷くと、これまでの経緯を語る。
「僕達は家族や友達の伸幸と、佐賀の山にキャンプに行きました」
蓮真は静かに大和の話に耳を傾ける。
「キャンプ場に着いた僕達はテントを張り、ゆったりして長閑な所だなっと楽しんでいたら」
「ふむ、それで?」
「唸り声が聞こえて、気がつけば変な男の人が、テントから少し離れた位置に立っていました」
「変な男?」
「はい。低い声で唸り声を発していました。伸幸は男の声が五月蝿いと、僕は止めたのですが、男の方へ向かって行き」
「なるほど、それで?」
「だけど、僕も怖かったのですが、伸幸の後に続くことにしました」
この少年の身に起こった事件には、ある存在が関わっていることは明白であるが、断定することはできない。蓮真は大和の話の続きを待った。
「近づいてわかりましたが、男には2つの特徴がありました。1つ目の特徴は、男の体が赤いペンキでも塗りつけたみたいに赤かったこと。そして2つ目の特徴は右耳がないことでした」
「赤い体に、右耳がない…」
「そうです。そして男は突然甲高い声で笑いだすと、見る見るうちに膨張して3メートルはある肉玉なったんです」
まさか奴ではないだろうか…?蓮真は嫌な予感がした。
「よく観察すると、ぎょろりとした目で尻尾のようなものがありました」
「ぎょろりとした目に尻尾…」
「はい、父や母、友達は怯えて動けなくなり、僕も怖くて腰が抜けました」
蓮真は大和の一言一句を聞き漏らさぬよう、集中する。
「肉玉からドロッとした細長い舌のようなものが伸びたかと思うと、肉玉の近くにいた伸幸の頭を貫きました」
「ドロッとした細長い舌…」
「そうです。そして伸幸は貫かれた箇所から血を吹き出し、ばたりと倒れました」
僕は伸幸が殺されたことよりも恐怖が強かった。今振り返れば、あの時の感覚はまさに頭が真っ白になったと表現するべきだろう。
「倒れた伸幸は確かに死んだはずが、ムクッと起き上がりました」
そして伸幸の体は膨張し、赤い男と同様に肉玉となった。
「ふむ、なるほど」
蓮真はある仮説に辿り着こうとしていた。しかし、大和の表情は暗い。
「僕に早く逃げろっと両親は叫んでいました。でも、体は鎖に繋がれたような感覚で、思うように動けませんでした」
それでも僕は、化物から離れるように前に進んだ。
怖かった。僕はこの場からすぐに逃げたかった。
「僕は逃げました。家族や友達を見捨てて」
大和は胸が締め付けられるようにキリキリと痛む。
「逃げる途中、悲鳴や叫び声が聞こえました」
僕1人だけ生き残って卑怯ものだと思う。
「僕は聞こえないように両手で耳を塞ぎ、振り返りたくなるのを必死で我慢しました」
蓮真は悲しげな表情で頷いた。
「なるほど、それは辛かったね」
大和の顔は真っ青になり、胃酸が上がってくるのを感じた。
「これは憶測だが、赤へるである可能性が高い」
「赤へる?」
大和は困惑する。赤へるって何だ?
「赤へるとは
「へっ?妖怪?」
大和は困惑が疑問に変わる。とても信じられない話だ。しかし、僕が見た赤い男はこの世のものとは思えなかった。
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