第4話 怒りのアナコンドル
「なぜだ、なぜ戻ってこない」
基地の中で、白衣の男はモニターを見て苛立っていた。ヘビにコントロール装置を埋め込む手術のリーダーであった男である。
「チップがまたおかしくなったのではないかね」
「いや、あれは改良型だ。そんなはずは……」
「これではサメの二の舞だ」
白衣の男に詰め寄る大佐。彼の表情は「無」そのものであるが、そのために却ってえも知れぬ威圧感を放っている。
この部隊は確かに海軍所属であるが、非公式の部隊であった。その実態は生物の兵器転用を研究する秘密の組織といったところである。まさに米軍の暗部とも言うべき存在であった。
実は、あの
有翼蛇アナコンドルが飛び去った先……そこは、例の研究所であった。研究所の庭で、ヴォーン博士は大手を振って出迎えた。
「よかった……愛しのハンナ……よく戻ってきてくれた」
博士は降り立ったハンナをひしと抱きしめ、その首に抱きついて撫でさすった。ハンナはただ大人しく、なすがままに撫でられている。先の戦いで見せた荒々しい様子は微塵も見せない。
ところで、アナコンダという蛇は本来、非常に攻撃的な性質を持つ。それなのに博士を襲わないのはなぜか。それはこの研究所に植えられた植物たちに秘密がある。
博士はとある種類の植物同士の芳香を組み合わせることで、一部のヘビに対して鎮静の作用を及ぼすことを突き止めた。これらの低木や草本を研究所の庭に生垣のように植え、さらに抽出した成分で作った香水を博士自身の服に振りかけることによっ
て、彼はハンナの凶暴性を抑え、食われずに飼育を続けることができたのだ。
実はこの成分、ヘビに対しては依存性を持つのである。軍に連れられた彼女が研究所に戻ってきたのは、口寂しくなった喫煙者がタバコに手を伸ばすのと同じことだ。
「さぁおいで」
鱗で覆われた肉体をひとしきり撫でた博士は、その脚を手にとり、ケージに案内しようとした。
その時のことである。
「私が白雪姫のハンターのように見逃すとでも思ったのかね?」
博士が振り向くと、拳銃の銃口を博士に向ける大佐の姿があった。その脇を、小銃で武装した例の屈強な肉体の兵士たちが固めている。
「お前たちにハンナは渡さん……絶対にだ!」
「渡せ」
「嫌だ!」
銃の引き金に、大佐の指がかかる。それでも博士は一歩も引かない。博士はその目に憎悪の炎を立ち上らせて、大佐を睨みつけている。
その大佐たちの頭上が、突然陰った。何かが、自分たちの真上にいる。
「さ、サメだ!」
博士は大佐たちの頭上を指差して腰を抜かしてしまった。兵士の一人が真上を向いた時、その目の前に、大口を開けたサメが迫っていた。
兵士は、一口でサメに食われてしまった。
「撃て!」
大佐の号令とともに、兵士たちは仲間を呑んだサメに向かって一斉に発砲した。だが空中を自由に動き回るサメに対してそうそう銃弾が命中するものではない。その上サメは小銃程度では倒れない強さがあった。体長十メートルにもなるサメの皮膚の硬さは相当なものであり、加えて曲線的なボディは避弾経始となり、銃弾の運動エネルギーを逸らして軽減してしまうのだ。
サメが次に狙いを定めたのは、有翼蛇であった。一直線に飛びかかろうとするサメを見たハンナは、咄嗟に前に立っている博士を鷲掴みにして飛びあがり、突進を回避した。サメは勢いあまって地面に激突する寸前で首を斜め上に向けて高度を上げ、ハンナを追うように上空へと上がっていった。
もし、彼女が博士を掴んでいなかったら、博士は突進するサメに衝突され、巨体に押し潰されていたであろう。今の行動は、明らかに博士を庇ってのことだ。
ヘビは人慣れすることはあっても懐くことはない。そこまでの知能がないからだ。しかしコンドルの方は高い知能を持ち、人に懐くこともある。この性質は明らかにコンドルのものであった。
博士を掴んだまま、ハンナは翼を広げて滑空している。そこに、サメがやってきた。サメはあくまでもこのヘビを追いかけるつもりらしい。もう一匹のサメを殺された恨みからであろうか、このサメからは明確な攻撃の意図が感じられる。
サメは猛スピードでハンナに追いすがり、とうとうその尾に食らいついた。ハンナは振りほどこうと必死に尻尾を振るが、サメはぎりぎりと肉に歯を食い込ませて離さない。
ハンナは振りほどくのを諦め急降下した。そして、尻尾を波打たせて、サメを思い切り地面に叩きつけた。十メートルの巨体が叩きつけられたことによる地面の衝撃が、兵士たちの足元を揺るがせた。これには流石のサメにも堪えたようで、その口は尻尾から離れてしまっている。
「今だ撃て!」
そこに、兵士たちの銃撃が浴びせられた。号令した大佐も拳銃の引き金を引き、サメに向かって発砲した。
彼らの銃撃は全くなりふり構わないもので、銃弾はサメのみならずその後ろにいるハンナにも飛んできた。そして、彼女に掴まれている博士にも、情け容赦なく銃弾が飛来したのである。
「がっ……」
博士の胸や腹を、銃弾が穿った。数か所に開けられた銃創からは血がしたたり、芝生の地面の上にこぼれ落ちている。
博士は、四肢をだらりとさせてうなだれた。もう力尽きてしまったのであろう。ハンナは事切れた飼い主を、そっと優しく地面に伏せて置いた。
ハンナの顔が、兵士たちの方を向いた。ヘビには瞼がなく、表情は大佐以上に「無」である。しかし兵士たちはつぶらな目の奥に灯る怒りの炎を感じて、無意識の内に後方に後ずさってしまった。
そして次の瞬間、ハンナは急に羽ばたいた。そして突っ伏しているサメを鷲掴みにすると、低空飛行したままサメを兵士たちに向かって投げつけたのであった。
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