第2話 大蛇+猛禽

 その研究所は、極彩色の花々を咲かせる低木や草本に囲まれて立っている。その敷地の一角にある木造の飼育小屋にはいた。強化ガラスで仕切られた広大な飼育ケージの中には、広めに作られたプールがあり、それはその中にうずくまっている。


「ハンナ、ご飯だよ」


 白衣姿の痩せた中年男が、トングで鶏を挟みながら歩いてきた。彼は笑みを浮かべながら強化ガラスの前に立ち、ガラスの壁面の一角に作られた窓を開けてそこに鶏を放り込んだ。この鶏は活餌ではなく、冷凍されていたのを解凍したものである。

 プールに浸かっていたそれは、気だるげな動きで長い体をプールからはみ出させた。その頭部は舌をちろちろと出し入れしながらおずおずと鶏に近づくと、そっと口を開いて鶏の頭に噛みつき、呑み込み始めた。


 飼育小屋の中にいたのは、猛禽のように大きな翼と長い爪のついた脚部を持つ巨大なヘビであった。その有翼の大蛇は喉を膨らませて獲物を呑み込むと、のろのろとプールに戻っていった。


 この研究所の主、ジェイムズ・ヴォーン博士は、南米に住む世界最大級のヘビであるグリーンアナコンダに、同じく南米原産の猛禽類であるコンドルの遺伝子を掛け合わせた合成生物を誕生させた。まるでアステカ文明の神ケツァルコアトルのような有翼蛇を、博士は「ハンナ」と名付けて可愛がった。

 博士の愛情を受けたハンナはすくすくと育ち、今ではもう体長二十メートルを超えるほどになっている。もし彼女(ハンナはメスである)が翼や脚のない普通のグリーンアナコンダであったのなら、ギネスに記されていたであろう大きさだ。


  博士が飼育小屋の扉を開けて外に出ようとしたその時、外側から扉が開けられた。

 中に入ってきたのは、海軍の軍服姿をした男たち数名であった。白人黒人アジア系の入り交じった彼らは、皆軍人らしい屈強な体つきをしている。


「貴方がジェイムズ・ヴォーン博士ですかな?」


 男たちの中で真ん中に立っている、一番年かさと思われる男が尋ねてきた。男は如何にもベテランの軍人らしい厳めしい顔つきをしており、軍歴がそのまま顔の皺になっているかのような男である。

 

「誰だ。鍵をしていなかったのはワシの不用心だが、ノックもせずにずかずか押し入ってくるのは不躾ぶしつけではないか?」

喫緊きっきんのことゆえ、非礼をお許しいただきたい。私は海軍のビル・ストーンズ大佐だ」

「ほう……して、何の用事で海軍サマがワシの所に来たんだ」


 博士はじろりと大佐の顔を見た。大佐の表情は「無」そのものであった。職務を全うするだけの冷徹な機械とでも言うのであろう。顔から滲み出る感情というものが、大佐からは少したりとも感じられなかった。


「博士の飼養するこの生物は、これより我々海軍の管轄となる。そのことを伝えに来た」

What?」

「少しの間こいつを預からせてもらう、ということだ」


 あまりにも、唐突に過ぎることであった。軍が彼女を連れ去るというのだ。


「博士、飛行オオメジロザメフライング・ブルシャークの被害はご存じか」

「ああ、知ってるとも。おかげで餌の冷凍チキンが遅配になったからな。クソったれfuckin’なフカヒレ野郎どもだ!」

「そいつの討伐に、こいつを使わせてもらう」

「ふざけるのも大概にしろ! 大体、お前たちは世界最強のアメリカ海軍だろう! たかが魚の一匹や二匹、軍艦やら艦載機やらで殺してしまえばいいだろうに!」

 

 博士は顔を真っ赤に染め、声を張り上げて怒鳴った。だがその怒声を真正面から浴びせられても、大佐は少しも動揺する様子を見せない。相変わらず彼は仮面が貼り付いたような症状を少しも変えなかった。


「潜水艦を差し向ければ空に逃げられる。戦闘機で戦いを挑めば海に逃げられる。どうしようもない相手だ。そこで、こいつが役に立つ」

「……なるほどな。確かにハンナは空も飛べるし水にも潜れる。そうか、お前たちの考えがよく分かった」


 アナコンダはワニと同じく水陸両用の生き物である。他の大型蛇と違ってアナコンダの目は頭部の上の方についているのだが、これは水面から顔を出して外の様子を視認するのにたいへん都合が良い。実際、生息地のアマゾン川では魚類を食したり、ワニの捕食例などもあるという。


「というわけで、ご協力いただこう」

「黙れ!」


 とうとう我慢の限界に達した博士は、拳を振りかぶって大佐に殴り掛かった。けれどもその拳が大佐に届く前に、素早く大佐自身の手によって腕を掴まれ取り押さえられた。そもそも、一介の研究者が軍人相手に徒手空拳で戦いを挑んで勝てるはずもないのである。


「さっさとヤツを連れていけ」

アイアイサーAye,Aye,Sir!」


 博士が取り押さえられている間に、大佐の部下たちは飼育小屋の裏口へと回った。そこには、ケージの清掃のための出入口がある。彼らは退出する際に壁にかけてあった鍵をひったくっており、これを使って出入口を開錠し、ケージの中に立ち入った。

 有翼蛇は、プールの中からじっと侵入者たちの様子を眺めていた。とはいえ、特に襲い掛かってくるような気配はない。


「で、こいつ何て呼べばいいんだ?」

アナコンダanacondaコンドルcondorだから……アナコンドルAnacondorでどうだ?」

「アナコンドルか。はは、いいなそれは」


 兵士たちはてっきりどんな化け物かと、当初は内心恐怖していた。しかし、蛇の魯鈍ろどんそうな様子を見て、図体だけのでくのぼうだと次第に軽蔑の想いを抱くようになった。

 兵士の一人がクロスボウを構え、蛇に向かって麻酔用の矢を放った。すると、矢が命中した蛇の動きは、先にも増して鈍くなった。兵士たちは数人がかりで蛇の巨体を運び出し、軍用トラックに乗せた。


「博士、心配するな。ヤツはちゃんと元に戻す。サメに勝てたらな」


 そう言い残して、大佐は去っていった。


「馬鹿者め……」


 走り去るトラックの背を睨みながら、博士は怒りというよりは寧ろ軽蔑を込めて吐き捨てた。

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