3 見知らぬ街
不安と高揚とでほとんど寝れない夜を過ごし、やや痛む頭を押さえながらリチャードは立ち上がった。
遠くの山から朝日が差している。今まで毎日浴びていた光とはどことなく色味が違うような気もするが、明るい光というのは人を安心させるものだ。
「リチャード、ちゃんと寝れた?」
隣で寄り添うようにして目を閉じていたレイルが問い掛けてくる。
彼女もまた寝れなかったのであろう。全部は開ききらないと言わんばかりのその瞳からは、昨日より濃い疲労の色が窺える。それでもこちらの心配をする言葉が出るのだが。
「寝れては……いない。レイルこそ身体は大丈夫? 痛むか?」
座り込んだままのレイルを心配し、手を差し出して、自分の身体の変化をまた自覚する。指から伸びるこの爪が、彼女を傷付けてしまわないかが不安だった。
「ん、へーき。関節はバキバキだけど、とにかくここにいても仕方ないから歩かないと」
そんなリチャードの心配を見抜いてか、彼女はその手を握り返して立ち上がった。
「そうだな。水ももうなくなるから、急ぐか」
「お腹も減ったしね」
疲れた表情で、それでも笑ってくれる彼女に感謝しつつ、昨日からの目的地に向かって歩き出した。
穏やかな風が吹き抜ける街道は、明るい光に満ちた今、先行きの見えない自分達への道標のように感じられた。どうかこれが間違いでないようにと、願わずにはいられなかった。
えらく時代錯誤だ。グレーの塊に辿り着いたリチャードは、そこに広がる風景をそう捉えた。
遠くからでも確認出来たその色調の正体は、石造りの建物。観光地や歴史の教科書でしか見たことのない、本当に石を積み上げただけの建物達が目の前に広がっている。
街道の石畳は、この街の入り口に吸い込まれていた。同じく石を組み上げた門をくぐり、中に入る。自分の背丈の倍程のある壁が外周をぐるりと囲むその街は、規模的にはやや小さい都市というべきか。
建物自体は古くさい石造りだが、そこに並ぶ人々の顔には活気が満ちていた。街の入り口の大通りには、市のような出店が並び、見たこともない食べ物や植物、毛皮のようなものが所狭しと陳列されている。
そして何より、ここの住人は獣人ばかりだった。
皆が皆、毛に包まれた手足を露出し、動物の毛皮を元にしたと思われる服を着ている。見たところ普通の人間はいないし、靴を履いているような者がまずいない。
リチャードは気が遠くなりかけたが、ここは「これなら自分達も目立たないな」とプラスに考えることにした。
街の玄関口だというのに門には見張りなんてものもおらず、実は治安も良いのかもしれないと期待出来る。
「なかなか賑やかな場所だね。それに食べ物もありそう」
出店を眺めながら笑顔を見せるレイルだが、すぐにその表情が曇る。
「……お金ってかさ……多分そんな概念はあるよね」
店主と客のやりとりを見てそう感じたのだろう。リチャードもそこに気が付き、食料に手を伸ばせなかった。
喧騒は全て自分達の言語と同じに聞こえるが、おそらく値段が書かれているであろう値札の文字が読めない。そして並んでいる品物と交換されている貨幣のようなものが見えるが、おそらく自分達の知っている紙幣ではない。なんだか熱で焼ききった金属のような札が、ここでの通貨なのだろう。
だが頭でそう理解はしても、飢えと渇きは深刻だ。
「……いっそ状況を説明して、恵んでもらうか?」
「突然『異世界から来てしまってお金がないんです。食べ物を恵んでください』とでも言うつもり? 頭がおかしいと通報されるか、下手したら撃たれるぞ」
最後の方は呆れたように言い捨てたレイルだが、彼女にも打開案は見つからないようだ。
そんなこんな考えていると、自然と歩みは遅くなる。入り口からまっすぐ大通りに沿って歩いていた二人だが、歩くペースの遅さが店主の目についたらしい。
「やぁやぁお二人さん! お外デートには甘味片手が一番だよって!」
そう威勢良く声を掛けられ、ついリチャードは店の方向を見てしまった。いかにも店の店主らしいオヤジさん――といっても、ここは獣人の世界なので立派な猫耳がついている――と目があってしまう。
駄目だ。エンカウント。イベント勃発。逃げられない。
狼狽えるリチャードの横をレイルが歩きだす。真っ直ぐ声を掛けてきた出店に向けて。
「お嬢さんえらいべっぴんなこって……ど、どうしたんだい!?」
最初こそにこやかだった店主が慌てる。リチャードに背を向けているため、こちらからはレイルの表情は見えない。
だが、その背中は少し震えているように見えて――
「すみません。実は先程、手持ちの荷物を全て落としてしまって……探しているところだったんです」
小さく震えるような声を出して目を伏せる彼女の横顔が見えた。劇のヒロインを演じている時から思ってはいたが、彼女の演技力は異常だった。
「そ、そうなのかい?」と店主も思わず同情している。
リチャードも不自然にならないように、彼女を慰める役をするために横に並ぶ。そして――
「そんな気を落とさないでくれよっ! ほれ、オジサンからのサービスだ! 彼の分も! ほらっ」
そう言って人情家そうなその店主は、焼き魚の形をした何かを差し出してきた。
串のような金属に刺さっており、それを握る店主の大きな手には、火傷のような小さな傷が目立つ。例えるなら職人の手。だが指先の爪だけは短く揃えられており、その手のアンバランスさを際立たせた。
魚型の食べ物には砂糖のようなものが掛かっているのか、ほんのり甘い匂いがした。実物の魚ではないようだが、猫耳が歩き回る世界ではとても売れそうな見た目な気がする。
「ありがとう」
そう言って、やっと食べ物にありつけると思って差し出した手が空を切った。驚いて店主を見ると、彼はなにかに怯えたような顔をしている。
「? どうした?」
リチャードの問いかけに店主の口が動く。だがその声は小さく、大通りの喧騒にかき消されてしまう。
どうしたものかとリチャードがもう一度声を掛けようとするのと、店主がまるで振り絞るようにして叫ぶのは同時だった。
「研止の儀式っ! 研止の儀式をしてねえのかお前ら!?」
その声は呪文のように大通りに広がった。今までこちらに興味も示さなかった人々が、魔法にでもかかったようにこちらを見て動かない。全く意味がわからないが、友好的な雰囲気ではない。
こそこそと声は聞こえるが「アクトか?」「おかしな服だな」といったような具合で、自分達の置かれた状況が悪くなったということしかわからない。
「すまない! 俺達は訳ありで、この街の風習がわからないんだ! 良かったら教えてほしい」
いらぬ誤解だけは勘弁なので、リチャードは素直にそう言った。隣でレイルが息を吐くのが聞こえた。
「――族じゃないか?」
不意に群衆から声が聞こえた。その声は瞬く間に周りに伝染する。声と共に恐怖の表情が広がっていく。
その時――
「族ならば、オレ達の出番だな!」
「ガリアノ様! むやみに近づかれてはなりません!」
ガハハと大きな笑い声と共に、野性味溢れる大男と、それに影のように付き従う褐色肌の男性が進み出てきた。
これが、世界を救うための冒険の始まりである。
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