第5話

黒猫が弥生のかばんに近づいてきた。

ランドセルとは別に持っているトートバック。

去年、お姉ちゃんがアイドルのコンサートに行って買ってきたものだ。

猫は鼻をこすりつけている。

トートバックには、塾の道具が入っている。プリントを入れたファイルや、テキストだ。

弥生ちゃんはそれを見て気づいた。


やばい!!

塾に行かなきゃ。

すっかり忘れてた。

ばけねこに気を取られて。


弥生ちゃんはトートバックを肩にかけなおして、立ち上がった。

時計。

時計を見たい。

弥生ちゃんは猫になにか言おうかと迷ったけど、なんて言ったら良いのかわからず。

猫をおいて、速足で歩きだした。

今何時だろう。

塾に着くころには、速足がダッシュに変わっていた。

いつもは受け付けに学生がいるのに、今日はいない。

もう、みんな教室に入っているということなのだろうか。

弥生ちゃんはガララッと教室のドアを開けた。

座った生徒たちがこちらを一斉に見る。

弥生以外の生徒はみんな揃っていた。

弥生ちゃんは席に座って時計を見た。

5時29分。

授業開始1分前。

間に合ったあ。

と安心のため息をついた。


5時30分。

授業がはじまった。

生徒たちが問題を解き始める。

教室には紙がこすれる音とシャーペンの音。

先生が黒板に何かを書いている。

チョークの音。

先生の解説が始まった。

弥生ちゃんペンを置いて、前を向いた。

先生の解説をきく時間---

弥生ちゃんは、前の席に座っている辻くんの首やポロシャツの襟を、見るともなく見ていた。

だんだん視界がぼんやりしてくる。

意識もぼんやりとしてきた。

気がついたら休憩時間になっていた。

人がきたので、はっとして顔をあげると、佐々木さんだった。

違う学校に通っている佐々木さんとは、塾でたまに話す関係だ。

「ねえ、さっきの問題できた?」

佐々木さんは菩薩のような笑みを浮かべて言う。

佐々木さんのことはよく知らないが、きっと良い子なのだろう。

良い子なのが顔ににじみ出ている。

実際に塾のクラスでの成績も上位だ。

「えーっと・・・たぶんできた。」

弥生ちゃんも、なるべくにこやかに答えた。

佐々木さんは嬉しそうに私も!と言った。

弥生ちゃんは一瞬、ばけねこのことを思った。

佐々木さんに喋ったらどんな風になるだろう。

佐々木さんとは勉強の話しかしたことがない。

こわい話や噂話、いろんな話をする真由ちゃんやさっちゃんとは違って。

佐々木さんは

「2問目。難しかったんだけど、できたあ?私解けなかった。」

と困った顔をしていった。

困っているけど、微笑んでいるような顔だ。



授業がまたはじまった。

弥生ちゃんはばけねこのことを考えた。

まだ誰にも言っていない。

佐々木さんは、どうだろう。

こわい話とか、ばけねことか。

きっと興味ないだろうな、と、佐々木さんの笑顔を思い出してなぜか思った。


「秘密」

という言葉が頭に浮かんできた。


私だけの秘密


そう思ったら、胸が高鳴った。

相変わらず教室では、授業が行われている。

問題を解いて、先生が解説をする。

その繰り返しの時間。

ただ機械のようにシャーペンを走らせ、先生の声を聞く。

弥生ちゃんもそう素知らぬ顔で授業を受けている。

しかし、ばけねこのことを思い出すと、途端に弾むような気持ちになるのだった。


私だけの秘密。


そう思うと、喜びで胸がいっぱいになってくる。

弥生ちゃんのシャーペンを持つ右手に力が入る。

プリントにかいた文字が濃くなっていた。

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