いれさせてください!

第5話 いれるって決めてる

 休み時間の度に田野たのさんは女子に囲まれていた。

 今日中に話をしなければこのまま卒業まで接点を持てずにモヤモヤしたままお別れしてしまう。そんな確信に近い予感が脳裏をよぎる。

 

正直、女子の集団に飛び込むのは恐い。だから集団になる前が勝負だ。次の休み時間、次の休み時間とチャンスを待ち続けているうちに、あっという間に帰りのホームルームになってしまった。

 

一方、僕は用済みと言わんばかりに誰にも話し掛けられない。たった一人の友達を除いて。


「やはりわいの見立ては間違っていなかったようですな。して、美咲ちゃんの抱き心地はどうであった?」


「もし一度だけ人を殺しても無罪になるのなら僕は川瀬かわせを殺したいよ」


「んほほほ。童貞のまま死んだらおぬしが行為に及び度に化けて出てやりますぞ」


 僕と二人の状況になった途端に灰だったとは思えないほど活き活きとしている。それでもこいつと縁を切らないのは、まあこの状況が全てだ。

 結局、類は友を呼ぶ。一時的に川瀬かわせの失言と田野たのさんの爆弾発言で注目を集めたけど特需は終わり。


 女子はいまだ経験していない未知の領域に興味があるだろうし、男子はワンチャンあるかもと田野たのさんを狙っている。もう明らかに目つきが違う。僕の言えたことではないけど、頼んだらヤラせてくれそうみたいな期待が漏れてしまっている。


 本当に田野たのさんには申し訳ないことをした。助けてもらったお礼もまだ言えていないし、迷惑を掛けたお詫びもできていない。


 なんとなく浮足立った教室に担任の先生が入ってきた。盛り上がる内容が内容だけに先生の前ではその雰囲気を隠そうとみんな必死になっている。僕と田野たのさんの間に性的なことは一切なかったのが真実だけど、それを証明する手立てもない。


 クラスが変な方向に一致団結してくれたことがせめてもの救いと言ってもいいだろう。


 ホームルームが終わったらすぐに田野たのさんに声を掛けよう。先生が明日の連絡事項などを話していても全く内容が入ってこない。何か忘れ物があってもしったことか。先生にちょっと怒られたり授業態度の点数が下がるのなんてどうってことない。


 今はただ田野たのさんの一秒でも早く話をしたい一心だった。


「それじゃあさようなら。また明日なー」


 いろいろな仕事が残っていそうな先生の気だるい声と共に僕らの放課後が幕を開けた。みんな部活やらバイトやらでいつまでも田野たのさんに構っていられないはずだ。

 僕もパソコン部の活動日ではあるけど、もはや部活をサボることもやぶさかではない。とにかく今は田野たのさんが最優先だ。


「んふふ。待つですぞ」


「おい。僕はマジで急いでるんだ」


 思惑を知ってか知らずか川瀬かわせが僕の腕を掴んだ。体力はないくせいに体格は立派だから妙に力が強い。がむしゃらに動けば陽キャ集団にも勝てるんじゃないかと思うレベルだ。


道玄坂どうげんざか氏はやはりわいらと同じ陰の者。童貞を捨てたとは言えやはりこちらの側の人間であることに変わりないのである」


「だからそれは誤解なんだって」


「では美咲ちゃんのあの反応は一体?」


「わからないけど……たぶん僕を助けてくれたんだ。だからそのお礼をしなきゃ」


「ほうほう。お礼に道玄坂どうげんざか氏のナニから濃厚なアレをプレゼントすると」


川瀬かわせ。お前が言うと本当に気持ち悪いから逮捕されないように気を付けた方がいいぞ? 僕はお前を友達だと思ってるから忠告しとくけど」


 万が一にも川瀬かわせが逮捕なんてされたらクラスに友達がいなくなっちゃうし。しかも実際はまだ童貞だし田野たのさんと付き合ってるわけでもない。本当に高校生活の拠り所がなくなってしまう。


「はっはっは。わいくらいになると誰の気にも留まらないのですぞ……」


「最初笑ってたのが嘘みたいにしょんぼりするのはやめようか。僕まで悲しい気持ちになるから。共感しちゃう自分に泣きたくなるから」


「童貞を捨てても道玄坂どうげんざか氏は道玄坂どうげんざか氏ですな。これすなわち、わいも童貞を捨てても問題ないことを意味する」


「ん? まあ、そうなの……か?」


 僕はまだ童貞だから変わらないのは当然としても、一回ヤったくらいで人格が大きく変わるとも思えない。それはたぶんヤったから変わったんじゃなくて、恋人ができるまでの過程だったり、そういう関係になるまでの経験で人間的に大きくなるんじゃないかと思う。


「それで一つ相談なのだが……」


 先ほどまでの気持ち悪いテンションとは反対に、急に神妙な面持ちへと変わった。

 だけど僕は知っている。こいつがシリアスを醸し出す時はいつも以上にバカになる時だと。


 高一の頃、まだ川瀬かわせのことをよく知らなかった時、好きな人ができたと真剣に相談されたと思えばアニメキャラだったことがある。僕もついに恋愛相談をされるような友達ができたと内心では喜んだのにとんだ拍子抜けだ。

 僕もしっかりその作品を見て、どハマりしたので無罪放免にしてやったけど。


「その……わいも道玄坂どうげんざか氏と美咲ちゃんに土下座したらヤラせてくれないだろうか」


「土下座だけはしろ。田野たのさんの世間に向かって」


 僕は川瀬かわせのデカい頭を掴んで机に押し当てた。

 いくらクラスで存在を無き者にされかけているとは言っても教室内で床に膝を着けて本気の土下座をしたら注目を浴びてしまう。

 これは僕自身を守るための恩情だ。メガネが壊れても知ったことじゃない。


「やはりわいと友情を超えた穴兄弟になるのには抵抗が!? ならばもっと仲を深めようぞ兄弟」


「誰が兄弟だ。川瀬かわせと兄弟のさかずきを交わすくらいなら僕は死を選ぶ」


「では遺された美咲ちゃんはわいが……ぐおおおおお!!!」


 あまりにふざけたことを抜かすのでぐりぐりと頭を机に擦り付ける。たぷたぷの肉で守られてるんだから大したダメージにはなってないだろう。


「はぁ……もう一度よーく考えてみてほしいんだけど、お前みたいなやつが友達がそう簡単に女子と仲良くなってアレをできると思うか?」


「ふふふ。まあ無理ですな」


「即答されると悲しいな」


 僕も同じ質問をされたら川瀬かわせやパソコン部のみんなを思い浮かべて無理だって回答すると思うけど。まあつまりそういうことだ。類は友を呼ぶ以上、少なくとも地位も名誉もない陰キャオタク高校生に性交の可能性はほぼ0に等しいのだ。


「だがしかし……しかしである!」


 念のためまだ頭を押さえつけてある川瀬かわせが息を吹き返す。


「その無理を解決してくれるのが美咲ちゃんなのであろう? やはり土下座は日本に古来から伝わる最高の意思表示ですな」


 こいつ、完全に脳みそが二次元に侵食されてやがる。土下座して頼んだらヤラせてくれる女なんてこの世にはいないんだよ?

 

現実を思い知らせるために一度田野たのさんに土下座させてみようかとも考えてしまった。でも、田野たのさんの天然ぷりとこいつの女子耐性のなさが変に噛み合ってカップル誕生なんてことになったら僕は立ち直れないかもしれない。僕が田野たのさんをどう思ってるとかじゃなくて、川瀬かわせに彼女ができることに対してね。


道玄坂どうげんざかくん」


 僕と川瀬かわせが話している時に声を掛ける人間は、よほどの用事があるか罰ゲームかの二択だ。

 だけど僕は前者であるという確信を持てた。仮に罰ゲームだとしても、彼女はそれを罰と思わず、その広い心で僕と接してくれる。


「た、田野たのさん」


「ごめんね。お話し中に」


「ううん。それに謝るのは僕の方で。さっきはありがとう」


 川瀬かわせの頭を押さえつけたまま、ひとまず田野たのさんにお礼を言った。あまりにも雑な感じだけど何も言えないよりかは遥かにマシだ。

 ちなみに川瀬かわせ田野たのさんの声を間近で聞いた緊張からか灰になってしまっている。

 友達としてはこいつの灰化もどうにかしたいと思いつつ、今は余計なことを言われたくないので灰のまま放っておくことにした。


「それで。あの……昨日の話なんだけど」


「本当にごめん。こいつのせいで変な風にこじれちゃって」


「わたしもビックリしちゃった。あんな風に声を出せる自分にも」


 ふふっと聖母のような優しい笑顔で田野たのさんは言った。

 あんな風に誤解されたら僕に対して怒ってもいいはずなのに、彼女は全くその素振りを見せない。


「だって道玄坂どうげんざかくん、どこかに連れて行かれそうだったから」


「まあね。ボコボコにされるとかはないだろうけど恐かったよ」


「うん。だって、わたし」


 田野たのさんは目を輝かせて一呼吸溜めた。

 なんとなーくイヤな予感がする。本人に悪気がないだけに余計にタチが悪い。


道玄坂どうげんざかくんを入れるって決めてるから」


 田野たのさんはどこに何を入れると具体的に宣言していない。

 聞きようによっては盛大な誤解を招きかねない発言だ。


 僕らと違って田野たのさんの特需はまだ終わっていないようで、一気に注目を集めてしまった。少なくともさっきまで灰になっていた数少ない友達は卑猥な意味に受け取ったようだ。


「おぬしら……やはり……」


 こいつはこいつで具体的なことを何も言わずに再び灰に変わった。

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