第3話 二人で一緒に

「はい。じゃあゴム手」


「ん?」


 あまり好ましいとは言えない独特な臭いが鼻に付く。

 手にも決して気持ち良いと評しがたいベタベタとしたものが触れている。


 そっと目を開けると手にはゴム手袋が乗せられていた。


「サイズが小さかったらごめんね。伸ばして使って」


 田野たのさんはすでに渡り廊下から出て校舎の周囲に生える草むらに入っていた。


「あの……田野たのさん」


「なあに?」


 ピンク色のゴム手袋を装着して振り向く姿は完全にお風呂掃除をするお母さんだ。

 なんだか妙な安心感すら覚える。

 まさか一部マニアの間で流行っている幼児プレイなのか?


「何を……してるの?」


「何ってごみ拾いだよ。わたし、ボランティア部だから。道玄坂どうげんざかくんがあんな必死に手伝いたいって言ってくれてすごく嬉しかったよ」


 まるで聖母のような優しい笑顔でそう言うと田野たのさんは草むらの中のごみ拾いを再開した。

 もしかしなくても僕は勘違いをしていた?


「さっき、ゴムって持ってる? って言ってなかった?」


「んー。ゴム手持ってる? とは聞いたかな。普段素手でお掃除してたら持ち歩かないよね」


「じゃあ、ゴムって大事だよねは?」

「ゴム手、大事だよ? こういう草むらって知らない間に切り傷が付いたりするから、ちゃんとゴム手袋で守ってないとバイ菌が入って病気になるかもしれないじゃない?」

 

「っああああああ!!!」


 僕は絶叫しながら膝を着いた。さっき土下座した時よりも盛大に、本気で地に這いつくばった。

 

思い返せば、いつも一人でしてるって言ってたな。

 もし誰かとアレをしてるのならこの発言はおかしいし、だいたい校内の人目が付く場所でそんな行為に及ぶなんて常軌を逸している。


完全に僕の勘違いだった。田野たのさんは、毎日一人で人通りが多い場所のごみ拾いをしていたんだ。


清楚系ビッチなんて思ってしまい本当に申し訳ございません。

さすがにこんなワードを本人を前にして口にするわけにはいかず、僕は心の中で叫びながら静かに田野たのさんに向かって土下座をした。


道玄坂どうげんざかくん頭を上げて。ゴム手袋は部費で買ったものだし、大量買いで単価は低いからそんなに気にしなくて平気だよ」


「うぅ……なんて、なんて温かいお言葉」


 年頃の女子高生を勝手に清楚系ビッチだのオタサーの姫だと決めつけて、数少ない友達との悪ノリの結果とはいえ頼んだらヤラせてくれそうという理由で醜い土下座を晒した僕に優しい言葉を掛けてくださった。


「やっぱり一人だと心細いもんね。道玄坂どうげんざかくんが土下座までしてくれて一緒にごみ拾いをやらせてくれって言ってくれたのはすごく嬉しかった」


「そそそそそうなんだよ。たまに田野たのさんが一人でごみ拾いしてるのを見掛けてて、手伝いたいなって思ってたんだ。ははは」


 ヤリ部屋と噂されている教室に呼び出されて、土下座でヤラせてくれと頼まれたた結果、一緒にごみ拾いをやろうなんて考えに至るなんて田野たのさんはド天然なのだろうか。普段から教室内の面倒事をテキパキと片付けて成績もそこそこ良いイメージなので、それはそれで意外な一面を知ることができた。


「う~ん。やっぱりこの辺は紙パックとか多いな~」


 言いながら田野たのさんは拾った紙パックをどんどんビニール袋に詰めていく。

 僕は気が小さいので公共の場にごみを捨てるなんてできない。

 万が一にも誰かに目撃されたらそれをネタにゆすられると考えてしまうくらいだ。

 そういうやつに限って自分達は平気でごみを捨ててるんだろうけどな!


「ほんと、なんで平気で捨てるんだろうね。ごみ箱だってちゃんとあるのに」


 自動販売機の横はもちろん、購買の入り口や廊下にも何箇所かごみ箱が設置されている。それでも陽キャはそれが当然のようにごみをその辺に捨てていく。まるで飽きたらヤリ捨てるように!


「ポイ捨てする人にとってはごみ箱が遠いのかもね。わたしもポイ捨ての現場に遭遇したことがあるんだけど、恐くて注意できなかった」


「危ないからやめた方がいいよ。ポイ捨てするやつなんて……」


 言いかけたところで言葉を詰まらせた。僕だってポイ捨て野郎と同じように田野たのさんの都合の良い女みたいに妄想していたじゃないか。


「心配してくれてありがとう。でも安心して。わたしは絶対に注意できないから」


 笑いながら田野たのさんはごみ拾いを続ける。今までちゃんと見たことがないけど草に隠れたごみは本当に多い。

 勘違いとは言え、やらせてくれと土下座して懇願したごみ拾いだ。僕も田野たのさんの足手まといにはなりたくない。


 独特な青臭さにひるみつつ僕は草むらに足を踏み入れた。さっきまでヤル気に満ち溢れていた息子はすっかり落ち着きを……取り戻してはいなかった。

 女子と二人きりというシチュエーションに多少なりとも興奮はしている。

 

 こんなにも長い時間、特定の女子と過ごした経験がないので何か話していないと妙に気まずくて落ち着かない。


田野たのさんはどうしてボランティア部に?」


「わたしって鈍臭いから運動部は無理でしょ? 絵とか音楽も得意じゃないし、わたしが活躍できる部活ってボランティアしかないと思ったの」


「部ってことは他にも部員がいるんだよね? 他の部員はごみ拾いしないの?」


「わたしの他には部長しかいなくて存続の危機なんだ。部長はわたしと違って運動神経が良いから他の部の助っ人をしてて」


「あー、そういうのも含めてボランティアなんだ」


 話を聞く限りだと田野たのさんとボランティア部の部長はあまりそりが合わない印象を受ける。いつも一人でごみ拾いをするのも何となく納得してしまった。


「偉いね田野たのさんは。いつもクラスの用事を引き受けて、放課後はごみ拾いまでしてさ」


 僕は素直に田野たのさんの行動を称賛した。人によっては内申点目当てとか偽善と評価するかもしれない。だけど、やらない善よりやる偽善という言葉もある。

 田野たのさんの活動は間違いなくこの学校に良い影響を与えている。


「高校生なんてまだまだ子供だけど、周りのことをちゃんと気遣えるのがオトナだと思うんだ。だから自分なりにできることをやろうと考えたら、わたしにはこんなことくらいしかできないって思ったの」


 そう語る田野たのさんの表情はとても清々しくて、とても無理していたり利益のためにごみ拾いをしているようには見えない。

 本人は鈍臭いと自分を卑下していたけど、彼女の笑顔はクラスメイトの誰よりも大人びて見えた。もちろん僕が勘違いしていたのとは全然違う意味でだ。


 二十歳を迎えたり性交したらオトナになるわけではないということを思い知らされてしまった。

「それでね道玄坂どうげんざかくん」


 田野たのさんは手を後ろで組んで、もじもじと恥ずかしそうに僕の名前を呼んだ。

 もしここがごみ拾い会場ではなく夕陽の差し込む教室や体育館の裏だったら間違いなく告白されるシチュエーションである。


 だから僕の心は自分でも驚くくらい……ざわついていた。


 全体的にふんわかしたボディは見るからに柔らかそうで、許されるなら思いきり飛び込んでみたい。さっき反省したはずの我が息子もすっかり調子を取り戻している。


 これは告白じゃない。これは告白じゃない。これは告白じゃない。


 頭の中で何度も繰り返して自分の心に言い聞かせる。

 田野たのさんは実はド天然なんだ。思わせぶりな雰囲気を匂わせて拍子抜けするようなことを言うに違いない。


 ちゃんと話したのは今日が初めてだからこそ僕はちゃんと理解している。

 僕みたいな陰キャに都合良く恋愛イベントが起こるはずがないことを。

 実はずっと前から好きでした展開はあり得ない。もしそうなら例のヤリ部屋で告白されてそのまま身も心も結ばれたはずだ。


 でも、もしかしたらワンチャンあるかもしれない。

 念のためその可能性を考慮して、童貞臭いリアクションをしないように心構えだけはした。


道玄坂どうげんざかくん、よかったらボランティア部に入らない? 兼部でもいいから」


「うん。いいよ…………え?」


 うっかり脳内シミュレーションの言葉を口走ってしまい、内容をよく確認せずに了承してしまった。

 爽やかな風が二人の間を吹き抜ける。やっぱりごみが落ちていないと風も綺麗だな。うん。

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