第2話 ゴムって大事だよね

 僕と田野たのさんの間に会話はない。ただ、田野たのさんは鼻歌交じりで軽い足取りだ。単純に受け取るなら怒っていないどころか上機嫌のように見える。


 人気ひとけの少ない第一校舎は節電のため廊下の電気が消されている。薄暗い廊下に足音が響く度、ここには二人しかいないことを実感した。

 例の空き教室がヤリ部屋と噂される理由にも納得できる。足音が響くから誰かが近付くとすぐにわかるんだ。僕にはその経験がないので行為中はどれくらい周囲に意識を向けられるかわからないけど。


道玄坂どうげんざかくんは初めて?」


「そそそそそうです。一人では毎日してるんだけどね」


 前を歩く田野たのさんが振り返り笑顔で話し掛けれてくれた。

 突然話しかけられたのと緊張で余計な情報を口走ってしまう。

 どこの世界にクラスメイトのシコ事情を知りたい女子がいるんだ。


「わたしもなんだ。毎日しないとなんだかモヤモヤしちゃうよね」


 田野たのさんはクスクスと笑いながら同意してくれた上に、毎日しているというリアルなJKの性事情を教えてくださった。この一言だけで僕は一週間のオカズに困らない自信がある。

 確実にこの第一校舎には僕ら以外に誰もいない。教室の外に誘いだしたのは田野たのさんだし、もうここでヤってもいいんじゃないかという欲望を必死に抑えて僕は会話に応じる。


「わかるわかる。僕も早くしたくて」


「ふふ。道玄坂どうげんざかくん張り切ってるね」


 やっぱりだ! 田野たのさんは清楚系ビッチなんだ。女の子にも性欲はあるという名言は本当だった。

 肌の露出を抑える長いスカートの向こう側には男子高校生の楽園が存在している。一見すると男を寄せ付けない不落の城に思える田野たのさんが、実は門をくぐりさえすれば簡単に攻略できるなんて思いもしなかった。


 女子を前にすると一言も喋れなくなる童貞の中の童貞、僕の数少ない友達である川瀬の見立てが合っていたことにも驚かざるを得ない。


「わたし、男子と話すのってあんまり得意じゃないんだけど、道玄坂どうげんざかくんならなんか平気な気がする」


「それは光栄だ。ははは」


 田野たのさんはオタサーの姫でもあった!? 別に僕らは同じ部活に入ってるわけではないけど、クラスメイトという点ではサークルみたいなものだ。まあアレには言葉はあまり必要ないというか、生物の本能同士がぶつかり合ってるだけだから言葉の壁すら関係ないもんな。


教室で田野たのさんが男子と話しているのはクラスの仕事を押し付けられている時くらいだ。

 まさか僕の知らないところでこんな事をしていたなんて全く想像もしていなかった。


日頃から露出の多い女子と接点の多い陽キャまでもが田野たのさんみたいな大人しそうな子にまで手を出したら僕ら陰キャには何も残らないじゃないか!


道玄坂どうげんざかくんは普段どういう所でしてるの?」


「僕は普通に誰にも見られない所かな」


「それも良いよね。意外と溜まってたりするし。わたしは逆にみんながいる場所が多いかな」


「へ、へえ。誰かに見られる心配はないの?」


「初めのうちは視線が痛い時もあったけど、毎日してたらみんなも慣れたみたいであんまり気にされなくなったかな」


「そういうものなの!?」


 自分の声が廊下に響いた。みんなも慣れたということは大衆の目に晒されていたということだ。こんなのヤリ部屋なんて比べ物にならない。いくら友達が少なくて学校の情報に疎いと言ってもさすがにこれはラインを越えている。

 まさか口止め料として田野たのさんがその身を捧げているとか? 地味で大人しいクラスメイトという印象しか持っていなかったので、意外な一面を知りグッと大人びて見える。


「ところで道玄坂どうげんざかくんはゴムって持ってる?」


「ゴム? あ、ごめん。持ってない。そうだよね。さすがに直接はね」


「うん。どんな病気になるかわからないから」


「ごごごごめん! 持ち合わせがないからまた後日でも……あはは」


 彼女もいない童貞陰キャがゴムなんて持ち歩いているはずがない。そもそも高校生でも買えるものなのだろうか。あまりにもそういう経験とシチュエーションに縁がなさすぎて、ただ乾いた笑いで誤魔化すことしかできない。


 それにさっきまでギンギンだった我が息子は少しずつしぼみ始めていた。自分と同じ側の人間だと思っていた田野たのさんがベテランだと知り、緊張が興奮に勝ってしまったらしい。


「大丈夫。わたしが持ってるから」


「準備がいいんだね」


「うん。毎日使うからね」


 もう逃げられない。僕は大衆の面前で初体験を捧げるんだ。下手したら緊張で縮こまった息子を晒すことになる。そんなことになったら僕の高校生活は笑い者のまま終わっていく。


 勢いでスマホの電源を落としたことを後悔した。あのまま電源を入れておけば川瀬からの着信を理由に逃げられたかもしれないのに。

 すまん川瀬。やっぱり僕はお前を選ぶべきだった。今となってはあいつのゲスい笑顔すら愛おしく思える。


「ゴムって大事だよね。たまに付けたがらない人がいるけど、やっぱり安心感がないとちゃんとできないと思うんだ」


「そそそそそそうだね」


 おさげを手で撫でながら田野たのさんは言った。クラスメイトの中にはもっと色気があったり、校則違反の着こなしで肌を露出している女子がいる。正直なことを言えばその光景を脳に焼き付けてオカズにした回数は数知れない。

 その数多あまたのオカズを遥かに超える性的刺激が今目の前に存在している。


道玄坂どうげんざかくんはあんまり見られたくないみたいだから今日はここでしよかった」


 田野たのさんのリードで連れて来られたのは第一校舎と第二校舎の間に掛かる渡り廊下だった。普段使っている校舎に近いこともあり校庭の方から運動部の声が聞こえる。人通りは少ないとはいっても確実に人の存在を感じる場所だ。


「ここ、誰かに見られないかな?」


「見えない所も大事だけど、普段人が通る所でやらないと意味ないよ?」


田野たのさんが……そう言うなら」


 彼女は毎日していると言っていた。つまり、今日まで何のお咎めもないということだ。僕は田野たのさんに全てを委ねる。同級生に完全リードされるのは男としてかなり情けないと思うけど、僕にはもうそうするしか道がない。


 まずは体の動きが制限されるブレザーを勢いよく脱ぎ捨てた。毎日スルスルと外しているはずのネクタイはなぜか結び目がキツくなってしまい断念する。


「ふふ。道玄坂どうげんざかくんヤル気だね」


「もちろん。田野たのさんに頼り切りにならないようにできるだけ頑張るから」


「そんな風に言ってもらえると嬉しいな。ならわたしも」


 田野たのさんは一つずつ丁寧にボタンを外し、ブレザーを脱いだ。きちんと丁寧に畳んでドアの裏側に置くあたりは見た目通りの丁寧さだ。性欲の勢いに任せて脱ぎ捨てた僕とはやはり違う。熟練の余裕みたいなものを感じる。

 田野たのさんはブレザーの下には紺のベストを着ていて、ブレザーで覆い隠されていた大きな膨らみがしっかりと形となって現れる。あまり凝視してはいけないと頭ではわかっていても、視線は勝手に釘付けになってしまった。


「それじゃあ始めよっか」


 彼女はそう言うとカバンの中をごそごそとあさり始めた。きっとあの中にゴムが入っているんだ。大人しそうな顔で授業を受けているのにその裏ではアレをするための道具を常に持ち歩いているなんて……。一体何人のクラスメイトがこの事実を知っているのだろうか。

 

 僕は田野たのさんに全てを委ねるためにそっと目を閉じた。

 足音で一歩ずつ田野たのさんが近付いてくるのがわかる。お互いにブレザーを脱いだだけでしっかりと服は着ている。

 ああ、そうか。まずはキスから初めて少しずつ脱いでいくんだ。初体験な上に屋外だから全然作法がわからない。

 

 お父さん、お母さん。突然ですが僕は今日オトナになります!

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