《同日午後十時半。ホスピタル。エミリー》



 ナースセンターにいたエミリーは、人間ドックの青い検査服を着たユーベルが、ロボットナースの背中の荷台に腰かけようとするのを見かけて微笑した。


 あの荷台は曲者だ。機材や薬剤を運搬するためのものであって、人間用ではない。便利なので、つい、すわってしまう患者さんが多いのだが、あれをするとロボット特有の反撃にあってしまう。


 見ていると、やはりロボットはやりだした。

「積載物あり。積載重量五十キロです。積載物チェック」


(あらまあ、あの身長で五十キロなんて、羨ましい)


 ロボットはセンサーつきのアームを荷台に伸ばして、荷物をチェックしようとする。

 病院の器物には管理のため、すべてバーコードがついている。当然、人間にはついていないから、ロボットはエラー音を出して、人間がどくまで頑固に動かなくなってしまう。


 たいていの人はあわてて立ちあがるのだが、ユーベルは違っていた。ロボットの伸ばしてきたアームのさきに、すばやく、ナースセンターのカウンターに置かれた花瓶をとって押しつけた。


「積載物、花瓶」


 ロボットは哀れにも五十キロの花瓶を乗せていると思いこんで、そのまま進みだした。

 ユーベルは悠然とロボットの背中でゆられていく。


(やだ。あの子、ちゃっかりしてる)


 思わずふきだしてしまって、あわてて、エミリーは口を押さえた。


(いけない。いけない。仕事。仕事。それにしてもあの子、病院なれしてるわね。そういえば、昨日も廊下を歩いてたけど)


 病院の仕事はほとんどがコンピューター管理な上、さまつな業務はロボットがしてくれる。

 だから、エミリーたちナースは、おもにデータ管理。あとは融通のきかない石頭のロボットにはできない、めんどうな仕事ばかり。


 たとえば、患者の家族への応対、医師と患者の橋渡し、手術の助手といったこと。当直のときには夜間の見まわりなどあって、少し気味が悪い。患者に薬品を投与するのはロボットの役割だが、内服薬は人間が見ていないと飲んだふりをしてごまかそうとする患者もいるので、ナースが監視についている。


 午前十時半。

 そろそろ食間投薬の患者に薬を飲ませる時間だ。エミリーはロボット用のコールボタンを押した。投薬係はN228号。ロボットは毎日、同じ作業をしていても飽きるということがない。N228号は来る日も指示どおりに薬局から病室へ薬を配布して文句一つ言わない。


「N228。食間投薬の準備ができたら、すぐナースセンターへ来て」

「ラジャーです。ブラウン看護師。ただいま、そちらへむかっております」


 機械音声が答えてきた直後に、ナースセンターのドアがひらいて、積み木っぽい形のロボットが入ってくる。人間なら「もう来てるもんね」とでも言うところだが、ロボットはどこまでも完全無欠に生真面目。


「ブラウン看護師。到着しました」

「じゃあ、病室へ行きましょう。リンダ、食間投薬に行ってくるわね」


 同僚に言い残してから、エミリーはロボットを従えて、ナースセンターを出た。半分も病室をまわったときだ。


「——じゃあね。チャーリー。また来るね」


 少しさきの病室から出てきた女を見て、エミリーはすくんだ。

 とつじょ流氷の海につきおとされたような恐怖。悪い夢。幻。それとも悪魔のイタズラか?


 その女はまるで鏡に映したように、エミリーに瓜二つだった。自分の生き霊かとすら思った。


 なおも数瞬、見ていると、髪型や服装が違っていた。年も相手のほうが上に見える。


 第一、あれがエミリーであるはずがない。

 エミリーはあんなに明るく笑わない。あんなふうに人生のすべてが楽しくてしかたないというような顔、エミリーはしたことない。


 女のほうはエミリーに気づきもせずに、背をむけて歩いていった。


 エミリーは女が出てきた病室にかけこんだ。そこは二人部屋だが、今は片方のベッドしか埋まっていない。


 患者はチャールズ・マイヤーズという青年だ。スポーツ中の事故で眼球を破損し、クローン眼球移植手術を受けたばかりだ。まだ眼帯はとれていない。


「ブラウン看護師。この病室には食間投薬の患者はいません。すぐに軌道修正すべきです。または非常事態宣言をしてください」


 うるさい石頭の鼻先でドアをしめ、

「今、お見舞いの客が来ていましたね。なんていうかたですか?」

 たずねると、青年は笑った。


「その声、ミス・ブラウンですね。今のが僕の姉ですよ。あなたの声、よく似てる。ほら、前から言ってたでしょ? まさか姉さんがからかってるわけじゃないよね?」


 エミリーは動悸を抑え、極力、平静をつとめた。


「いいえ。からかってるわけではありません。家族ならいいんです。家族以外のかたとの面会はまだ許可がおりていませんから」

「声はそっくりだけど、性格はぜんぜん違うなぁ。姉さんはそんなにマジメじゃないし。ブラウンさんがどんな顔してるのか、見える日が楽しみだな。顔も姉さんに似てたりして?」


 エミリーはてきとうにあいづちを打って、病室を出た。


 間違いない。

 たぶん……いや、絶対、今のが、エミリーのオリジナルだ。あの人を生かすためにエミリーは造られ、そして、すてられた。


 やり場のない激しい感情の渦に、エミリーは呑まれた。

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