《9月10日午前九時半前後。T・T事務所兼リビング。タクミ》その二
リラ荘は集合住宅だが、周囲には個人宅も多い。高級住宅街で人目につかず見張りのできる場所は少ない。刑事たちはむかいの家の住人の承諾を得て、そこの生垣のなかから、リラ荘の表門を二十四時間交代で監視している。
道路には人影がない。通勤時間をすぎたせいだ。タクミは道をつっきって、むかいの家に走った。生垣の緑と白壁の対比が美しい、乙女チックなカントリーハウス調の一軒家。住んでいるのは目つきのするどいおじさんだ。
近づいていくと、生垣の片隅から片手があがる。
「ゲージさんですか?」
ビル・ゲージ刑事が生垣のなかから立ちあがる。
「どうしたんです? そのバラ、まさか——」
「やられました。ついさっき見つけたんです。玄関前に置かれてました」
「ちょっと見せてください」と言って手を伸ばしかけてから、あわてて刑事はその手をひっこめた。
「や、いけない。泥棒よけの電磁バリアが張られてるんだっけ。ちょっと待ってください。そっちに行きます。ハワード、ここ頼むぞ」
ゲージ刑事は同僚に言い残し、家のなかをまわって玄関から通りへ出てきた。タクミの手からバラを受けとってながめる。
「しおれてない。置かれてから時間が経ってないということか」
「不審人物は通らなかったんですか?」
「怪しい人物はまったく……あとで表玄関の防犯カメラを見させてもらいます」
「そうですか……」
タクミは薔薇を刑事にあずけた。
「ねえ、刑事さん。僕らの部屋の前にも、カメラをつけてもらえませんか? 表玄関だけじゃ心もとないです」
「もちろんです」
「よかった。じゃあ、僕たち、ユーベルの定期検診なんでホスピタルに行きます。それがすみしだい、猫探しなんで、もしかしたら夕方まで帰らないかもしれません」
「了解しました」
タクミは刑事と別れてリラ荘へ帰って、ユーベルをつれだした。ユーベルはしきりと周囲を気にしている。バタフライを心配しているのかと思ったが、違っていた。
「なんか、リリーがすぐ近くにいるような気がするよ」
「そんなバカな。マリーちゃんの家とは正反対だよ」
「でも、なんか感じる」
「ほんとにそうなら探す手間がはぶけるんだけどな。さっき、ちゃんと説明しなかったから、コリンたち怒ってるだろうな。急ごう」
うしろ髪をひかれるようすのユーベルをタクシーに押しこみ、病院へ急行する。予定より十五分遅れで到着した。
セラピスト仲間のコリンとクロエは怒ってこそいなかったものの、時間にはせいていた。あわただしく、ユーベルにロボットナースを一機つけ、身体的な健康診断のほうへ送りだす。
「じゃあ、診断結果が出るのを待ってるあいだに、いつもどおり、わたしたちの検査をするから帰ってきてね。タクミはグループミーティングよ」
クロエに追いたてられて、ユーベルはロボットと去っていった。それを待ちかねたように、クロエが口をひらく。
「タクミ。あの子、このごろ、おかしなそぶりはない?」
「え? ないよ。前より協調性もついたし、順調に社会復帰してると思うけど」
でも、保護監察期間を伸ばしたほうがいいと言うのは、三人共通の意見だ。
ユーベルは監察期間を延長してもらえるように心理テストで小細工している。テストの結果がどうこうと言うより、そういう行動をとることじたいが反社会的であり、情緒不安定な証拠だ。少なくとも半年は監察を延長すべきという診断だ。しかし、それ以外のことで問題はないはずなのだが。
「ユーベルが何かした?」
「いえ、昨日、病院の廊下ですれちがったような気がしただけ。きっと気のせいね」
「それ、昨日のいつごろ?」
「たしか二時すぎだったかな」
二時なら、ちょうどあのときだ。
家族と折りあいの悪いユーベルだが、母親のギャランスだけは、子どものころに誘拐された息子のことを気にかけている。だから、ときどき会わせてほしいというのが、タクミにユーベルを預けるときの彼女の条件だ。
タクミも、ユーベルに母親の愛情くらい味わわせてやりたい。それで、ギャランスが一人のときをねらって、ユーベルの実家へつれていく。昨日もお茶に招かれていった。
そのとき、ユーベルは読みかけの本をとりにいくと言って、二階の部屋へ一人で行ったきり、十五分ほどおりてこなかった。それが二時ごろだ。
まさかと思うが、あのとき、実家をぬけだして病院へ行っていたのだろうか?
たしかに、ユーベルの実家は中央区にあるから、ホスピタルまではタクシー使えば五分で往復できる。
しかし、残りの十分でできることなんて、処方箋を受けとるくらいだ。それなら、何も、タクミに隠れて行かなくても、今日の検査のときについでに受けとればいい。
(うーん。それにしても、このごろ、ユーベルがソワソワしてるような気はしてたんだよね)
たぶん、クロエの見間違いではない。
ユーベルはタクミに隠しごとをしている。
なんのためなのか、さっぱり見当もつかないが……。
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