《8月21日朝。サファリランドホテル203号室。タクミ》その二


 その人物がしたという確証はないが、廊下から非常階段まではスペースがあった。ふつうに歩いていれば、ぶつかっただけで落ちてしまうような場所ではない。誰かに押されでもしないかぎり。それも、そうとうの力をこめて押したのでなければ、あんなふうに空中高く、体ごとなげだされはしない。


「それ、どんな人だった?」


 タクミは真剣に聞いたのだが、かえってきた答えに脱力した。


「ダークインベーダー」

「ああ……」


 それじゃ話にならない。全身を黒いマントで隠した上に仮面までつけたキャラクターだ。世界的な人気映画の登場人物なので、何人も同じコスプレをしていることもある。


「うーん……それじゃ探しようがないなぁ。でも、また何かあるといけないから、女の子の一人歩きはよそうね」


 ジャンやエドは憤慨している。


「ゆるせないな。見つけたらタダじゃおかない」

「そうだ。ノーマはもしかしたら死ぬかもしれなかったんだぞ」


 だが、ノーマが狙われる原因なんて思いつかない。

 あの階段から落ちれば骨折だけではすまなかったかもしれないのはたしかだ。わざとなら殺意を持っていたことになる。


 とは言え、ノーマは制御ピアスをつけ忘れるなど、ちょっとウッカリ屋ではあるものの、それによって他人に迷惑をかけることはない。Cランクのノーマが読めるのは、自分の周囲一、二メートルていど。力も弱いから、つねに読めるわけでもない。それが原因でトラブルにまきこまれることは、まずないだろう。


 強盗目的なら、ひとけのない薄暗い非常階段なのだ。つきおとさなくても、力づくでバックを奪うことはできたはず。


 ノーマたち四人には多数のファンがいる。男性ファンなど、そうとう熱心だ。なかにはストーカーっぽいのもいるかもしれない。が、それならこれまでに、ノーマからそういう話を聞いている。ストーカー行為の予兆はまったくなかった。


 どうも腑に落ちないが、話しあいの結果、わざとではなかったのだろうということになった。


「被害届け出しとく?」と聞くと、ノーマは首をふった。

「大会、今日しかないもん」


 警察に被害届けを出せば時間をとられる。ノーマがいいと言うので、食堂に朝食を食べに行った。


 そのあと、全員でカード大会場へ行ったが、タクミはあっけなく一回戦で負けた。


「いやぁ。本選って急に相手が強くなるんだよね。ほとんどが本物のカードマニアだもんね」


 ダニエルが順当に勝ち進んでいたので、エールを送っておいて、カード会場をあとにする。ダグレスやゲージ刑事も来ていたが、忙しそうだったので声をかけるのはやめた。


 午前中は園内のアトラクションをまわり、午後からようやく本命のコスプレ大会だ。声優やCGアニメの制作者なども審査員として呼ばれ、会場内には大勢のギャラリーが集まる。ギャラリーにも一票ずつ投票権があたえられ、総合得点の高い三チームにトロフィーと記念品が授与される。

 なので、なるべく園内で目立っておいて、自分のファンを会場に集め、票をかせいでおくのが常連たちの常套手段だ。


 会場は園内中央広場。

 青空のもとにステージが組まれ、後部の人も見えるよう、ステージを映す大画面モニターが設置されている。ロックコンサートなみだ。


 参加する各チームには十五分の持ち時間があり、ステージでパフォーマンスを披露ひろうする。十五分という短い時間だが、どのチームもけっこう凝った演出をしてくる。


 以前、ジャンを取材しにきたテレビクルーがいて、タクミたちのパフォーマンスがテレビ放映されたことがあった。クルーはスーパーモデルの幼児趣味をゴシップにするつもりだったようだが、これが意外にウケて、かえってジャンが俳優業に乗りだすきっかけになった。

 あのときはタクミにまでアクションスターにならないかというオファーが、わりにたくさん来た。もちろん、僕の天職はサイコセラピストですと、丁重にお断りしたのだが。


「ここからは、わたしたち、ライバルですからね」


 ウィンクして、ミシェルたちは出場者の待合所に入っていった。広場なので天幕でかこって椅子をならべただけの待合所だが、着替えもできるよう男女別になっている。


「女の子たち、キュアムーンっていうから、変身後かと思ってたのに、制服だったね。わりと地味」

「あの顔はなんか企んでるぞ。油断するな」


 話しながら男性用待合所へ入ろうとしたときだ。タクミは背後から呼びとめられた。


「おーい、タクミ。ひさしぶり」


 聞きおぼえのある声。なつかしい日本語だ。タクミはふりかえりざま、かけよった。


「うわぁ。越智おちくんか。いつこっちに? わぁ、木下も。ディアナに来たんなら連絡してくれたらよかったのに」


 日本の友達が数人つれだって立っていた。ディアナ在住のユーマが彼らを案内しているようだ。みんな道場の仲間だ。


「うん。昨日こっちに。休暇でな。おまえ、電話してもつながらなかったぞ」

「あ、そうか。ずっと留守電にしてた。悪い、悪い」

「しっかし、あいかわらずオタクだなぁ。それになんだよ、このまったりした脳波。おまえといると、こっちまでほのぼのする。この、ほのぼの坊や」

「いいだろ。ほのぼの。能ある鷹は爪を隠すってやつさ——スキあり!」


 道場仲間なので、遠慮なく技をかけあう。


「じゃ、これから出場なんで、またあとで。見てくれよ。僕のステージ」


 手をふって別れようとした。

 たぶん、悪気はなかったのだろう。彼らは何も知らないのだから。


 木下が言った。

ゆいちゃんが会いたがってたぞ。おまえ、こっちに赴任してから一回も帰省してないんだって? たまには帰ってやれよ」


 タクミは心臓がちぢまる感覚をおぼえた。だが、笑顔はたやさないでおくことができた。


「そうだね。今度の正月には帰ろうかなって、伝えといて」


 今度こそ別れて待合所のなかへ入る。


(結……か。不思議だな。結のことを聞いても、けっこう平気な顔してられる。そうだよな。もう三年になるんだもんな)

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