《8月21日朝。サファリランドホテル203号室。タクミ》その一



 一時はどうなることかと思ったが、ノーマはかすり傷一つなかった。


 ユーベルも一晩寝て回復した。制御ピアスを二つもつけたままPKで人間を受けとめるなんて離れ業のせいで、ユーベルは体内に蓄積されたESP電気を放出しきってしまったのだ。エンパシーや透視にくらべて、物体を念の力で動かすPKは、必要なエネルギーが膨大だ。体力は戻ったが、まだ二、三日は念動力を使うことはできないだろう。


「……ごめんね。おれのせいで、半日つぶしちゃって。タクミ、楽しみにしてたのに」


 今朝になって目ざめたユーベルは、殊勝なことを言ってタクミを感動させた。


「何言ってるんだよ。君のおかげでノーマは助かったんだよ。お祭りなんて毎年あるんだから。それに、まだ今日も残ってるよ。今から思いっきり楽しもう」


 タクミが嬉しかったのは、ユーベルが他人に対する思いやりを見せてくれたことそのものではない。


 ユーベルが本質的に他人の痛みに共感できる優しい人間であることを、タクミはすでに知っていた。

 ただ、これまで、その優しさがむけられるのはタクミに対してのみであり、その他の人間には、家族でさえ淡泊だった。


 それはユーベルの拉致されてきた十三年の人間関係と、基本的になんら変わりがない。ユーベルはさらわれて監禁され、男と一対一の関係しか知らずに育ってきた。だから、対象を一人に定めると、その人物との二人きりの関係を築くことしかできなかった。その他大勢は、ユーベルにとって存在していないのと同義だったのだ。


 それは今日までずっと続いていた。ユーベルの意識のなかでは、世界中にタクミとユーベルしかいなかった。まわりに群がる人間は、別世界の宇宙人みたいなものだ。タクミ以外とは口をきこうともしない。


 そのユーベルが、タクミ以外の人間の生命を救った。これは明らかに、これまでのユーベルにはなかった行動だ。たとえば、それがタクミを喜ばせるためにしたことだとしても、大きな前進だ。


 昨夜、ユーベルのなかで劇的な変化が起きた。

 ユーベルはタクミとノーマの友情を認めた。だから、タクミの友人として助けた。

 タクミの世界に、ユーベル以外の人間が存在することを認めたのだ。タクミと一対一ではなく、ユーベル対多数の世界へふみだした。それが嬉しい。


 きっと、ユーベルはいつかちゃんと自分の足で世界を自由に歩いていけるようになる。それまでしっかり見守っていようと、タクミは決心を新たにした。


「さ、起きて。みんなといっしょに朝ごはん食べよう。食堂でビュッフェだよ」

「うん。なんか目がまわるほどお腹すいてる」

「エネルギーを使いきったからだよ。エスパーにとってESP電気ゼロの状態は心理的圧迫になるから、すぐに補充しようと無意識の精神が働くんだ。今、ユーベルの体のなかでは、フル回転で電気が作られてる。いっぱい食べないと体がもたないぞ」

「みんなは?」

「うん。ヒゲそったりしてる」


 タクミがサニタリールームを目で示すと、ユーベルはベッドから起きあがり、小声でささやく。


「バレちゃった? おれがトリプルAだって」

「大丈夫。三つのうち二つは飾りのピアスだって言ってあるから。みんなはBランクの君が能力以上の力を発揮したから倒れたんだって思ってる」

「よかった」


 ユーベルが着替えおわったころに、さっぱりした顔のジャンとエドがサニタリーから出てくる。

 二人のユーベルに対する態度も昨日までとは違っていた。昨日までは、いつもタクミにひっついている心に障害を持つ子どもとして、言わばゲストとしてあつかっていた。だが、今日は違う。ユーベルが目をさましているのを見ると、いきなりかけよってきて、頭をぐしゃぐしゃにかきまわした。


「えらいぞ。ユーベル。よくやった」

「もういいのか? 細っこいのにムチャすんな?」


 ユーベルを対等の友人として認めてくれたのだ。顔じゅうにキスの雨を降らされて、ユーベルは閉口している。


「タクミ、この人たち、なんとかして」


 タクミは笑いながら助け舟を出した。

「お腹がすいて死にそうなんだって。そのへんで勘弁してやって。さ、食堂へ行こう」


 女の子たちも誘うと、朝からバッチリ化粧した四人にかこまれ、ここでもユーベルはもみくちゃにされる。英雄あつかいされて、ユーベルは少し赤くなっていた。


 ノーマも落ちつきをとりもどし、しきりに感謝するものの、一方で疑問に思うこともあるようだ。


「でも、なんでわかったの? わたしが落ちるって」


 ユーベルは困ったような顔をしている。


「自分でも、よくわかんない」と言ったあと、何か言いたげにタクミを見る。

 タクミはユーベルのようすが気になった。が、人前では言えないことなのかもしれないと思い黙っていた。


 すると、ノーマがさらに続ける。


「……わたしもよくわかんないんだけど、歩いてたら急にドンってなって、あッと思ったらもう落ちてた。どうしよう、死ぬって思ったら、また急にフワっとして、助かったの」


 単語がおぼえられないノーマの語彙は乏しい。深く意味をくみとるのが困難なときがある。しかし、今のは貧しい表現ながら、言わんとすることは明白だった。


 エドが声をとがらせた。

「ちょっと待てよ。それって誰かにつき落とされたってことか?」


 ノーマは自信なさそうに首をふる。

「わかんない。けど、階段の前ですれちがった人がいた。もしかしたら……」


 タクミは仲間たちと顔を見あわせる。


「それ、怪しいよ。その人がしたんだとしたら、わざとかな? それとも、たまたまぶつかったらノーマが落ちてしまって、怖くなって逃げたのかな?」

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