《8月10日朝。リラ荘エントランスホール。ユーベル》
毎月十日はユーベルの健康診断の日だ。体の異常の有無を始め、心のケアがうまく進んでいるかどうか診断される。
ユーベルはこの日が嫌いだ。
この結果によって保護監察期間の延長などが決定されるからだ。
最初の監察期間の予定は一年だった。今年の十月十日がそれだ。保護監察期間が終了すれば、タクミはユーベルの監察官の任をとかれ、ホスピタルで通常勤務に戻る。
そんな日なんて永遠に来なければいい。
タクミが自分から離れて、別の大勢の患者を診るだなんて。ユーベルだけのタクミがみんなの先生に戻ってしまうなんて。
そんなの耐えられない。
だから検査のとき、とくに心療科の検査では、わざと異常な結果が出るようにしているのだが、セラピストは全員エンパシストなので、細工がバレないていどにしておくことが難しい。
でも、今日はそんな心配しないでよさそうだ。このごろずっと夢見が悪くてよく眠れないので、平常心でも悪い結果になるだろう。
「ユーベル。どうしたの? キョロキョロして」
「なんでもない」
エレベーターをおりてエントランスホールへ出たところで、ユーベルはあたりを見まわした。昨夜の夢ではこのあたりで、タクミの友人ソフィーと出くわすことになっていたのだが。前後のようすは夢で見てないから、今ひとつ状況がわからない。
あたりにそれらしい人影はなかったので、ユーベルは拍子ぬけした。
(なんだ。やっぱり、予知なんかじゃないんだ)
ところが、そう思った瞬間、上昇していたエレベーターが再度おりてきて、ひらいたドアからソフィーが現れた。
ユーベルの嫌いなインテリ女。
タクミの女友達はみんなユーベルのライバルだから、どの女も好きとは言わないが、なかでも、この女は一番嫌い。
例にもれずタクミのことを好きらしいのだが、オタク趣味に理解がないからだ。
いい大学を出て、国際サイコセラピストの資格をとったタクミが発作的幼児化行動をとるのは、友人たちがいけないのだと勘違いしている。
どっちかというとタクミのほうが、人畜無害な笑顔で獲物を呼びこんで、友人たちを底なし沼にひきずりこむウンディーネだと、ユーベルは思うのだが、ソフィーの目にはそうは見えていないらしい。
フィギュアの改造なんて請け負っているのは、純粋に利潤追求であって、彼女自身はそういう趣味を理解できない。悪い友人と縁を切って、早くタクミに大人になってほしいと願っている。
要するに自分の理想像をタクミに押しつけようとしているのが感じられて、ユーベルはこの女が嫌いだ。少なくともほかのライバルたちは、ありのままのタクミを愛してくれている。
(おれだって、ときどき恥ずかしいと思うけど、そこがタクミの可愛いとこなんだからさ)
まあ、タクミ自身は自分がそんなふうに思われてるなんて、みじんも感じていないからいいのだが。
「タクミ。おはよう」
「あれ、ソフィー。どうしたの?」
「あなたのお友達のレオナルドのところへ行ってたのよ。あの人、アンティークの模型機関車を買ったんだけど、AIが故障していて動かないの。それで、わたしが修理してあげてるのよ」
「ああ、そうか。そういうのもロボットAIなんだぁ。ロケットパーンチ、とか言ってみたりして」
ソフィーの目が一瞬、哀れむようになったことに、タクミは気づいていない。
ユーベルは二人の会話が終わるのを、退屈しながら待っていた。それでなくてもどうでもいい内容なのに、夢のなかで一度聞いたことのくりかえしだから、新鮮味に欠けること、この上ない。
(やっぱり予知夢なんだ。このごろ、立て続けに見るけど、なんでだろう? おれにそんな力なかったはずなんだけど)
予知夢の最後には必ず炎の幻影がチラチラするので、寝覚めが悪くてしかたない。
(どうせなら、もっと役に立つことがわかればいいのに。おれとタクミの結婚式とか)
想像しながら、二、三歩、表玄関のほうへあとずさっていく。すると、とつぜん右手のドアがあいた。あやうく出てきた人とぶつかりそうになる。
「あ、ごめんね」と、相手のほうが謝ってくる。
ユーベルと同い年くらいの女の子だ。
タクミたちはミシェルやシェリルたちのことをガールと言うけど、彼女たちは二十歳を越えている。厳密にはガールではない。大人の
だけど、その子は本物のガールだ。荒馬でも乗りこなしそうに元気のいい女の子。
ユーベルは少女が出てきたドアを見て、疑問に思った。
「ここって年寄りの女の人が一人で暮らしてるんじゃなかったの?」
以前、エントランスホールで出会った老婦人の部屋だ。あのあと何度か見かけてあいさつをかわしたが、そのたびに死んだ息子が歩いているのを見るような目で、タクミをながめていた。そういえば、近ごろ、姿を見ていない。
女の子はうなずいた。
「そうよ。わたしの大伯母さん。このごろ体のぐあいが悪いの。わたしとママが交代で看病に来てる」
「そうなんだ」
学校は夏休みだから、時間はあるのだろうが、自分の遊びより大伯母さんの看病を優先するなんて、かなりいい子だ。
「もうお年だから、しょうがないのかも。百四十歳よ。すごいでしょ? お若いころは有名な作家だったんだけど。ギネスに載ってる最高齢って百五十二歳なんだって。脳の寿命が百五十年ってほんとなのね」
同世代と接することのなかったユーベルは黙って聞いていた。どう受けこたえしていいのか見当もつかない。
ふと見ると、いつのまにかオシャベリをやめて、タクミが目を輝かせている。こぶしをふって応援しているつもりのようだ。
(バカじゃないの。こんなことで恋に発展したりしないよ。おれが好きなのは、あんた)
ユーベルは女の子と別れて、タクミのもとへ帰った。
「あれ? もういいの? ユーベル」
「早くしないと時間に遅れるよ」
「あっ、そうだね」
「あそこの人、病気なんだって」
「そうなんだ。前におどろかせちゃったからなぁ。ちょっと罪悪感」
となりにいたソフィーが気をきかせたのか、
「じゃあ、タクミ。わたし、これから講義があるから」
言い残して足早に去っていった。
ソフィーの背中を見ながら歩いていくと、さっきの部屋の前に女の子がまだ立っていた。タクミはティーンエイジャーにも容赦なく、オタクの輪をひろげていく。
「こんにちは。僕ら、ここの三階に住んでるんだ。T・Tサイコ探偵事務所。よかったら遊びにおいでよ。今日は出かけなきゃいけないけど、いつもはヒマだから。僕はタクミ・トウドウ。こっちはユーベル。いっしょにアニメ見ようね」
ハイスクールの女の子がアニメなんか見るもんか——と思っていたのに、少女の反応はユーベルの予期していたものではなかった。
急に目の奥を丸太でなぐられたみたいに、少女は大げさに驚愕した。彼女の大伯母さんが初対面のときにそうしたように。二人のDNAには共通のビックリ遺伝子があるのかもしれない。
「タクミ……? マスミではなく?」
「あれ? おどろかせた? 変だなぁ。最近、僕のうしろに背後霊でも憑いてるのかな」
(タクミ。冗談言ってる場合じゃないと思うけど)
ユーベルがため息をついていると、少女は気をとりなおした。
「あの、大伯母さんと知りあいですか?」
「何回かあいさつしたよ。早くご病気が治るといいね」
少女は含みのある目で見つめている。かなりの間をもってから言った。
「……ありがとう。今度、遊びに行きます。わたし、カースティ・ロックビルダー。大伯母さんの名前は、サラ・リンドバーグよ」
ユーベルはなんとなく少女の沈黙の長さが気になった。
今日はESP検査があるから制御ピアスを三組みつけている。少女の意識を読むことはできなかったが……。
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