エピローグ

 日常に帰ってきた。日常が返ってきた。

 非日常的な事件から無事に生還を果たしたことで当たり前の生活がとても尊いものであると実感した白野銀子は、今日も今日とて白野探偵社の業務を回す。


 事前に予約していた依頼人からの依頼内容に適した社員をピックアップ。

 次に今月のシフトを確認して対応できる社員に依頼人と顔合わせを行って必要な情報を共有した後、その仕事を一任させる。

 社員から連絡や報告、相談があればその都度対応し、丁寧かつ迅速に依頼を達成させる。並行して必要経費の捻出に報告書の作成、新たな依頼人の対応など社長としてやるべき仕事は山積みだ。自分の会社であるからこそ、やり甲斐がある。

「えーと、次は行方不明のペット探しに、浮気調査か。シフトが空いてる人は居たかしら……」

 備え付けの端末を操作する。

 AIの補助によって各社員のシフトを始め勤務状況が一目で把握できた。

「……鈴村さんは入社して半年、そろそろ浮気調査デビューさせてみようかな」

 休日のため本日不在の新人社員に浮気調査の担当を任せる旨を書いたメールを作成。

 依頼人と顔合わせする前に、簡単な依頼内容を記入する。勿論、依頼人側の個人情報やプライバシーを考慮して本名は伏せておく。

「調査マニュアルも添付しておくので必ず目を通しておくように、と。サポートは……シフト的に高倉さんが良いな」

 浮気といえど、他人のプライバシーに踏み込むデリケートな仕事だ。流石にこればかりはAIのサポートに頼ることは難しい。新人の負担が軽くなるよう、浮気調査の経験がある先輩社員と組ませてみる。

 不備が無いようメール内容を二回確認して送信。同じ内容を先輩社員にも送る。何か不都合があればすぐに連絡を寄越すだろう。

「よし」

 作業が一段落し、うーんと伸びをする。

 各自担当している依頼の対応に向かっている者を除けば、オフィスに残っているのは銀子の他に社員が数名だけ。それぞれ電話対応や仕事の合間を見て社内の掃除などの雑務をこなしている。

「……平和だ」

 何の変哲もない日常。

 実に素晴らしい、大いに結構、ビバ普通、素晴らしきかなノーマルライフ。

 ドラマや小説のように厄介な依頼や事件がやって来ることもない。

 まして怪異などもってのほかだ。

 うん。こういうので良いんだよ、こういうので。

 と。

 感慨にふけている銀子のデスクで、電話が鳴る。

 相手を待たせず、受話器を取った。

「お電話ありがとうございます、こちら白野探偵社の白野と申します」

 受話器を取ったと同時に録音機能が作動したことを確認しつつ、空いた手でメモを取る。

「お住まいの調査ですか? ……はい、夜中に物音や動物のような鳴き声や呻き声が……? はい。……はい、それで調査を……」

 応対している銀子の表情が徐々に険しく、顔色も悪くなっていく。

 それでも声音は淡々と冷静であることに努め、メモを取る手も止めない。

「……解りました。では担当の者を交えて詳しいお話をお聞きしたいので、白野探偵社にご足労願うことは可能でしょうか? 解りました、ありがとうございます。……はい。……では、来週の土曜、十時にご予約ということで。……はい、よろしくお願い致します。それでは、失礼します」

 受話器を置いて一息つく。

「……短い平和だったな」

 沈痛な表情でそう呟く。

 さらば日常、こんにちは怪異。がっでむ。

「担当者を選ぶ前に、これはユーリと相談ね。最悪、黒沢たちの手も借りることも……それは最終手段にしたいわね」

 銀子は重く、憂鬱な溜め息をこぼした。



 ***


 クロガネと別れ映画館を後にしたユーリこと藤原優利は、私立才羽学園に向かう途中。

「――よろしければどうぞー」

「あ、どうも」

 駅前で、どこかカジュアルな格好をしたアルバイトの女性からポケットティッシュを受け取った。

「……『本日新装オープン!』、ね」

 おもむろにドラッグストアの宣伝が書かれた紙をポケットティッシュから抜き取り、裏面を見る。

 するとそこには――


 ――BAg15Ⓥmeet――


 と、手書きで記されていた。

 何も知らない第三者が見れば、先程ポケットティッシュを渡してきた女性の連絡先アドレスとも考えられるだろう。随分と大胆というか節操のない伝え方ではあるが、性的な意味や目的は一切ない。

 優利の眼が鋭くなる。


(……『【BAR~grace~】にて一五時にVIPと会合予定』、か)


 〈を解読した優利は、用済みとなったメモを丸め、近くで路上を掃除していた筒型ロボットの前に放り投げる。

 新たなゴミを感知したロボットは、すぐさまメモを機体内部に吸引し、細かく切り刻んで処理する。

 その様子を尻目に、優利は駅の構内に設置されたコインロッカーからスポルディングバッグを引っ張り出すとトイレへと向かった。

 個室内で才羽学園の制服を脱ぎ、バッグから予め用意していた安物の背広を取り出して着替える。

 折り畳み式の手鏡で自身の顔を見ながら『変身能力』を発動。

 藤原優利を示す金髪は瞬く間に黒く染まり、童顔は地味な顔立ちをした中年男性に早変わり。ヘアバンドを外し、代わってバッグから取り出した整髪料を黒髪に適量付けて七三分けにする。

 脱いだ制服を畳んでバッグに仕舞い込み、『会社帰りの冴えない中年サラリーマン』に変装した優利は、本来向かう筈だった才羽学園のある西区ではなく、反対側の東区行きのホームへと向かった。



 優雅の名を冠する【BAR~grace~】。

 鋼和市東区の一角に、そのバーがある。


 近代的な高層ビルが多く建ち並ぶ経済区において、静かな佇まいを感じさせるシックな店構えだ。

 店頭の扉の脇に置いてある立て看板には、『本日貸し切り』とあった。


 控えめな音量で流れているジャズが、店内の落ち着いた雰囲気をより際立たせていた。その穏やかな曲調と深みのあるブラウンカラーの木材を使用したモダンスタイルの内装がベストマッチし、安らぎある空間を演出している。


 ――時刻は一五時を五分ほど過ぎた頃。

 店内の最奥にあるテーブル席には、四人の男女が集まっていた。

 その中に。

 先日の怪盗騒ぎに居た宝石商、リチャード・アルバの姿もあった。


(VIPってリチャードさんのことだったのか……)

 軽い驚きと納得をおくびには出さず、怪盗〈幻影紳士〉本人でもある優利はリチャードの対面に座るリーダー格の男を見る。

 現役の大学教授でもある彼は誰よりも理知的で冷静、そして仲間を思い遣れるリーダーとして相応しい人物だ。

 彼は慎重に選んだ言葉を理路整然と並べ、リチャードと『とある交渉』を行っていた。

 優利は場の和ませ役として藍色のパンツドレスを身に纏った美女と共に、静かに事の成り行きを見守っている。

(……ふむ)

 交渉中のリーダーの真剣な横顔はとても頼もしく、穏やかなその眼には確固たる強い信念が垣間見える。

(ここぞという時のこの人の顔、どこかクロガネに似てるな。血の繋がりはなくとも、やっぱりなんだな……)

 

 やがて、交渉は成立という形で終わった。

「ありがとうございます、ミスター・アルバ。貴方が我々の出資者スポンサーとして支援して頂けることを光栄に思います」

「お互いの利害が一致していただけのことだ。正直に言って、お前たちのようなの仲間になどなるつもりはないが、背に腹は代えられない」

 リーダーが差し出した手を、仏頂面で握るリチャード。

 協力関係を結んだ証でもある握手は二秒で終わり、リチャードの方から手を離した。

「ごもっともな意見です。ミスターは毎月まとまった額の資金をスイスに用意した銀行口座に振り込んで頂ければ結構です。口座番号は後程」

「私に累が及ぶような真似はしないだろうな?」

「勿論です。今後我々と接触する際は最低限に留め、連絡手段も可能な限りアナログなものを使います。それ故に、接触は我々の方からになることをご了承ください」

「……ふん、私に損害が出なければそれで良い。それと、見返りの件だが」

「勿論、用意しております」

 高慢な態度のリチャードに気分を害することなく、リーダーは鞄から大き目の茶封筒を取り出した。


「現時点で我々が知り得るHPLの情報を記したレポート……その一部となります」


 ……酷い目に遭ったばかりだというのに、この宝石商は怪異と敵対し続けるつもりらしい。

 懲りないリチャードに対し、内心呆れと尊敬の念を抱く優利である。

 茶封筒を受け取ったリチャードは中身を改めて、思わず眉をひそめた。

「これは……何かの冗談か?」

 怪訝な表情で彼が封筒から取り出したのはB5サイズの薄い冊子だ。

 表紙には日本で人気の漫画イラストが描かれており、タイトルは日本語で『クリーチャー設定資料集①』と書かれている。

「カモフラージュとして、表紙は同人誌と呼ばれる漫画冊子を採用しました」

 またの名を『薄い本』。世界が認める日本のオタク文化の一つだ。

 カモフラージュという理由に納得したリチャードは、レポートに目を通す。

 ……端から見ればナイスミドルな英国紳士が真剣に同人誌を読んでいるというシュールな絵面である。

 リチャードは黙々とレポートを読み、次のページを捲る。

 やがて、顔を上げて訊ねた。

「……これだけか? 内容が連中の簡単な特徴や対抗策しか書かれていないが」

「大変申し訳ありませんが、HPLに関する資料は例え写しであっても読めば精神的な障害が生じる恐れがあります。【魔導書】と呼ばれる曰く付きの書物ならば死に至るほど危険なものです。……とはいえ」

 リーダーは一度言葉を切り、初めて目を鋭くさせる。

「あのような存在を深く知ること自体が、あってはならないことです。対抗策を押さえておくだけで必要充分でしょう。

 ……それとも、ミスター・アルバは人間の敵HPLの召喚・使役する方法をお求めなのですか?」

「い、いや、そんなことは考えてもいないが……!」

 リーダーの殺気にてられたリチャードは、冷や汗を流しながら否定する。

「くれぐれも、迂闊な真似は控えてください。我々としても、貴重な人材を失いたくはありません」

「……肝に銘じておこう」

「ご理解頂き、ありがとうございます」

 殺気を収め、穏やかな表情で一礼するリーダー。

 一方のリチャードはハンカチで冷や汗を拭いつつ、安堵の息を漏らしている。

 HPLを私欲のために利用しようものなら、怪物よりも先に目の前の同盟相手に殺されると理解したらしい。

「先程もお話しした通り、資金面での援助を継続して頂けるならば、HPLの資料は定期的にお送ります。内容が内容ですので、お手元に届くまで多少の時間を要することをご了承ください」

「承知した」


 ……偽装とはいえ同人誌の定期購読となるわけだが、それで良いのだろうか?

 優利の素朴な疑問をよそに交渉の場はどうにか丸く収まり、解散となる。



「新たなスポンサーの獲得成功を祝して、乾杯」

「「乾杯」」

 リチャードが退場した後、三人はカウンター席に場所を移して思い思いに注文したドリンクやアルコールの入ったグラスを傾ける。

 ちなみに、藤原優利は安藤美優の護衛任務で現在才羽学園高等部に潜入しているが、未成年ではない。酒も煙草も問題はない年齢だが、後々白野銀子と会うことも考慮してウーロン茶を飲んでいた。

「――リチャード・アルバの獲得、おめでとうございます」

「ああ、ありがとう。君の端末と練習した成果だ。こちらこそお礼を言わせてくれ、ありがとう」

「――どういたしまして」

 頭を下げるリーダーに、パンツドレス姿の美女――〈デルタゼロ/ドールメーカー〉のガイノイド端末は微笑んだ。

(……本当にこの街の至る所に居るよな、デルタゼロは)

 緊急時はすぐに助けを呼べるとはいえ、敵味方を問わず常にプライベートな活動まで監視されていると思うとどうにも落ち着かない。

 頼もしいがどこか胡散臭い仲間に若干の警戒を抱きつつ、優利はリーダーに話を振った。

「それで今後の具体的なプランは?」

「ミスター・アルバの資金援助は、表向きは私の研究資金として扱われる。フィールドワークや出張などを通して各拠点に必要経費を配給、同時に今後の活動内容を指示する。それまでは普段通りに過ごしてくれ」

 つまりは事を起こすまで大人しく潜伏・待機していろ、とのことだ。

 リーダーが古参にして幹部でもあるデルタゼロや優利にもあえて詳細を語らないのは、それだけ現在の情報化社会……とりわけ〈サイバーマーメイド〉などのAI情報網を警戒してのことだ。伝達速度が遅くなるとはいえ、あえてアナログな方法を採用しているのは情報漏洩による組織の崩壊を防ぐためでもある。

「〈〉はこれまで通り、各端末を通して情報収集及び私の補佐だ」

「――了解しました」

 〈レプリカント〉とはこの組織内でのデルタゼロの暗号名コードネームだ。

 大学教授のリーダーには、助手としてレプリカント=デルタゼロのアンドロイド端末が准教授として傍に控えている。護衛から雑務まで何でもござれだ。

「それじゃあボクは白野探偵社で銀子さんの補佐と、安藤美優の護衛を継続します」

 優利がそう言うと、リーダーはすまなそうな表情を作る。

「重要な任務を掛け持ちしておいて大変だろうが、頑張ってくれ。それと」

「解っています。ボクらのことはご当主や他のゼロナンバーにも悟られないように気を付けます」

「……すまないな」

「いえ、気にしないでください。元よりボクらの始まりは、お互いにWIN-WINの関係だったからこそです」

 恐縮する人の好いリーダーにおどけて見せると、「――その通り」とデルタゼロも同意を示した。


「――僕は究極の義体を造り、不老不死の夢を実現するために」

 〈デルタゼロ/ドールメーカー〉……またの名を〈模造人間レプリカント〉はグラスを掲げた。


「ボクは白野銀子を守るために」

 〈インディアゼロ/イリュージョン〉……またの名を〈幻影紳士ファントム〉も己が目的と共にグラスを掲げる。


「……AI統治の世界から、人類を覚醒するために」

 リーダーこと〈パパゼロ/プロフェッサー〉……またの名を〈讃えられぬ教授モリアーティ〉が二人に続く。


 そして三人は声を揃え、元はラテン語の警句であり、組織名の由来ともなったスローガンを唱える。


「「「――汝平和を欲さばSi vis pacem,戦への備えをせよpara bellum」」」


 反サイバーマーメイド団体【パラベラム】を立ち上げた『始まりの三人』は掲げた各々のグラスを合わせ、心地よい結束の音を響かせた。



 ***


「お客さん、映画、終わりましたよ?」

「……え?」


 掃除機片手の年配の従業員に声を掛けられ、クロガネは我に返った。

 気付けば、暗かった劇場内は明るくなっている。

 席を立って周囲を見回せば、あのにっくき邪神は影も形も見えない。

 床に散らばったポップコーンもなければ、

「大丈夫ですか?」

 茫然と佇むクロガネに、心配した従業員が声を掛けてくる。

「……ええ、大丈夫です。館内に残っているのは私だけですか?」

「ええ、そうですよ」

「他に……ここから出て行った人は居ませんでした? 赤い日傘を持った女の子とか」

 従業員は不思議なものを見る表情で「いいえ」と否定する。

「途中で出て行ったのは学生さん一人だけですね。ここに居たのはお客さん一人だけです」

 当然といえば当然の言葉が返ってきた。

「そうですか……すみません、ありがとうございました」

 クロガネは軽く頭を下げて、足早にその場を後にした。



「くそ、情けない……」

 勇ましく挑発しておいて邪神のオリジナル笑顔に気絶してしまうとは。

 館内の個室トイレに入って施錠し、懐から拳銃を取り出して弾倉を抜き取る。

「…………」

 弾倉には、

 表情を険しくさせたクロガネは弾倉を戻して拳銃をホルスターに収めると、右手を自身の鼻に寄せる。

 硝煙の匂いもない。

 記憶はそのままに発砲した痕跡……いや、事実そのものが無かったことにされている。実際に目の当たりにしても信じられないが、SFやオカルト作品でよく見られる【時間逆行】の類だろうか?

「……証拠隠滅が神懸かっているな、邪神だけど」

 もはや何でもありな存在自体が反則の存在だ。

 今更ながらヤベェ奴に喧嘩売ってしまったことを後悔していると、PIDにメール着信。

 着信履歴を確認すると美優からの電話が三二件、メールが一七件も送られていた。

 メールの内容は自身の安否や所在についてのものばかり。

 緊急事態でも起きたのだろうか――と思った矢先に、今度は電話着信。

 相手は美優からだ。

 足早に映画館から外に出て通話に出る。

「もしもs」

『クロガネさん! 今どこですか⁉ ご無事ですか⁉』

 食い気味に鬼気迫る相棒の声が耳朶を打った。

「ど、どうした? 何かあったのか?」

『何かあったはこちらの台詞ですよっ。ついさっきまでPID信号がロストしていたのですから、てっきり何者かに拉致されたのかとばかり思っていました』

 それはある意味間違っていない。

「ああ、今映画館に居たから」

『通常はPIDの電源を切っていても、信号の方は管理区の方で常時把握しているんですよ』

 鋼和市においてそれは常識だ。そして美優ならば簡単に傍受できる。

『何やら藤原くんと密会して連絡先を交換していたのは把握しましたが、その後クロガネさんのPID信号が突然消失したので焦りました』

 通常、PID信号の消失として考えられる可能性は、市外に出るか本体を破壊するかの二択しかない。あるいは――

『先日のクルーズ船のように、また怪物の体内に入ってしまったのかと思いましたよ』

「…………」

 当たらずとも遠からずどころか限りなくドンピシャに近いニアピンだ。

 本当は解ってて言っているのではないのか、ウチの相棒は。

 隠したところでどうにもならないので素直に打ち明ける。

「実は、また例の邪神と遭遇したんだよ」

『何ですとッ⁉』

 焦燥感百パーセントで驚愕する美優。

『それで信号ロストに……無事なのですかッ⁉』

「ああ、ちゃんと五体満足だよ」

『……何でまた?』

 幾分落ち着いた声音で美優が経緯を訊ねてくる。

「先日の一件で愉しませて貰ったお礼を言いに来たんだと」

『律儀ですけど迷惑極まりないですね』

「本当にな」

 美優の感想に同意したところで沈黙が訪れる。

『……それだけですか?』

「ああ、それだけだ。少し話をしたけど、得られる情報はあまりなかった」


 さらりと嘘をつく。


『いや、会話までしてよく正気を保っていられましたね』

「……本当にな」


 その会話の中で、調べなければならないことが出来た。

 邪神から得られた情報は衝撃的なものだったが、美優には伝えない。

 今は、まだ。


「ところで、今はまだ授業中だろ。電話して大丈夫なのか?」

『デジタル信号を言語化した通信だけなら問題ありません。今なんて音楽の授業でトランペットを吹きながら話しています』

 それはまた人間には出来ない器用な真似を……え?

「……美優って肺はない筈だよな? ガイノイドなんだし」

 一体どうやって金管楽器を吹き鳴らしてんだお前は。

『そこは考えたら負けです』

 一体どんな義体からだしてんだお前は。

「まぁいいや。ところで話は変わるけど、あとひと月で冬休みだろ? 年末年始は獅子堂家へ挨拶しに行くから、友達との予定は入れないようにしてくれ」

『おや? クロガネさんの方からそんな事を言うなんて珍しい』

 出来れば行きたくないが、そうも言っていられない。

『でも、確かに今年はかなりお世話になってしまいましたからね』

 美優と出会ってからは特にな。

「気が早いのは解っているんだけどな。年明けに向けて今年の仕事は今年の内に片付けておきたいし、美優だって期末試験があるだろ?」

 それらしい自然な理由を付け加える。

 その後、二、三簡単な打ち合わせをして通話を切った。


 …………。

 獅子堂家に帰省と挨拶は建前だ。

 真の狙いは、亡き獅子堂莉緒について探りを入れること。

 気が滅入る。

 当然だ。命の恩人であり、今も敬愛し親愛する亡き莉緒にある種の疑念を抱いて調査するのだから。

 ……本来なら深入りするべきではない。

 だが、あの悪しき超常存在が莉緒と浅からぬ関係を築き、この世界の命運をも左右する事柄に触れていると知ったら真偽を見極めなければならない。

 世界の事など正直どうでも良い、一個人が背負える重さではない。

 黒沢鉄哉は勇者ではない、世界を救う必要も義務もない。

 証明したいのは獅子堂莉緒の無罪であり、邪神の言葉は取るに足らない虚偽であること。

 莉緒が、愛した人が、美優の開発者母親が、世界を滅ぼしたりしないこと。

 それだけだ。

 それだけなのに。

 ……嫌な予感がする。


「……信じているぞ、莉緒お嬢様」


 言いようのない不安を胸に抱いたまま、クロガネは足取り重く帰路に着いた。




 ――結果だけを先に言ってしまえば。



 この世は嫌な予感が当たるように出来ているらしい。


 神様が居るとしたら相当拗らせた捻くれ者か、邪神であるようだ。


 くそが、ふざけるな。




 ***


 ――鋼和市こうわし


 伊豆諸島と小笠原諸島のほぼ中間に浮かぶ人工島。

 およそ五万人ほどが住む約六〇平方キロメートルの小さな島そのものが、世界中の最先端技術が集中するオーバーテクノロジーの聖地である。

 サイボーグやサイバー技術を十年先取りした実験都市であるが故に、ある者はその街をサイボーグとサイバー技術の『楽園』と称し、またある者は『監獄』と称していた。


 命と鋼と光と闇が渦巻く街。

 そんな鋼和市北区の一角にあるクロガネ探偵事務所。

 大抵の厄介事は力業ちからわざで解決する風変わりな探偵コンビの元に、今日もまた厄介な依頼が舞い込む。


「クロガネさん、白野探偵社の白野銀子社長から緊急の依頼です」

「白野から? 珍しい、明日は吹雪か?」

「はい。予報では雪、山沿いなど一部地域では吹雪のようです」

「……それで?」

「南区郊外の山奥で行方不明となった部下を捜索してほしいとのことです」

「遭難じゃないのか? それは警察か山岳救助隊の仕事だろう」

「何でも、現地に住んでいる芸術家の屋敷を調査しに行ったきり連絡が途絶えたとか。白野さん曰く、怪異の臭いがする依頼内容だったらしく、私達の力を借りたいと」

「えぇ……(困惑)、またそのパターンか……」

「またそのパターンです。昔から『怪異に関わった者は怪異に遭遇しやすくなる』と言われていますが、いずれは私達も白野探偵社にも『オカルト探偵』の称号が付きそうですね(義眼ピカピカ)」

「……嬉しそうだな」

「そんなことありません。ちなみに、報酬は弾むそうですよ」

「まったく、仕方ねぇなぁっ」

「嬉しそうですね」

「そんなことねぇよっ」


 決して折れない不屈の探偵、黒沢鉄哉。

 電子戦は素敵に無敵な探偵助手、安藤美優。


 そう遠くない未来。


 『機巧探偵』の二人は、やがて世界の命運を左右する大事件に挑み、その根幹に至る真実を知り、大きな決断を迫られることになる。


 だがそれは、まだもう少し先の未来の話であり、彼らの物語はまだまだ続いていく。


 ――今日もまた、『機巧探偵の事件簿』に新たな事件の記録が刻まれる。

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機巧探偵クロガネの事件簿4 ~都市伝説と怪盗と~ 五月雨サツキ @samidaresatsuki

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