幕間9

 深夜の公道をヘッドライトの光が切り裂き、一台のウニモグが駆け抜ける。

 怪盗〈幻影紳士〉の予告状を発端とした【宵闇の貴婦人ブラックダイヤモンド】を巡る事件の行方は、正体不明の怪物たちによる介入で予期せぬ方向へと向かおうとしている。

 攫われた美優と銀子を救うため、怪物を追うクロガネ達が向かう先は果たして――。



「――さて、状況を確認する前に」

 AIによる無人運転で走るウニモグ――改造されて広い居住スペースを確保した車内で、乗り合わせた者達を出嶋は見渡した。

 現在、ウニモグには五人が乗り込んでいる。

 クロガネこと黒沢鉄哉、新倉永八、ナディア、出嶋仁志、そして――もう一人。

「――今更だけど、本当に君も付いて来るのかい?」

「個人的にあの化け物は酷く気に入らなくてね」

 出嶋の問いにそう答えた五人目は、怪盗〈幻影紳士〉その人である。

「依頼人だったとはいえ、ボクが盗んだ【貴婦人】を良からぬことに使おうとして、そのために無関係な人間を大勢巻き込んだんだ。奴の存在そのものは、ボクの怪盗としてのプライドが許さない。絶対に潰してやる」

 幻影紳士と名乗る怪盗は、意外に過激な一面があるようだ。

 例え相手がHPL――常識の外側に居る存在でも臆さず、自身の正義ルールを貫いている。

「それに」

「それに?」

「あの女探偵は個人的にドストライクだ。ボクだけに向けてくれるあの強い意志を秘めた冷たい眼、そして容赦のなさ。今後はそんな女性に追い掛けて貰えると考えれば、助け出す理由としては充分だ」

「……ああ、そウ」

 ナディアがドン引きする。

 過激で軟派でドМの変態とくれば、誰だって反応に困る。

 白野銀子も変な怪盗に気に入られたものだ。

「何故、【貴婦人】を盗む依頼を受けた?」

 今度は新倉が訊ねた。

「申し訳ないが企業秘密だ。あえて言うなら、ボクの信念に基づいたからだと言っておこう」

「……信念、か」

「とはいえ、そのせいでこんな大惨事になるなんて思いもしなかった。だから、ボクがここに居る理由は奴に対する『復讐』と、せめてもの『贖罪』なんだよ」

 怪盗なりのケジメ、ということらしい。

「随分とまぁ、責任感の強い怪盗が居たものだ」

 クロガネが呆れる。

「――自己申告とはいえ、ニャルラトホテプがけしかけた食屍鬼グールを三体撃破したらしいし、こちら側の戦力として多少の期待はさせて貰おうかな」

「信用できるのカ?」

 ナディアの問いに出嶋は頷いた。

「――少なくとも、白野探偵を救おうとする気概は本物だ。お互いの利害は一致しているし、HPLに臆せず立ち向かえるのなら尚更だ。有効利用させて貰うとしよう」

「弾除けや囮として、だろ?」

「――HAHAHA。僕の本音を代弁してくれてありがとう、新倉」

「どういたしまして」

「……酷いなオイ」

 あまりにあんまりな扱いに、これには怪盗も苦笑い。

「……これは一時的な共闘に過ぎない。俺達は敵ではないだけで、味方だとは思うな」

 出嶋たちが辛辣である中、クロガネの気遣いが際立つ。

「そろそろ本題に入らないか?」

「……だな」

 新倉が軌道修正を入れると、一同は無駄口を控えて気を引き締める。

「――ではまず僕から。先程の戦闘で美優と白野探偵が攫われた直後、美優は生き残ったドローンに自身を追跡させた。そのおかげで彼女たちの現在地――つまりは敵拠点を突き止めることが出来た」

 出嶋は車内に備え付けた端末を操作し、天井に設置したマイクロプロジェクターが起動させ、空中に一隻の大型客船の立体画像が展開する。

「船か」

 新倉の一言に「――その通り」と出嶋が頷く。

「――そしてこれが、ドローンが捉えた最後の映像だ」


 ――ホロディスプレイに、ドローン視点の記録映像が流れる。


 客船の甲板に降り立った二体のスフィンクスは美優と銀子を降ろすと、半魚人たちが二人を連れて船内へと入っていった。

 そして二体のスフィンクスは黒い泥のようなものになって一つに合体すると、人型の姿になる。

 頭からつま先まで全身真っ黒に染まった『黒い男』の姿となる。これもニャルラトホテプの化身の一つであろう。

 黒い男はドローンを鬱陶しそうに見上げると、ロケットランチャーを持っていた半魚人に指示を出した。

 半魚人がドローンに向けてロケット弾を発射し――そこで映像が途切れている。


「銃火器も使うなんて、魚のくせに生意気ナ」

「ロケランなんて高価なものまで持っているとは、バックに強力なスポンサーでも付いているのか?」

 ナディアと新倉が口々に言う。

「――HPLの記録によれば、『深きものどもディープワンズ』と呼ばれる半魚人は、普段は人間の姿でそれらしく生活しているのだそうだ。マフィアなどの犯罪組織を含め、人間社会の奥深くまで潜伏していると見るのが妥当だろう」

 色々な意味で、世も末な話である。

「――次は船が戦場だ、船上だけに」

「やかましいヨ」

 ナディアに一蹴された出嶋は、気まずげに一度咳払いをする。

「――冗談はさておき、目標の大型客船は既に出港して沖に出ている。行き先は不明だが関係ない。僕らもこの船に乗り込んで囚われのお姫様ふたりを救い出せば良いのだからね」

「乗り込む方法は? やはり、ボートで?」と新倉。

「――いや、さっきの映像を見た限りだと海路は危険だ。連中も武装しているし、何より『深きものども』は見た目通り水中戦に強いと見るべきだろう。ボートに乗って四方が海に囲まれた状態になるのは絶対に避けた方が良い」

「となると、空からか?」とクロガネ。

「――脱出のことも考えるとヘリが妥当だろうね。実は既に獅子堂重工が輸送ヘリチヌークを手配している。港に着いたら、急いで乗り換えだ」

「仕事が早いな」

「――そりゃあ、救出対象が特別だからね。流石に獅子堂家のご当主も黙ってはいない」

 獅子堂重工会長にして獅子堂家当主の獅子堂光彦は、亡き娘の忘れ形見である美優のことを溺愛している。

「デモ、ヘリで行くにも狙い撃ちされないカ?」

 敵の対空装備を踏まえ、ナディアがもっともな意見を出した。

「――それについては対策してある、後で話そう。今回は狭い船内での戦闘になるから、こちらの武器も……クロガネ」

「……ん、何だ?」

 不意に呼ばれ、顔を上げる。

 クロガネの顔色が優れないのは、誰の目から見ても明らかだった。

「――少し仮眠を取ると良い。君の武器は、こちらで見繕っておく」

 怪盗を一瞥して何か躊躇うクロガネだったが、

「……解った、お言葉に甘えさせて貰う」

 素直に従い、眼鏡を外して車内に設置されてあった簡易ベッドに横たわる。

「――よろしい。ああ、君の眼鏡を借りるよ。半魚人に関する戦闘データも、武器選びの参考にさせて貰う」

「よろしく。それじゃあ、おやすみ」

「ああ」

「おやすみ、クロ」

 程なくして、クロガネは控えめな寝息を立てて眠りに就いた。

 気を利かせたナディアが毛布を掛ける。

「……余程疲れていたんだな」

 新倉の一言に「――無理もないさ」と出嶋は肩を竦める。

「――美術館での戦闘はほぼ彼一人で立ち回っていた上に、HPLの中でも最悪の存在と真っ向勝負。おまけに大事な相棒をすぐ目の前で攫われたとあっては、精神的な負荷も相当なものだろう」

「よく生きていたものだ」

 お世辞抜きで感心と称賛をする新倉。

「――加えて、ニャルラトホテプもお遊び感覚で手加減していたみたいだしね。本当に厄介な敵が現れたものだ」

「……倒せるのか?」

「――絶対に無理だ」

 怪盗の問いに、出嶋は真面目な顔で即答する。

「――ニャルラトホテプは不死身というより不滅の存在でね。現にクロガネが『ナイ神父』と呼ばれる存在を撃破したと思ったら、今度は『カ〇ナシもどき』となって、その次は二体もの『顔のないスフィンクス』だ。倒してもまた別の化身が無限湧きするのであれば、いずれこちらが力尽きてしまう。正直、手の打ちようがない」

 それだけニャルラトホテプは人類の脅威であるHPLの中でも、特に厄介な代表格として認知されているのだ。

「……やけに詳しいな」

「――HPLが認知されて以来、人間と最も接触が多い存在がこのニャルラトホテプだからね。必然、奴と遭遇しての証言や記録も数多く残っている」

「……運悪く?」

「――人間の理解や常識の外側に居る存在と関わった者は、精神崩壊や廃人となってまともな余生を送れなくなるのが殆どだ。狂気に呑み込まれない強い精神力を持ち合わせていなければ、一思いに殺された方が遥かにマシだよ」

「…………」

 背筋に冷たいものを感じ、怪盗は沈黙した。

 教会での邂逅から自身の心身が共に健在であるのは、単に紙一重の偶然に過ぎないことを改めて自覚する。

「降りるなら今の内だぞ」

 怪盗の心を見透かしたかのように、新倉が警告する。

「元より、こちらはお前を頭数に含めていないのだからな。美優殿と女探偵は俺達だけで助けるつもりだったし、相手が相手だ。今ここで降りても、誰もお前を咎めはしない」

 ナディアも無言で頷いている。

「……お気遣いどうも。だけど、あえて言わせてくれ」

 怪盗は不敵な笑みを浮かべ、たった一言。

「何を今更」

「……やっぱり付いて来る気?」

 ナディアが怪訝な表情で確認する。

 そのどこか険のある目は「部外者は邪魔」と言わんばかりだ。

「ボクにも戦う理由はある。勿論、そちらの指示には従うし、邪魔はしないと約束しよう」

「約束ダァ? この国には『嘘つきは泥棒の始まり』って言葉があるんダヨ? 既に泥棒のお前が約束を守れるとでモ?」

「これは手厳しいね」

 疑い深いナディアに、怪盗は苦笑する。

「――人質を救出した後、君には白野銀子の護衛を任せたい」

「おい、デジマァッ!」

「――白野銀子の安全圏への離脱が確認できたら、君は自由だ。逆に言えば、それまではこちらの指示に従ってくれ」

「了解した」

 噛み付くナディアを無視し、出嶋と怪盗は話を進める。

「うー」

「まぁ、落ち着け」

 納得いかずに唸るナディアを新倉は宥めると、

「ところで話は変わるが、あの化物が美優殿と白野探偵を攫った理由はなんだ?」

 素朴な疑問を投げ掛けた。

「そ、そうダ! アイツ、ワタシ達の攻撃からミユとギンコとやらを庇うのを見たゾ。こっちは始めから二人に当てる気はなかったけどナ」

「――仮説で良ければ、一つ思い当たる節がある」

 出嶋は神妙な顔で話す。

「――まず、ニャルラトホテプはHPLの中でも数少ない人間と同等以上の知性と人格を有している。人間を翻弄し、自滅させて愉しむような奴だしね」

性質たち悪ィなオイ」

 とナディアが口を挟むが、他の者も同意見である。

「――逆に言えば、その高い知性も相まって人間臭いともいえる。歪んだ性癖持ちのサイコパスと考えれば、ある程度のプロファイリングは可能だ。

 ――あくまで個人的な考察だが、美優と白野銀子を攫った理由の一つとして考えらる最悪のシナリオは、二人を利用した『』だ」

「要は世界征服ってやつカ?」

「――その通り、まず安藤美優は……」

 不意に言葉を切り、出嶋は怪盗を見た。

「……【宵闇の貴婦人】を盗む際、警備に当たっていた探偵は全員調べ尽くしている。安藤美優の正体が、獅子堂重工製のガイノイドであることも含めてな」

 空気を読んた怪盗がそう打ち明けると、新倉は僅かに、ナディアは大仰に驚いた表情を見せた。

「――ならば話は早い。美優は獅子堂家ご令嬢、獅子堂莉緒が造ったガイノイドだ。家の存続のために莉緒お嬢様の子宮を内蔵していることも踏まえれば、営利目的の取引材料以外でも充分な価値があるだろう」

 これこそが、とある事件を機に自由を得た美優を、かつて獅子堂家専属の暗殺者だったクロガネの元に託した理由でもある。

 美優を守り、彼女を狙う外敵を排除するためにも、既に独立したクロガネとかつての雇い主であった獅子堂家の間には、ある種の同盟関係が結ばれているのだ。

「――ガイノイドであるとはいえ、美優は世界の経済界にその名を連ねる獅子堂家……それも本家の一員で、妊娠可能な個体でもある。

 ――ニャルラトホテプは自身の化身か、或いは『深きものどもディープワンズ』と美優を交配させ、自分たち怪物の血を引く者を産ませようとしているのだろう。人間社会を内側から乗っ取るためにね」

 ナディアが息を呑む。あまりのおぞましさに真っ青だ。

「……そんなことが可能なのか?」

 そう訊ねる新倉の声と表情も固い。

「――可能性は充分にある。そもそも人間社会に潜伏していた『深きものども』は、人間と交配して生まれた雑種らしい。連中はセキュリティや人気の少ない地方などで人攫いを行う習性がある。その中でも貴族や権力者の女性を集中して狙うという確かな記録もあった」

 言葉を失う一同。

 仮に美優が怪物と交わり、怪物の子を身籠ったことが明るみに出れば。

 獅子堂家はその権威を失墜し、権力と財力を根こそぎ怪物の息が掛かった人間たちに奪い取られてしまうだろう。

 そうなれば怪物たちは経済界を思いのままに操り、人間社会を裏から支配することも不可能ではない。現に彼らがこの世に実在している時点で、あり得ないことはあり得ないのだ。

「――HPLの記録によれば、おぞましい存在と交配した女性は強力な催眠術などによる洗脳によってその時の記憶を消され、怪物の子を身籠ったまま人間社会に戻ってやがて出産し、怪物たちは静かに、深く、長きに渡って人間社会に潜り込んだとされる。

 ――とはいえ、連中の子を身籠った女性の多くは、今ほど科学技術が発達していない大昔の田舎町出身で、それも権力者の血筋に限られていた。DNA鑑定やセキュリティが発達した今ならいざ知らず、当時は魔女狩りよろしく怪物と交配した疑いのある女性は皆殺しにされていたらしい。

 ――楽観はできないが、現代において人間社会に潜伏している『深きものども』の総数は人間よりもずっと少ないと思うよ」

「だとしても、ミユの貞操がヤバイことに変わりねぇダロ……!」

 ナディアの焦燥に、「その通りだ」と新倉も同意する。

「美優殿だけでなく銀子様も危ない。獅子堂のためにも、俺達が助け出す」

「…………ンン?」

 唐突に首を傾げるナディア。

「どうした?」

「いやエイハチ、今なんテ? ギンコ、?」

「ああ、銀子様だ」

「何で様付ケ?」

 ナディアの問いに、新倉が眉をひそめた。

「何でって、獅子堂家にとって、彼女の存在も美優殿と同じくらい重要だろ」

「たまたま一緒に攫われただけで、ギンコにはミユと同じ価値なんてないダロ? ただの素人なんだシ」

「「「えっ」」」

 ナディアの疑問に、全員が驚いた声を上げる。

「えっ。な、何だよウ……」

 予想外の反応に、ナディアは思わずオドオドと動揺する。

「……ああ、そういえばナディアは銀子様のことを知らないんだったな」

「――時期的にナディアがゼロナンバーになった頃には、既に彼女は独立していたからね。知らないのも無理はない」

 新倉と出嶋は納得した風に頷き合う。

 怪盗も「あーそーなんだー」と言わんばかりに合点がいった目でナディアを見ていた。

「だから何なんダヨッ? ギンコって何者なんダッ?」

「――白野銀子の『白野』は母方の姓だ」

 苛立つナディアに、出嶋は教える。


「――彼女の本名は。莉緒お嬢様の叔父である獅子堂晃司様の長女様で、






「……イトコチガイって、何ダ?」

「――早い話が、親戚だ」

「OK、把握」

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