9.探偵と這い寄る混沌
脳内に直接響いた声に驚愕した一同は、慌てて周囲を見回す。
と、そこに。
かつん……、かつん…と、ゆったりとした足音を立てて。
特別展示室の出入口から、神父服を纏ったナイスミドルが現れた。
長身瘦躯、浅黒い肌と金色の瞳に短く刈り込んだ銀髪。
そして見る者すべてが息を呑む程の美しい顔立ちをしていた。
そのミステリアスな雰囲気に
もっとも、その手にぐったりとした館長の顔を掴んで引き摺っていなければの話だが。
「館長……!」
「何者だ? 一体いつから、
館長を気遣う美優を庇うように前へ出たクロガネは、抜刀して男に問い掛ける。この美術館に、ここまで印象に残る神父の存在はなかったため、全員が警戒態勢を取った。
「名前など、あまり意味はないのだが」
神父は空いている手を顎に添え、しばし考える素振りを見せると。
「ここはナイスミドルなイケてる神父……略してナイ神父、とでも呼んで貰おうか」
「いや本当に何なんだ、アンタ……」
ナルシスト発言とも取れる自己紹介に、銀子が引く。
そして雑に人を引き摺る時点で、ナイスでイケてる筈がない。
「それと、いつからそこにという質問の答えだが、つい先程。私はいつでもどこにでも這い寄れる存在なのだよ」
訝しむ一同に、ナイ神父は空いた手で懐から【宵闇の貴婦人】を取り出して見せた。
「ッ、それは……!」
「厳密に言えば、【
懐に【貴婦人】をしまうナイ神父に、リチャードは戸惑いながら訊ねた。
「……お前も人間ではないのか? 結界がある場所にどうやって……」
「結界ぃ? もしかして『
「な……ッ」
負傷者を避難させた場所が、安全地帯ですらなかったのだ。
現に、館長がナイ神父によって引き摺り回されている。
……では、展示室に居た他の人間たちは?
「さて、それにしても『
苛立ち交じりに、ナイ神父は館長の顔を掴んだ手に力を込めた。
館長が苦悶の声を漏らす。
「やめろッ! 彼を放せッ!」
拳銃を構えるリチャードを意に介さず、今度は愉快そうな表情をナイ神父は浮かべた。
「ああでも、あの怪盗で遊んだのは少し楽しかったな。特に殺した食屍鬼が人間の姿に戻った時に見せた顔といったら傑作だった。これだから人間で遊ぶのはやめられない」
ケラケラと無邪気な子供のように笑い出す。
「何を言っているんだ……」
精神分裂症? 情緒不安定? サイコパス?
様々な犯人像と関わってきたベテラン刑事の清水でさえ、目の前の得体の知れない不気味さに只々困惑するしかない。
だが話の全体像までは読めずとも、部分的に解ったことがある。
怪盗が盗み出した【宵闇の貴婦人】を、目の前のナイ神父が持っているその理由は。
「お前が、怪盗に【宵闇の貴婦人】を盗むよう指示した黒幕だな」
クロガネの発言に、ピタリと笑い声が止まる。
「やぁっと気付いたか。まぁ、これだけヒントをやれば当然か」
そしてナイ神父は、クロガネを見る。
更に笑みを深くさせ、愉快そうに顔を歪める。
「こうして直に会うのは初めてだが、私はお前のことを知っている」
含みのある発言に、クロガネは顔をしかめた。
この手合いにはもう慣れている。
(どうせまた『鋼和市随一のトラブルメーカー』とか、不名誉な二つ名で呼ぶんだろ? はいはい、テンプレテンプレ)
と、内心やさぐれていると。
「何せ、あの獅子堂莉緒が選んだ男だからな」
あまりにも、予想外すぎる言葉に、凍り付く。
「新しい心臓もすこぶる調子が良さそうだ」
(疑似心臓のことまで……!)
クロガネの中で最大レベルだった警戒心が上限突破した。
今回の一件……怪盗〈幻影紳士〉、『深きものども』の両者と密接に関わっている思しき目の前の男は、獅子堂莉緒と何かしらの関係があると見てほぼ間違いない。
何故ならば、莉緒が開発した疑似心臓とクロガネに移植した経緯そのものが、獅子堂家の
それを知るこの男は、一体何者であろうか?
クロガネが知る限り、少なくとも獅子堂家の関係者や
「……個人的に訊きたいことが出来た。お前は
「やってみろよ、無理だろう――ガッ!?」
余裕ぶって話をしている最中に放たれた左片手一本突きが、ナイ神父の右腕を容赦なく貫いた。
『無拍子』で技の気配を消し、『縮地』で一気に距離を詰めて繰り出す最短最速必殺の一撃。
『剣鬼』
突き刺した刀を横薙ぎに払う。
ほとんど切断された右腕が、薄皮一枚でぶらんと垂れ下がった。
そして返す刀で、上段からの兜割りを左肩に喰らわせる。
峰打ちとはいえ筋線維が断裂し、鎖骨が折れた確かな手応え。
たまらず膝を折ろうとしたナイ神父の顎を、すかさず柄を握った義手でカチ上げて阻止しつつ再度刀を振り被り、胴――即座に切り返して逆胴と振り抜いた。左右の肋骨を数本砕き、今度こそ倒れ込むナイ神父の背後に回って後頭部を鍔元で殴り付け、床に叩き伏せる。そして残心。
最初の刺突からここまで三秒足らず。
嵐のような猛攻に呆然としていた銀子が、ハッと血相を変えた。
「ちょっ、流石に死んだんじゃ……!」
「安心しろ、手加減してある」
クロガネは峰返しをした刀を銀子に見せる。
肩に当てる直前、瞬時に刃を返したのだ。
「いや峰打ちでも、これは確実に死ねるだろ……」
逮捕術の一環として武道の心得がある清水ですら、顔を引きつらせていた。
「急所は避けたし、ちゃんと息してるから問題ない」
「鬼か」
腕を一本奪ったのは流石に問題であるが、クロガネはどこ吹く風だ。
「これでも今回の黒幕に対しては、可能な限り穏便に済ませたつもりだ」
窃盗教唆、または幇助の疑い。
不法侵入に傷害の現行犯。
あの『深きものども』と深い関与が見受けられる以上、叩けばまだまだ埃が出てくることだろう。
特に『深きものども』によって少なくない死傷者が出たのだ。殺人罪や殺人幇助が適用される可能性も充分にある。
(殺しても構わないような極悪人を、わざわざ生け捕りにしたんだ。文句を言われる筋合いはない――て、流石にこれはマズいな……)
過激な思考を自制する。
いつの間にか暗殺者時代の頃に戻ってしまったようだ。
だが、今回ばかりは無理もない。
相手は獅子堂莉緒と繋がりが見られる極悪人だ。
かつての雇い主にとって都合の悪い存在を、みすみす野放しには出来ない。獅子堂家に少しでも恩を返すためにも、彼らの地位と名誉、何より自分と美優の保身のためにも、多少は本気にならざるを得なかったのだ。
(とはいえ他の連中はともかく、美優を怖がらせてしまったか?)
自業自得とはいえ、今後の仕事に悪影響が出てしまうことを懸念し、相棒の方を見る――と。
「クロガネさん!」
切羽詰まった表情で彼女は指を差す。
その指し示した先を見て、愕然とした。
「やれやれ……莉緒から少しは話を聞いていたが、本当に容赦がない」
まともに動くことが出来ない程の大怪我を負わせたにも拘わらず、ナイ神父は何事もなかったかのように平然と立ち上がったのだ。
そして千切れかけた右腕を左手で支えて傷口同士を繋げると、接合部にどす黒い体液がじわりと滲み出た。
やがて支えていた左手を放すと、右腕は元通りに――切断した筈の骨や筋線維、神経すらも完全に修復され、肘の屈伸、五指の動作も問題なく行えている。
「……お前は、人間なのか?」
改めてそう訊ねる。
「見て解らないのか……って、ああ、そうか、そうだったな」
ナイ神父は一瞬眉をひそめるも、ふと合点がいったかのように頷く。
「お前の仲間には、超能力者や人外の血を引く人間も居たんだったな。私のことも再生能力のある人間かもしれないと思ったのだろう?」
まさか、ゼロナンバーの情報まで把握しているとは……!
「だが残念でした」
そう言ってナイ神父の再生した右腕が、黒い触手状に変化して伸びた。そしてその先には、館長がいる。
再び頭を鷲掴みされた館長は吊り上げられ、足が宙に浮いた。
無数の銃声と金属音が重なる。
リチャードがナイ神父に向けて放った銃弾は、触手の一部によって全て叩き落とされた。
「クソッ! やめろ、バケモノッ!」
「その通り。私は人ならざるモノだよ」
リチャードの制止を嘲笑うかのように、館長の頭をすっぽりと包んだ触手から、
――じゅるっ、じゅるるるぅうううううう……。
と、粘り気のある液体を吸い上げるような音が発せられた。
それに伴い。
宙吊りにされた館長の、恰幅の良い身体が段々と細くなっていく。
苦悶の声は徐々に弱々しくなり、やがて途絶えた。
そして、ぱっと触手を開き、ナイ神父は館長だったモノを解放した。
床に落ちたのは、干からびた一体のミイラだった。
全身が細く、骨と皮だけになり、くぼんだ眼窩に眼球はなく、ただ暗い穴が空いているだけだった。
「まさか、他の人達も……!」
銀子は思わず、ナイ神父が出て来た特別展示室を見やる。
「ああ、ごちそうさまでした」
事もなげに、ナイ神父はそう言った。
あまりにもおぞましい死に方に一同は呆然となり、リチャードは力なく両膝と弾切れになった拳銃を落とす。
彼だけは、人間を一瞬でミイラ化させて殺害する手口に覚えがあった。
「あ、ああ……まさか……まさか、二年前の……私の友を殺したのも……」
「二年前? うーん……」
リチャードの言葉に、記憶を辿り寄せようとしたナイ神父は軽く頭上を見上げた。
ややあって、顔を戻し、実に爽やかな笑顔で。
「悪いな。そんな昔の玩具や食糧のことなんて、一々気にしていられない」
「そん、な……」
異常な殺され方で死んだ親友の無念。
犯人は常軌を逸した怪物で、仇を取ることも叶わない。
あまりにも無力で、抗うことすら許されない絶望。
己の内に秘めていた様々な感情が混ざり合い、やがて爆発する。
「……ぅあ、あああぁああああああああアアアアアアアアアッ!」
リチャードは号泣し、絶叫した。
その様子を見て、ナイ神父はケラケラと実に愉しそうに嗤っている。
ケラケラと、無邪気に。
まるで、コメディ映画の渾身のギャグシーンを目にしたかのように。
目の前の邪悪なるモノは、愉快そうに嗤っていた。
ケラケラと。ケタケタと。
「黙れよ」
底冷えする低い声と共に、銀光一閃。
「あ、れ……?」
ナイ神父は呆けた声を上げた。
目にも留まらぬ斬撃を受け、首を刎ねられて宙を舞っていることに気付いたのは、機械仕掛けの義手に顔を鷲掴みされてからだった。
義指の間から覗ける僅かな視界に、心臓に深々と刀を突き立てられて倒れている自身の胴体が見えた。
「すごいなッ! 一瞬の早業とは、まさにこのことだッ!」
実に愉しそうにクロガネを称賛する生首。
首だけになっても死なないどころか、減らず口も止まらない。
――ここまで来れば、これから行う残酷な殺し方に対する嫌悪感や罪悪感とは無縁である。
――クロガネは躊躇なく、義手のギミックを作動させた。
義手の指先と掌の一部分がスライド展開して電極を露出させるや、甲高い高周波音と共に、義手の甲に刻まれたオレンジ色のチャージングリングが円を描き始める。それに伴い、生首の顔を鷲掴みにした掌から、青白い光が漏れた。
やがてチャージングリングが真円を描き切り、オレンジから緑色に変化する。五秒と待たず、エネルギー充填完了。
「早い……!」
と驚愕する美優。
いつもよりもチャージが早いのは、まさか
「人間のくせにやるじゃないk」
「死ね」
ナイ神父の称賛を遮り。
鋭く、凍てついた眼光と共に。
クロガネは無慈悲な死刑宣告を一方的に言い渡す。
そして執行。
対オートマタ用指向性収束電磁パルス、またの名を『破械の左手』が炸裂した。
稲妻が閃き、一瞬にしてナイ神父の生首を炭化させる。
脳と神経は焼き切られ、眼球と血管は破裂し、血液は瞬時に蒸発した。
義手から高温の蒸気が噴き出し、強制排熱と冷却を行う。
クロガネは、焦げた生首をゴミのように投げ捨てるとギミックを収め、先程美優が使っていた金属製のポールを手に取った。
そして生首に歩み寄り、何の感情も窺えない能面のまま、鈍器を振り上げる。
――美術館内に、ぐしゃッ、と何かが潰れる嫌な音だけが、生々しく響き渡った。
***
さらさらと、ナイ神父の死体が塵となって消滅する。
それはまるで、陽の光を浴びた吸血鬼の最期を連想させた。
「――――」
異形の怪物にトドメを刺した鈍器を手放し、天井を仰ぐ。
クロガネの口から、疲れとも安堵とも取れる吐息が漏れた。
「クロガネさん……」
心配そうな美優の声に。
「……大丈夫だよ」
穏やかな表情と声を返した。
「おい、あれ……」呆然と清水が指差す。
ナイ神父の身体が消滅した所に一振りの日本刀と、ブラックダイヤモンド――【宵闇の貴婦人】が転がっていた。
クロガネはのろのろと、鞘と刀を拾い上げ、納刀する。
そして美しくも妖しい輝きを放つダイヤを見やった。
その目に宿るのは、忌避感だ。
「……ミスター・アルバ、【貴婦人】の回収を。結界なり何らかの適切な処置もお願いします」
「……ああ、解った。取り戻してくれてありがとう」
リチャードは涙を拭って鼻をすすり、手袋を嵌めた。そしてシルクのハンカチで優しく包むように、慎重に【貴婦人】を回収する。
彼には悪いが、取り戻したというよりは怪物たちと共に自ら戻って来たようなものだ。ホープダイヤモンドとはまた別の意味で、【貴婦人】は呪われている。これ以上は関わり合いたくない。
「とりあえずは、一段落かな」
清水は沈痛そうに、殉職者が倒れている凄惨な現場を見渡しながら言った。一件落着と言うには、まだ程遠い。
「……怪盗は、どうなったのかしら?」
不意に銀子が言った。
ナイ神父は幻影紳士が盗んだ【貴婦人】を持っていた。
そして「怪盗で遊んだ」とも言っていた。
「あの怪物と接触した以上、恐らく……もう生きては」
いないでしょう、と美優が言い掛けたその時。
「どこだクソ神父ゥウウウウウウッ!」
美術館の裏口に通じるドアを蹴破り、若い男が酷く激怒した様子で勢いよく現れた。
見知らぬ顔だったが、その場に居る全員、彼が何者であるかはすぐに察しが付いた。
「……生きてましたね」と美優。
「くっそ元気じゃねぇか」と清水。
「「…………」」
銀子は呆れて声も出ず、クロガネは声を出すのも億劫なほど疲れ切っていた。
「って、なんじゃこりゃあッ!?」
怒り心頭だった怪盗〈幻影紳士〉は、館内の悲惨な様子を見て困惑する。
「当然の反応だけど、どこぞの刑事みたいね」
「何となく、その刑事を演じた俳優さんの顔に似てません?」
「んん? 言われてみれば……」
呑気なやり取りをする銀子と美優をよそに、松田優作(若い!)そっくりな顔をした怪盗がズンズンと近付いてくる。
「表は大混乱で裏から回って来てみれば、何だこの状況? 何か生臭いし、あの神父の仕業か?」
動揺のせいか、最初に対峙した時の紳士的な口調を捨てて訊ねてくる怪盗に、
「ご名答。で、アンタはわざわざ私に捕まりに来るなんて随分と殊勝じゃない」
手錠を構える銀子。
一連の出来事に感覚が麻痺しているとはいえ、己の職務を全うするプロ根性は本当に逞しい。
「貴女に捕まって共にベッドの中へ入るのは大変魅力的なのですが、まずは順序というものが」
「OK、まずはアンタをボコるわ。そのあと鉄格子の中に入るのはアンタ一人よ」
元の口調に戻って口説き始める怪盗を、銀子は容赦なく一蹴する。
幻影紳士と名乗ってはいるが、怪盗は意外にも軟派であるようだ。
「冗談はさておき、まずは順当に情報交換をしましょう。怪盗らしく、ボクが逃げるのはその後で」
「逃がさないわよ」
「良いですね、今の台詞。その調子で情熱的に追い掛けてきてください」
口が減らない男である。
(かくかくしかじかまるまるうまうまな情報交換中)
「何てこった、その教会にも犠牲者が……」
怪盗から話を聞くなり、清水はPIDを取り出す。
「現場に警察を派遣するなら、念のため機動隊も出動させてください。まだ他にも怪物が潜んでいるかもしれませんし」
「解ってるよ。クソ、今日は何て厄日だ……!」
毒づきながらも、清水は警察署に連絡を取る。
ホラー作品のキャラクターに仮装することの多いハロウィン当日に、まさか本物の怪物が現れるとは、何とも皮肉な話だ。
「それでそちらは、あのド腐れ鬼畜外道クソ神父を倒したと?」
恨み節全開の怪盗。かなり酷い目に遭ったようだ。
「ああ、【貴婦人】も持ち主の元に返させて貰った」
頷くクロガネの近くで、大事そうにブラックダイヤモンドを持つリチャードが佇んでいる。
「また盗みますか?」
「……いいえ」
美優の問いに、怪盗は首を振る。
「流石にあのお宝はボクの手に余ります。現にこうして被害が出たわけですし、然るべき処置をして封印するのが一番ですよ」
これ程の大惨事になるとは予想だにしなかったとはいえ、引き金を引いてしまったことに対する後悔と罪悪感が見受けられた。
「それじゃあ、後はアンタを捕まえて万事解決ね(じゃら)」
「酷い目に遭ったというのにブレませんね。ハートが強いのは流石です」
再び手錠を鳴らす銀子に、怪盗は苦笑する。
「その前にちょっと良いです? 今のその顔が、貴方の素顔ですか?」
美優の質問に「いいえ」と否定する。
「これも変身した偽の顔ですよ。若い頃の松田優作そっくりでしょ?」
化けるにしても、昭和を代表する名優の顔を選ぶ辺り、渋い趣味をしている。
「でも、身長を含め体格は変わっていません。貴方が変身できる範囲は、やはり首から上だけなんですね」
怪盗は笑みを浮かべたまま押し黙る。図星のようだ。
「今後は幻影紳士の情報も加味されて、セキュリティもアップデートされるだろう。ここいらが年貢の納め時じゃないか?」
クロガネも遠回しに「
「解っていませんねぇ」
怪盗は不敵に笑った。
「立ち塞がる障害があればある程、怪盗とは燃え上がるものなのですよ。つまり――」
「それじゃあ今すぐ鎮火ね」
ガチャン、と怪盗に手錠を掛ける銀子。
「……ちょっとカッコイイこと言おうとしたのに、このロマンが解りませんか」
まるで手品のように、するりと手錠から抜け出す。
「それじゃあ両足を折るわ」
脛を狙って振り抜いた銀子の警棒を、
「本当にロマンが解ってないですねッ!?」
怪盗は跳躍して躱した。
「避けないでよ、折れないでしょ」
「避けますよ、そりゃあ」
「ちっ、銃が弾切れでなければ……」
「本当に容赦ないですね!」
じりじりと対峙する銀子と怪盗。
そんな二人の様子を眺めていたクロガネと美優は。
「白野さんって、あんなに過激な人でしたか?」
「流石にSAN値が削られ過ぎて、一時的発狂に陥ったのかもしれん」
「精神分析、持ってます?」
「TRPGじゃねぇからコレ」
呑気なやり取りを交わしていた。
……油断していた、といえばそれまでだ。
怪盗の出現、『深きものども』の襲撃、そして『ナイ神父』の襲来。
現実離れした一連の流れに一応の決着をつけた今、気が緩んでしまったことを誰が責められようか。
――バツンッ!
突如として電源が落ち、館内は暗闇に包まれる。
「ッ、停電!?」(銀子)
「お前、いい加減にしろよクソ怪盗ォッ!」(清水)
「これはボクじゃないですよ!」(怪盗)
「これ、は? テメェ、電源落として逃げるつもりだったんだな!?」(清水)
「そうですけど、まだやってませんって!」(怪盗)
「暗視機能に不具合が発生して何も見えませんッ」(美優)
「みんな迂闊に動くな!」(クロガネ)
「ッ! な、何よコレ! 何か、に巻き付かれたッ!」(銀子)
「私もです! 何かに拘束されました!」(美優)
「何だと!? 誰か、明かりを持ってないか!?」(クロガネ)
「一体何が……ッ、【貴婦人】がッ!」(リチャード)
「ちょ、足が浮いてる!? 吊り上げられた!? って何に!?」(銀子)
「銀子さんッ!」(怪盗)
「【貴婦人】が奪われたッ!」(リチャード)
「オイゴラ怪盗ォッ! ついさっき『盗む気はない』っつってたろ怪盗ォッ!」(清水)
「だからボクじゃないって言ってるだろッ、ポリスゥッ!」(怪盗)
暗闇の中、一同の混乱した声だけが響き渡る。
その時、吹き抜けになっている美術館の天井に備わったステンドグラスから、雲が風に流されたのか月明かりが差し込んだ。
柔らかな月光が、館内を照らした瞬間。
「――!!」
その場に居た者は、全員息を呑んだ。
彼らの目の前に巨大な『闇』が居たのだ。
身近な生き物に例えるならば、それは蜘蛛に近い形をしている。
ずんぐりと丸く太った黒い巨体。
人間のように五指を備えた手足が無数に生えており、頭部と思しき箇所には目鼻や耳といった部位は存在せず、大きく裂けた口のみがあった。
開いた口から妙に歯並びが良い巨大な白い歯が涎の糸を引き、赤く長い舌をちらつかせている。
あまりにも冒涜的で、言葉で表現するには困難を極める正体不明の怪物が、そこに居た。
「あ、ああ……」
怪物の手に掴まれて宙吊りにされた銀子が、恐怖のあまり我を失いそうになった――その時。
「何だっけか……昔のアニメ映画でそっくりな奴を見た気がするけど、名前が思い出せん」
「……『カ〇ナシ』、でしょうか?」
「それだっ、それそれ」
「言ってる場合かああッ! 言われてみれば確かに似てるけどもッ!」
冷静を通り越してどこか余裕なクロガネと美優に対し、銀子は全力でツッコミ叫ぶ。
現実逃避か意図したものかは定かではないが、結果的に二人のおかげで発狂から一周回って正気に戻った。
「まったく……半魚人といい、話に聞いた食屍鬼といい、コイツといい、一体どこの動物園から逃げてきたんだか」
溜息混じりに首を振るクロガネに、「えっ」となるリチャード。
「恐らくは上野かズーラ〇アあたりでしょうか?」
銀子同様、怪物に掴まったままの美優も便乗すると、「えっ」となる清水。
「いや、アマゾンか群馬の秘境辺りじゃないかな?」
「
と銀子が盛大にツッコむ。
……ここまで物騒な怪物たちの出身地候補に挙げられては、もはや各方面に対する風評被害である。
『……そろそろ良いか?』
突然、怪物が聞き覚えのある声で割り込んできた。
「「「キェェェェェェアァァァァァァシャベッタァァァァァァッ!?」」」
全員が声を揃えて驚愕する。
『お約束とはいえ、随分と余裕――ッ』
話している最中の怪物に、一瞬で抜刀したクロガネが斬り掛かる。
「チッ」
舌打ち。
不意を突いて怪物の脳天に振り下ろした千子村正は。
怪物の身体から生え伸びた四本二組の腕による白刃取りによって、寸前の所で止められてしまう。
そして白刃取りをした二組の手は、それぞれ逆方向に力を込め、刀身を三つにへし折った。
『……まったく、油断も隙もない。流石は凄腕の殺し屋だっただけのことはある』
意図せずクロガネの素性を知ってしまった銀子とリチャードは、思わず息を呑んで彼を見る。
やれやれと肩を竦めたクロガネは、眼鏡の位置を下から直す――
(美優。大至急、出嶋に救援要請)
――フリをしながら、さりげなく手で口元を覆い隠して通信を行う。
(既にしています。もう少しだけ時間を稼いでください)
眼鏡のフレームに内蔵された骨伝導式無線から伝わる頼もしい返答に、クロガネは無言で頷いて折れた刀を構え直した。
「……その声、ナイ神父か。生きていたんだな」
怪盗に向けて顎をしゃくる。
「ちょっとばかしイメチェンしてるが、お前を嵌めた奴だ」
「いや、『ちょっと』ってレベルじゃないでしょコレ。劇的ビフォーアフターでも劇的過ぎるわ。どこのラスボスの第二形態だよ?」
軽口を叩きつつも、探偵と怪盗は油断なくナイ神父だった怪物を見据えて構える。
『……今更だが、人間のくせに随分と肝が据わっているな』
「本当にな」
怪物に同意する清水も大概である。
「……それが、お前の真の姿か?」
『私には千の異名と化身が存在する。ナイ神父も『カオ〇シ』っぽいこの姿も、その一つに過ぎん』
「何だ、その呼び名に困るような設定は? とりあえず、名前は統一しろ。呼ぶにしてもこっちが困る」
『まぁ、それもそうだな』
ナイ神父と自称していた怪物は、初めて真名を名乗った。
『我が名は、ニャルラトホテプ……またの名を、ナイアルラトホテップ』
「……ッ! そんな……!」
美優が驚愕する。
「ニャルラトホテプ……! HPLのデータベースの中でも、トップクラスの凶悪性と危険性を併せ持つ邪神です!」
その説明に、「何だって!?」と言わんばかりに銀子や清水、リチャードが愕然とする。
一方で、『ふふん』とナイ神父改めニャルラトホテプはどこか上機嫌。
「そして記録されている邪神の中でも、『トップクラスで変な名前』、『呼びにくい邪神の名前部門堂々の第一位』などの称号を総なめにしています!」
『えっ』
思わず戸惑いの声を上げる邪神に、
「……えっと、ナイアガラホイップ? だったか?」
早速名前を呼び間違えるクロガネ。
『おい、どこぞのご当地スイーツみたいに呼ぶのやめーや』
「すまん、横文字で長い名前はどうも苦手で……」
『あー、確かにな。私の名は人間如きが発音するには難しいから……』
「ニャ、ニャル……」
『ニャルラトホテプ』
「ニャルラトホテプ」
『そうだ、よく出来た』
「どうも」
邪神が褒めると、クロガネは素直に一礼。
「…………いや何、このシュールな状況?」
銀子がもっともなツッコミを入れる。
「さて、名前も覚えたところで」
クロガネは折れた刀を邪神に向けた。
「とりあえず二人を放せ、ニャル」
『いきなり略す辺り、さては覚える気がないな貴様?』
「とにかく、二人を放せ。さもないと」
『……さもないと?』
思わせぶりに言葉を切った怪盗に、邪神は視線(どこに目があるんだ?)を向ける。
「そこの白野探偵が失禁する」
「するかッ!」
真面目な顔で失礼なことを言い放った怪盗に、銀子は真っ赤になって否定する。
「銀子さんの聖水をモロに被ることになるぞ! 人によってはご褒美かもしれんが、邪神には致命的だろ! 聖水だぞ聖水! どうだ、悲惨だろ?」
「アンタの頭が悲惨だァッ!」
「失礼な、まだハゲてませんよ?」
「髪の話はしてないし、失礼なのはそっちだろッ!? この変態紳士ッ!」
「……さっきから何やってんだ、あいつら」
恐ろしい怪物を前に茶番を連発している探偵たちを、端から眺めていた清水は脱力する。
「だが、あの化物を相手に臆していない。凄まじい精神力だ……」
「そ、そうか。確かにそうだな、うん」
感心するリチャードに、曖昧に頷くと。
「これが噂に聞く、大和魂……」
「それは絶対に違う」
間髪入れず、清水はツッコんだ。
『いい加減にしろ。時間稼ぎのつもりだろうが、その手には乗らん』
「……いや、充分稼がせて貰った。来るぞ」
「何?」
ちらりと玄関を見やったクロガネに釣られ、ニャルラトホテプが視線を切った――直後。
天井のステンドグラスをぶち破り、空から機関銃を装備したドローンが三機編成で現れた。
「かかりましたね、上からです」
緑色の義眼を輝かせた美優が、意地の悪い笑みを浮かべた。
クロガネのかつての同僚、
そしてけたたましい銃声と共に、銃弾の雨を浴びせた。
咄嗟にニャルラトホテプは人質を盾にしようとして――何故か思い留まる。
突然の銃火に晒された銀子は堪らず目と耳を塞ぎ身を竦ませるが、美優の精密な遠隔操縦によって人質には一発たりとも掠りすらせず、ニャルラトホテプのみを精確に撃ち抜いた。
銃弾が被弾する度に闇が弾け、怪物の身体がみるみる削られていく。
『小蝿がッ!』
苛立ち交じりに伸ばした触手を薄い刃状にしてしならせ、次々とドローンを切断する怪物。
最後の三機目も撃墜しようとしたところで、
『ガッ!?』
横っ腹を、一際大きな轟音と共に発射されたライフル弾が貫いた。
見れば、半魚人のトラックが作った突入口から
そしてウニモグのサンルーフから身を乗り出したナディアが、ブルパップ式対物ライフルの銃口を怪物に向けて――第二射を発砲。
怪物の頭部が大きく抉られる。
即座に周囲から闇を寄せ集めて頭部を再生。
更にその身は削られ、小さくなっていく。
怪物の死角から、
『ぐァ……ッ!』
一瞬四斬!
クロガネ以上に研ぎ澄まされた剣技が怪物の身に深々と刻まれ、苦悶の声を漏らす。
美優と銀子を拘束していた腕をも切断され、二人は高所からの自然落下を始めた。
「美優ッ!/銀子さんッ!」
折れた刀を捨てクロガネが無二の助手の元へ走ると同時に、怪盗も宿敵である筈の女探偵の元へ駆け出す。
生き残ったドローンが美優の操縦で空中から弾幕を張り、ナディアの狙撃が怪物の動きを止め、新倉の剣が触手を次々と斬り払って二人の道を切り開く。
凄まじい剣林弾雨に、ついに怪物本体がその場に崩れ落ちて塵と化した。
そして探偵と怪盗が、それぞれの相手に向かって伸ばした手は――
『なかなか愉しませてくれる』
――虚しく空を切る。
美優と銀子を掴んでいた腕を起点に、黒い粒子が集まって新たな肉体を再構築。
「美優ッ!/銀子さんッ!」
頭は人間、胴体は翼の生えたライオン……エジプトで有名な怪物、スフィンクスのような姿を
ただし、体色は全身塗り潰されたかのような漆黒で、顔が無かった。
二体もの『顔のないスフィンクス』が、再び美優と銀子を拘束する。
『二人を救いたければ、私を追って来るが良い!』
そしてその翼を大きく羽ばたかせて飛翔し、スフィンクスは破壊されたステンドグラスから屋外へ飛び去っていった。
「そんな……」
呆然と立ち竦む一同。
『さぁ、お愉しみはこれからだ!』
ケラケラと、愉悦と邪悪に満ちた嗤い声が、荒れ果てた美術館内にいつまでも残響した。
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