幕間7
まんまと【宵闇の貴婦人】を盗み出した幻影紳士は、車を乗り捨て、顔を変えて移動し、やがて目的地に到着する。
……尾行は、ない。
「ここが指定場所か……」
そこは南区の外れにある古く寂れた教会だった。
手入れが行き届いていないのか、外壁の一部にはツタが生い茂って張り付いていた。
窓ガラスも割れており、何か車でも衝突したのだろうか壁の一部が無残に抉れ、崩れ落ちていた。
もはや、教会という名の廃屋である。
とはいえ、教会は教会。
つい先程、盗みを働いたばかりの犯罪者が訪れる場所としては、些か不謹慎であろう。
怪盗は静かに正面玄関の扉を開け、中に入り込む。
分厚く、歪んだ木製の扉が閉まる音が、教会内に重く大きく響いた。
会堂の最奥に掲げられていた筈の巨大な十字架は根元からへし折られて床に転がっており、壁や床には無数の弾痕が穿たれ、古い血痕が飛び散ったまま残されていた。
外観同様に荒れ果てた堂内。
かつて、この神の家で何が起きたのか、どのような惨劇が行われたのか、想像すらしたくない。
祈りを捧げる信者たちに用意された筈の長椅子が、乱雑であるものの左右に分かれて並べられてあり、その間に一本の通路を作っていた。
すでに先客は居た。
最前列の長椅子、向かって左の通路側の席に人影が見える。
怪盗は自身の来訪と存在を示すかのように、あえて足音を立てながらゆっくりと進み、通路を挟んで反対側の席に座った。
「首尾は?」
【宵闇の貴婦人】を盗むよう依頼してきた男が、前置きもなしにそう訊ねて来た。良く通る声だ。
長身瘦躯で浅黒い肌に金色の瞳。
短く刈り込んだ銀髪はステンドグラス越しの月光を浴びて光り輝き。
ぞっとする程までに美しく、整った顔立ちをしている。
正直なところ、年齢が読めない。四十代から五十代くらいだろうか。
そして待ち合わせ場所に合わせたのか、男は黒い神父服を着ていた。
「ここに」
怪盗は懐から【宵闇の貴婦人】を取り出すと、神父に手渡した。
「……確かに」
神父は受け取った黒い宝石を掲げて、月明かりに透かして見る。
美しくも妖しい光を帯びた【貴婦人】に、満足そうに目を細めた。
「報酬は?」
「すでに置いてある」
神父が指差した先……怪盗の足元にアタッシュケースが置いてあった。
「いつの間に……」
眉をひそめながらもケースを膝の上に置く。足が付かないよう、現金で用意してくれたらしい。
パッチン錠を外して慎重に、蓋を僅かに開けたところで……動きを止めた。
「……どうした?」
訝しむ神父の疑問を無視してケースを遠くに投げ捨てるや、怪盗は席から立ち上がって拳銃を抜いた。
直後、その背後で。
床に落ちた衝撃で蓋が開いた瞬間、轟音と共にケースが爆発し、ボロボロになった紙幣の群れが宙に舞う。
「隙間から極細のワイヤーが見えた」
一定の範囲まで蓋を開けた瞬間、ケースの内部に仕込んだワイヤーと連動して
近くにひらひらと落ちて来た紙幣を、空いた手で摘まみ取る。
「偽札……最初からタダ働きさせておいて、用が済めば口封じか?」
冷たい視線と銃口を向けられた神父は、
「なるほど、ただの泥棒……いや、人間にしては中々やるじゃないか」
怯える素振りも見せず、実に愉快そうな笑みを浮かべた。
「……ッ」
得体の知れない不快感と嫌悪感に背中を押され、怪盗は本能のままに、容赦なく拳銃の引き金を絞る。
外しようがない至近距離で発射された弾丸は、何もない空間を素通りした。
「ッ!?」
「決断も早い。ますます気に入ったよ」
頭上から投げ掛けられた称賛の声。
見上げれば、神父はステンドグラス前に佇んでいる。
まるで瞬間移動だ。
「いつの間に、……ッ」
再び銃口を向けようとして、ふと周囲に漂う死臭と気配に気付く。
突如として、物陰から三体もの怪物が現れた。
それは限りなく人に近い形をしていたが、腐乱死体のように皮膚がただれ、犬を思わせるような顔立ちと、鉤爪を備えた手を持っていた。低い唸り声を上げて剥いた牙は、涎に塗れている。
前かがみの姿勢でじりじりと少しずつ距離を詰め、怪盗を見据える眼は赤く、禍々しい光を帯びていた。
明らかに人間でも自然界の動物でもない。
常識の外側に居る異形が目の前の存在している現実に、怪盗は色を失う。
「
文字通り高みの見物をしている神父は、楽しそうに語り掛ける。
「この教会に住んでいた神父と、その家族の成れの果てだ。弄り過ぎて、人間の頃よりやんちゃになってしまったよ」
さらりと明かした恐ろしい事実に、怪盗は思わず息を呑み、目を凝らして怪物たちを見た。
三体とも、それぞれ体型が異なっていることに気付く。
人間で例えるならば、二体はそれぞれ成人男性と成人女性に近い体型。
そしてもう一体は、両者よりも一回り以上小柄で――
「貴様ッ!」
怒気と殺気に染まった鋭い眼光が、神父を射抜く。
改造手術? 薬物投与?
いずれにせよ、これは非道極まりない人体実験の結果だ。
元は普通の人間で普通の暮らしを送っていた彼らの生命を奪い、弄んだ冒涜的行為は、怪盗以前に人として認めるわけにいかない。
神父は怪盗の怒りを意に介さず、明後日の方向を見やる。
「今頃、美術館の方も賑やかになっていることだろうな」
「……何?」
含みのある発言に、怪盗は一瞬にして我に返った。
神父は愉快そうに笑うと軽く手を掲げ、
「さて貴様は精々、食屍鬼どもとじゃれ合って私を愉しませてみろ」
パチンッ、と指を鳴らした。
待ちに待った『合図』に。
食屍鬼たちは地を蹴り、怪盗を惨殺せんと襲い掛かった。
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