7.呪いと忍び寄る影
「改めまして、こんばんは。怪盗の幻影紳士です」
怪盗は手にした【宵闇の貴婦人】を懐にしまうと、代わってスタンガンを取り出した。
「……ごめんなさい、館長」
一言詫びてから、電極を拘束した館長の首筋に押し当ててスイッチを入れる。
電気が爆ぜる音と共に、館長は意識を失ってその場に崩れ落ちた。
「……ユーリが、怪盗? え? 嘘でしょ?」
「ええ、嘘のような本当の話ですよ」
動揺する銀子に、スタンガンをしまった優利――幻影紳士が微笑む。
「ああ、流石にこの顔ではやりづらいですね」
優利の顔が一瞬ぐにゃりと歪み、次の瞬間には館長と瓜二つの顔となった。
「顔が……!」
全員が驚愕する中、クロガネの脳裏には先日遭遇した『ドッペルゲンガー』の姿がよぎる。
「高速変装術……いや、変身能力か」
「その通り。武闘派とはいえ、探偵を名乗るだけはある」
顔だけでなく、声すら館長に化けた怪盗が、クロガネに拍手を送った。
「声まで……!」とリチャード。
「さて。目的の宝石も手に入れたことですし、ボクはこの辺で失礼させて頂きます」
「ふざけるなッ! 今すぐ【貴婦人】を返せッ!」
怒り心頭……というより、どこか焦った様子でリチャードが掴み掛かるが、次の瞬間には怪盗に投げ飛ばされる。合気道だろうか。
「素人が無理をしないでほしいものです」
「それじゃあ次は、プロが相手だ」
怪盗の正面にクロガネと美優が立ちはだかり、銀子と清水が背後を取る。
四対一で囲まれたにも拘わらず、怪盗は余裕たっぷりに大きく息を吸い込むと。
「オートマタ全機に館長命令!」
館長と同じ声を張り上げた。
部屋の隅に待機していたオートマタ達のカメラアイに、光が灯る。
「この場に居る不審者どもを全員拘束せよ!」
警備用のオートマタ五機が、一斉に動き出した。
「ぎょわッ!」
内一機がリチャードに
他の機体はクロガネ、美優、銀子、清水にそれぞれ迫った。
「美優ッ!」
「……ッ!」
「こんの……ッ!」
「くそッ!」
そして怪盗は、四人がオートマタの相手をしている隙に悠々と出口へ向かう。
「待て!」
「と言われて待つ怪盗は居ませんよ」
銀子の制止に余裕で返しながら特別展示室を出ると、
「それでは皆様、ごきげんよう」
シャッターが閉ざされた。
***
ガン! と、クロガネは頑丈なシャッターを殴り付けた。
特注の義手で本気で殴ったにも拘わらず、ビクともしない。
「むぅ……」
無理をすれば義手を傷めてしまいかねないと、潔く引き下がる。
「逃げられちまったな……」
壁に背を預けた清水が、重い溜息をついた。
「応援……いや、外に通信は」
「出来ません。この部屋はネット回線はおろか、シャッターが閉まると電波も完全に遮断する仕様です」
銀子の発言を即座に美優が否定する。
PIDを確認すると、圏外になっていた。
ちなみに。
彼らの足元には、クロガネによって破壊された五機のオートマタが転がっていた。
頭部を殴り潰され、頸部に貫手を突き入れられて動力パイプを引き千切られ、装甲の隙間からナイフを深々と突き立てられては銃弾をしこたま撃ち込まれ、義手に仕込んだ
いずれもAIと駆動系を確実に破壊する手際の良さ。
しかも、怪盗が離脱してから一分足らずで全滅である。
「監視カメラは復活しているし、誰か異変に気付いてくれるのを待つしかないか」
「出来れば怪盗も捕まえて欲しいが、望み薄だな」
後ろ向きな清水に、クロガネが便乗する。
「……あの変身能力は厄介だ。特殊なマスクやメイクなどの変装道具は必要ない上に、PIDを始めとした身分証だけ調達できれば、あらゆる場所に侵入できる」
「オートマタが彼の命令通りに動いた以上、顔の他に声紋認証……恐らくは瞳の虹彩認証すらも突破できそうですね。
ただ、館長の体格や身長までは再現していませんでしたし、指紋認証も本人にやらせた様子を見る限りだと、変身可能な範囲は首から上までなのかもしれません」
展示室に閉じ込められた現状では何も出来ないため、冷静に怪盗の能力を分析する機巧探偵。
「さっきの停電や破裂音騒ぎに紛れて館長に変身し、この展示室に侵入したわけか。館長の顔を
「ですが、肝心のケースは指紋認証によるロックが掛かっているため突破できません。無理に破ろうとすれば、トラップが作動してしまいかねませんし。そこで本物の館長に開けて貰う必要があったため、ケースに『ある細工』を施した後、何食わぬ藤原くんの顔で持ち場に戻って来たのでしょう」
美優は床に転がっていたガラスケースを拾い上げる。
そして、表面の角を爪でカリカリと何度か引っ掻いた後、強化ガラス一面に貼られていたテープらしきものをベリベリと剥がし取った。
「それは?」と銀子。
「鋼和市の某研究所で開発中の新型マジックフィルムです。背後の景色を表側に投影する光学迷彩技術を応用しています」
宝石を盗むための道具を盗んでいたとは、恐れ入る。
「ここで一度、怪盗の手口を整理してみましょう」
美優は人差し指を立てる。
「まず一つ目。白野探偵社の助手・藤原優利に変身した怪盗は、事前に消火器や照明に細工を施していた」
先程の犯行予告時間前に行った館内の確認の際、あるいはもっと以前から業者や関係者を装って仕込んでいたのだろう。
美優は続けて中指を立てる。
「二つ目。犯行時刻を迎えるや、館内に仕込んだ仕掛けを作動させて警備の目を撹乱し、その隙を突いて特別展示室に侵入する」
その判断力、気配と足音を消した身のこなし、怪盗の名は伊達ではないと言うべきか。
「三つ目」
更に薬指を立てると、美優は何故かこのタイミングでクロガネを見た。
助手の意図を察したクロガネは、肩を竦めて後を引き継ぐ。
「……事前に仕入れていた情報通り、室内のセキュリティは館長の顔だと反応しない。動かない警備用オートマタを尻目に、怪盗は標的である【宵闇の貴婦人】が入ったケースの表面に寸法ピッタリのマジックフィルムを貼り付け、あたかも【貴婦人】を盗み去ったと俺達に錯覚させる」
あの短時間でケースに細工を施した
ちらりと美優を見ると、彼女は頷いた。
何も主人を立てる必要はないだろうに、と内心呆れながらも続ける。
「そして四つ目。本物の館長が指紋認証ロックを解除するよう言葉巧みに誘導し、【貴婦人】を横から奪い取る」
「以上が、幻影紳士が【宵闇の貴婦人】を盗む段取りです。単独犯であるからか、計画的に練られていますね」
「……ユーリは無事かしら?」
不意に、銀子が覇気のない声でそうぼやいた。
普段は勝ち気で強気な彼女だが、助手の安否が不明である今、とても弱々しく見える。クロガネ達よりも先に怪盗を捕まえて手柄を得ようと躍起になっていただけに、意外だった。
「怪盗がユーリに化けていたのなら、本物もどこかに居るってことよね?」
「その通りです。本人のID認証をパスするために、怪盗は藤原くんのPIDまで持っていましたし……って、あれ?」
銀子の疑問に答えていた美優が、不意に首を傾げた。
「どうしたの?」
「白野さんの上着のポケットから、藤原くんのPID信号を感知しました」
「えっ」
言われて銀子はポケットをまさぐり、PIDを取り出した。
サブディスプレイには、『MASATOSHI FUJIWARA』とユーザー名が表示されている。
「いつの間に……」
「用済みになったから、怪盗が返してくれたのか?」と清水。
「何か意図があるのかも。パスコードは解るか?」
「解るわけないでしょ。そもそも、本人の生体認証でないと解除できないんだから」
クロガネを睨み付ける銀子に、美優が提案する。
「ちょっと貸して貰って良いですか?」
「どうするつもり?」
受け取った優利のPID――そのコネクタに、美優は中指先に仕込んである端子を差し込んだ。
「これでロックは解除しました。確認をお願いします」
銀子は唖然としながらも、返して貰ったPIDの電源ボタンを押して待ち受け画面を展開する。直後、その表情が凍り付いた。
「? どうした、白野さん?」
不思議に思った清水が声を掛ける。
「な、何でもないわ……!」
どもりながら一同から距離を取る銀子。
彼女が動揺し、慌てるのも無理はない。
優利のPIDの待ち受け画面には、凛々しい表情でデスクワークをこなす銀子の隠し撮り写真が設定されてあったのだから。
「アイツは本当にもう……」
「何か変わったものはあります?」
頭を抱える銀子に、美優は訊ねる。
「変わったものなんて、特に……ん?」
未送信メールを一件見付けた。
作成時間は今から一時間前と、ごく最近のものだ。
宛先:白野銀子さん
件名:幻影紳士より
「なんか、怪盗からのメッセージが残されてる」
「どんな内容だ?」とクロガネ。
銀子は本文に目を通すと、やがて険しかった表情が不意に和らぐ。
「ユーリは無事みたい。
「不憫」と美優。
「PIDもその時に奪ったんだな」とクロガネ。
この場に居る全員、犯罪者の言い分を鵜呑みにはしないが、相手は名の知れた怪盗である。少なくとも殺人はしないだろうという謎の確信があった。
「他に何かあるか?」と清水。
「ん?」と銀子は首を傾げた。
「90345……何、この数字?」
本物の優利の無事を伝える内容の下に、脈絡もなく現れた数字の羅列。
「……もしかして、あのシャッターを開けるパスコードじゃないのか?」
クロガネが、シャッター横に備え付けられたテンキーを指差した。
***
「本当に開いたよ、おい……」
呆然とする銀子。
怪盗が残したパスコードを打ち込んでシャッターが開放されるや否や、展示室の入口近くに居たガチムチ警官に清水が詰め寄る。
「おい! 少し前にここから館長が出なかったかッ!?」
「えっ、アッハイ。少し前にお一人で出られた後、『急用が入った』と言われてお出掛けになられましたが?」
清水の剣幕に困惑しつつも、そう答えると。
「バカモンッ! そいつがルパ……じゃなくて怪盗だッ! 館長に化けて俺達を閉じ込めて宝石を盗みやがったッ!」
「えぇッ!?」
驚くガチムチ警官に対し、美優が清水の横に並ぶや否や。
「でっかい図体して解らnふごッ……!」
「やめい」
某カリオストロな古城で有名なワンシーンを彷彿とさせる清水の台詞に便乗しようとした美優の口を、クロガネの手が塞ぐ。
「あの館長が、幻影紳士……」
「顔は化けても体格と服装は別人なんだから気付いてくれよっ」
呆然とする警官たちに、清水が𠮟責する。
「申し訳ありません、すぐに検問を敷きます!」
「おい、市内の防犯カメラやドローンの監視映像をチェックだ!」
「手分けして目撃者も捜せ!」
近くで話を聞いていた警官たちがバタバタと対応に走る中、オロオロとしている警備員たちにクロガネは指示を出す。
「展示室で本物の館長とアルバ氏がのびてる! 警備員の方々は手分けしてお二人の介抱、それと救急車の手配と誘導を頼みます!」
「わ、解りました!」
慌ただしくなった館内の様子を尻目に、清水は腕時計で時間を確認するとガシガシと頭を掻いた。
「……怪盗が逃げたのはもう十分以上も前か。流石に手遅れかな」
「いいえ、まだ挽回は可能です」
ネット回線と接続した美優が、その緑色の義眼を光らせる。
市内の防犯システムにハッキングし、美術館から離脱した偽館長=怪盗の行方を検索しているのだろう。美優の検索機能による情報分析、及び収集能力は警察のAIよりも遥かに高性能だ。
一同が期待を寄せて検索結果を待っていると、
「…………ぅ」
RPGのラスボス手前で突然セーブデータが消し飛んだ時のような顔を美優は浮かべる。
「どうした?」
「……すみません。見失いました」
「はい?」
美優らしからぬ返答に、思わず耳を疑った。
「途中で車を乗り捨てて移動手段を変えた上に、人ごみに紛れてはまた別人に変身したみたいです。PID不所持による追跡も、何らかの対策をしていたのか途中で機能しなくなりました」
鋼和市のセキュリティ対策は万全。
加えて、実行日を大多数の民衆が仮装して賑わうハロウィンに設定。
確実な逃走ルートも確保している周到さ。
「美優の『眼』をも出し抜くとは、本当に抜け目ない奴だな……」
「まったくです。やはり怪盗はこうでなくてはっ」
半ば呆れつつも感心してしまうクロガネに、文字通り義眼を輝かせて立ち直った美優が同意する。
「……何で嬉しそうなんだ?」
「前々から思っていたのですが、私たちクロガネ探偵事務所には好敵手が必要だと思うのです」
この助手は、幻影紳士がその好敵手にふさわしいとのたまう。
ロマンを抱くのは勝手だが、明日の生活費も怪しい現実に相乗りさせるのは勘弁してほしい。こちとら推理小説で活躍する名探偵ではないのだ。
「要らねぇよ、そんな面倒なの」
「……おい待て。今なんでこっち見て言った?」
自称ライバルの女探偵が睨んでくるが、無視する。
「何にせよ、任務失敗だな」
「悔しいですね」
「……そうだな」
実は今回の仕事を引き受けた際、
それだけ【宵闇の貴婦人】の警備は重要性が高く、クロガネ探偵事務所の実力を信用しての依頼だったとも取れる。
だが、肝心の【貴婦人】はまんまと怪盗に盗まれてしまった。
報酬ゼロは勿論のこと、世間的に探偵としての信用度が損なわれてしまったのは痛手である。美優のサポートで最近はトラブルも減っていただけに、尚更悔しく感じた。
「帰る前に、依頼人には一言詫びておこう」
「ですね」
美優が同意した直後、背後の慌ただしい気配に振り向くと、血相を変えたリチャードが特別展示室から現れた。
彼はクロガネ達を見付けるなり、どこかふらついた足取りで近付いてくる。電気銃のダメージがまだ抜けていないとはいえ、短時間で目覚めて動ける辺り丈夫な御仁である。
「大丈夫ですか?」
「……【貴婦人】は?」
銀子の気遣いを無視して宝石の行方を訊ねてくる。
「申し訳ありません、怪盗に盗まれました。現在、警察が行方を」
「すぐに取り戻せ! 死人が出るぞ!」
清水の説明を遮って彼の胸倉を掴み、切羽詰まった形相でリチャードが詰め寄る。
落ち着いてください、とクロガネと銀子はリチャードを引き離した。
「死人が出る? あのダイヤはまさか、
「ああ……いや、違う」
美優の質問に一度頷くも、すぐに首を横に振る。どっちなんだ?
「呪われている……と言えば確かにそうだが、災いの質が比べ物にならない」
何やら不穏だ。雲行きが怪しくなってきた。
「と、言いますと?」
「それは……」
リチャードは僅かに躊躇し、やがて意を決して告げる。
「……【宵闇の貴婦人】は、とある怪物の遺灰で作られた合成ダイヤモンドだ。その怪物の呪いが、私の友を殺した」
***
同時刻。
深夜の公道を走る、大型トラックが一台。
荷台にはファンシーな魚のイラストと大漁旗が描かれており、『桝居漁業組合』と書かれていた。
不思議に思うことはない。
どこをどう見ても新鮮な魚介類や海産物を専門とした運送用トラックだ、と誰もがそう思うことだろう。
通り過ぎる街灯の灯りが、運転手の姿を一瞬照らし出す。
青いツナギを着た大柄の男性だ。
『海の男』らしく頭にはタオルを巻き、捲り上げた袖から覗く太い腕は綺麗に日焼けしている。
――ただ。
大きな二つの目はその間隔が常人よりもやや離れている。俗に言う『魚顔』だ。
開いた厚めの唇からは鮫のような乱杭歯が覗き、首筋や腕など露出した肌にはうっすらと鱗状の皺が寄っていた。
ハンドルを握る両手、その指と指の間にはまるで水かきのようなものが生じており、爪は長く鋭く伸びている。
客観的に見ても、その容姿は普通の人間のものからかけ離れていた。
しかも現在進行形で、運転手の身体が人のものから異形のものへと少しずつ変貌を遂げているのである。
――彼が駆るトラックは、一路南へと走る。
――鋼和美術館へと。
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