1.予告状と白銀の探偵

『――次のニュースです。東京都鋼和市にある美術館に、怪盗である〈幻影紳士〉から犯行予告状が届いたとのことです』

「怪盗……!」

 鋼和市北区の一角にあるクロガネ探偵事務所にて、何気なくテレビニュースを見ていた探偵助手の安藤美優は、思わず身を乗り出した。


 幻影紳士。


 最近、巷を騒がせている怪盗だ。

 最先端のセキュリティを破り、事前の予告通りに目的の財宝を盗んで去っていくという、まるでミステリー小説の中でしか存在しないような怪人の出現に、民衆は多大な興味と関心を寄せていた。

 本土で活動しているという情報は以前からあったが、まさかセキュリティ技術が発達している鋼和市この街に現れるとは、中々に剛の者である。


『――本日正午過ぎ、鋼和美術館宛てに〈幻影紳士〉と明記された予告状が届きました。内容は「一週間後の十月三一日に、この美術館で現在公開されている宝石【宵闇よいやみの貴婦人】を頂きに参上する」とのことです。美術館側は警察に相談し、警備体制の強化を進める方針です』

「まさか実在していたなんて……クロガネさん、怪盗ですよ怪盗っ」

 美優が興奮した様子で、探偵事務所の主にそう言うと。

「そうだなー」

 クロガネこと黒沢鉄哉はデスクで拳銃の手入れを行いながら、気のない返事をした。

 整備しているのはいつもの38口径小型回転式拳銃リボルバーではなく、45口径の自動式拳銃セミオートだ。

「どうしたんですか? 怪盗ですよ怪盗っ。探偵の宿敵じゃないですかっ」

「それは小説の話だ。怪盗だろうが何だろうが、窃盗犯の宿敵は警察と相場が決まってる」

 現実主義な発言に、

「ロマンがありませんね」

 と、美優は頬を膨らませる。

「現実の探偵なんてそんなものだよ」

 来客がない内に拳銃の整備を済ませ、初弾と弾倉は外したままスライドを引く。

 銃口を天井に向けつつ銃本体を耳元に引き寄せて引き金を絞った。

 カチンと、撃鉄が落ちる音が鳴る。動作良好、問題なし。

「現実の探偵は拳銃なんて持ちませんよ」

「そりゃそうだけどな、この街においては護身用として必要さ。特に俺には」

 何とも説得力のある発言に美優が引き下がると、

「クロ、ワタシも拳銃が欲しイ」

 同じくテレビを見ていた褐色肌の少女――ナディアがそうねだった。

 戦乱が絶えない国の出身である彼女は、鋼和市の実質的支配者である獅子堂家直属の現役スナイパーである。勿論、その経歴は非公開であり極秘であるが。

「お前はまだ謹慎中だろ。それに、市の公認で拳銃を持つには二十歳以上で面倒な試験と手続きが必要だ」

「ぶー」と不満そうにむくれるナディア。

 彼女は以前とある問題をやらかした際に銃を取り上げられ、クロガネの元で居候謹慎の身である。

「デモ、いざって時はどうすれば良いのサ?」

「その時は俺が守ってやるよ」

 クロガネの即答に、ナディアは思わず相好を崩した。

「……エヘヘ、ありがとうクロ」

「…………」

 無表情な美優が、デレッデレなナディアと平常運転なクロガネを交互に見た。そこはかとなく不満そうだ。


 と、そこに。


 ――ピンポーン。


 来客を告げる呼び鈴が鳴る。

 美優が出迎える間もなく、玄関扉が開いた。

「よう、黒沢。邪魔するぞ」

 鋼和市中央警察署刑事課に所属する清水が現れた。



「怪盗を捕まえる依頼ですかっ」

「お、おう」

 話を聞くなり義眼をビカビカと文字通り輝かせる美優に、清水はたじろぐ。

「……美優、ちょっと落ち着け。すまない清水さん、さっきまでその怪盗の話をしていたから」

「まぁ、昔から探偵と怪盗の組み合わせはロマンがあるしな。気持ちは解るさ」

 美優を窘めつつ謝るクロガネに、清水は快く理解を示した。

「美優ちゃんには悪いが、これは正式な依頼じゃない。標的となった宝石の持ち主から警備の依頼が来るかもしれないって話だ」

 清水は鋼和市限定の情報端末であるPIDを取り出し、空中にホロディスプレイを展開する。

 先程の報道でも表示された今回の予告状だ。


 内容は『十月三一日の午前二時、鋼和美術館に展示されている宝石【宵闇の貴婦人】を頂きに参上する――〈幻影紳士〉』とあった。


「今回、奴の標的となった【宵闇の貴婦人】は、現在展示中の鋼和美術館で目玉となっているブラックダイヤモンドだ」

 二十四面体状に綺麗にカットされた黒い宝石の立体画像が、実物大で表示される。サイズは拳大ほどで、かなり大きい。

「黒いダイヤとは珍しいな」とクロガネ。

「俺もよく見る無色透明か、青いものしか知らん」

 清水はPIDを操作し、今度は禿頭と白い髭が印象的な壮年男性の顔写真を表示する。

「所有者はロンドン在籍の宝石商、リチャード・アルバ氏だ。【宵闇の貴婦人】は、貸与という形で美術館に展示させているらしい」

「……つまり、自分のお宝を見せびらかして自慢するような奴か」

 うんざりとするクロガネ。傲慢不遜な金持ちや権力者の類は、彼の数ある嫌いなものの一つでもあるのだ。

「例え報酬が破格でも、そんな高慢ちきな奴からの依頼は受けたくないぞ」

「だろうな。だから前もって教えに来たんじゃねぇか」

 プライドの高い権力者の機嫌を損ねたら何をされるか解ったものではない。しかも相手は外国人だ。要らぬ因縁を作って国際問題にまで発展したら最悪である。ただでさえクロガネはトラブルに巻き込まれやすいのだ。

「それはお気遣いどうも。だけど、幻影紳士絡みにはあまり関わりたくないんだよなぁ」

「同感だ。正直、俺個人もあの怪盗とは敵対したくない」

 世間を騒がす怪盗を擁護する探偵と刑事に、美優は驚く。

 ちなみにナディアは仕事上の難しい話についていけなかったのか、事務所の端の方で漫画を読んでいた。

「お二人とも、幻影紳士の味方をするんですか?」

「まぁ、どちらかといえば」と頷くクロガネに清水も続く。


やっこさんは、


 怪盗というキャラクター性の他に、幻影紳士が民衆に人気な理由として、という義賊要素があるのだ。

 現に、幻影紳士が最初の標的とした絵画コレクターは、絵画のキャンバス裏に麻薬を隠して国内外に密売をしていたことが明るみになった。

 以降も犯罪者の悪事を暴きつつ財産や財宝を盗んでいくという手口とスタンスに、多くの民衆は好意的に幻影紳士を捉えている。


「では、このアルバ氏も何らかの犯罪に関わっていると?」

「幻影紳士の標的に選ばれた以上はその可能性がある。一応、警察の方でも調査中だ」

 美優にそう答えた清水は、大きな溜息を一つ。

「……とはいえ、盗みは盗み。警察の威信やメンツもある以上は、嫌でも怪盗をとっ捕まえなきゃならん」

「警察官の辛いところだな」

 愚痴をこぼす清水に、クロガネは同情する。

 個人的に納得できなくとも、法の番人である以上は公務を執行しなければならない。

「とにかく、もしかするとリチャード・アルバから警備の依頼が来るかもしれないってことは、頭の片隅にでも入れておいてくれ」

 クロガネは武闘派の私立探偵であり、犯罪者の制圧やボディガードなど、本職の警備員や警察官顔負けの実力を有していることで有名だ。

 ただし、有事の際には意図せず周囲に被害が拡散するため、『鋼和市随一のトラブルメーカー』と揶揄されることもあるが。

「解った。わざわざありがとう」

「こんなところだな。依頼が本当に来たら連絡くれ、警察側ウチらと共有できる情報は教えるから」

 じゃあな、と清水は去っていった。

 何だかんだで世話を焼いてくれる辺り、本当に良い刑事である。



「義賊と名高い怪盗と対決ですか……確かにやりづらいですね」

 美優が複雑な表情で言った。

「まだそうなると決まったわけじゃない。こちらは普段通りに仕事をこなそう」

「解りました。リチャード・アルバについて調べますか?」

 美優はネットを介してあらゆる情報を検索できる高性能ガイノイド(女性型アンドロイド)だ。彼女の手に掛かれば、さほど時間を掛けずにリチャードの悪行を知ることが出来るだろう。

「いや、しなくていい。まだこちらとは無関係だし、警察の仕事を取ることもないだろう」

「解りました」

 美優は頷くと、清水に出したコーヒーカップを片付け始める。

「ただいま新しいコーヒーを淹れてきますね」

 キッチンに向かう美優を見送ったクロガネは、ソファーにもたれかかって「ふぅ」と一息つく。

「幻影紳士、か……」

 サイバー技術が発達した鋼和市に現れた、犯罪者専門の怪盗。

 民衆受けはともかく、これまでに何度も予告した通りに標的を盗まれては、警察やセキュリティ会社の沽券に関わるだろう。

「探偵対怪盗……か。も動くかな?」

「あいつ、とは?」

 考え事が口から出ていたらしい。

 新しいコーヒーを卓上に置いた美優が訊ねてきた。

「ああ、ありがとう。今回の怪盗騒ぎで、黙っていそうにない知り合いを思い出してな」

「どなたですか?」

 興味本位で訊ねる美優に、クロガネは答える。


「探偵だよ。俺とはまったく違うタイプのな」



 ***


 鋼和市東区、通称ビジネス区。

 市の頭脳であり心臓部である中央区を基点に、東西南北の四つに分けられた中で最も経済が回る区画だ。ビジネス区というだけあって、高層ビルが無数に建ち並ぶオフィス街は活気に満ちている。スタジアムやレジャー施設などの娯楽も充実しているため、ビジネスマンの他にも市外から訪れる観光客も少なくない。

 先進先鋭・日進月歩をモットーに、今日も鋼和市の経済を回している。


 そんな東区に、比較的真新しいオフィスビルが一軒。

 六階建てビルの三階には、『白野探偵社』と書かれた看板が掲げられてあった。


 パンツスーツを着こなして颯爽とオフィス内を歩く若い女性――白野銀子は、自分よりも一回り以上も年上の部下に声を掛ける。

「上杉さん、浮気調査の件はどうなりました?」

「三日ほど追跡調査を行いましたが、特に浮気らしい行動は見受けられませんでした。中間報告書を現在作成中です」

「解りました。完成したら私に提出してください。確認と添削ができ次第、依頼人の方にも中間報告を行って、あと三日ほど対象の調査をお願いします」

 解りました、と上杉と呼ばれた男性は端末に向き直る。

「社長。こちら、ホームセキュリティの相談についての報告書です。確認お願いします」

 若い女性社員(それでも銀子より年上だが)の横山から書類を受け取って、目を通す。

「……自宅や近所に電気工事関連の人達が挨拶に来た際は、名前と連絡先を訊くことを勧めてください。工事会社や関連企業の職員を名乗って知らぬ間に盗聴器を仕掛けられたり、セキュリティコードを改竄する可能性があります。年々、詐欺や盗聴などの手口も巧妙化してますから、念には念を。少しでも不安や不審に思ったらすぐに警察に相談するよう、しっかり依頼人に伝えてください」

「解りました。資料をまとめ直してきます」

「お願いします」

 横山は自身のデスクに着くと、その隣で電話を終えた男が席を立ち、背もたれに掛けていた上着に袖を通した。

「社長、二日前に行方不明になった飼い犬が、南区の保健所で保護されたそうです。担当している飼い主と確認に行ってきます」

「解りました。定時も近いので、確認できたらその後は直帰で構いません。宮下さんは明日の午前中に飼い主さんと報酬の確認を、午後には報告書の提出をしてください」

「解りました。それでは行って参ります」

 退室する宮下を見送り、銀子は一同を見回す。

「今日はノー残業デーです。ちゃっちゃと仕事を片付けて、早めに帰りましょうっ」

「「「はいっ」」」

 年若い女社長の指示を受け、部下たちは溌溂とした返事を返した。



 ***


「それでは社長、お先に失礼します」

「はい、お疲れ様でしたー」

 定時を少し過ぎたところで、最後まで残っていた部下を見送る。

 一人になったオフィスで、銀子は提出された報告書の整理と、明日以降に請け負う依頼の担当者の割り振りを行う。

 それからしばらく、端末のタイピング音を鳴らしながら残業をこなしていると。

「お疲れ様でーす」

 西区にある私立才羽さいば学園高等部の制服を着た少年が現れた。

 ヘアバンドでオールバックにした金髪に童顔、しっかり着付けた制服という出で立ちは『真面目な不良学生』というどこか矛盾じみた、ちぐはぐな印象を受ける。

 彼が現れるや否や、

「ああ、ちょうど良かった。明日以降の依頼の下調べをやって頂戴。五分で」

 挨拶もそこそこに、学生に無茶ぶりをする銀子。

「無理言わんでください。どこの〇ーラおばさんですか?」

「四十秒じゃないだけまだマシでしょ……って、誰がおばさんだっ」

 空になったコーヒー缶を少年に向かって放り投げるも、微妙に外れて彼の顔のすぐ横を素通りする――と思いきや。


 カァンッ!


 少年の額のド真ん中に空き缶が直撃し、快音が鳴り響く。

「あはぁ、ストライクぅ……ナイスコントロールです」

「……いや、ユーリ……今の完全にボールでノーコンだったでしょうに」

 どこか恍惚な笑みを浮かべるユーリこと藤原優利ふじわらまさとしに、銀子は呆れてかぶりを振った。

「このドМが……」

「銀子さんだって人のこと言えないでしょ? 今日はノー残業デーなのに社長が遅くまで残業するなんて、充分Мでしょうに」

「これは組織の上に立つ者の責務よ。年下と見られて部下に舐められるわけにもいかないじゃない。ほら、バイト君も手伝って」

「上司の鑑っ。ホワイト企業っ。白野だけにっ。でも、ボクに対しては厳しくない?」

「アンタにとってはご褒美でしょ」

「まぁ、そうなんですけどね」

 優利は空き缶を拾い上げると、肩越しに背後へ放り投げた。

 空き缶は回転しながら緩やかな弧を描き、まるで吸い込まれるように専用のゴミ箱に入る。

「そんじゃ、さっそくやりますかね」

 軽く肩を回した優利は脱いだ上着を椅子の背もたれに掛けると、デスクに備え付けられた端末を立ち上げ、指示された仕事に取り組んだ。

 銀子も自身の仕事を再開する。


 ……。

 …………。


 二人は無言のまま手を動かし、オフィス内にはタイピング音だけが鳴り響く。

「……ふぃ~、終わった~」

 やがて仕事が片付いて伸びをする優利。

 流石に五分は無理があったが、四十分ほどでノルマを達成した。

「ご苦労様、と。こっちも終わったわ」

 銀子は重要なデータの保存を確認した後、端末の電源を落とした。

「それじゃあ、帰りましょうか」

「えー、銀子さーん。今日の分のご褒美はー?」

 優利がどこか調子に乗った口調で甘えてきた。

「……まったく、アンタは」呆れる銀子。

「いやいや、銀子さんのストレス解消やスキル向上にも繋がるんだから、お互いWin-Winでしょう?」

「……いいわ、やりましょう」

「やった」と優利は無邪気に喜ぶ。


 二人はオフィスビルの五階に上る。

 そこはフィットネスジムも兼ねたトレーニングルームだ。壁一面に貼られた鏡に、ダンベルやランニングマシンなどの機材が無数に設置されている。


 この六階建てのビルは一階が喫茶店、二階が多目的共用スペース、三階が探偵事務所、四階が警備会社、五階と六階が会員制のフィットネスジムとレストラン、地下一階は射撃場となっている。

 そして、全ての階はおろか、建物全体と土地の支配人兼所有者が銀子なのである。

「ひとまとめにした方が管理しやすい」

 と言って一つの建物に七職種をぶっこみ、いずれのオーナーを兼任している彼女はその凄まじい経営手腕もさることながら、元は名家の出身で大金持ちなのだ。


 一面ガラス張りの窓に設置されたブラインドを下ろして外部の目を遮断した優利は、手慣れた様子でマットを引っ張り出して床に広げ、上着と靴を脱いでその上に仰向けとなり、手足を広げて文字通り大の字になった。

「さぁ! いつでもどうぞ!」

 凛々しい顔で、完全に無防備な姿を晒す。

 一方で銀子も上着と靴を脱ぎ、マットに手を着いて優利に這い寄った。

「それじゃあ、始めるわよ」

 そう宣言した銀子は、無防備な優利の身体に手を伸ばす。

「……いつもみたいに、キツめでお願いします♡」

 優利は期待に目を輝かせ、頬を赤く染めた。



 誰もいない夜のトレーニングルームに、若い男女の荒い息遣いだけが聞こえる。

「どう? 気持ちいい?」

「ァああ……気持ち、いいですぅ……」

 女性の問いに、少年は恍惚な声を漏らした。

「じゃあ、これは?」

「ぐゥ……これも中々……」

 この日も、二人は秘密の行為に耽ていた。

 激しく互いの手足を絡ませ、荒い呼吸を交わし、汗を流す。

 最初はクールに振る舞っていた女探偵も昂って来たのか、色白の頬を赤く上気させ、綺麗にセットした髪を乱し、荒い呼吸を繰り返しながら少年を責め立て続ける。

「次は……これッ」

「おォうふ♡ こ、これは……♡」

 女性は少年の片腕を胸に掻き抱くようにして取ると、両太腿の間にその腕を挟み込み、両足首は彼の反対側の腕を挟むようにして絡ませた。両膝をしっかりと挟むことで『てこの原理』が働き、少年の膝を効果的に極める。


 ――お手本のようなが綺麗に極まり、少年を更なる苦痛快楽へと誘う。


「ぎ、銀子さんも、腕を上げたね……嗚呼、この痛みが……愛……」

「相変わらず、気持ち悪いわ、ねッ」

「あだだだだだだ! ボクにとっては、誉め言葉だ……ッ」


 ……この二人に限って言えば性的かつ卑猥な行為は一切ない。

 武術の心得がある優利が銀子に護身用として関節技を教えては、彼女の実践相手に買って出ているのだ。

 ドMな優利にとって敬愛する銀子から受ける痛みはまさにご褒美であり、銀子にとっては仕事のストレス発散と護身術の習得という利害の一致ゆえに、Win-Winの関係が成立している。


「あー……この前の依頼人、上から目線で嫌味ばっか言ってマジでムカついたわー。こっちが年下で下手に出ているから調子に乗りやがってぇえええッ」

「嗚呼♡ 今日の四の字固めは、いつにも増して……イイッ♡」

 八つ当たり気味に優利の足関節を痛めつける銀子。

 優利はそれを恍惚として受け入れる。

「ハァ、ハァ……寝技も良いけど、そろそろ立ち技の練習もやりましょう」

 お互い立ち上がると、距離を取って対峙する。

「それじゃ、僕が銀子さんを正面から襲うので、その対処を」

「解った」

「時に銀子さん、今日は黒ですか」

 言われて銀子は視線を落とす。

 ブラウスが汗で濡れて、その下に着けている黒いブラジャーが透けて見えていた。

「隙ありィッ!」

 視線を外した隙を突いて、優利は躊躇なく銀子の胸目掛けて手を伸ばす。

「――ふッ!」

 銀子は冷静に優利の魔の手を捌くと、すかさずアームロックを仕掛けた。

「あだだだだだだだッ! さすが銀子さん! 孤独にグルメなことをやっている某サラリーマンみたいな無駄のない動きであだだだだだだ♡」

「……まったく、アンタはブレないわね」

「そう、いえば、銀子さん。ちょっと、気になる噂が。このままで聴いてください」

「えっ、このままで良いの?」

「はいッ! むしろ、このままでお願いしますッ!」

 銀子は溜息をしつつ、要望通りアームロック状態を維持。

「……で、何よ?」

「先日起きた、大規模なオートマタ暴走事故、憶えてますか?」

「ええ。アンタが今通ってる学校の、文化祭前夜にあったことよね? 憶えているわ」

 倉庫街に突如として現れた大量の人型オートマタと、戦車型と呼ばれる大型のオートマタが暴走した事故のことである。

 倉庫街一帯と一般・高速の両道路を含めて大規模な破壊と損害をもたらしたが、幸いにも一般人の死傷者はゼロという奇跡が、今も話題となっている。

「アレを解決したの、クロガネっぽいですよ」

「…………」

 その名を聴いて、銀子は目を僅かに細めた。

 クロガネ。クロガネ探偵事務所。黒沢鉄哉。

 同業者にしてライバル。

 そして、銀子直々のを拒絶した唯一の存在。

「確かなの?」

「あくまで、噂ですがッ……ボクの見立てでは、アタリかと」

「黒沢が例のオートマタと戦っていたと?」

「情報源がSNSです、が、その可能性は高いかと。第一、戦闘用の大型オートマタと、正面切って戦える者は、限られ、ますし……ッ、それに……!」

「それに?」

「オート、マタが出現したと思しき倉庫街で、武装した多数の外国人が逮捕され、ました……」

「ああ、そのオートマタを保有していた非合法組織の一味じゃないかってね。報道を見たから憶えてるわ」

 闇取引か仲間割れかは今もはっきりしていないが、その過程で生じた何らかの原因でオートマタが暴走したと警察は見て捜査しているらしい。

「ボクの情報網によれば、警察が逮捕する前に……ッ、彼らと、一戦交えて叩き、のめした存在が、居たそうです」

 銀子の目が更に険しくなり、腕に力が入る。

 更なる痛みに、優利は恍惚に顔を歪めた。

「く、黒服たちの証言も併せると、相手は三人。一人目は、顔はよく見えなかったものの体格が小柄なスナイパー。二人目が高周波ブレードを操る男、そして三人目が……ッ」

 優利は一呼吸ついてから、三人目の特徴を語る。

「黒髪で眼鏡を掛けていた若い男で、左腕が義手だったそうです」


 ミシ……。


「あだだだだだだだだだだだだだだだッ!」

「またしても黒沢に、手柄を持って行かれた……」

 淡々と、八つ当たり気味に優利の腕を締め上げる銀子。

「ああ……ッ、だけど、この件にクロガネが活躍したことはおろか、関与していることも公にはされてませんし……ッ、そこまで気にすることでも……それ、に向こうは荒事処理の専門家みたいな、ものですし……」

「だからこそよ。黒沢をこちらに引き込めば、探偵会社として処理できる依頼の幅も広がったというのに……来る日も来る日も浮気や素行調査だの、行方不明になったペット探しだの、ストーカーの相談だのといった依頼しか来ないし」


「いや探偵として当たり前の仕事内容ですよね、それ」

「…………」


 ミシ……ミシ……ッ。


「ああああああああああああああああッ♡」


 真顔で正論を語った優利を、無言で締め上げる銀子。

「前々から言っているでしょう。私は、この街で……いや、この国で最も優れた探偵であることを示したいのっ」

 不意に優利の拘束を解いた。

「……例の怪盗騒ぎには、私達も介入するわよ。そして怪盗を、必ず私達で捕まえる」

 真剣過ぎる表情でそう告げた銀子は、背を向ける。

「私が有能であることを示さないと……私は……」

「………銀子さん」

 肩を震わせる彼女に、

「元気出してください。これまでもこれからも、ボクは貴女に付いて行きます」

 優利は後ろから優しく抱きしめて慰める。

「……ありがとう。だけどね」

 背後から伸びた優利の両手に胸を揉みしだかれ、銀子のこめかみに青筋がくっきりと浮かび上がる。

「どさくさに紛れてセクハラすんなやッ!」

 優利の鳩尾に肘鉄が突き刺さる。

「がはッ♡」

 次いで振り向き様に金的を蹴り上げられる。

「はうッ♡」

 トドメとばかりに放たれたハイキックが側頭部を綺麗に捉え、優利はマットに沈んだ。

「……見事なスリーコンボ……元気が出たようで何よりです……がく」

 実に満ち足りた表情で、優利はそのまま気絶した。

「まったく……」

 やや頬を赤らめた銀子は、呆れたように息をついた。

 どうしようもない変態だが、これでも優秀な助手なのだ。

 銀子のためとあらば身体を張り、道化も演じ、常に支え続けてくれる。

 単にご褒美という名の体罰を欲しているわけではない……筈だ。

 ……たぶん。おそらく。きっと。

 それなりに長い付き合いであるが、未だに彼の本心が解らない。

 だけど、それでも、何度も助けられてきたのは事実だ。

「……ありがと」

 事務的ではない、心から感謝の言葉を送る。

 もっとも、気絶している彼には決して届かないものではあるが。

 だからこそである。


 白野銀子は、素直ではない。



 ***


 気絶した優利に毛布を掛けた銀子は、施設の消灯と施錠をして帰宅する。


 しばらくして、無人のフィットネスジムで動く影が一つ。

「真心ある『ありがとう』は、起きている時に言ってくれないかな。素直じゃないね、まったく……」

 ちゃっかり聞いていた優利はむくりと起き上がると、ゆっくりと首や全身を動かし、銀子から受けたダメージの確認を行った。

 痛みはすでに引いて深刻な損傷はなし、問題なく動ける。

「……私が優秀であることを示さないと、か……」

 神妙な顔で優利は立ち上がり、ブラインドを僅かにずらして窓の外を見やる。

 銀子が乗った車のテールランプが、遠ざかっていく。

「名家のしがらみというものは、それはそれは厄介だな……」

 誰に言うことなく独りごちる。

 誰も居ないからこそ堂々と言い切る。

「がんじらめに拘束されるなら、やはり気持ち良いものに限る」


 藤原優利は、ブレない。

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