第一章 ホワイトアラス

 「……こうして、村に平和が訪れました。めでたし、めでたし」

 母さんの優しい声色で語られる”白き人”の物語。いつからかアロンソ家では寝る前に白き人の物語の読み聞かせが習慣となっていた。うんざりした気持ちでため息が漏れるのを必死に我慢している僕の横では兄さんが瞳を輝かせていた。

 「やっぱり白き人の物語はいつ聞いても最高だな」

 兄さんがお決まりの感想を述べて母さんが嬉しそうに微笑む。これまたお決まりの光景。繰り返される光景にうんざりが増していく。兄さんがもう白き人の物語は聞き飽きたよ、といった様子を少しでも見せてくれれば母さんももうやめようかなと思うかもしれないのに。聞き飽きた物語で同じように喜ぶ兄さんの頭の中身はどうなっているんだろうと心配になってくる。

 「俺は大きくなったら、白き人のように正義の味方になる!」

 十歳になったというのに今さらさらよちよち歩きの子供でも言いそうにない夢に思わずため息が漏れていた。

 「何だ、ティコ。そのため息は?」

 頭は鈍いが、耳はいいらしい兄さんが語気を強めて問い詰めてくる。

 「いやはや、十歳になろうというのに正義の味方になるという実現不可能な夢を高々と宣言する兄さんに思わず感服のため息が漏れただけですよ」

 「何で正義の味方になるという夢が実現不可能なんだよ?」

 自分の夢に茶々を入れられたのがよほど気に入らないのか語気をさらに強める。この単細胞をどうしたものかと考えてを巡らせながら母さんの様子を確認する。母さんはニコニコしながら兄弟のやり取りを見守っている。母さんが止める気配もないし、今日はこの単細胞に世の中の現実ってやつを教えてやるとしますか。

 「じゃあ聞くけど、兄さんに取って正義って何?」

 「な、何でそんなこと聞くんだよ」

 質問一つで兄さんの強気な態度は一瞬で崩れ去る。

 「正義の味方ってことは正義を実現する人のことでしょ?だったら、正義ってことが何なのかが分からなかったら味方のしようがないじゃん」

 「そ、それは……」天井を睨んで、叩けば音が鳴りそうな頭を必死に回転させる。「白き人のように悪い人をやっつけることだよ」

 予想された返答に口の端が皮肉気に吊り上がる。

 「なるほど。白き人のように悪い人をやっつけることが正義だと」

 「そうだよ」

 「じゃあ、悪い人ってどういう人?」

 「どういう人って多くの人を苦しませたり、悲しましたりする人のことだよ」

 「なるほど、なるほど」大げさに手を叩く。「じゃあ、兄さんは大きくなったらオルバイス家の人たちをやっつけるわけだね?」

 「はあ?何で俺がこの国屈指の名家であるオルバイス家の人たちをやっつけなきゃいけないんだよ?」

 「だって、兄さんにとっての正義は多くの人を苦しませたり、悲しましたりする人をやっつけることなんでしょ?隣に住む叔母さんがオルバイス家が経営している企業では安い賃金で長時間働かせて苦しんでいる人が多いって言ってたよ?まさしく兄さんが言うべきやっつけるべき存在じゃん」

 「べ、別にオルバイス家の人たちはルールを破っているわけじゃないだろ?そう、そうだよ。俺がやっつけるべき奴はルールを破って多くの人を苦しませたり、悲しましたりする奴のことだよ」

 「ふーん、ルールを守ってればその結果多くの人が苦しんでたり、悲しんでたりしても問題ないんだ。じゃあ、この国のルールを自由に作れるといわれているオルバイス家の人たちはやりたい放題だね」

 オルバイス家は多額の献金を多くの議員に渡しており、オルバイス家が望めばどんな法案も通るというのはこの国で住む者にとっては公然の秘密だった。オルバイス家にとって都合の悪いことは市民の口から語られることはあっても新聞などにのることは絶対になかった。

 「そ、それは……」

 兄さんが必死にかき集めた理由を粉々に打ち砕いて

 「まあ、この国ではオルバイス家こそが正義と言われているからね。”きちん”とルールを守っているオルバイス家の味方をすることは”正義”の味方を目指す兄さんにとっては相応しい振る舞いなのかもしれないね。その結果、オルバイス家は安い賃金で長時間働かせられている人は苦しみ続けると。あれ、おっかしーな。正義の味方をしているはずなのに苦しんでたり、悲しんだりしている人が救われてない。なんでだろー?」

 とどめを刺す。兄さんは目指す正義を侮辱された怒りからか、弟に言い負かされた悔しさからか、手を強く握りしめて小刻みに震わせていた。

 「ティコ君は」今まで黙って兄弟のやり取りを見守っていた母さんが口を開く。「大きくなったら何になりたいの?」

 「え?」

 全く予期していなかった質問に言葉が詰まる。

 「ティコ君の夢が何のか教えて欲しいな」

 他の人からの質問だったら政治家になって公平な社会を目指すなどいくらでも取り繕うことが出来ただろう。でも―――。

 母さんをチラと見やる。真っ直ぐに見つめられて思わず視線を逸らす。あの目で見つめられると本当に思っていないことを口にすることは出来なかった。

 「僕は、今のところは何もない、です」

 消え入りそうな声で告げる。

 「はあー、何もないー」

 思わぬ援軍を得た兄さんが単細胞ばりの単純さで復活する。

 「あー、やだやだ。自分には夢の一つもないくせに人の夢にはケチばっかりつける人間は!世の中斜めに見てばっかりで将来まともに育つのか心配だよ」

 「少しも物事を深く考えられない兄さんに心配されたくないよ」

 「何だと!」

 「何だよ!」

 兄弟睨み合うも「ハイ、ストップストップ」とすぐさま母さんが間に入る。

 「セスク君」

 「ハイ!」

 母さんに呼びかけられて背筋をピンと伸ばす。

 「セスク君はどうしたらセスク君の夢である正義の味方になれるのかを考えること」

 「ハイ、必死に考えます」

 条件反射のような返事に本当に分かっているのか疑問に思うも「よろしい」と母さんは満面の笑みを見せる。

 「次にティコ君」

 「ハイ」

 「ティコ君は心の奥底から湧き上がってくる声にしっかりと耳を傾けること」

 「心の奥底から湧き上がってくる、声?」

 「そう。ティコ君の内なる声はティコ君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知ってるの。ティコ君がそれに気づいていないだけ。雑音に紛らわされずに心の声にしっかり耳を傾けていつか何になりたいか気付いたら母さんに教えて欲しいな」

 「分かり、ました」

 「よし!」母さんの手が兄弟の頭を撫でる。「じゃあ、歯を磨いて今日はもう寝ようか」

 「えー、まだ眠くないよ」

 不満の声を上げる兄さんをよそに母さんの言葉を頭の中で繰り返す。

 内なる声は本当になりたいことが何か知っている、か。

 僕は何になりたいと思っているんだろう?


  新しく生まれ変わった世界を歩いていく。

 ゴンッ!

 額を押さえる。目の前に白い壁がある。新しく生まれ変わった世界のあまりの美しさに気を取られて全く気付かなかった。

 目を閉じる。体の周りを漂う”力”を感じる。膝を軽く曲げ、ジャンプする。”力”が体を包みこみ、上へ、上へと浮揚していく。

 建物の屋上にゆっくりと着地する。

 肺の中にある空気を全て吐き出し、朝の住んだ空気を精一杯吸い込む。両手を組み合わせて大きく伸びをする。

 朝の色に染まった街を一望する。

 街は静まり返っている。夜の闇に飲み込まれて街は一度死に、太陽の光に照らされて生き返る。物心ついた頃からそう思っていた。夜には自分の知らない世界、自分の知らない夜の闇が広がっていると。

 だから、朝が好きだった。

 今は誰も歩いていない。でも、しばらくすると新聞配達が自転車をこぎ始め、学校に、職場に行く人で街は溢れる。街が人々の声と熱気により色づいていく。その光景を眺めるのが好きだった。何物にも変え難い贈り物だった。

 朝の風が金髪を揺らす。

 青く透き通った空の下、清々しい陽光に照らされ静まり返る街並み。最期の瞬間―――この赤い瞳にこの風景を収めることが出来たのならば、どれだけ穏やかな想いを胸に旅立てるだろうか?

 大きく息を吸い込み、言葉を朝の風へと預ける。

 「世界よ!お前は美しいーーーーーー!」


 「世界よ!お前は美しいーーーーーー!」

 馬鹿の一つ覚えのように毎朝繰り返されるペンタクルの独白で懐かしい夢から覚める。現実に引き戻されて温かい気持ちは一瞬で消え去って口からは舌打ちが漏れる。

 ベッドから降りてベランダへと出る。朝の清々しい光とよく冷えた澄んだ空気に全身が包まれながら目を細めて静まっている街並みを眺める。いつもと変わらぬ街並みにほっと胸を撫で下ろす。

 朝起きると街は炎に包まれているんじゃないか?世界の真実を知ったあの日からそう思わずに眠りにつけた日はなくなった。

 朝起きて同じ街並みがある。あの日までそれは当たり前の事だと思っていた。でも、今の俺は知っている。それは当たり前のことなどではなく、精巧に作られた砂糖菓子のようなものだと。今この瞬間にも多くの人が愛してやまない砂糖菓子をぶっ壊そうとするブラックダリアのクソ野郎どもが暗躍しているかもしれない。

 大災厄を引き起こすテロ組織ブラックダリア。その名は心の奥底に閉じ込めた感情、憎悪を湧き起こしこの身を支配しようと声を上げ始める。

 その声には耳を貸さずに大きく深呼吸して自らに問いかける。俺は何だ?俺はワンド、対ブラックダリア特殊部隊であるホワイトアラスの戦闘員。おとぎ話の中の存在である白き人を体現する正義の味方。正義の味方。その言葉で憎悪は大人しく今までいた場所へと戻っていく。

 そう、穏やかさを、日常を守ること。それこそが使命であり自らに課した命題。

 部屋へときびすを返す。ホワイトアラスの制服へと素早く着替え、左手にシルバーのブレスレット、最後に視線を隠すサングラスへをかけて部屋を出る。正義の味方としての一日が始まる。


 カツン、カツンと足音が静かに響きわたる。

 重く冷めた、沈んだ空気が満たす神の家を一歩、一歩ゆっくりと歩いていく。天窓から差し込む朝の光がいたるところに光と影を作りだしている。

 祭壇の前まで来て立ち止まり、見上げる。視線の先では少女の像が祀られている。

 聖女アナスタシア。

 この星を一つの巨大な生命体と考え、敬う”ガイアの教え”の教祖にして、人々を救った英雄。手を胸の前に組み、目を閉じて、毎朝の日課となっている祈りを捧げる。

 ―聖女よ。

  貴方は私たちに示してくさだいました。

  ガイアへの愛を、愛される者の強さを。

  貴方は私たちに与えてくださいました。

  ガイアを照らす太陽の光を、心を照らす愛の光を。

  その光は私たちが歩むべき道を照らし続けてくれています。

  世界がいつまでも貴方の光で包まれんことを。

  ジ・アリオス・パテル。

 手をほどき、目を開ける。聖女は一点をいつまでも見据えている。

 聖女に背を向け、出口へと踏み出す。祈りの言葉を胸に。


 コードネーム、ペンタクル。

 格技室―ホワイトアラスの屋内運動場で対峙している男の名を反芻する。研修生の同期で、初めて顔を合わせてから六年になるが知っているのはコードネームのみで本名すら知らなかったが何の問題もない。必要なのは強いか強くないのか、ただそれだけなのだから。

 ペンタクルは腰を落とし、両手をだらりと垂らした構えでじっとこちらを見つめている。対してこちらはぎりぎりペンタクルの攻撃が届かない距離で半身で向き合う。

 身長百七十六、体重六十。それに対しペンタクルは身長百八十、体重七十。身長、体重ともに相手が上。そんな相手に真正面からぶつかっていく馬鹿はいないだろう。そう、普通ならな。

 後ろ足に力を込め、素早くペンタクルのリーチ内に入って右を拳を顔面へと放つ。ペンタクル首を傾げ拳をかわすと同時に右を伸ばしてくる。本能が発するアラームを無視して拳を額で受ける。ペンタクルの目が驚きで見開かれる。痛みを無視して更に踏み込む。左手を引いてすぐ目の前にあるペンタクルの腹部へと伸ばすーーー

 「ストップ!」

 女性の凜とした声に直前で止める。声をした方を見やると格技室の扉に長く伸ばした艶やかシルバーヘアーの女性、チャリスが立っていた。ペンタクルからは安堵の吐息が漏れる。手を引いてチャリスへと体を向ける。

 「どういうつもりだ?」

 「それはこっちの台詞。貴方こそどういうつもり?」

 「見れば分かるだろ?ペンタクルをやっつけようとしただけだ」

 ペンタクルがひゅーと短く口を鳴らす。チャリスは大袈裟に嘆息してみせた。

 「味方をやっつけてどうするの?」

 「鶏は三歩歩けば忘れるらしいが」大袈裟に嘆息を返す。「お前は何歩覚えていられるんだ?」

 「どういう意味かしら?」

 「前にも言っただろ?訓練のための訓練に意味なんかない。ストップと言えばブラックダリアの奴らは止めてくれるのか?止めてくれるわけがない。ペンタクルはミスを犯した。ミスには痛みがあって然るべきだ。その痛みが、痛みこそが俺たちを強くしてくれる。チャリス、お前が痛みを取り除いたことによって、ペンタクルは成長の機会を奪われたんだ。それは優しさなんかじゃなく、ただの自己満足だよ。敬虔なるシスターさん」

 ありったけの侮辱を込めたつもりだったが、チャリスは全く動じなかった。

 「それについてはアタシも前に言ったはずよ。訓練で味方を傷つけて私たちが最も重視すべき実戦に支障がでたらどうするつもりと」

 「それも言っただろ?俺一人で十分だと。訓練で味方にあっけなく倒される雑魚はいらない。雑魚は足手まといだ。そうだろ?」

 「ワンド」どうして分かってくれないの?チャリスの心の声がはっきりと感じたれる呟きだった。「貴方はいつもそう。頑なで私たちの言うことを少しを聞こうとしない。同じ目的のために集まった仲間なのに。そのサングラスだってそう。危ないと何度言ったら」

 「サングラスのことは」言葉を遮る。「指令に許可は貰っている。議論の余地はない」

 「じゅあ、サングラスのこと意外は議論の余地はある。そう受け取っていいのかしら?」

 舌打ちしたい気持ちを抑える。雑音に耳を傾けると碌なことがない。

 「お前らの言う通りにしたら強くなれると俺が思ったらな」

 「相反する者が議論を通して妥協点を見つける。争うことなく争いを解決することが出来るなんていやー、素晴らしい。実に素晴らしい」

 黙ってやり取りを見守っていたペンタクルが割り込んでくる。

 「人類の素晴らしさを再発見できたところでチャリス。君は何か用事があって来たんじゃないのかい?」

 「ああ、そうだった。司令からの伝言を伝えに。ブラックダリアから予告があったわ」

 「!」

 一瞬で表情が引き締まり、スイッチが入る。

 「奴らは何て?」

 「ヴォルグ社の関連施設を破壊する、だそうよ」

 「ヴォルグ社というと、薬品などの販売で最近急成長を遂げている企業か」

 「相変わらず事前に襲撃対象を告げてきちんとそれを守る。彼らもマメだねぇ」

 「確かにね。ヴォルグ社の各施設にはスタッフが派遣されているわ。ブラックダリアが現れたらすぐ連絡がくる。それまで待機ね」

 「了解」

 三人揃って格技室を後にする。


 「そこまでだ!」

  歯軋りし、目の前にいる敵を睨む。

 ブロンドの髪。のっぺりとした容貌。鮮やかな青色の瞳。黒のロングコートに黒のブーツ。もし街で見かけたとしても、特に記憶に残ることはないだろう。ただし、全く同じ顔をした人間が三人もいれば話は別だが。

 一心不乱に鉄槌で建物を壊していた三人の男が全く表情のない顔で一斉にこちらを向く。ガラス玉のような目で見つめられて背筋に冷たいものが走るが無視する。

 「三つ子とは世にも珍しい。一番上のお兄さんは誰かな?」

 ペンタクルが陽気な声で話しかける。しかし、黒服の男らは質問に答えることなく、かするだけで身体の半分も持っていかれそうな超重量の鉄槌を持ち上げてみせただけだった。体格はさほど変わらないにも係わらず、細い腕で自らの体重ほどありそうな鉄槌を軽々と扱っている。

 黒服の男の一人がペンタクル目掛けて飛び出してくる。なんの小細工もない、上段から振り下ろす最速の一撃。ペンタクルが後方へと跳び、その一撃をかわす。鎚の先端が鈍い音と共に地面へとめり込み、黒服の男とペンタクルの間を破片が舞う。

 ペンタクルが後方へと着地し、懐に飛び込もうとした時には既に鉄槌を上段へと戻していた。

 「なるほど、君がお兄さんか。弟に手本を示すために率先して行動するとは。感心、感心」

 場にそぐわない楽し気な声にいら立ちが増していく。

 「ペンタクル!」

 「こっちは心配ご無用。ほら、そっちにもお客さんだよ」

 残りの二人が、それぞれ俺とチャリスに向かってくる。

 フー、と一つ息を吐いて意識を集中させる。大気に流れる”力”を感じる。

  ”ドラグーン”ー博士はその力をそう呼んだ。ドラグーンは地脈として世界中を駆け巡り、その一部が地表へと溢れ出る。溢れ出たドラグーンを感じ、具体的な力へと変える。

 ペンタクルは風へ。チャリスは水へ。そして、俺は炎へと。

 左の拳を握り締めて具現化した力、炎と共に開く。拳が炎に包まれる。

 突進してしてくる黒服の男を見据える。

 だんっ!

 踏み込みの音が鳴る。その音に合わせるように強く踏み出す。黒服が鉄槌を振り上げる。構わず強く踏み込み、懐へと潜り込む。鎚の先端が地面を割り、炎を纏った拳が脇腹をえぐる。

 「なっ!」

 冷たい無機質な瞳に見下ろされ、思わず声が漏れる。ダメージは脇腹をかいくぐって内臓にまで届いているはずだ。感触も確かにあった。にも係わらず、男は苦悶の声一つ上げることなく前と変わらぬ無表情で佇んでいる。慌てて後退して距離をとる。黒服は何事も無かったかのように上段へと鉄槌を構えなおす。途端に太陽の光が遮られる。

 「?」

 訝しんで見上げる。何かが空から降ってきた。と認識した時には条件反射で何かを左手で払っていた。

 「ぷゲラ!」

 何かが声をあげる。見るとペンタクルが地面に転がっている。

 「ワンド」恨めしそうな目で見上げてくる。「吹き飛ばされた仲間を何の躊躇いもなく跳ね飛ばすなんで酷過ぎるんじゃないかな?」

 「無様に吹き飛ばされるお前が悪いんだろ?」

 「いやはや、両親の教育の賜物か随分我慢強く育てられた兄弟らしくてね。足首を蹴ってバランスを崩させたまではよかったんだけど……。まさか膝をついた相手に投げられるとはね」

 ペンタクルの言い訳は無視して頭を必死に回転させる。脇腹を全力でえぐっても何の反応もなし。我慢強いというレベルではなく痛みを感じていないとしか思えなかった。

 どん、と地面が小さく震える。横目で確認すると、チャリスが相手にしている黒服の男が放ったらしい鉄槌が地面へと落下したらしい。その黒服の男の顔は水で被われていたが、男は苦悶の表情を浮かべるでもなく執拗にチャリスを追いかけまわしている。チャリスは距離を取って苛立った顔で黒服の攻撃をかわしていた。

 相手が痛みを感じないのなら意識を絶つしかない、か。

 「さてさてどうしたものかね?」

 「お前はそこで見てろ」

 「って、ちょっとワンド?」

 二人並んで立っている黒服と対峙する。一人は鉄槌を下段に、もう一人は上段へと構える。下段に構えた黒服が突進してくる、と同時にもう一人の黒服が上段へと構えていた鉄槌を放り投げる。鉄槌が回転しながらこちらへと勢いよく迫ってくる。横へと飛んで鉄槌をかわす。そこへもう一人の黒服が飛び込んでくる。舌打ちを残す間もなく頭が消し飛びそうな一撃が振り下ろされる、ことはなく風が吹いて鉄槌は黒服の手を離れて彼方へと飛んでいった。

 ペンタクルの風か。自分の甘さに舌打ちが漏れる。クソが!心の中で自分を罵りながらも炎に包まれた拳を黒服の横顎へとぶつけ、全力で振り回して黒服を吹き飛ばす。もう一人の黒服が駆け寄ろうとするも、ペンタクルの風が行く手を阻む。無表情のまま立ち上がろうとするも身体が横へ傾ぐ。後方へと回り込んで首を極める。しばらくもがいていたがガクンと力が抜けるのを感じると腕を放す。崩れ落ちるように地面へと倒れこむ。

 視線をチャリスへ向けると横たわった黒服をじっと見つめていた。こちらの視線に気づいたのか慌ててペンタクルと共に駆け寄ってくる。

 視線をもう一人の黒服へと移す。チャリスとペンタクルが駆け寄ってくる。チャリスが相手にしていた黒服もぐったりと地面に横たわっている。

 「あと一人ね」

 「さてさて君はどうするんだい?僕のお勧めは両手をあげて無抵抗の意を示すことだけど……」

 じっとこちらを見据えていた黒服がペンタクルの言葉に反応する。コートのポケットの中から注射器のようなものを取り出して袖をまくった腕へと無造作に突きつけた。

 一瞬の沈黙の後、

 「ウグゥアーーーーーーーーーーー!」

 絶叫が響き渡った。血管は浮き出、眼は血走り、口からは荒い息が絶え間なく漏れる。両手にナイフを手にする。

 「来ーーーー」

 「ヒャッーーーーーーーーハッハッハッ!」

 警戒の声は黒服の雄叫びにかき消される。チャリスとペンタクルが後方へと飛び退く。意識を集中し、ドラグーンを集めて炎の剣へと変える。手に剣を持っているような重みを感じる。ナイフを逆手に突進してくる黒服に対して炎の剣を中段へと構える。

 「ーーーーっ!」

 息が詰まる。まるで距離を縮めたかのように眼前に黒が出現する。クソ過ぎんだろ!毒づきながらも懸命に身体をひねる。横を黒服が通過していく。逆手に持ったナイフが頬を掠めて流れる血が頬を濡らす。位置を逆にして再び向き合う。

 「ああ」後ろからチャリスが恍惚の声を漏らす。「自らの命を引換に超常的な身体能力を手に入れる。ああ、何て美しいのかしら」

 このバカ女は状況が分かっているんだろうか?頭がイカれてやがる。

 「ワンド」

 いつもとは違う、冷静な声。

 「何だよ」

 「あの動き、あれは人間のものじゃない。僕たち”セレクシオン”とも違う。おそらく……」

 「薬物か」

 黒服は焦点の定まらない目で肩で息をしている。

 「あそこまで身体能力を高める薬物ともなると身体がついてこれないはず。あのまま動き続ければ身体が壊れるだろうね。まさしく、超人だね」

 ペンタクルの呟きに意識が吸い寄せられる。

 「超人?」

 「薬物の力を借りて、自らの命と引き換えに人を超えた存在になったもの。あの兄君はそうまでして何がしたいんだろうね?」

 超人。人を超えた人。超人が相手ならその超人すら凌駕してみせるだけだ!

 「クギューーーーーーーー!」

 黒い獣が再び吼える。その声に応えるかのように炎の剣を槍投げのように投げる。炎の剣が一直線に放たれる。横に小さくサイドステップしてそれを避けるとすぐさまこちらに飛びかかってくる。肩に激痛がはしる。後方へと突き倒されるがすぐに飛び起きる。

 獣はペンタクルへと襲いかかっていた。風で盾を作ったのか、ナイフはペンタクルに届く前に軌道を変えていく。獣は身体の限界を無視してスピードを上げていく。血管は今にもはち切れんばかりに膨れあがり、眼は血で染まり、喉は酸素を求めて激しく喘いでいる。悲鳴をあげ続ける身体の声を無視して破滅へと突き進んでいく。

 「っグァ」

 獣の牙がペンタクルの肩へ突き刺さって血飛沫が舞う。牙を素早く抜いて後方へと移動する。

 「そこまでだクソ野郎」

 ペンタクルと獣の間に立つ。獣の口からは涎が垂れ、全身が小刻みに震えている。目で追ってたんじゃ間に合わない。一つ息を吐いて、目を閉じる。意識を集中してドラグーンの流れを感じる。チャリスを、ペンタクルを、そして、獣の存在を掴む。

 「GHAーーーーA、A、A、A、A、A、A!」

 獣の叫びが大気を震わし、大地を蹴る。タッ、タッ、タンっ。獣が跳ぶ。と、同時に身を反らす。空へと手を伸ばして目を開ける。視界一杯に獣の黒い身体が映る。伸ばした手が熱に憑かれた身体に触れる。

 刹那。掌から放たれた炎が獣の脇腹を吹き飛ばす。

 「ギャ、ガ、ギ」

 致命傷を受けながらも、獣が立ち上がり笑う。

 「ヒャーーーーーーーー―ハッハッハハハハハッハッハハhッハハッハハッハハ」

 全てを吐き出すように。何かにとり憑かれたように。炎の最後の瞬きのように。

 「ハハハハハハハハハハハーーーー」

 顔から血が吹き出る。瞬く間に全身に広がって赤に染まっていく。視点の定まらない目を見開き、掠れた叫び声をあげながら地面に倒れ込む。黒服が動かなくなったのを確認するとゆっくりと起き上がる。

 ブラックダリア。災厄を撒き散らす悪の組織。人々に悪と見なされる存在。命を捧げてまで力を求める彼らは何を求めているのか?

 「クソが!」

 苛立ちを叫びに変える。うんざりする問いかけから逃れるためにこの場から早々と立ち去るために踵を返すとカメラを手に戦闘シーンを見ていた存在がいた事に気付く。

 「クソ過ぎんだろ!」

 彼らの存在が苛立ちを一層引き立たせた。

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