第3話 クローズ2からクローズ12へ

 一昨年のあの日、私は公園のベンチで膝を抱えていた。待ち合わせ時刻になっても彼の姿は現れない。肩には薄っすらと白い雪が重ね着のように纏わりついていた。


 「やっぱり、来ないよね」


 ぼそぼそと一人、白い湯気を仰いだ。それもその筈、彼の本命は私じゃない。今頃私の後輩とどこかの部屋で宜しくやっているに違いない。それでも――。そう思って待ってみたけど、私の前を横切るのはカップルばかり。


 「あーあ、何やっているんだろう私」


 空を見上げると、白い綿がふわふわと舞い落ちている。それをぼうっと眺めていると、不躾に声を掛けられた。


 「隣、座っても良いか?」


 深緑のロングコートに臙脂えんじ色のスーツを着た男の人が立っていた。歳は私より年上かな? こんな夜更けに声を掛けてくるって言う事は、キャッチの人かスカウトの人? どちらにしても怪しい人だ。


 「こんな時間に何してるんだ?」

 「人を待ってるんです」


 ほら来た、適当に流しちゃおう。もし、しつこかったら彼に――。連絡しても来てくれないよね。そう思うと、瞳から一筋の雫が流れ出た。一度出たらもう止まらない、袖口で拭いても拭いても滲み出てくる。


スーツの人は迷惑に感じたのか、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。それもその筈、急に隣で泣き出したら変な女だと思って誰もがそうする。


 キャッチでもスカウトの人でも良い、今すぐこの気持ちをぶちまけたい。そうすれば、この気持ちにも整理がつくのに……。


 辺りが急に暗くなった気がして、腫れた目で上を向くとスーツの人が佇んでいた。彼の手を見ると缶コーヒーとココア缶が握られている。


 「ココアで良いか? 安心しろ奢りだ」


 ずいっと差し出されたココア缶を受け取ると、かじかんだ手に温もりが戻って来た。それで私はまた無性に鼻の奥が熱くなった。


 彼はそんな私の嗚咽混じりの物語をただ静かに聞いてくれた。全てを吐き出して感情的になっていた私は、彼にお願事をした。


 「ねぇお兄さん、一晩付き合って下さい」

 「何馬鹿な事言ってるんだ。それに俺は今から仕事で忙しい」

 「そっか、そうですよね。私なんかとだと嫌ですよね」

 

 どこの誰かもわからない人に向かって、私は何を言ってるんだろう。仕事で忙しいか……体良くあしらわれちゃったな。


 溜息を吐いた彼は、私の瞳をしっかりと捉えて口を開いた。


 「そうじゃない。本当に仕事なんだ。今夜はほら、特別な日だろう?」

 「クリスマス・イブ――。私にとっては最低な日になっちゃったな」

 「それは俺も同感だ。毎年、馬車馬のように働かされるし、恋人もいない俺にはどうでも良い日だ」

 「それも嫌ですね。周りはこんなにも祝福で溢れているのに、私の所にはサンタは来てくれないんですね」

 「サンタはどこにだっているさ。何か欲しい物でもあるのか?」

 「しいていうなら、真っ直ぐな人ですかね」


 それを聞いて缶コーヒーを吹き出す彼にむっと来た。


 「じゃあ、あなたは何が欲しいんですか?」

 「そうだな。俺は追いかけてくれる彼女が良いな」

 「何ですか! 私よりか意味の分からない願いじゃないですか」


 その時初めて、スーツの人は照れ隠しの笑顔を見せてくれた。その後さっと彼の表情が切り替わる。どうやら、彼に着信が入ったみたいで、少し私から距離を取った。


 「すまない、そろそろ仕事に戻らないと」

 「あの! 一つ聞いてもいいですか?」

 「ああ、何だ?」

 「何のお仕事されてるんですか? クラブとか飲み屋さん?」

 「ん~、守秘義務があるから言えないんだ。先程言った職業では無いのは保証しよう」


 そうですかと私は俯いた。人に言えない仕事……私の想像以上に関わっちゃいけない人なのかも。けど、見た目とは裏腹に紳士的なこの人の事を、もう少し知りたいと思ってしまっていた。そんな落胆した様子を見て、彼は言葉を続けた。


 「あ~、今夜はもう帰った方が良い。明日の朝になったら今の気持ちも晴れやかになるだろう。これも保証する」

 「名前も知らない人に、そんな事言われても信用出来ません」


 私は子供っぽく知らんぷりをする。だって、そうしないと彼の事何も分からない。少し悩んだ表情をして、彼はこう言った。


 「かたぎり……片霧かたぎりだ」

 「私は鹿山鈴しかやますずです。約束ですからね、明日起きて気が晴れて無かったら私――」

 「なに、心配する事は無い。今夜は聖夜だ、どんな人の所にも祝福が訪れる」


 そう言い残して彼は雑居ビルが立ち並ぶ影へと姿を消していった。


 話を聞いて貰ったお陰で、心の平穏は保たれた私は、寒さのあまりタクシーを呼び止めて自宅に帰った。ベッドに倒れ込んだ途端に眠気に襲われた私は翌朝、目が覚めると、見慣れない物がベッド脇に置いてあった。


 丁寧にラッピングされたその袋を手に取ると中からココア缶が出てきた。私は半信半疑だった彼の言葉を思い出して、狐にでも抓まれた感覚に陥る。その後、訳の分からない状況に一人部屋で腹を抱えて笑っていた。


 まさか! そんな筈無い! でも、実際に買った覚えの無いココア缶が手元にある。丁寧なラッピングをされて部屋に置いてあった。不法侵入にストーカー、冷静に考えると気味の悪い話だ。


 そんな事よりも私はもう一度あの人に会いたい、今朝あった事を聞いて欲しいと、公園へ足を延ばした。来る日も来る日も足繁く通ったけど、スーツの人は見つける事が出来なかった。


 年月が過ぎ去って今、彼は私の目の前にいる。きっとまた会える、そんな根拠も無い感情を繋ぎとめてくれたのは、片霧さんのあの言葉を信じたから。


 『今夜は聖夜だ、どんな人の所にも祝福が訪れる』


 目を見開いて口をぱくぱくさせる片霧さんの腕にしがみついた。


 「片霧さん、捕まえましたよ。今度は私がプレゼントお返しする番ですね」

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クローズ 夜に駆ける人々 神村 涼 @kamira09

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