第2話 打ち上げの話
景色は高層ビル群を置き去りにして、閑静な住宅街へと移り変わった。都市部郊外のベッドタウンで、ポツリポツリと灯りは点いているものの大半は夢の中のようだ。
適当な家を見つけて、そっと屋根に舞い降りた。彼女の手をぐっと引き寄せてバランスが取れる位置に誘導する。
「さて、調査を始めるか。やり方は分かるな?」
「もちろんです。各戸のセキュリティーレベルの把握と侵入経路の確認ですね」
「ああ、その通りだ。俺達のいるこの家も対象物件のようだ。試しに調査してみろ」
「了解。クローズ12……さん」
何と締まりの無い返事なのだろうか。もう良いから始めろと言わんばかりに手をひらひらさせて促した。
空の移動も大分慣れた様子で、彼女はまず外観の確認をあらゆる角度から行い、次に建具の施錠方法をタブレットに落とし込む。
調査は問題なさそうだな。あんなに真剣な表情をして、まるで昔の俺を見ているようだ。
「その調子だ、クローズ2。これなら手分けして行った方が早いな。俺は東側エリアを担当するから、クローズ2は西側だ」
「えー、クローズ12さんと五分五分くらいのボリュームじゃないですか」
口を膨らませてむっとした彼女は実に可愛ら――甘ったれているな。しかし、新人を育成するのも先輩としての務め、また潰さない様にケアするのも先輩としての在り方だ。
「出来る範囲で良い。終わり次第手伝う、だけどサボるなよ」
「ありがとうございます~。精一杯頑張ります」
「暗いからって夜が長い訳じゃ無いぞ。何かあったらインカムで連絡しろ、配置につけ
そう言って闇夜に紛れた俺達は、各々で調査を進めて行った。
この家は二階の窓から入るのが簡単そうだな。おっと、某警備会社のシールが貼られているな、会社に戻ったら確認の必要がある。腕時計に目を向けると、小一時間程経過していた。この様子だと冬霞町エリアの調査は十二分に済みそうだ。任務完了を確信していると、耳にノイズが走る。
『クローズ2どうした? 何かあったのか?』
『いえ、こちらは順調です。ただ、クローズ12さんに聞きたい事があって』
会社に不満でもあるのだろう、後輩の悩みを聞くのも先輩としては重要だ。任務も順調だし少しくらいなら良いか。
『なんだ、言ってみろ』
『クローズ12さんって、その……彼女とかいるんですか?』
『いや……仕事が忙しくて、そんな事にかまけている暇は無い』
仕事に忙しくてとは良く言ったもので、繁忙期以外は週休二日制の残業無しだ。時間はたっぷりと余っている。しかし、昨年から俺は真理を悟ったのだ。仕事=恋人なのだという事をな。決して見て見ぬ振りをしている訳では無い。決して――。
『それじゃ、明日も特別な予定は無いって事ですよね?』
『何言ってるんだ。明日が本番だぞ? 仕事に決まってるじゃ無いか』
『だからですよ。仕事終わりに打ち上げしましょうよ』
『ああ、良いぞ。当然言い出したクローズ2は、俺に付き合って昼まで一緒してくれるんだろうな?』
なんだ、会社の飲み会の話か。毎年繁忙期の終了日には社員一同集まって、昼頃まで飲み会が行われる。毎年参加しているから、既に参加決定の話だ。わざわざ、言われるまでも無い。
『えぇ! 昼までですか!? そっ、それなら、一旦自宅に帰る時間頂けますか?』
『自宅に? わざわざ、帰る必要ないだろう。その場で直ぐに始めるんだからな』
『そ、そ、その場で!? いくら何でも急過ぎですよぅ。私にも色々と準備が必要なんですから』
『ん? そうだな、そうなのかもしれない。じゃあ、待っておく事にするさ』
飲み会の話……だよな? 何か微妙に話が噛み合っていないような気がしないでも無い。準備と言われても宴会芸の一つや二つ披露するつもりなのか? そんな事を考えている内に、東側エリアは終わったな。彼女の方はどうだろう?
『クローズ2、聞こえるか?』
『はい、聞こえてます』
『作業状況はどうだ? 報告を頼む』
『はい、現在、西側エリアを東へ移動しながら調査エリアを拡大中です。全体の70パーセント終了しました』
『了解した。こちらは終了したので、約束通り西側エリアへ向かう』
『了解、宜しくお願いします』
『中々早いな、もう少し残ってるのかと思った。良くやったな』
出来が良ければ、素直に褒めるのも後輩を育てるコツだ。インカム越しに、彼女の嬉しそうな笑みが聞こえてくる。
午前三時過ぎ頃で、冬霞町エリアの調査は完了した。クローズ2と合流して、会社にインカムで報告後、俺達は情報整理の為に一度、会社へ帰還する。
会社の持ちビルである建物の屋上に下りると、クローズ5がタバコを吸っている所に出くわした。
「お疲れ様! 酷いぜ、俺の通信途中で切っただろ? それにしても、やけに遅かったなお前らしくも無い」
「重要な話じゃなさそうだったんでな。それにあの時、丁度トラブルがあって仕方なくだ」
「お疲れ様です。田中さ――クローズ5」
クローズ5もとい田中さんは俺の背中越しから、ひょっこり顔を出している彼女を見て、ははんと何かに納得した様子を見せた。
「もう、会社なんだし田中でも良いよ。
「田中さんがそうやって甘やかすから、
「おっと、いつもの説教が始まりそうだ。っとその前に――」
田中さんは俺から逃げる素振りを見せると、思い出したように俺の肩に手を回して、
「
「打ち上げに行こうとは言われましたが、それが何か?」
「そっか、そっか。それなら良いんだ。俺は報告済んでるから、先に嫁の元へ帰る。また、明日な」
背中をバンバンと叩いて、田中さんは機嫌良さそうに帰宅していった。相変わらず、良く分からない人だな。振り返ると屋上の手摺の傍で、風になびく髪を手で搔き分けている彼女の姿があった。
「鹿山どうした? 疲れたのか?」
「そうですね。少しだけ……少しだけ休憩していきませんか?」
調査中は休憩無しでやったからな、無理もない。ちょっと待っていろと言って、屋上に設置された自販機でココアとコーヒーを購入した。
「ほら、特別に奢りだ。ココアで良いか?」
「また……ココアなんですね」
「甘いの嫌いだったか?」
彼女は首を左右に振って、懐かしそうにココア缶に目を向けていた。甘いのが好きは女子共通じゃない……のか?
「片霧先輩はあの公園憶えてます?」
「あそこは昨晩待ち合わせした公園だろう。流石にそこまで歳食ってないぞ俺は」
「そうじゃないですぅ。一昨年の今頃、あそこで片霧さんは人と約束を交わしてましたよ」
近くの公園を指さしてそう言う彼女の言葉に、古い記憶を手探りで探っていく。一昨年、公園、約束。あっ――。
海馬に眠った一欠けらの景色が、頭を過った時、彼女は徐に俺の腕にしがみついて、ぷくりと膨れた唇を動かした。
「片霧さん、捕まえましたよ」
ちらつく雪を全て溶かしてしまいそうなくらい、穏やかな表情で火照っていた。
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