クローズ 夜に駆ける人々

神村 涼

第1話 小柄な新人現る

 寒空の公園に恋の熱を、落ち着かせる為かカップル達がベンチに座っていた。その反対側のベンチに俺は腰を掛けた。


 この会社に勤めて、もう何年経つのだろう。


 俺が在学中に受けた企業数は50社は下らない。それだけ受けたにも関わらず、内定を貰ったのは今の会社のみだった。当時の就職氷河期真っ只中で、内定を取れた事自体が幸運だ。


 平凡で……いや、どちらかと言えば目立つ所が無い地味な俺を採用してくれた事に対して、会社に恩を返す為に俺は必死に努力して、今や社内でも1位、2位を争う業績だ。


 『お前には期待している』


 最近上司からそう言われ始めて、俺の出世もほぼ間違いない。同僚は俺に負けじと日進月歩している。


 この会社では特に慌ただしい時期がある。社員総出で各戸に出向く、要するに繁忙期と言うやつだ。今日は、その前段階として現地調査だ。


 ザッ、ザー、ザー。耳に着けたインカムが電波を受信する音が聞こえる。そっと耳に手を当てて通話をオンに切り替えた。


 『クローズ12、応答せよ』

 『こちらクローズ12、音源良好』

 『クローズ12には打合せ通り、新人と共に冬霞町エリアの下見を行って貰う。確認出来次第帰投せよ』

 『本当に新人とかよ。このエリアは俺だけで――』

 『無駄口は叩くな、上からの指示だ』

 『はいはい、了解』


 プツリと通信は切れた。遠くから声をあげて小走りに駆け寄って来る小柄の女性の姿があった。


 「遅れてすみませ~ん」


 間延びした声を出して、目の前に立つ彼女の顔は、ほのかに赤らんでいる。華奢な肩を上下に揺らし息をしていた。


 「遅いぞ」

 「ごめんなさい! 片霧かたぎりさん――じゃないクローズ12」


 呆れて口から溜息を吐く。


 「ちょっと、良いか? 仕事中はコードネームだ。それと確認だが、会社支給のスーツは着て来たのか?」

 「あっ、はい! もちろんです、クローズ12。でもこれ身体にフィットしすぎてて……」


 そう言って彼女は前屈みになり、ムートンコートの胸元を指で広げて見せつけてきた。女性らしいラインと豊かな果実が何とも狩りどき――ではなく、ちゃんと身に着けているようだな。


 「お、おう、確認した。じゃあ人目が無い所に行くぞ。ついてこい」

 「はい。初めてなので優しくしてください!」

 

 ちょっと待ってくれ。幾ら夜寒いからと言って、この公園にはまだ人通りがある。その言い方には語弊があるぞ。そんなに大きな声を出したら――。


 「なぁ、あそこの女の子、変な名前で彼氏を呼んでるぜ。それに服も派手だな」

 「そういうのが好きなのよ。カップルにも色々あるわ」

 「俺達もやるか? 新鮮かもしれないぜ」


 小ばかにされたような会話が、カップルから聞こえてくる。くそ、俺一人ならこんな恥をかかなくて済んだのに。彼女に睨みを利かせて、その細い腕を強引に引っ張って、その場から颯爽と立ち去った。


 「クローズ2、うちの社訓を言ってみろ」

 「はいっ。一般人に悟られてはいけないでしたよね」

 「その通りだ。二度は言わない、周囲の目を気にした行動や言動をしろ」

 「ごめんなさ~い」


 半べそになる彼女を連れて、近くにある雑居ビルへと向かった。左右に首を振って、人通りが無い事を確認した俺達は、足早に非常階段を屋上まで駆け上がる。


 屋上に着くと、黒い背景に白い息がリズムを刻んで揺らめいでいた。澄み切った空気のおかげで遠くの灯りまで良く見える。さてと、目的の冬霞町はっと――。


 手慣れた手つきで、小型タブレットを腰袋から取り出すと、ブーンと小さな音を立てて起動する。タッチパネル式のタブレットは会社からの支給品で、地図情報の他に登記簿謄本に記されている情報や、世帯構成等が事細やかに記載されている。


 隣ではタブレットを持って方向を確かめようと、一生懸命その場でぐるぐる回っているクローズ2の姿があった。


 「落ち着け、クローズ2。お前は俺の後について来れば良い。スーツの使い方は分かるか?」

 「確か……最初にベルトに付いているボタンを幾つか押すんですよね?」


 研修を半年している筈なのに、なぜ疑問形で返してくるんだ。これは、一から説明しなおした方が良さそうだな。


 きょとんと小首を傾げている彼女に向かって呆れた声で話した。


 「良いか? まず、ベルトの右側に付いてるボタンを押すんだ。すると、光学迷彩が起動する」

 「ここですよね。おー、いつ見てもすごいですよね。これ」


 フュン! 気持ちの良い音と共に会社支給の特殊スーツに光屈折機能が付与される。光学迷彩と言ってもまだまだ研究段階、じっくり見れば視認できなくも無い。分かりにくくなると言うだけの代物だ。


 「次に真ん中のボタンは飛行用だが……クローズ2、一人で飛べるのか?」

 「あっ! かたぎ――クローズ12さん、私の事バカにしてますね。それくらい出来ます」

 「おい! 馬鹿っ!」

 

 彼女は勢いに任せて、真ん中のボタンを押すと立ち所にバランスを崩した。自分でも驚いたのか声にならない悲鳴をあげて空に飛び出していった。


 俺も咄嗟にボタンを押す。すると、ブーツ底から圧縮された空気が噴出し、屋上から足が離れる。空中で出力を強めた。ぐんぐんと速度が上がり宙に舞う彼女の身体を掴んだ。


 危なかったな……あと少しで、地面にぶつかる所だった。


 「ったく、これだから新人は嫌なんだ」

 「うう、ごめんなさい。怖かったですぅ」


 ぐずぐずと鼻を啜る音がして、今度は相当に気落ちしていた。このままでは、家に帰るとか言い出しかねないな。クローズ2のお守りは上からの命令だし、ほっぽり出す訳にもいかないだろうな。


 「それにしても良く私の位置がわかりましたね。もうダメかと思いました。もし怪我したら労災下りますかね?」

 「何馬鹿な事を言っている。この鹿の目レンナヴィジョンを装着し忘れているぞ」

 「あっ、仲間内で姿が視認出来て、暗闇でも昼間のように見えるやつですね」

 「知識だけは頭に入っているみたいだな。まあいい、鹿の目レンナヴィジョンを装着したら、このまま行くぞ」

 「えっ、あの……助けてくれたのは有難いんですけど……」

 「ん? 何か問題でもあるのか?」

 「ちょっと胸が苦しいっていうか、その……」


 今俺と彼女は抱き合うような形になっている。密着した胸元には彼女の柔らかな感触が二つ、息苦しいと悲鳴を上げているようだった。鹿の目レンナヴィジョンのお陰で彼女の頬が染まっているのが良く分かる。


 「あっ! すまない! これはわざとでは無い。 決してセクハラでは無いからな」

 「そんな事わかってますよ」


 ん? やけにつんけんした感じの表情だな。俺の誠意が伝わらなかったのか? もしかして、セクハラ認定でもされたのかもしれん。しかし、こんな彼女を一人で空の散歩をさせる訳にもいかない。


 「あれだ。ほら、危ないから手なら良いだろ? クローズ2が空に慣れるまでだ」

 「手……はい! よろしくお願いしますね!」


 なんだ? 今度はやけに明るくなったな。まあ、機嫌が良くなったなら良いか。すると、急に耳に異音が走る。 


 『こちらクローズ5、クローズ12聞こえてるか?』

 『ああ、聞こえてる。どうした?』

 『どうしたもこうしたもない。明日も仕事だろ俺達』

 『まあ、そうだな。毎年の事だ』

 『だろ? 嫁がそんなブラックな会社辞めろってしつこくてさー』


 ブッ! クローズ2からの通信は業務に関係ないと判断して強制終了。


 彼は同僚で俺より5つ上の先輩だ。最近結婚して、イチャラブな新婚生活真っただ中だ。まあ、彼はあんな事言いながら、ただのろけ話を誰かに聞いて貰いたいだけなのだ。


 「どうかしたんですか? さっきの通信は誰からです?」

 「ああ、クローズ5からだった。いや、大した用事じゃない。それより、早く調査を済まして帰還するぞ」


 彼女と繋がった手がぎゅっと握りられ、元気な返事が静寂の夜に吸収されて行く。空いている方の手で、タブレットに記された目的地を確認する。方角的にはここから北西か、あっちだな。タブレットを腰袋に収め闇夜を突き進んだ。

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