第6話 はじめまして鬼

鬼は子供天狗に迫った岩を寸前で押さえ、子供天狗の顔を覗き込んできた。


大きな体に、大きな顔!


口は閉じているように見えるのに、牙がはみ出ている。

その牙で人を食うのかと子供天狗は恐怖した。


岩を押さえるその手も驚くほどに大きかった。

子供天狗くらいの上半身であれば、片手で鷲掴みに出来てしまいそうな程大きい。


そしてその指先のとんがった爪!一本の爪だけで子供天狗をひと刺しに出来そうだ。


子供天狗が恐怖に震えていると、鬼は何を思ったか狐の面を鋭い爪先でひょいと取った。

子供天狗の生まれながらの顔があらわれる。


「なんだぁ、人間の子か…?」


鬼が一瞬疑ったのは、子供天狗の目と髪の毛が黒くなかったからだ。

「人間の子だな?」

鬼は確認する様に聞いた。

なんでもない質問であったのに、子供天狗は答えられない。なんと低い、恐ろしい声か、と。

人間と言えば食われるのか?天狗と言えば食われるのか?どちらが正解なのかわからない、などと考えるうちに、とうとう子供天狗の小さな誇りは崩れ去ってしまったのだった。


「うわぁぁ、うわぁぁぁん!」


子供天狗はその小さな体が壊れてしまうのではないかというくらいの大声で泣き出してしまった。

片足がはまって動けないのも、童の屋根を壊した事も、目の前の鬼に食われそうな事態も全て、子供天狗にはどうすることも出来ないのだ。

「うわぁぁぁん!」


鬼は困った。

目の前の子供が泣いてしまったのは自分のせいだと知っていた。人間は鬼を恐れる。きっと目の前の子供も鬼である自分を恐れて泣いているのだ。

こういう時は何をしても泣かれる。


「おい泣くなぁ」


どうにも出来ずにそうとしか言えなかった。もちろん子供天狗は泣くばかり。



「薬飴ならあるぞ、これで治るか」

人を食うには迫力にかける声色で鬼は言う。

「うわぁぁぁん…飴?」

子供天狗はそれでも泣いていたが、言葉の意味を理解したとたんに泣くのをやめた。

「そうだぁ、飴だ。俺が作ったんだ」

子供天狗の体中に響く低い声は少し嬉しそうだ。


「お前は鬼だろう、飴など食うのか、それとも飴を食った俺をくうつもりなのか」

泣いた後の声はあまりにも弱々しく裏返っていた。


鼻水が垂れ、涙も顎から口から滴り落ち、よだれと見分けがつかない。


「俺は食わない」

はっきりと鬼は言った。

「人間は食わない」

子供天狗を見つめて言った。


子供天狗もまた鬼の目を見た。

人間より鋭い形をしているが、宿る力は優しい。

「これで鼻をかめ、ほら」

鬼は布の切れ端をどこからか取り出して子供天狗の鼻に当てた。


すでに鼻水で塞がり、息も出来ない鼻穴から全力で鼻汁を出す。

鬼は端切れをよこす様に促して受け取ると、手慣れた手つきで端切れを衣のどこかに入れてしまった。


「さぁ出てこい」

続けて鬼は、子供天狗の脇下から指を通して軽々と持ち上げた。

驚き声を漏らす子供天狗に構うことなく、自身の頭の上あたりへ持っていく。

すると子供天狗は勝手に肩に足を乗せて立った。


鬼は、子供天狗が鬼の頭を支えにしてしっかり立ったのを確認すると、押さえていた岩を手から離した。


ごろ…


岩は丁度子供天狗が挟まっていた所に同じくはまって止まった。


「岩に挟まる人間の子供は初めてだ。待ってろ、土の上に連れて行く。」

そういうと鬼は岩の上をゆっくり歩き出した。


子供天狗はまるで空を飛んでいる様な気持ちになって、辺りを見渡した。

鬼が進む方角には見慣れない山道が見える。

子供天狗が通れないと嘆いた山道の先の方に連れて行こうとしているのだとわかったものだから、慌てて声をかける。


「待ってくれるか、鬼」


思いがけない言葉に足を止める鬼。


「どうした人間の子」

「俺は向こうに帰りたい」

鬼の肩に立っている子供天狗は逆の方角を指さしたのだが、鬼の目からは見えなかった。

「こっちか?」

適当に向きを変えて見る。

「いやいや、違う、こっちだ」

「こっちか?」

「ああ、ああ、こっちだ」

鬼は、どっちがどっちかわからなくなっていたが、なんとか正解の方に進んでいるようで、子供天狗は黙っている。

「ほら着いた」

そうして岩場を抜けた所で子供天狗を下ろそうとした。しかし子供天狗は自ら飛び降り着地する。

ずいぶんと身軽な人間の子だと鬼は思うのだった。


「世話をかけた」

子供天狗は申し訳なさそうに言った。

「あんな所で何をしていたんだぁ?」

「岩がどこから転がって来るかと思ってな」

「なんだぁ、そんな事か。この岩は俺が向こうから転がしてる」

鬼はとんでもない事を言い出した。


子供天狗は驚いたが、鬼ならば出来るのだろうと思った。大きな体に大きな手を見れば納得もできる。


「すごい力だな。こないだは夜中、転がしていたのか?」

この辺りで一夜を過ごした日の事だ。

「ああ、忙しいんだ」

「それはやっぱり、天狗と喧嘩する為の何かなのか?」


「天狗?喧嘩?」


鬼は初めて聞いた言葉の様に繰り返してみせた。

「天狗と喧嘩するんだろう??辺りの天狗達は大騒ぎだ」

「そうなのか。どの鬼の事か知らんが、俺は喧嘩はしない」

「東から鬼が沢山来ていると聞いたぞ」

「そうなのか。俺は鬼だが知らないなぁ」

子供天狗は驚いた。鬼が迫って来ているのではないのか。

「東の鬼は乱暴だなぁ」

まるで他人事の様に言う。

「東の鬼とは関わりはないのか?」

「鬼は他の鬼と会わん。東の事も知らん」

「そんなもんなのか?」


子供天狗はますます驚いた。


「そんなもんだぁ。それに人間は、鬼は人を食うと思ってるがそんなのは一握りの鬼だ」

「人間を食うのは一握りなのか!」


子供天狗はついに声を荒げた。


「そうだぁ」

確かに目の前に立ち話す鬼は、人を食う様には見えない。

子供天狗は最初こそその図体に驚きはしたが、こうして話せば天狗や山ギツネと対して変わらないと感じていた。


「では何を食う?」

「何でも食うぞぉ、でも人間は食わない。人間の肉は毒で、もし食えば命落とす事もあるらしい」

「人間の…体が毒!」

「鬼に、俺の一族にとってはだなぁ」

人間の体に毒があるとは知らなかった子供天狗は、繰り返し言うだけで精一杯だ。

鬼といえば、子供天狗と話すのに気をよくし、その場に座り込んでしまう。


子供天狗は場を去る機会を逃し、どうしたものかと考える。

「お前さん、名前はなんと言うんだぁ」

「名前?」


鬼に聞かれるが名前など無い。

「名前はまだ無い。一人前の…大人になったらもらうもんだ」

一人前の天狗、と言いたかったのだが、鬼は子供天狗の事を人間の子供だと思っているので慌てて言い換えた。

「人間の子供は名前をもらうもんだと思ってたが…そうか、ないか」

怪しまれたか。嘘でも言うべきだったか、しかし人間の子の名前がどんなものなのかも知らない。


「鬼には名前はあるのか?」

「一族の名前はある。俺の名前も、特別にある。聞いてくれるか?」

鬼は嬉しそうに話し出した。

「言ってみろ、しっかり聞くぞ!」

子供天狗の言葉に、鬼は満足そうに頷く。

「俺の名前は、鬼丸っていうんだぁ」



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