CASE2 とある兄の場合

俺はいったい何を見たんだ? 俺は悪夢を見たのか?

落ち着こう。少し記憶を巻き戻すんだ。


『クロードさん どうぞ』


『ああ君か。ありがとう』


たったこれだけだ。たった二言だ。

サキがあいつに何かを渡しただけ。

妹の行動にいちいち口をはさむ必要はない。だがしかし――。


「ジェイドくん……あのッ!

 受け取ってください……!

 きゃーッ! 渡しちゃった!!」


今しがた押し付けられるようにしてもらったものを見て

記憶のニュアンスが塗り替えられる。


『クロードさん どうぞ』


語尾に照れた様子はなかったか?


『ああ君か。ありがとう』


こちらも語尾に嬉々とした様子はなかったか?

……いや。あいつは常にこのテンションだ。事実だけを並べよう。

そうだ。サキが渡したものは、これに似ていた。

俺が持っているものとそっくりだ。俺は鈍い方ではない。

これがどんな意味を持つプレゼントなのか、知らないことはない。

甘ったるい匂いに眩暈がしそうになった。



 ――IDAスクールH棟・2階――


「ふう……ようやく諦めてくれたか……」


女子生徒との攻防はアルドが勝利を収めたようだった。

もうついてこないことを確認して、前を向いたとき――。


「アルド……」


「わッ! ……びっくりした。ジェイドじゃないか」


「…………」


「ん? どうかしたのか?」


「いや……」


「顔が青いぞ? 具合が悪いなら病院に……」


「そうだな 病院……。今日も付き添いだと言っていたな。

 ……アルド 恥を忍んで頼みがある」


「どうしたんだ?」


「病院まで一緒に来てくれ。お前にしか頼めないことだ」


普段は冷静なジェイドに何かあったのかもしれない。

アルドは二つ返事で了承した。


「もちろんだ。エルジオン医大病院に向かおう」



 ――エルジオン医大付属病院 1F――


「待てアルド。

 あそこにサキがいる。隠れるぞ」


「ん? 診察しないのか?」


「そんなことはいい」


妹に心配させないようにするためだと、アルドは勝手に納得した。

ジェイドとともに柱の陰に身を潜める。


「今回の検査結果も順調でよかったね マユちゃん!」


サキの隣には、彼女の親友――マユがいた。楽しそうに談笑をしている。

つい最近までは入院していたが、今ではこうして通院できるまでに回復したようだ。


「ふふ いつもありがとう。

 そういえば……チョコレートあげた?」


「「……!?」」


兄妹そろってぎくりとする。


「えへへ……えっと 実は……」


「次の方 診察室へどうぞ」


タイミングを見計らったように、看護師の声がサキの返事をかき消した。


「ジェイド 呼ばれてるぞ」


「なんだと……!?」


「さっきオレが受付しておいたんだ。

 様子も変だし 診てもらった方がいい」


「…………」


仲間の心配を無下にすることもできず、ジェイドは大人しく診察室へ入った。

『体のどこにも異常はありません』という診断結果をもらい――

受付前に戻ったときにはサキとマユの姿は見当たらなかった。


「見失ったか……」


「おや君たちは」


サンディブロンドに映える蝶の髪飾り

そして、IDEAを象徴する白制服と言えば――。


「イスカ!」


組織の会長を担っている彼女である。


「どこか病にかかった……というわけでもなさそうだね」


「ジェイドが具合悪そうだったから 付き添ったんだけど

 問題はないってさ。イスカはIDEAとしての見回りか?」


「そんなところだよ。……ところで今 ジェイドの具合が悪いと言ったね。

 何かあったのかな?」


「関係ないことだ」


「ふふ。相変わらずのようだね。

 では わたしが当ててみせよう」


「なに……?」


イスカは顎に手を当てた。


「アルドがジェイドを心配し 病院へ訪れた。

 しかし 彼におかしいところはない。

 それでは どうしてジェイドは顔色が優れなかったのか……。

 何か気に病んでいることがあるからだろうね。

 病気の類ではなく 精神的な何か……。

 そこで注目するべきは 君の手に握られた それだ」


ジェイドが持つ小さな箱を指す。


「そのようなデザインは 君が好むものではない。

 おそらくもらい物だろう。それも女性からだ。

 しかし箱が変形しているところを見ると 扱いは蔑ろにされているね。

 つまりは 大切な人からもらったものではない。

 一方で贈り主の女性は 少なからず君に好意があるのだろう。

 好意がある女性がこの時期に渡すもの……。

 確か 最近流行りのコマーシャルにもあったね。

 その甘い匂い……。間違いない 箱の中身はチョコレートだ」


「……!?」


「ふふ 正解のようだね」


イスカはジェイドへ1歩近づいた。


「しかしここまでは 誰でもわかるよ。問題はここからだ。

 箱がつぶれたということは そのときに何かしらが原因で感情が揺れた証」


もう1歩。


「アルドが心配した原因も ここにありそうだ。

 もしかして……連想をしたのではないかな?」


もう2歩。


「彼女も 誰かに こういった贈り物をするのではないか……とね」


イスカはジェイドのすぐそばまで来ていた。


「……!?」


まるで犯人を追い詰めていくように。


「ふふ わかりやすな君は。では フィナーレといこう。

 わたしはここに来る前に すれ違った人物がいる。

 そして わたしが君たちに会う直前 見失ったと聞こえた。

 ここに来た本当の理由は 彼女を探すため……。

 ……アルドも もうわかったね」


頭の中で整理が終わったのか、軽く頷いた。


「可愛い妹が 誰にチョコレートをあげるのか気になり 偵察をしている。

 ところどころ飛躍したが そんなところじゃないかな?」


「…………ふん」


イスカもアルドも彼の様子からそれが当たりであることを察した。


「(そうだったのか ジェイド)」


「(うるさい)」


男子たちが目線だけで会話をする。

名探偵イスカは気にする素振りもなく、驚くべきことを口にした。


「ふふ わたしも君たちの偵察隊に入れてくれないか?

 その代わり サキがどこに行ったか教えよう。

 立ち話のついでに行き先を聞いていてね。等価交換といこうじゃないか」


「…………わかった」


ジェイドは渋々頷いた。このままだと手がかりがないのも事実である。

それに――否定したところで、切れ者にはどうせ見通されるのだから。


「交渉成立だ。それでは 向かうとしよう。

 学生たちの人気スポット レゾナポートへ」


眼光が鋭い男子生徒1名。巻き込まれ体質の転校生1名。

そこに、意気揚々とした会長1名が加わった。



 ――レゾナポート クラシィ・フロア――


「サキだ……!」


アルド、ジェイド、イスカの3人は探し人の姿を視認すると物陰に隠れた。


「こんなところで 何をやっているんだ……?」


「しばらく見ていよう」


サキはジュエリーショップの前で商品を眺めていた。

ひとつひとつの宝石を見て、うっとりとした表情になったかと思うと

小さくため息をつく。

それを繰り返すこと数回。彼女は歩き出した。


「……あ! 移動するみたいだぞ」


エレベータの階数表示を確認する。インジケーターは3階を示していた。


「俺たちも行くぞ」



 ――レゾナポート メテオ・シネマ――


対象者はフロア中央にある広告を真剣に見ていた。


「王族と平民の身分違いの恋……」


そう呟いて、広告の下部に端末を近づける。


「2名様 予約完了」


電子音が告げた。彼女はそのまま踵を返す。

今日映画を観るわけではなさそうだ。


「また 移動するみたいだぞ」


インジケーターは1階で止まった。


「俺たちも行くぞ」



 ――レゾナポート コロナ・トラットリア――


対象者はフロア左奥にある店で何かを注文していた。


「チョコレートアイスを2つください。

 テイクアウト用に包装をお願いします」


またしてもチョコレートである。


「テイクアウトか……。いったい誰のためだろうね」


「…………」


ジェイドはイスカの問いに答えなかった。答えられなかった が正しい。


「帰るみたいだな」


兄が悩んでいる隙に、妹は出口へと向かう。

手には、注文したアイスが入った袋が大事に握られていた。

アルドたちもレゾナポートのエントランスを抜けた。



 ――ポートバザール――


「アイスを受け取るときに 保冷剤は1つしかもらっていなかったね。

 そう遠くない距離と考えると スクールに戻ったのが妥当かな」


「…………もしかして……」


「ジェイド 心当たりがあるのか?」


「いや……。クロードは 今どこにいるかわかるか?」


「クロード……? 何でクロードの名前が……?」


「なるほど。彼ならIDEA作戦室にいるだろうね」


「行くぞ」


「おいジェイド! オレにも詳しく説明を……」


ジェイドの背中がどんどん遠ざかる。教える気はなさそうだった。

見かねたイスカがアルドの肩を叩く。


「まあまあアルド。我々は見守ろうじゃないか」


「うん……?」



 ――IDEA作戦室――


そこでは今まさに1人の女子生徒から1人の男子生徒へ

話題の品物が渡されようとしていた――。


「サキ!!! 俺は認めないぞ!!」


扉を蹴破るようにして止めに入るのは――。


「……兄さん!?」


女子生徒の兄――ジェイドである。


「何を慌てている」


迎え撃つは男子生徒――王族。


「やはりクロード 貴様か……!」


「どうしたの兄さん……? クロードさんがどうかしたの?」


「どうしたもこうもない。

 サキ お前が持っているそれは こいつのためなんだろう?」


サキとクロードの間で行き場を失ったアイスの袋が揺れている。


「……え!? そ そうだけど……」


「お前にはまだ早い! せめてスクールを卒業……いや大人になってからだ!」


「何を言っているのだ……?

 そんなことより 溶けてしまう前に頂くとしよう」


「はい そうですね。クロードさん どうぞ」


ジェイドの悪夢が重なった。同じである。

あのときとまったく同じ光景が今、目の前に立ちふさがっている。


「あああ……!」


「君の端末にクレジットを振り込んでおいた。

 使いを頼んだ詫びだ。足りなかったら遠慮なく言ってくれ」


ジェイドの動きが止まった。

違和感が1つ。クレジット――。

つまり贈り物にお金を支払うということ。それは贈り物ではなく購入である。


「そんな! ついでに買っただけですし……!」


違和感がもう1つ。ついで――。

つまり気持ちがこもっていないということ。それは好意ではなく善意である。


「報酬に見合った褒美を渡すのが王族の義務である」


違和感は形を変え、ある言葉に生まれ変わる。

――勘違いという言葉に。


「……わかりました。では いただきますね」


「………………サキ」


「どうしたの兄さん?」


「確認したいことがいくつかある」


「うん」


「まず 今クロードに渡したそれは頼まれて買ったものか?」


「うん」


「では お前が贈りたいと思って買ったものではないんだな」


「うん……?」


「そうか。では 前にクロードに渡したものはないか?」


「渡したもの……?」


「今みたいに どうぞと渡していたものだ」


「…………あ! それはたぶん 拾ってあげたときかな。

 クロードさんがたくさんの箱を抱えていて 1つ落としたから拾って渡したよ」


つまり問題のシーンの真実はこうである。


『あれ……何か落ちてる。クロードさんかな?

 クロードさん どうぞ』


『ああ君か。ありがとう

 多くの民を持つと 溢れそうになるのだな。

 すべてを抱えることの難しさを学ぶ 良い機会となった』


補足は以上。


「…………」


「兄さん?」


兄はもう後に引けなかった。すべてを明るみに出すまで突き進むしかない。


「あと2つだ。宝石を見ていただろう。あれはどうしてだ?」


「え……!? 見られてたの!?

 ……あれは その……。ヒスメナさんが持っていたものに似てたから……。

 憧れちゃうんだけど 大人っぽくて 私には似合わないなって……」


「そうか。これで最後だ……」


突き進むしかないのだ。変わらぬ未来であっても。


「映画のペアチケット……1つは誰のものだ?」


「もう! そこまで見てたの!?

 誰と観たって関係ないでしょ!」


「言えない関係の人間なのか……?」


「違うってば! マユちゃんだよ!

 気になるって言ってたから 買っておいたの!」


「……………………すまない」


もちろん、こんな消え入りそうな謝罪で事が終わるはずはない。


「で! 兄さんはどうしてここに来たの?

 認めないってなに? 説明して!!」


「………………」


サキの剣幕に、ジェイドが沈黙を貫いていると

この部屋の長が助け船を出した。


「まあまあサキ。わたしに免じて その辺にしてあげてくれないか?

 ジェイドが少し……いや 多少思い込んでしまっただけなんだ」


「……イスカさんがそう言うなら……」


「…………借りができたな」


「ははは 然るべきときに力を貸してくれればそれでいいさ」


彼女の言うそのときがいつか

考えれば考えるほど末恐ろしいが、ジェイドは思考を放棄した。

今日はくだらないことで疲れてしまったのだから、仕方がない。


「じゃあこれで 一件落着ってことでいいか?」


「そうだな……」


心なしか眼光が普段の1/3程度になったジェイドの肯定により

兄の勘違い騒動は幕を閉じたのである――。



「そういえば。クロード 甘いもの好きなんだな。

 サキに買ってきてもらうくらいだなんて 意外だよ」


アルドが素朴な疑問を口にした。


「好きでも嫌いでもない。

 嗜好品を選り好みするなど、私の成りたい王ではないからな。

 だが……ふむ。強いて言うならば

 チョコレートの甘さを 確かめようと思っただけだ」


「甘さを確かめる……?」


「献上品の中に 一口頬張ると火を噴くほど辛く

 後味は 舌にこびりつくほど こってりしたチョコレートがあった。

 私はそのチョコレートの概念を覆す味に興味が出たのだ。

 そこで 学生に人気の商品を食べ比べてみたくなったわけだよ」


「(あ……)」


原因は1つしか考えられないが、アルドは黙っていることにした。

何はともあれ、彼の胃が無事で安心する。


「あ 忘れるところだった……! はい 兄さん」


サキが取り出したそれは、レゾナポートで買った袋の中から出てきた。

クロードに渡したものと同じ――。


「チョコレートアイス。これは兄さんの分。

 ……いつもありがとう兄さん。

 夢意識のときも ううんその前からずっと。

 いつも私のことを考えてくれるから……。

 私から兄さんに 感謝の気持ちを込めて」


「サキ……ありがとう」


兄は妹からの贈り物を受け取った。


「……今日みたいに過保護だと怒るからね」


「わかった……」


小言付きだが、それでも甘い贈り物であることに違いはない。

――ここまでが1日の半分ほどである。

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