第9話 暗雲
その日は今にも降り出しそうな天気だった。
理恵は自分の番が回ってくるまで空を見上げながら、嫌な天気だなと思った。手を伸ばせば届きそうなほど雲が低く、墨汁を混ぜたような灰色をしている。見る者の心を圧迫する曇り空。射場の外では榎本江里奈以外の一年生たちがゴム弓で練習をしている。真新しい道着が眩しい。指導しているのは歩美だ。
江里奈は他の新入部員より早く次のステップに進んでいた。射場の隅にある巻藁に矢を射ち込むという練習に入っている。
雨が降り出しそうなので、外に置いておいた乾燥中の的を歩美が気を利かせて道場に運び入れた。
事件が起きたのはその時である。
「榎本さん、この的、棚の上に運んでくれるかな?」
歩美はいちばん側にいた江里奈に声をかけた。
聞こえない距離ではないはずだが、江里奈は返事すらしない。
「榎本さん!」
もう一回、歩美が呼んだ。
すると江里奈はやっと振り返り、
「なんですか? 一度呼べばわかりますよ」
と言った。その声に苛立ちが混じっている。
歩美は何か言い返そうとしたが、言葉が出なかった。江里奈はさらに言った。
「私は練習中なんです」
その言葉が運悪く涼香の耳に届いた。
「榎本!」
涼香は弓を持ったまま、ズカズカと江里奈のところまで歩いてきた。本当なら射場で、しかも他の人が練習中にそんな歩き方をするべきではないのだが、事情が事情だ。
「そこに正座しなさい!」
板張りの床を指して涼香が怒鳴った。他の者も練習の手を止め、2人を見ている。
理恵はため息をついて、そこへ割って入った。
「どうしたの?」
涼香と江里奈の顔を交互に見比べながら理恵が尋ねる。
「練習に集中しちゃいけないんですか?」
江里奈はしらっと言ってのけた。
「なっ……!」
さすがの涼香も言葉を失う。江里奈は調子に乗って続けた。
「先輩面するならもっと中ててからにしてください」
「榎本!」
理恵も思わず声を荒げた。
「いいんです」
それを涼香が手で制した。
「上等じゃん。そんなに言うならあたしと勝負しなっ」
涼香の顔は笑ってしまうくらいに真剣だった。
つづく
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