第3話 嵐を呼ぶ女

(あれほど念を押したのにどういうこと?)

 朝見山大学弓道部3年の橋本奈央のイライラは頂点に達しようとしていた。

 ここは旧校舎1階にある小ゼミ室前の廊下。

 すでに4人の新入部員たちが入部審問のため、待機している。

 しかし、あと1人、来るはずの新入生が現われないのだ。

 入部審問というのは、新入部員の入部の可否を判断する場である。

 もちろん、可否を判断するといっても、入部拒否をされることはまずない。あくまでも形式的なセレモニーである。

 とかく、弓道部というのはその手の「形式」にうるさい。

 ゼミ室の中には、副主将の奈央以外の部員たちがすでに顔を揃えていた。

 主将の黒田理恵。

 同じく3年生の北野歩美。

 2年生は、鳥崎涼香と水谷翼。

 そして、すでに主将の座を退いてはいるが、まだ部に籍を置いている広井裕美。

 待機している4人の新入生たちは、入部審問という儀式を前に緊張していた。

 奈央の苛立ちがさらに緊張感を高める。

 ドアが開き、翼が顔を出した。

「橋本さん、そろそろ始めるそうです」

「えーっ!?」

 辺りも憚らず、奈央は大きな声を出した。新入部員達の緊張のレベルがまた一段上がる。

「あの……」

 新入生の中でもひときわ幼さの残る武藤衣月が遠慮がちに声をかけた。

「なに?」

 苛立ちを露わに振り向く奈央。

「トイレ、行きたいんですけど」

 奈央は顔を引き攣らせ、絶句した。

「いいよ、いってらっしゃい。早く帰ってきなよ」

 奈央が爆発する前に、翼が横から口を出した。

「すみません」

 衣月は泣きそうな声で謝り、トイレに走っていく。

「ちょっと、水谷!!」

「可哀相に。橋本さんがそんなふうにピリピリしているから緊張しちゃっているんですよ」

 涼しい顔で言う翼に、奈央はカチンと来て、怒鳴りそうになった。

 そこへ助け船のように、ゼミ室の中から裕美の声が聞こえてきた。

「なにしてんの?  早よ入ってき」

「は、はいっ」

 さすがの奈央も裕美にはかなわない。

 結局、新入部員4人のまま、入部審問が始まった。


「文学部英文科1年、武藤衣月です」

 ずらりと先輩たちの前で、衣月は緊張しながら自己紹介をした。

 衣月は小柄で、あどけなさが残っているため、中学生と言っても通じそうだ。

「弓道経験はありません。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる衣月。

「よろしくお願いします」

 挨拶を返す上級生たち。衣月は顔をわずかに上気させながら席に戻った。

「次の人どうぞ」

 部屋の一番奥にあるテーブルの真ん中に座った理恵が促す。就任以来、初めての主将らしい仕事に、彼女もまた緊張していた。席の端には4年生の裕美が腕を組んで審問を見守っている。

 衣月の隣に座っていた原愛莉が立ち上がる。

「文学部英文科1年、原愛莉です。弓道経験はありません。よろしくお願いします」

 緊張からか一気にまくしたてる愛莉。先ほどと同じように上級生から挨拶が返ってきて、愛莉はほっと胸を撫で下ろしながら腰を下ろした。

 衣月と愛莉は同じ学科の友人だった。2人して説明会にやってきて、同時に入部した。普段からとても仲がよい。説明会に来たのが一週間前で、すでに練習にも参加している。裕美以外の部員とはすでに面識があった。

 次の新入部員が立ち上がる。

「経済学部経営科の西川翠、1年生です。よろしくお願いします」

 クールそうな顔立ちの翠はお辞儀をして席に着こうとしてから、思い出したように付け加えた。

「弓道経験はないです」

 これで三人目。六人の上級生の目は最後の一人、吉永美穂に注がれた。

「文学部西洋……」

 美穂が立ち上がって自己紹介をしかけたところ、バタバタバタと騒がしい音が廊下から聞こえてきたかと思うと、ドアが勢いよく開いた。

「すみません、おそくなりました!!」

 十人の視線が闖入者に向けられる。

「あれ? ここ、弓道部の入会式ですよね?」

 とぼけた顔で周りを見回す彼女こそ、五人目の新入部員にして、裕美が「嵐を呼ぶ女」と称した榎本江里奈だった。


つづく

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