参 爆弾
しばらくの後、私はある書店の前に立っていた。
「○に善」と書く、当時、三条通にあったという店舗とは場所も建物もまるで違うが、同じ系列の老舗書店である。
小説『檸檬』が発表され、絶大な人気を博した当時は模倣犯が後を絶たなかったようであるが、それから何十年という時を経て、この令和新時代にまた現れるとは思ってもみないことであろう。
私はお気に入りの黄色いそれをロングコートのポケットに忍ばせ、なに喰わぬ顔で店内へと侵入した。
この店も、先程の果物屋とはまた違った様々な色彩で満たされている。
その前衛芸術のようなモザイク画の中を、怪しまれないよう本を探す普通の客を装いながら、
大先達はその爆弾基部に画集を使ったようであるが、私は少々アレンジを加えてクリスマスにまつわる本である。
頼まずとも書店員がピックアップして置いてくれているので、この時期にその手の本を集めるのは大変容易だ。
子供向けの絵本や童話、クリスマス特集の雑誌、北欧のヨルンを撮った写真集、私好みなクリスマスの習俗にまつわる文化人類学的な学術書なんかも織り交ぜ、けして目立たぬよう自然な動きで本棚から引っ張り出して集めると、それを店の隅の方にある人気のない美術書のコーナーへ持って行って、平置きの本の上にうず高く積み上げてゆく。
梶井先輩の使った画集ならばもっと芸術的に作れたのだろうが、雑多な種類を組み合わせている私の塔ではさすがにそれも限界がある。
それでも、色合いも疎らな紙の束を乱雑に重ねて創ったバベルの塔が完成をみると、私はポケットからあの柚子を取り出し、その冷覚を再び楽しみながら、もう一度その鮮やかな太陽の色をじっと見つめる。
このずっしりと手のひらに伝わってくる球体の重さ。この重さこそ、私の認知世界に蔓延した不愉快な憂鬱を木端みじんに吹き飛ばすための爆弾に相応しい。
さあ、これが私からのクリスマスプレゼントだ。存分に味わうがいい。
最後に今一度、別れを惜しむかのようにしてそれを鼻へ押し当て、爽快な甘酸っぱい匂いを思いっきり肺に吸い込むと、その黄色い時限爆弾を歪な本でできた基部の上へとセットした。
そして、勝って兜の緒を絞めよのことわざ通り、最後まで気を抜かず、やはり怪しまれないよう自然体で出口へと向かう。
なに喰わぬ顔をしているつもりだが、おそらく今の私の顔には愉悦の笑みが溢れているに違いない。
なにせ、もう五分か十分か後ぐらいには、あの古典的である反面むしろ斬新でもある奇妙な爆弾に誰かが気づき、国語の教科書で一度は『檸檬』を読んだことがあるであろう店員達が唖然と目を見開くのだから。
しかも、檸檬ではなく、なんで柚子なのかという疑問にもぶち当たって小首を傾げるに違いない。
そこで、顔を付き合わせて話し合うなり、ネットで検索するなりして柚子湯に辿り着き、そういえば今日が冬至であることを思い出すとともに、冬至とクリスマスとの関係についてあれこれ考察してみるがいい。
つい少し前までのあの絶望的な憂鬱さとは一変。なんだかとても愉快な気分になって店を出ようとレジ脇を通りかかったその時、アルバイトなのか正社員なのかわからぬが、いかにも本が好きそうな若い女性店員と目が合って、彼女が「ありがとうございました」と声をかけてきた。
何も買ってはいないのに御礼を言わなければならないとは、またなんとも歪でガラパゴス化したこの国の文化であろうかなどと嘆きつつも、気分の良くなっていた私の脳裏にはさらなる良いアイディアが湧き上がってくる。
そうだ。今こそあの言葉を口にしよう。
言っても誰も理解してくれないと、ずっと言えなかったあの祝福の言葉を返礼として彼女に投げかけるのだ。
あの黄色い柚子爆弾と同じだ。理解できなくとも、その疑問を契機として興味を持ってくれさえすればそれでよい。
ここからクリスマスの冬至祭的意味を復古する、私の、否、我々の革命が始まるのである。
メリー・ミトラス!
私はできうる限りの明るい声で、満面の笑みを浮かべながらそう彼女を祝福する。
冬至の日を祝うのには、この言葉が最も相応しいであろう。なんなら、
案の定、彼女は「は?」というような顔をして首を傾げたが、私は柚子爆弾同様、そのまま放置して何事もなかったかのように自動ドアを出てしまう。
暖房の利いた店内と違い、さすがは一年で一番、太陽の力が弱くなる日だけあって、外の空気は一瞬にして体をがちがちに強張らせる。
しかし、冬の冷気に肩をすぼめた私の顔には自然と微笑みが零れてきて、なんだか妙にくすぐったい気持ちを抱きながら、キラキラと奇妙に輝く大通りを私はゆっくりと下って行った。
(柚子 了)
柚子 平中なごん @HiranakaNagon
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