第4話 秘密

薄暗い廃墟の中を駆けるマーラは行き止まりで足を止めた。


「はぁ……。はぁ……」


マーラが息を切らせながら振り返ると、ライセが既に追いついていた。


「マーラ……。どうして逃げるの?」

「………………」


二人を探していたヘレナがそこへ現れ、依然として黙り続けるマーラに言葉をかける。


「……あなたも好きだったのよね? ティムのことが」

「え……!? そ、そうだったの!?」


そんなこととは夢にも思わなかったライセ。その様子に、マーラもやっと反応を見せる。


「……ライセは鈍感だもんね。気付くわけない」

「だ、だったら……言ってくれれば、あたし……ティムのことは諦めたのに……」

「へぇ、そう……! さすが、天才科学者様は心も広いのね!」

「…………!? マーラ、どうしてそんなこと……」


マーラはライセの態度に苛立ちを見せながら、ようやく彼女自身の思いを語りだす。


「……気が付かなかった? わたしもあなたも、IDAを出てから何もかも変わってしまったってことに……」

「変わったって……確かにあたしたち、仕事も別々で、たまにしか会えなくなっちゃったけど……」

「そんなことを言ってるんじゃないの。……あなたの未来は広がる一方なのに、わたしは自分が本当に進むべき道すら見つけられなかった。マーラはなんでも得意だね……って、あなたはいつも褒めてくれたけど、本当はその真逆。わたしには何もなかったのよ……」


昔から不器用な自分を責めていたライセの成功は、いつも彼女を支えてきたマーラにとって祝福すべきことのはずだった。だからこそ自分の抱える焦りや嫉妬に、あの日あふれ出る瞬間まで蓋をし続けてきたのだろう。


「…………!! そ、そんなことないよ。だって……」

「……もうやめて。聞きたくない」


ライセが言葉を選んでいる間に、マーラは彼女の脇を歩き去っていった。


「マーラ……」


廃墟の闇に消えていく背中をじっと見つめ続けるライセ。二人のやり取りを側で聞いていたヘレナは、彼女にそっと声をかける。


「……向こうにはアルドがいるから心配いらないわ。しばらく一人にさせてあげましょう? 彼女には少し時間が必要なのよ」

「うん……」


マーラの足音が聞こえなくなると不気味なほどの静けさが辺りを包む。ライセは大きく息をつき、うなだれるように機体を傾けた。


「ああ、どうしよう……。まさか、こんなことになるなんて……。あたしがあんなことさえ言わなければ……」

「人の心のバランスはとても難しいもの……。あなたは何も悪くないわ」


ヘレナはライセを慰めようとするが、彼女は何かを否定するように翼を揺らす。


「いや、違うんだよ。最初に嘘をついたのは……あたしだから」

「嘘を……? いったいどういうこと?」


ライセは一瞬ためらいを見せたが、やがてヘレナに向き直ると口を開く。


「……あたし、ティムのことは良い友達だと思ってたけど、そこまで好きってわけじゃなかったんだ……」

「…………!? それなら、なぜ……?」

「………………」


ドローンから光が放たれ、ライセのホログラムが映し出される。彼女は真剣な面持ちでヘレナの瞳をまっすぐに見据えていた。


「……今からする話、だれにも言わないって約束してくれる?」


ヘレナは深く頷き返す。


「ええ。もちろん内容にもよるけれど……」

「ありがとう……」


ライセはわずかに口元を緩めると、その胸の内を語り始める。


「……実はね、隠しておきたかったんだ。あたしはマーラが側にいてくれれば、他に何もいらないんだってことを……」

「…………!!」


ヘレナは言葉を失った。


「……ずっと前からマーラに憧れてた。もちろん最初は友達として……だったけど、それがいつの間にか変わってたんだ……。大好きだよ……とか、ずっといっしょがいいね……とか、よく二人で言い合ってたんだけど、いつからか、あたしが言うのとマーラが言うのとで何かが違うなって思えてきて……それが始まりかな。自分で気づくのにも時間がかかったし、戸惑ったし、他の人を好きになれば変わるのかな……なんて思ったりもしたけど、……やっぱり、ちゃんとこの気持ちを受け入れたい、大切にしたいって思うようになったんだ」


想いは少しずつ形をかえながら、それでも色あせることなく彼女の心に灯り続けた。唯一無二の親友という関係こそが、今までそれを守り抜いてきたのだ。


「そう……だったのね……」

「本人にもいつかは伝えたいと思ってる。でも、気まずい雰囲気になるんじゃないかと思うと、なかなか勇気が出なくて……。そういう話が出るたびに言い訳して、ついつい先送りにしてきちゃった……」

「だから、あんな嘘をついたのね……」


ライセはゆっくりと頷き返す。


「うん……。他に親しい人といえばティムくらいだったから……。だけど、もっとうまい逃げ方を考えておくべきだったな。結果的に、マーラの見られたくない部分を暴くことになっちゃったわけだし……」

「見たくなかった部分、じゃなくて?」


ヘレナの問いかけに、ライセは少し照れて頬を赤らめる。


「うん……。あたしはどんな面だってマーラの大切な一部だと思ってるけど、本人は曲がったところが許せない性格だから……」

「なるほどね……」

「マーラはね、今、ちょっと疲れてるんだよ。あたしのせいで、ずっと無理をしてきたんだと思う。目標でいなきゃ、道しるべでいなきゃ……って、自分を追い詰めてたんじゃないかな?」


ライセは話を止めて首を傾げた。


「そういえば、なんでこのことヘレナには話せたんだろう? ……やっぱり、機械どうしだからかな?」

「きっとそうね……。人間が見落としがちな何かに、私たちは気づいているのかもしれないわ」


しばらく沈黙が続いた後、ライセは廊下の先に視線を向ける。


「……ねぇ、ヘレナ。そろそろ二人のところに戻ろう?」

「ええ。彼女も少しは落ち着く頃ね。いったん合流するとしましょうか」


ライセとヘレナは再びデータセンターに向かって動きだした。


***


ヘレナたちが部屋に戻るとマーラがアルドの隣で巨大な端末を調べていた。二人に一瞥もくれず無言で操作を続ける彼女に、ライセはホログラムの姿でおそるおそる歩み寄っていく。


「ねぇ……マーラ……?」

「………………」

「あたしがティムのこと好きって言ったの……あれ、嘘なんだよ。その……恋の話題とかでついていけないのが嫌だったから……」


マーラは手を止めて小さくため息をつく。


「……そう言えばわたしを救えるとでも思ったの? 見えすいた嘘なんかいらないわ」

「ほ、本当のこと……なのに……」


今ここで何年も秘密にしてきた気持ちを伝えれば、弱ったマーラは押しつぶされてしまうかもしれない。彼女にどれだけ疑われようと、ライセは残り半分の真実を明かすわけにはいかなかった。


「どちらにせよ、私があなたを裏切ったという事実は変わらない。……もう遅いの」

「そんなのあたしは気にしないから……! だからお願い、これ以上、自分を責めるのはやめてよ!」

「もうほっといて! あなたにはどうせ、わたしの気持ちなんて少しもわからないのよ!」

「…………!!」


怒鳴るように言い放つマーラ。ライセは拳をぎゅっと握りしめる。


「……わからなきゃ、ダメかな? あたしだって、もっと知ってほしいって思うこと、あるよ。なんでわかってくれないかな……って思うことも。……でも、それでもあたしはマーラともっと一緒にいたいって思う。……これっておかしいことなのかな?」

「………………」


マーラは振り返らず機器の操作を再開する。


「だからさ、マーラ。これからもあたしたち……」

「……やっと見つけた」


ライセの呼びかけを遮るように呟くマーラ。アルドたちの注目が端末に集まる。


「見つけたって……まさか、ライセが遺した研究資料のことか!?」

「ええ……。日付が事件の前日だから、おそらくは……」


マーラは目的のファイルを開き始めた。


「……ライセ。このデータをティムに渡したら、もうこれで終わりにしよう」

「マーラ……」


ライセは彼女の後ろ姿を見つめながら、とどかない言葉にもどかしさを覚えるのだった。


***


煌光都市エルジオンの一角に、今しがた研究所から出てきたティムの姿があった。


「……やれやれ、思ったよりも時間がかかってしまいましたね。あちらの方はどうなっているでしょうか……」


足早に大通りを歩いていると、彼の端末に連絡が入る。どうやらマーラからのようだ。


「おお……。噂をすればなんとやら、ですね」


ティムは道の脇へ寄ると通話を始める。


「……ええ、マーラさん。僕の用事は今終わったところです。そちらの様子はどうでしょうか? ……例の資料が見つかった!? それは本当ですか!?」


諦めかけていた資料の発見に、彼は興奮を隠せない。


「ええ……。ええ。それなら、廃道ルート99で待ち合わせましょう。すぐに向かいます。……ではまた」


ティムは通信を終えると、立ち止まったまま遠くの空を眺める。


「……さてと、こちらも少し準備が必要かもしれませんね」


彼は再び廃道に向けてゆっくりと歩き出した。

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