第3話 親友

授業を終えた生徒たちで賑わうIDAスクールH棟、教室を出てきたマーラは女子生徒たちとともに廊下を歩いていた。


「ほわぁ……。あの先生の話って、聞いてるだけでよく眠れるのよね……。今日も半分は寝てたかも」

「そんな態度で怒られたりしない? まぁ、マーラは成績優秀だから先生も見逃してくれてるのかもしれないけど」

「そんなことないわよ。たぶん呆れられてるだけね」


生徒たちがおしゃべりをしながら階段へ向かっていると、そのうちの一人が急に足を止めてマーラに囁きかけた。


「ねぇ……あれ、あんたのこと待ってるんじゃない?」


生徒の目線の先には所在なさげに壁に寄り掛かるライセの姿があった。


「あ……ライセだ! 教えてくれてありがとう! 今日は授業が長引いたから、少し待たせちゃったかもしれないわね」

「そういえば、なんでマーラはあんな地味なのといつまでも一緒にいるわけ?」


彼女たちの悪意のこもった態度に堪えかねたマーラは、その顔を睨むように見つめ返す。


「……そんなのわたしの勝手でしょ? 何か文句でもある?」

「い、いや……別に……」


鋭い口調で彼女たちを圧倒したマーラはライセの方に向き直り、手を振りながら駆け寄っていく。


「ライセー! 遅れちゃってゴメン!」


ライセは友人の姿をその目にとらえると顔をほころばせた。


「あ、マ、マーラ! ……ううん。全然待ってないよ。それより、今いっしょに来てたお友達の方は大丈夫……?」

「ええ、いいのよ……早く行きましょう!」


こちらへ冷たい目を向ける生徒たちを横目で見ると、マーラはライセの手を引き階段を上っていった。


***


屋上に出たふたりは、いつものようにお弁当を食べながら雑談をしていた。


「……それで、わたしたちみんなが怒られることになっちゃったわけ。本当にひどいわよね!」

「うん……。それは災難だったね……」


今日のライセはなにか様子がおかしい——マーラには嫌な予感があった。


「……あのさ、マーラ」

「ええ……。なに?」


ライセは彼女から視線をそらすと、俯きながら話し始める。


「あたし、いつもマーラとこうして一緒にお昼食べるの、楽しいし、嬉しいよ。……でも、もうやめた方がいいんじゃないかな……?」

「え……? どうして?」

「だって、あたしと会ってると、きみも無視されたり嫌なことされたりするかもしれないよ……? マーラは勉強も運動もできて人気者だし、モテるし……。あたしみたいな暗くてつまらないやつとは、なるべくかかわらないほうが……」


先ほど階段前で起きたような出来事を、ライセはいつも気にしているようだった。そんな場面に遭遇するたびに彼女のなかでは葛藤が起こり、自分のせいで友人に迷惑がかかることへの罪悪感を募らせていたのだろう。


「どうして? どうしてライセがそんなこと言うのよ? ひどい……」

「ひ、ひどい? だって……」


マーラは大きく息を吸うと、ライセの瞳をしっかりと見つめて口を開く。


「ライセはつまらなくなんかないわ! ……わたしの自慢の親友を、そんなに悪く言わないでほしい!」

「親友……!?」

「わたしは勝手にそう思ってる。誰が何と言おうとね」


マーラの力強い思いに、ライセは必死で応えようとしているように見えた。


「マーラ……! あたしも、きみのこと親友だって思ってるよ。でも……!」

「そうやって心配してくれるのは嬉しいけど、これでもう終わり。わたしは明日もあなたに会うため、この屋上に来る。……だから一人にしないでよね」

「…………!!」


少しずつライセの表情から怯えのようなものが消えていく。


「わかった……。明日もちゃんと来るよ」

「……それで、よし!」


マーラはにっこりと笑顔で頷くと、一つ重要なことを付け加える。


「あ、それと……面白いよ。ライセは」

「え……!? 面白い!?」


目を丸くするライセ。マーラはそうした反応そのものが彼女の魅力の一つであることをよく知っていた。


「そう。それに……この先あなたの良さを分かってくれる素敵な人だって、きっと現れる。このわたしが保証するわ」


不意にそんなことを言われ、ライセは少し戸惑っていたようだが、やがて彼女に穏やかな笑みを返す。


「……そうだといいな。ありがとね。マーラ」


———この日からわたしたちの信頼は一段と強まっていった。前を向き始めたライセは学業に打ち込み、ついにある分野で才能を開花させる。IDA有数の天才と呼ばれるようになった彼女は、卒業後も未来を担う研究者の一人として皆の期待を集めていた。そう、あの事件で命を落とすまでは——。


***


「……ねぇ、マーラ……聞いてる?」


心ここにあらずといった様子のマーラは、やっと自分の名を呼ぶライセに気づく。


「……え、ええ。ごめんなさい。ちょっと昔のことを思いだしていて……」

「そっか。……ここが目的の場所だって。意外と早く着いたね」


五人は旧KMS本社の奥、データセンターへとやってきていた。


「それじゃあ、まずはこれを見てみるとするかな……」


ライセはさっそく中央に鎮座する巨大な端末を調べはじめる。


「気をつけろよ、ライセ。この前、それにかかわって大変なことになったからな……」

「うん。大丈夫。なんとかなるよ」


彼女を叩いて再起動するはめにならないことを祈りながら、アルドは資料の発見を待つ。しばらく沈黙が続いた後、ライセが興奮気味に口を開いた。


「あった! あったよ! これ、確かにあたしの持ってたやつだ!」

「…………! とうとう見つけたのね!」

「まさか本当に見つけるとは……! やりましたね!」


同僚二人と声を上げて喜ぶ彼女は、見つけたファイルの詳細を調べ始める。


「……わぁ! なっつかしー! ……これ見てよ!」


ライセがファイルを再生すると、彼女の姿をしたホログラムが現れる。


『えー、レポートナンバー001。KMS社に来てから初めての実験だったけど、無事にうまくいった……かな。これからも研究で一定の成果が出るたびに記録していくよ。……ではまた次回』


話し終わると映像は終了する。マーラは感慨深そうにそれを眺めていた。


「……これ、ライセがいつも撮ってたやつでしょ? 本当ね。懐かしい……」

「でしょ!? でしょ!? 他にもあるよ……ほらっ!」


ライセは次々にファイルを再生していく。


『レポートナンバー012。今日は初めてマーラが仕事で研究室に来てくれた! ついつい話に夢中になっちゃって実験が全然すすまなかったけど、なんとか片付いてよかったよ……。うん。明日もはりきっていこー!』


これらの記録は探していた資料本体ではないものの、ライセもマーラもすっかり映像に見入っていた。


『はいはい。レポートナンバー046。なんと! マーラが面白い研究をしてる人を紹介してくれたよ! 名前は……なんていったかな? ……まあいいや。とにかくあの人の協力があれば、あたしの研究はもっと広がると思う。マーラの応援にこたえるためにも、これからはより一層がんばらなきゃ……!』


映像を見ながらティムが笑い声を上げた。


「これ! これですよ! 僕が来たときの!」

「ティム、全然覚えてもらえなかったものね! あれはかわいそうだったわ……」

「だからゴメンって! 昔から暗記はニガテなんだもん……!」


共に過ごした日々を振り返り、笑い合う同僚三人。ティムが映像からマーラへと視線を移す。


「まぁ、でも、こうしてマーラさんが彼女を紹介してくれたから、僕らの共同研究が始まったんですよね。改めてお礼を言わせてください」

「いいえ。わたしに出来ることなんて、それくらいだったから……」


このときから、マーラが浮かべていた笑みは少しずつ薄れていった。


『レポートナンバー117。クロノス博士をまねて色々やってみてるんだけど、やっと人間の記憶や人格をデータ化することができそうだよ。まずは自分で実験かな。成功したら二人を驚かせてあげよう!』

「初めて見た時は驚きましたよ。大成功でしたね!」

「ええ。そうね……」


ここでライセは映像をいったん止めて話しだす。


「……次は最後のレポートを再生するよ。あたしの記憶はこれより前にコピーされてるから、これだけは内容を知らないんだ」

「ライセの知らないもう一人のライセが……ここにいるってことか」

「うん……。そういうことになるね」


アルドはライセの姿に自分を重ねていた。エデンに代わる存在として生まれ変わった自分は、決してエデン本人ではない——時の暗闇のなかで変わり果ててしまった彼を目にしたとき、その感覚は揺るぎないものになった。ライセもずっと「自分」を探す旅を続けていたのかもしれない。


「……じゃあ、行くよ……!」


彼女は覚悟を決め、失われた日々の記録を再生する。


『ふわぁ……。レポートナンバー128。実験結果はネガティブ。あたしの仮説がおかしいのかな? 今夜は帰ってウトウトしながら、夢の中でゆっくり検証してみることにするよ……』


映像のライセは眠たそうな目で最後の報告を終えた。


『………………』


しかし、なぜか撮影は終了しない。


「……ん? まだ終わらないみたいだぞ」


ホログラムのライセは大きなあくびをしながら部屋の奥へと消えてしまった。


「あ……もしかして停止し忘れちゃった? これで翌日までとかはさすがにカンベン……」


見ていたライセがそう言いかけたとき、映像からドアを開く音が聞こえてくる。


『……あ、マーラ! どうしたの!?』

『ふふっ。今日はこっちの方に用事があったのよ。遅くなっちゃったけど、まだどうせ研究室に残ってるんだろうなー、と思ってね』


どうやらマーラが研究室を訪れたようだ。ふたりは雑談をしながらこちらへ歩いてくる。


「そっか……この日はマーラが来てくれたんだね……。こんな映像が残せるなんて、ラッキーだったな……あたし」

「……ねぇ、ライセ。確かこのあと長くなるから、見るのはまた今度にしない? ヘレナさんたちも待ってくれてることだし……」


当然ながらマーラはこの先の展開を知っているはずだ。おそらく撮影が停止されるのはずっと後になるのだろう。


「いいえ。私たちは問題ないわよ。そうよね、アルド?」

「ああ。せっかく三人そろってるんだから、もう少し見ていったらどうだ?」

「ありがとう。……ほら、大丈夫だって!」

「いや、でも……」


マーラはどこか視聴を中断する理由を探しているように見えた。


『研究の方は順調?』

『うーん……。ちょっとつまずいてる感じかな。……でもきっとすぐ乗り越えるよ』

『さすがライセね……って、あれ? これって幸運の巻きワラくん人形じゃない?』


映像のマーラはライセの机の端にある小さな人形に目をとめた。


『あ、あ、こ、これは……!!』

『……しかも恋愛運のやつだ! えー! ライセ、恋してるの!? すごい!! もしかして……初恋とか!?』

『え、いや、その……』


ふたりの話題がプライベートな問題に移ったところで、マーラが再び口をはさむ。


「ほ、ほら……こういう話だから……。ね、ライセ、もうやめましょう?」

「………………」

「……ライセ?」


ライセが黙っている間に、映像のなかの会話はさらに踏み込んだものになっていく。


『で、誰なの? ライセが好きになるのってどんな人? 全然想像つかないわ……』

『そんなこと……ど、どうでもいいでしょ……』

『えー! 気になるー! 誰にも言わないから教えてよー!』


一瞬の静寂の後、ライセはゆっくりと語りだす。


『………………。あのね。その……ティム、なんだ。あたしの気になってる人……」

『…………!!』


マーラを除いた全員がライセの告白に衝撃を受けていた。


『ほら、いっしょに研究とかやってると、やっぱり意識しちゃうっていうか……なんて言うか……』


「い、いいのか? ライセ……。こんな……」

「………………」


アルドの呼びかけにも応えず、ライセは映像を凝視し続ける。


『……そうだったんだ』

『うん……』

『……あのね、ライセ』


マーラは目を逸らしたままライセに語りかける。


『な、なに……?』

『こういうこと言うの、本当はよくないのかも知れないけど……。わたしも二人の相性、わるくないんじゃないかと思って……ティムに聞いてみたんだ。その……ライセのこと、どう思ってるの……って』

『…………!?』


映像のライセは動揺を見せた。その様子にティムは顔をしかめる。


「……どういうことですか? そんなことを聞かれた覚えはありませんよ?」


彼がマーラの横顔に目を向けると、その表情は凍りついていた。


「………………」


映像のなか、ライセは掠れた声でマーラに問いかける。


『それで……な、なんて言ってたの……?』

『あのね……その……。もちろん、科学者としてのあなたが好きだし、尊敬してる。……でも、そういう対象としては見られないんだって……いってたわ』

『……そっか』


マーラはライセの肩に手を伸ばす。


『今回は仕方がなかったのよ、ライセ。やっぱり恋ってそう簡単なものじゃないし……。でも、いつかライセにぴったりの人がきっと……』

『あたしは大丈夫だよ。マーラ。……ありがとね。教えてくれて』


ふたりの会話が終わると、ティムはマーラに鋭い視線を投げかけた。


「……僕はあなたにあんな質問をされたことも、答えたこともありません。どういうことか説明してもらえますか?」

「………………」


沈黙を続ける彼女に、ようやくライセが声をかける。


「……ねぇ、あれって嘘……なの? どうして、そんな……」

「…………!!」


マーラは彼女を払いのけ、データセンターの外へと走り出した。


「待って、マーラ!!」


ライセも彼女に続いて部屋を出る。


「この施設に二人を放っておくのは危険ね。私たちも追いかけましょう」

「ああ、行こう!」


ヘレナとアルドも二人を追いかけようとするが、ティムはその場を動かない。


「…………? ティムは来ないのか?」

「いま研究室の方から連絡が入りまして……すぐに来てくれ、だそうです。……すみませんが、二人をお願いします」


アルドは頭を下げるティムに頷きを返す。


「わかった。任せてくれ」


彼と別れたアルドたちはデータセンターをあとにするのだった。

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