人魚 2

 人魚が涙を流したあとは、出来るだけ優しく接することにしている。食べたいものがあれば夜中でもコンビニに買いに行くし、特別欲しいものがあれば仕事帰りに買ってくることもある。

「なにかほしいものはある? 」と聞くと、人魚は困ったように目線を巡らせた。

 その見た目が14~15歳くらいの少女なので、困っている姿も愛らしくて、僕が帰って困った。

「あんまり、思いつかない」というので、似合いそうな髪飾りを買ってあげることにした。

 紫のオーガンジー素材のリボンを素地に、きらきらしたイミテーションの宝石がついている髪飾りに、人魚は割合喜んで、今度は良い櫛を買ってきてほしい、そして自分の髪を梳かすようにと僕に言った。

 そのくらいには、人魚は僕を認めてくれているようだった。


 黒い綺麗な櫛を買って帰った。持ち手の方がとがっていて危ないと思ったのだが、人魚はこれでこそ櫛だという。細くとがった先端で髪を少量とり、編み込んだりするのだという。僕はそういうことには疎いので、浴槽の縁に腰かけた人魚の髪をできるだけ丁寧に梳った。

 黒い櫛よりなお黒い人魚の髪はまっすぐで、僕は髪を飾る髪飾りよりも人魚の髪のほうがきれいで困った。

「綺麗な髪だね」

「ママもそういうの」

 人魚は少し誇らしげであった。

「君の名前はなんていうの」

 僕が尋ねると、人魚は「言っちゃいけないって言われてるの」と答えた。僕は了解して「僕の名前は佐賀優太」と自己紹介をした。

 人魚は自分の指先をいじいじとみつめながら「ユータ」と呟いた。

 振り返ろうとするから、制止した。「櫛のえが刺さると危ないよ」

「どれくらい? 」

「目に刺さったら、死んじゃうかも……たぶん」

 櫛が刺さって死んだ人を見たことがなかったので、強くは言えなかった。



 ある日、人魚がシャワーを浴びている僕に抱きついて「かえりたい」と泣いた。それはもう泣いた。

 今までの僕と人魚の日々が壊れていく。僕はイライラした。そして人魚に意地悪を言った。

「帰りたいなら、自分で帰ればいいだろう」と。

 人魚が歩けないのはわかっていた。

「でも、アタシ歩けないもの」人魚はいっそう泣いた。

 僕はだんだん人魚のことが不憫に思えてきた。よしんば海に帰せたとして、浴槽で長いこと暮らしていた人魚は海を泳げるのだろうか。

「ユータ、アタシをかえして」

 僕はそれ以上浴室にとどまることをやめて、外に出て扉をしめた。

 部屋のほうまでも、人魚の泣き声は聞こえてきた。人魚はそ一晩泣き止まなかった。



 人魚が死んでしまった。

 僕が買ってあげた櫛で、のどを突いて死んでしまった。

 浴室の壁には、赤い血がべっとりと飛び散っていた。出しっぱなしのシャワーが、人魚のなまめかしい体を濡らし続けている。たまった水で薄まってなお鮮やかなあかにそまって、人魚は浴槽にあおむけに浮いていた。

 人魚の肉を食べると不老不死になるという話を思い出しながら、僕は(それならなんで人魚が死んでしまうのか)と考えていた。


 僕は、せめて亡骸だけでも海に帰そうと、上半身をビニールシートにつつんで車に乗せて、海にかえしてあげた。

―――――――――――――――――――


「……っていうのが、供述か」


 深く疲労が刻まれたしわの目立つ額を押さえて、増田警部補は言った。

 増田に問われ、幾分若い刑事が頷いて返す。


「押収された日記にもそう書いてますね。海に人魚の上半身だけ遺棄した、って。人魚なんか御伽噺だろうに」


「アイツ、今も取調室であれは人魚だって言い張ってるよ。ったくガイシャの身元調べる身になれってんだ」


「少女の手がかりないかと思って日記読んでるんですけど、人魚としか……でもこの分だと男も精神鑑定行きかなぁ」


「これだけに時間割くわけにもいかんしな。捜索願いが出てる女の子もいたから、そっちの捜査も……ええと、河原に車椅子だけ残して消息不明、か」


「あ」


「どうした」


「人魚は陸を歩けない…陸を歩けないから、人魚…なんすかね」



――――――――――――――――――――


了。



 


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