時止め


「ああああああああああっ!!!!!!!!うああああああっ!!!!」


作戦はととても単純だ。


セイムが体の不調を訴え、治療術者に扮した排水溝の男がその治療に名乗りを上げ、合流したところで二人で協力しこの施設方抜け出そうという計画だ。


この、一見して極まる計画をセイムが快諾したのにはいくつか理由があった。


まず第一に、彼は体の不調を偽る事、つまるところ、仮病を演じる事に自信があったのだ。

もちろん、今までそう言った事を進んで行ったのことは一度もない。

しかしながら、この時ばかりは現実の世界で直面した数々の非凡な経験が彼に、妙な確信を与えていた。


セイムは、まず、投薬治療で使われた薬で受けた拒否反応を再現することにした。


次は、まだ幼い頃度々発生していた発作を再現するつもりだった。

そして、何かと病院通いが多かった彼の、この手のレパートリーは実に豊富な物だった。


第二に、セイムは、昨夜見たドロシーの姿が気になって仕方が無かった。


彼自身それが見間違いである事を心の底から望んでいた。


彼女があの村で元通りに、自分以外の誰かに依頼を紹介して、いつものように成功報酬として差し出されたプレグジュースを美味しそうに飲み干しているのならこれほど素晴らしい事は他にないのだ。


しかし、彼は疑り深く、最善の場合も、最悪の場合も想定して行動するべきだと考えていた。


もし、あの人物がドロシーならば。


きっと、誰かの助けが必要になる。


第三に、この顔も名前も知らない排水溝の向こうにいる男に会って、ウォンバットのクルーや双子たちを紹介したくなったのだ。


それは、自慢したくなった。とも、言えたのかもしれない。


この人物のように、大げさな夢も希望もないけれど、自分には大変素晴らしい知り合いが大勢いて、彼等と再会するためにここから抜け出すのだ。と。


しかしながら、この男に、そのような自己満足に付き合っている暇はないのかもしれない。


兎に角、それらの理由を元に、セイムは体に自信と使命感をみなぎらせて、ベッドの上で精いっぱい苦悶した。


「ううううううう!!!はぁッ!!はぁッ!!!あああああ!!!」


慌てた様子で扉が開く気がして、セイムは一層張り切った。


様子を見に来た機械人形が、ベッドの周りをうろついて、すぐに廊下へと消えた。


当直の治療師もこの日に限っては、昨日の騒ぎの影響で、殆どが街に出払ってしまっていたことが二人にとって最大の幸運だったが、その事を二人は知る由もない。


間もなく、3人の職員と共に両手を縛った状態で現れた人物は、セイムが思っていたよりもずっと若く、きれいな顔立ちをした人物だった。


「大丈夫だ。俺様に任せとけ。お前ら邪魔だ少し離れてろ!」


「手は?そのままでいいのか?」


「構いやしねぇ。いいから、離れろ」


「ああ」


男の手がセイムの腕辺りに触れる。


その瞬間、一切の音が消えた。


「これは・・・?」


「おっと、じっとしてろよ。俺様の服でもそこから飛び出てる糸くずでも何でもいい。放すなよ?」


セイムは言われたまま彼の病衣の隅をしっかりと摘まんだ。


二人を除いて、その場の全ての物が止まっていた。


3人の職員は、ピタリと動きを止めて、眉一つ、瞳に映り込んだハイライト、途中で止めた身じろぎ、肩から払い落とされた細かな埃、それによって巻き起こる風によってなびく髪、まばたきの途中で半開きになっている瞳、それらすべてが停止しているのだ。


「これが、俺様の能力。『時止め』だ。」


セイムは、言葉を失った。


彼の思考の殆どは、とんでもない能力を持った人物と出会ってしまった。

という点のみに絞られていた。

それは、むしろ自然の事で、時間を止めるという事は、つまり、他の者が全て停止している状態で自分だけが動けるという事だ。


どれだけ遠く、離れた場所に移動したとしても、他の者からは一瞬にも満たない間に急に現れるのと同じ事なのだ。


通常、もし、そのような事が出来たとしても、運動を続けている本人には時間の経過が存在している。


つまるところお腹も空くし歳も取る。


しかし、ここはSWEの世界、耐えがたい空腹を感じたとしてもそれが原因でログアウトすることは無く、また、永遠に歳も取らないのだ。


これほどまでに、便利で、驚異的なまでに都合が良く、彼のような人物に相応しくない力が他にあるだろうか?


「さぁ、行こうぜセイム。世界中のカワイ子ちゃんたちがこの俺様を待ってる」


声だって、本来は聞こえないはずなのだ。


それでもセイムは、数々の疑問をいったん忘れて、大腕を振り上げて歩き出したこの人物の後に続くことにした。



完全に動きを止めた教会都市は数々の感動をセイムに与えもした。

それと同時に、完全なる無音は不気味でもあった。


彼らが保護されていた救済施設は、都市中心部から外まで続く大通りの、簡素な建物の地下にあたる場所にあった。


セイムは、あのような清閑せいかんとした空間が、人の行き交う賑やかな大通りの地下に広がっているなどと、おおくの者が知りもしないのだろうと思っていた。


彼があのまま順当に教会の庇護に身を置いていたとしたら、約200サイクルの間は記憶を外部へと保存され、意識を単純化した後、奉仕労働を行うことになっていたのだ。


それはつまり、長い間、ジゼルの事を忘れてしまうという事だ。


そんなのはやはり嫌だった。


「あの・・・もう大丈夫です。お礼を言うようなことじゃないかもしれませんけど。ありがとうございました」


セイムは、男とここで別れる事にした。

ここからでも見える中央の塔で昨夜見た光景を、自分の不安や後悔が作り出した幻であると証明し、それが済んだら来た道を歩いて帰るつもりだった。

彼はこの時、ムーンシャイン鉱山が無性に恋しくなった。

それからあの村も。


一人で勝手に完結しようとするセイムを男は少し慌てた様子でなだめて、通りに並ぶ沢山の建物の中の一つを顎で指して言った。


「まぁまぁ、そう焦んなよ。もうちょっと付き合えよ。ほら、あそこだよ。行こうぜ?体の調子をうちがわから整える『よがりヨガ』だ」


「何をするつもりです?」


「そりゃあ、ヨガに決まってんだろう。急いでんのか?安心しろよ、1秒もかからないぜ。へへ」


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