その名は

その日セイムは、久しく納屋に身を置いていた。

彼は自分のしようとした事が間違っていたのかもしれないと思うと同時に、もしそうだとしても暴力によって無理やりそれを阻止しようとしたシャズもまた間違っているような気がしてならなかった。


しかし彼の心に広がるのは自分も、そしてジゼルも健在であることに対する確かな安堵だった。


「頭が冷めたか?」


現れた人影はセイムの姿を確認するなり不躾にそういった。


「僕は初めから冷静ですよ」


セイムは口に出してみて今の自分が大変醜い存在のような気がして、やはり誰とも話す気にはなれなかった。


「そうか・・・」


シャズは納屋の入り口に片ひじをついて体を斜めにしてから俯き、それからいつものように喉をガラガラ鳴らしてから深いため息をついた。

そして、何か観念したように一度短く息を吸うと続けた。


「悪かった」


セイムは、ドキリとして。

その心臓の鼓動は、彼の心を僅かな愉悦で満たした。


「リナさんに言われたんですか?」


シャズはすぐに『違う』と言ったが言葉以外のすべてでその言葉を否定していた。


「ジゼルさんは・・・。どうしていますか?」


「お前を心配していた」


「そう、ですか。僕の方こそ、すみませんでした。シャズさん。僕が間違っていました」


シャズは大変痒そうに頭を掻いて眉間にしわを寄せると酷く苦しそうに言った。


「セイム、お前に見せたいものがある。ついてこい」


シャズは最後まで言い切らずに動き始めたので、セイムも立ち上がりふらつく体で彼の後を追った。



シャズはセイムを連れて屋敷東側の古びた扉へ向かった。


これまでセイムはシャズの言いつけを頑なに守り、屋敷の入り口から自室までの区画以外の立ち入りを一切していなかったので、この時彼は多からず心を躍らせていた。


重厚な木材と鋼鉄で作られた扉の先からは一切の音がせず、その先の冷たい石で出来た階段は上へと続いていた。


シャズは迷わず階段を上ってセイムもそれに続いた。

この区画は、全体が屋敷の他の柱や床、そのどれよりも重厚で古く、耐久性と信頼性に重きを置いた様子には、なにか明確な目的を宿して建築されているような印象をセイムに与えた。


階段を上がるとそこはそこは、壁も床も石で出来た部屋になっていた。

部屋の日窓から差し込む朝日が照らし出すのは、部屋の殆どの広さを占有していた作業台と工具と、そして、制作途中の小さな浮きシップだった。


「これは・・!まさか!」

「ああ、この世界唯一の正当な浮きシップ。『ジャージー型』だ」


セイムはもっと近くでこのジャージー型浮きシップを見て見たくなった。

と、同時に自分の中で何かが産声を上げて、生まれ変わったような気がした。


「すごい・・・!シャズさんが作ったんですか?」


シャズは堂々と寛大な態度で壁に寄りかかり微かに照れているようでもあった。

シャズは言った。


「そうだ。こいつのキャッチフレーズを知っているか?」

「え・・・はい」


二人は何度もリハーサルを重ねて来たかのように寸分の狂いも無く呼吸を合わせた。


『大空のその先へ。』


お互いしかいない空間で、二人は恥ずかしそうに笑った。


「その通りだ。なぜ知っている?」


シャズは珍しく子供のように嬉しそうに言った。


「え・・・!たまたま寄った小さな集落の掲示板でこの浮きシップの特集を書いた記事があったんです。見た事の無い機体だったから・・・つい」


「そうか。こいつは、全ての浮きシップのいわば始祖とも言える。『世界を探検する』というシンプルな目的の為に俺たちプレイヤーに与えられたこの世界の仕様の一つだ」


今のセイムにとって、そんな能書きなど既にどうでもいい事でシャズもその事をよく理解していた。セイムは言った。


「近くで見てもいいですか?」


「勿論だ、丈夫さと信頼性だけがこいつの取り柄だ。簡単に壊れたりはしない」


「すごい・・・。鉄の樹の骨組みに、3次元ベクトル螺旋エレメント推進ノズル。大型カナードに逆ガル前進翼から後退翼への可変翼、それに・・・これは布が貼ってあるんですか?」


「そうだ。厳密には、鞣したモゥモの革だ。あの『牛もどき』の革はエレメントとの親和性がダントツに高く、が僅かな推進力での長距離航行に最も適している。・・・お前は、こんな話を知っているか?」


「なんですか?」

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