老人と少年
老人は焦燥しきった様子で深々と椅子に腰かけると谷から反射する朝日に目を瞬かせ、白い髭を掴んで撫でおろした。
「今年も、冬が来るのかな?セイム」
「はい。もう山の方に雪が積もっています」
「そうか・・・。シャズから毒の事を聞いたか?」
「はい」
「不思議な事もあるもんだ。俺たちは何一つわからない」
老人は一度唸ってポケットから小さな金属片を取り出してセイムへ手渡した。
「これは・・・?」
「クローラーの起動キーだよ」
「でも!ダンテさん・・・!」
「いいんだ、セイム。もう行くんだ。行けよ。お願いだ」
老人はそう言って動かなくなり安らかな寝息を立てた。
セイムは渡された起動キーをぎゅっと握りしめて地上へ向かった。
クローラーは地上で何サイクルもそうしていたかのように色あせて砂にまみれていた。セイムはゆっくりと丁寧に正面パネルに積もった砂を払い落とし運転席に乗り込んだ。運転席はセイムの体の大きさに丁度いい物だった。
目前には砂の海が広がり、遠くに見える黄色いの壁は冬の到来を知らせる砂の嵐だった。
彼は起動キーを取り出し、ハンドルの周りを検めた。
そして、見つけた。
身をかがめなければ到底気が付かない、運転席の隠された場所に、真新しいキーチェーンが吊るされていたのだ。
セイムはそれをそっと手に取ると暗い暗い朝日を当てた。
銀色の翼を携えた少年を模った物だった。
セイムは堪えていた涙をもう我慢することが出来なかった。
彼は一人泣いて、それが止んだ頃に再びダンテ老人の元を訪ねて、椅子に座ったまま眠る老人の手に起動キーをそっと握らせるとその場を後にした。
屋敷に戻ったセイムは、勇み足でホールを抜けると階段を駆け上がりジゼルが横になっている部屋へと足を踏み入れた。
彼は自身の体に活力が漲っているのを感じていた。
ジゼルはこの日もうつらうつらとセイムの姿を見て小さな声であいさつをした。
彼はジゼルに出来るだけたくさんの衣服を着させて背負った。
ジゼルの体は軽く、それでも落ちまいとセイムの首にしっかりと腕を巻き付けていた。
「ジゼルさん。少しだけ寒いかもしれませんけど我慢してください」
「いいんですよセイムさん。わたしの事は気にしないで」
「はい」
セイムはそのまま部屋を出て、階段を踏み外さないように一歩一歩確実に降りてホールを抜けた。
見慣れていて彼の大好きだった風景が、その日は少しも目に入らなかった。
「おい」
屋敷から一歩外に出た所で何者かがセイムを呼び止めた。
声の主はガラガラと喉を鳴らして俯いたまま、立ち去ろうとするセイムをもう一度呼び止めた。
その者の態度は威圧的で、脅しの様な熱を帯びていた。
「おい。聞こえなかったのか?」
「何ですか?シャズさん」
「そんな状態のシオを連れて、お前は物語の英雄にでもなったつもりか?」
「そんなんじゃありませんよ!」
「だったら何故そんな馬鹿な事をする?」
「ジゼルさんを助けるんです・・!ジョズの街に行って!それからお医者さんに診てもらって直してもらうんです・・・!」
「ここからどれだけあると思ってる。お前にそんな力が無い事は、お前自身が一番良く分かっているだろう?それに、あの街の連中はお前に対してそんなに親切だったのか?ええ?セイム。お前も、あの街のろくでなし共も、お前の言う、いるかどうかも分からない医者だって、一つでもお前の思い通りに行く物があるのか?」
「僕はあなたの事だってあてになんてしていませんよ!あなたの言う通りジゼルさんを休ませても少しも良くならないじゃないですか!?もう沢山です!僕は明日を生きるんです!!」
「明日を生きるだと?笑わせるな。そんなお前の独りよがりに女を巻き込むな。シオは置いていけ。お前の言う医者とやらを探してここへ連れてこい」
「あなたには、関係の無い事です!どいてくださいシャズさん!」
「断る。お前はどうしようもない馬鹿だ。だがシオは違う、一緒に行かせるわけにはいかない」
「あなたの意見なんて、初めから聞いていません・・・!」
セイムはシャズに目もくれず前を通り抜けようとした。
そんな彼の腹に深々とシャズの鋭い膝蹴りがさく裂した。
「なめるな」
セイムは強烈な吐き気に耐えながら膝から崩れ落ちたがジゼルだけは決して離さなかった。
そして、この吐き気が収まればまた歩き出すつもりでいた。
そう、この吐き気が収まれば。
膝立ちになったセイムの顔面目掛けてシャズは再び膝蹴りを放った。
更に、彼の髪の毛を掴んでもう一度膝蹴りを放ち、ふらふらになった頭を地面に叩きつけた。
セイムは起き上がることが出来なかった。
シャズはうつぶせに倒れたセイムの背中からジゼルをひょいと抱き上げると真っ直ぐ屋敷の階段へと向かった。
「・・・シャズさん。どうかセイムさんを許してあげて」
「黙ってろ」
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