第37話 彼女の悲しみ俺の罪
未来の記憶を俺に見せて、膝を落としたままの咲恋の前に、しゃがんだ俺は静かに聞く。
「なぜだ? なぜ悲しむ咲恋……俺は世界を間違ったものにしてしまったのか? 自然と一緒に暮らす事は間違っているのか?」
首を左右に振りながら咲恋は答える。
「違う! 間違ってなんかない!」
「じゃあなぜ、おまえのクオリアからは悲しみしか、感じられないんだ?」
「あなたは世界を救った……でも私には孤独が待っていたの」
「何を言っている? 今までの話が本当なら、この真実の世界から出たのは俺で、削り取られた世界で孤独なのは俺なはずだ」
大きな瞳が間近で俺を見た。
「私は……世界がどうなっても良かった」
咲恋の意外な言葉に驚く。
「バカな……なんて事を言うんだ? 正気か?」
「ええ、正気よ……私はあなたのような天才じゃない。世界の終わりなんて感じられなかった。そして私が女だからよ。あなたは私のクオリアを変えなかった。あえて世界の人々と同じものにしなかった。二つの世界の行く末を案じていた。そうよ、いつもあなたは正しいの」
言葉にトゲがある。普段の咲恋には見られない事だ。
「あなたは二つの世界がうまく行くか気になった。二つの世界を見守る役を、私に任せた。だから私は真実の世界と削られた世界の、二つを感じる事が出来る」
「なんで、俺はおまえにそんな事を頼んだんだ?」
「忘れて欲しくなかったんだと思う。あなたが……次空粒斗が存在したという記憶を」
それ、おかしい矛盾している! 俺は世界の行く末を案じて、一応格好良く、世界の礎となるべきと記憶を消したんだろ?
「どんなに、あなたが素晴らしい人だったとしても、自分の生きたささやかな記憶が、世界から消えるのは、耐えられる筈なんかないもの」
俺の思考が止まった。
「矛盾だろ? 天才の方の俺はおかしいのか?」
「全然おかしくなんかない、矛盾もしてない……人はそうゆう生き物。微かでもいい、自分が生きていた記憶を残したい。そして他の世界で、今でも生きている事を、たとえ一人でもいい、覚えていて欲しいものなの」
咲恋にそれを……頼んだのか? 俺の事を覚えていてもらう事を。
「私は悩んだわ。多少は勉強が出来たって、スポーツが得意だったとしても、あなたには及びも付かない、そんな平凡な私……その本質は女で身勝手」
「そんな事はないだろ? おまえは誰にでも親切で優しくて……」
「止めて! 違うの……世界なんかどうでも良かった。例え滅びの日が来ても良かったの……あなたと一緒なら。私はあなたと一緒にいたかっただけ。好きだから」
あ……え? 誰が好きだって? 驚く俺。
「次空粒斗、あなたが好きだった」
まて、俺がそんなにもてるはずない……だろ!?
「好きだったの……小さな頃からからずっと。あなたは私の気持ちに気がついてた? もしそうなら、なんて残酷な事を私に頼んだの? なぜ私に記憶を残したの? クオリアを変えてくれなかったの?」
ぽろぽろと涙を流し出す咲恋の姿に、俺は言葉が無かった。
「なんで私だったの……なんで……」
真実の天才はどうかわからないが、俺は今の気持ちを伝える。
「咲恋を好きだったからだ」
首を振る咲恋。
「あなたみたいな天才が、私みたいな、平凡な女を好きになるわけない……好きな人に会えなくなるのよ!? もしあなたが、本当に私を好きなら、一緒に連れていってくれれば良かったの。それか、いっそ記憶を全て消してくれれば良かった」
「……好きだから出来なかったんだ……咲恋が好きだから……忘れて欲しくなかったんだ」
「そんな事……今のあなたに言われても……真実は分らない。分るのはこうして二人、やっとお互いを感じられるのに……」
咲恋が俺の手に触れようと手を伸ばす。
「長い長い時間を経て、私はあなたに触れる事が出来た」
二人の手は交わり一つになった。暖かさが伝わってきた。
「私の身体は真実の世界に置かれた。削られた世界の私は録画された幻のようなもの。実体を持たない。二人はまったく違う世界に別々にいる。だから触れあう事は出来なかったの。でもねノルンが私を実体化させてくれた。でもね、それも一時のもの」
合わさった二人の手は輝き、咲恋の実体が、この世界に存在していない事を俺に分らせた。
「どんなに悲しいか、あなたに分る? 記憶を消した粒斗と、削りとられた世界で、一番楽しかった時代だった高校へ一緒に通い、あなたの面白い話を聞き微笑む……でも私は世界には存在しない。私の存在はあなたのクオリアが感じてくれているだけ。真実の世界の私は、どんどん歳を取るのに、このバックアップされた削られた世界は、永久に変わらないの」
絶対……俺の勘違いだと思っていた。
でもなんとなく感じていた、咲恋の俺への想いは本物だった。
ずっと一緒にいたはずの咲恋は、俺のクオリアが造り出した幻想で、彼女は世界には存在しない。他の者には存在さえ感じる事も出来ない……咲恋の果てしない孤独。そして真実の世界の咲恋は、年齢を経ていく。
削り取られた世界と違い、真実の世界は悠久の時間が流れていた。
涙を溜めた大きな瞳が真剣に俺を見た。
「あなたがもう一つ、変えた事がある一人の人間を造り出した」
「それはまた、世界を削ったり、クオリアを統一する、そんなのに比べると、随分小さな事だな」
「小さくなんかないよ!」
咲恋の強い否定の反応。 なんで怒るんだよ。
「怒ってなんかいない、ひどく悲しいだけ。いい粒斗? 本来存在しない者を、無から造り出すのは大変な事なの。あなたでも出来なかった」
でもさっき……作ったって。そう言ってたはず。
「だからあなたは使った。この世界にいるはずもない者を」
「宇宙人か未来人か超能力者とか?」
「ええ、そのとおりよ。世界に存在する粒子の量の総量は、宇宙全体で決まっているの。人間は死に分解され粒子になり、再構築され別の存在になるの。太陽も地球も他の星も、牛や馬や猫や犬も、草や木や水や空気も全てがそうなの」
生まれ変わりの事か?……その粒子から、新たに人を造ったんだろ? 天才だった俺は。クソ! なんだか苛立つ俺は、咲恋が最後に口にする言葉を恐れていた。
「出来ないわ。例えあなたが神でも……だから、他の世界の物質を持ち込んだの。この世界に存在する物すべては、厳密に詳細に繋がっている。それを変更する事は、この世界の根幹の全てを変える事になる。その結果は神でも予想なんか出来ない」
そこまで話すと立ち上がり歩き出した咲恋。
「付いてきて粒斗。そんなにかからないわ」
咲恋の言葉どおり、五分程歩くと一本の大きな木の前に着いた。
目の前の巨木は、まるで一本で出来た森のようで、下にいる俺達に影を落とすほどの宙に広がる茂みを作りだしていた。
スッと手を前方に伸ばす咲恋。指された先を見ると、小さな石が二つ並んで立っていた。
「あなたから右の石をよく見て」
咲恋の言葉に従い、右の石に近づく。
それは三十センチくらいの高さで、人の手で建てられた石碑だった。
「こんな事は……ない、絶対ない! こんな事は信じられない!」
俺はその石碑に刻まれている言葉に驚き、そして否定した。
「いいえ、本当の事よ、聞いて粒斗!」
嫌だ聞きたくない! こんなのは嘘だ! あり得ない!
「さっき、私は真実を教えないでと頼んだ。でもあなたは私に告げた……今度はあなたが見るのよ……真実をね!」
嫌だ! 止めてくれ! 咲恋お願いだ! そんな事は耐えられない。
「もう亡くなっているの……優紀ちゃん」
小さな石碑には、名前と年齢が刻まれていた。〈次空優紀 享年十二歳〉
「あなたの妹の優紀ちゃんは真実の世界では。ずっと前に亡くなっている。地球外生物、その者はクオリアによって姿を変える。あなたは自分で造った、中学生の優紀ちゃんのクオリアを与えて、その者の姿を変えた」
俺に自分の顔を近づけた咲恋。
「その事がどれだけ残酷な事か、あなたには分っているの? その者にも家族もいたのよ。それを無理矢理、あなたの妹としてクオリアを与えられ、その存在を変えられた」
「でも、それも世界を救う為に、必要な事だったんだろ?……なあ咲恋必要だったんだろ? なあ」
「違うわ。粒斗は妹を亡くした寂しさから逃げたの。その者の全てを奪って」
なんて事だ何をしているんだ天才の俺は。
「俺は……どうしたらいいんだ? 今の俺になにか出来る?」
「忘れて頂戴。出来る事なら、今日の事は全て忘れて欲しい……そして今までと変わらない毎日が続いてくれたら、それでいい……」
咲恋の大きな瞳から、また涙があふれ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます