第23話 哲学ゾンビ

「粒斗、哲学ゾンビって知っている?」

 咲恋が突然、俺があずかり知らない単語を呟く。


「哲学ゾンビ?」

 俺のオウム返しに英語力を披露する咲恋。

「Neurological Zombie」


 当然、こんなふうに答える。

「なにそれ?」

「哲学用語よ」

 哲学なゾンビかな?

「ゾンビって、墓場から蘇ってくるあれだろ?」

「それはBehavioral Zombie……行動的ゾンビの事ね」


「どう違うんだよ? 哲学ゾンビってなんだ?」

「日常の行動は普通の人間と全く同じだけど、クオリアを全く持っていない人間を哲学ゾンビと呼ぶわ」

「そんな奴らいるのか?」


「ええ、実はクオリアを持っていなくて、物理的刺激とか化学的、電気的な刺激に反応として、笑ったり怒ったりしている人間は、多いかもしれないとの考えもあるわ」

「ふーーん、例えば、俺が妹や親たちに攻撃されているのも、家庭内シャイニングが起こるのも、考えもなしで刺激で起こっているのか?」


「もし、あなたの家族が哲学ゾンビなら、そうなるわね」

「フン、そんなのは、俺の危機的状況を見た事がない学者の戯言だ!」

「あなたの危機を学者に見せるのは難しいわね。見せても、バカな高校生が引き起こす、お笑いにしか見えないでしょうし、ふふ」


 臨機応変に俺の弱点を確実に突いてくる、見事な攻撃は反射では出来ない!


「俺を倒そうとする家族一致の意気込みが、刺激や反射的だけで行われているなら……俺は可哀想すぎるだろ?」

「ふふ、それも確かにそうね」


「笑い事じゃないぞ!」

「でもね粒斗。あなたがオバゲーでお金を使ったり、エロいサイトを見るのも反射行為だとしたら?」

「まあ、エロは男の反射かもしれんが……意思はある。もしかして咲恋は……俺も哲学ゾンビだと言うのか?」


「自分が哲学ゾンビじゃないと言い切れる人はいない。だって、外界の刺激で行動しているのか、クオリアを感じているからなんて、自分でも誰でも判断は出来ないもの」


 クオリアの次は哲学ゾンビですか。まったく、いつも感心するくらいに意味が分らない。お手上げ状態の俺に構わず、咲恋が推論を進める。


「優紀ちゃんが哲学ゾンビで、誰かが刺激による行動をプログラムしたとしたら?」

「俺をからかう行動や、驚異の必殺技である、肘打ち、回し蹴りも誰かがインプットしたと言うのか?」


「それは反射の行動で、案外本物の優紀ちゃんは、まったくの別物なのかも」

「なぜそんなに確信ありそうな言い方なんだ?」

「それは……だから仕方ないの」

「だいたい、俺をからかえ! なんて、誰がプログラムするんだよ」

「だから、それは……そう、仕方なかったの」


 歯切れの良い推論は止まり、急に困った顔になった咲恋。


「ごめんね、言い過ぎた……粒人との約束を違えそうね。でもね……わたしは寂しい……ううん、なんでもない」


 小さな声。それすら打ち消した咲恋。

 今日は特別変だな咲恋。妹が哲学ゾンビでも統合失調症でも、妹に違いはない。

 どうという事ではないと思った瞬間だった。


「優しいのね……優紀ちゃんには」

「そんなんじゃないよ。ほら一応家族だしね。血が繋がった妹だからさ。ただ、それだけの事だ」


 でも、優紀が心配なのは事実。へんな精神病とか、宗教とかじゃないといいが。あと哲学ゾンビ。そんなものは勘弁だ。


 わがままで高飛車なのは、心があっての俺への甘えであって欲しい。

 妹が刺激や反射で行動しているなら寂しい。


「やられっぱなしなのに……粒斗は優紀ちゃんが好きなのね」


 なんか優紀の事になると、咲恋の言葉と態度が感情的になる。

 あんまり妹の事ばかり取り上げていると、妹萌えだと本気で咲恋に勘違いされそうだし、俺の妹へのもう一つの気持ちも話しておこう。


「ただし、優紀が心を持っていて俺を攻撃しているなら、それはちょっとやり過ぎだと思う」

「フフ、想いは単純じゃないのね」

「笑い事じゃないって!」


 俺もつられて笑った……俺は少し油断していた。


「ちょっと、人の部屋で何をしているの?」

 返ってきた妹の優紀が怪訝そうに、部屋の入り口に立っていた。

「しまった!」


 話に夢中になっていて、優紀が帰ってきたのに気がつかなかった。


(やばい……勝手に入ったのがばれた)

 優紀は部屋に、自分以外が入るのを極端に嫌っていた。

 それなのに俺は、彼女と二人で進入している。

これはただでは済まなそうだ……新たな火だねの予感。


「久しぶりね優紀ちゃん」

 咲恋の言葉には反応せずに、優紀は俺に近づいてきた。

「何をしているのって聞いているの! 答えて!」


 とりあえず、少しでも優紀の怒りを冷ます為に時間を稼ごう。

「立ち話もなんだから、下でタフマンを飲みながら話そう」



 俺の言葉で二階から居間に降りて、三人はソファーにバラバラに座る。

 まったく会話が無い……どうしよう。

 気まず過ぎるので、俺は飲み物を勧めてみた。


「優紀……タフマンでもどうだ?」

「妹に精をつけてどうする気?」

「いや、喉渇いてないかな~~て」


 机の上を確認した優紀が失望を見せた。

「こんなに飲んで……ああ、嫌だ、いやらしい」

 大量のタフマンの空き瓶、優紀の目は失望から軽蔑に変わる。


「お、おまえ、何を勝手に想像している! 飲み物が無かっただけだ! まあ、一時は、咲恋に妄想していたので、少しは……そうだが少しだけだ」

 ジロリと俺を一瞥した優紀。


「なにをゴニュゴニュ言ってるのよ!」

 喉が渇いてないか?……俺のささやかな心遣いは変態扱いで終了。

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