第7話 内観によって知られうる彼女

 話の途中で急に視線を俺から移して遠くを見た咲恋。


「どうした咲恋?」

「うん? ああ、粒斗には感じられないのかぁ……そうだよね、今の粒斗にはムリだよね」

 寂しそうな表情をした咲恋に尋ねた。

「今の俺にはムリ? それに何が感じられないんだ?」


「わたしのクオリア」

「クオリア?」

 時々おかしな物言いを言う咲恋。


「粒斗この夕暮れの景色ってどう感じる?」

 いきなり謎の問いに戸惑う事もよくある。

「どうって……いつもの夕暮れ」

「そうじゃなくて……もっと内面的な」

「えっと……夕日が沈み始め、オレンジ色の太陽が沈み始めている。家々に明かりがついていく、少しさみしい感じがする」

「普段の粒斗らしくないね。詩的な表現ですねー!」

「ほっとけ!」


「でもそう、そんな感じ。わたしもそんな感じなの」


 全然、俺には分らんので少しイライラ。


「それがどうした? あの太陽が青いとか緑色とか、たまにそんなふうに見えるのか? おまえには?」


「ええ、そう……って言ったら、粒斗はどう思う?」

「脳の病気だ!医者へ行け」

「ふぅ、まったく単純すぎる思考ね……いい? 粒斗が感じている太陽の色は、なぜオレンジ色だと言い切れるの?」


 太陽の色がオレンジ色の理由? そんな事考えた事もない。


「夕暮れの太陽の色が他の色に見える、とでも言うのか? 人によって違うと?それはやっぱり脳の病気だ」

「粒斗が感じているオレンジ色が、わたしにとっては青い色なのかも」

「はぁあ?」おかしな話になってきたぞ。


 夕暮れの太陽の色なんて、生まれたときから常識だろう?


「そんなに変な顔をしないで。今言った事は、哲学でクオリアって言うの」

「さっき言った言葉だな……哲学用語?そんな難しく表してどうする?日本語で言え!」


「日本語だと“主観的体験が伴う質感”かな」

「すみません、クオリアでいいです。余計に意味がわかりません」


 笑いながら説明を続ける咲恋。


「なぜ太陽を見た時にオレンジ色だと感じる?それは科学では説明できない」

「よく分からん。最近はロボットだって、色の区別くらいできるだろ?」

「そうね。ある波長の紫外線の色をオレンジと決めればロボットは波長: 625-740 nm 周波数: 405-480 THzを赤色と認識する」

「そうだろう? 人間だってきっとそうだ」

「じゃあ粒斗は、太陽の波長を測定して色を感じているの?」

「そんなことは考えていないが……」


「人は太陽がオレンジ色だと感じる。それは理屈じゃない。それがクオリア」

「この帰り道はいつもの風景。映る色を俺の中のクオリアが感じているわけか」


 いつも同じだと思っていた。みんな同じだと思っていた。だが違う可能性があるという咲恋。でもやはり俺は信じられない。


「おまえと同じものを感じていない、そんな可能性はあるのか? もしかして心霊現象なんかも、クオリアの違いから起きて、人によっては見えないものを感じている……とか」


 なにげない咲恋の言葉で、俺はブルっと震えた。

 さっきから咲恋は誰かいるように、何度か視線を移していたからだ。


「怖いことを言うなよ。幽霊が見えるのはクオリアじゃなくて、脳の病気だ」

「そうね、本当はそれが科学的なんでしょうね」


 夕日を浴びた咲恋のウェーブの掛った長い髪が、クリムゾン色に輝くのを見てデジャブを感じた。飛行機の夢の女の子に似ている。不思議な夢だった。世界を変えようとする、ジーニアスな俺の側にいた女の子。年齢は上だったが咲恋に良く似ていた。


「無駄話しで遅くなっちゃたね」


 先へ進む咲恋に続いて歩く俺は、無意識に口を開いた。それは口にした俺にもまったく理解出来ない内容だった。


「内観によって知られうる現象的側面、それが世界を変える鍵となる」


 咲恋は振り返り俺に言った。


「クオリア、他の誰にも見せる事が出来ない、わたしの感覚。それだけが粒斗とわたしを繋ぐ細くて強い絆。二つの世界を繋ぐわたしの内観なの」

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