2-7


そして、その翌日。ゴールデンウィーク最終日。

「……」

その日は朝から商店街を散策していたタイキは、ご機嫌斜めであった。

頼みの綱だった大金持ち様は突如ふらりと姿を消したまま結局戻ってこず、全財産を浪費してまでのハイリスクな賭けに打って出るわけにもいかず、要するに昨晩の食事は水だけだったのだから。

そんなタイキが、ちょうど通りかかった買い物帰りらしき同級生の女子――寄宿舎住みではないのか意気揚々と例のマンション方面へと去っていった――に恵んでもらった和菓子やせんべいをかじって飢えをしのぎながら、あてどもないウインドウショッピングに明け暮れていると。

「やあ、奇遇だね」

買い物中に偶然通りかかったのだろう、エコバッグを片手にした灰色の髪の少年が真横に立っていた。



「……っていう事があってね。改めてよろしく」

「……おう」

その少年――トオルから、その正体と昨日の事について一通り聞き終えたタイキは息を吐いた。

「それにしても、キミは驚かないんだね」

「当たり前だろ。しゃべり方とか声で分かるだろ普通……。俺をあの注意力散漫アホンダラと一緒にすんじゃねぇ」

言いつつ、八百屋で手近な野菜に視線を向ける。

「……んで、面白びっくり隠し芸を持ったお前は何買いに来たんだよ」

「ええと、今日のお昼ご飯用の食材の買い出しがメインだね。もう一通り買い終えたよ」

エコバッグから突き出た長ネギを中に押し込みながら、トオル。

「あとはクロエが好きだって言ってた、あの乳酸菌のジュースの補充を頼まれてね。どこに売ってるのかな?」

「なら駅前のスーパーかドラッグストアだ、ここじゃねぇ。確か先月にも箱で買ってたよな。……もう飲み切ったってか」

どんだけ気に入ったんだよ、と続ける前に、示した方向へと歩き出すトオル。

その背を見送ろうとすると、相手はふと歩みを止めた。

「そうだ。1つお願いがあるんだけどいいかな?」

そう言って、彼は手にしたエコバッグを振った。

「少し荷物が多くなりそうだから、先にこれだけマンションに持っていってくれないかな? 後で追いつくよ」

「……」

なんで俺がと言いかけたが、眼前のこの相手に対しては特段の悪感情もなかったのでそのまま口を閉じてバッグを受け取った。

「ありがとう。部屋の中に適当に置いといてくれればいいよ。お礼もさせてもらうさ」

「……ああ」

そのまま背を向けて、既に道を覚えていたクロエのマンション方向へと歩き出す。

お礼。大金をくれるとかそういうものではないに決まっているだろうが、昼夜2食分くらいをタカるくらいの事をしてもバチは当たらないだろうなと思った。

なにせこちらは先月、文字通り命を懸けたのだから。

そんな事を考えつつ、タイキは歩みを心持ち早めた。



商店街から10分ほど歩くと、もう既に見慣れ始めてきたクロエのマンションに到着した。

エントランスからエレベーターに乗り、7階まで上がる。

目的の部屋の前までたどり着いたタイキは、預かったバッグを抱え直してインターホンを鳴らした。

しばらくの間をおいて、内側から鍵を外す音が聞こえた。

「おい、あのネコからのお届けモンだ。アイツは別の買い物が終わったら帰ってくるそう……」

そこまで言いかけたその時、扉が開き。

タイキの目の前に、タイキがいた。

「……は?」

正確には、掃除の際にいつもタイキ自身がそうしているように、頭には三角頭巾を着け、そして手にはハタキを持った姿のタイキが。

自身と瓜二つの姿に目をパチクリさせていると、眼前のタイキがどこか不機嫌そうに口を開いた。

「おいそこのお前、ツラ貸せよ。今ちっとばかし金に困っててな、恵んでくれや」

「……あ? 俺だって金がねえんだ。いや、そもそもお前は……」

「うるせぇな、グダグダ抜かしてるんじゃねぇぞ。とっとと出すモン出せや」

「……んだとコラ」

「やんのか、あ?」

「あ?」

と。

「……どうしたの、こんな朝早くから。なに2人でメンチ対決してるの」

眠そうに眼をこすりながら、いつものゴスロリ姿ではなく寝間着姿のクロエが、もう1人のタイキの脇から顔をのぞかせた。

「人聞きの悪い事言うんじゃねぇ。俺は紳士的に話し合いで解決しようとしただけだ。あともう11時だ。早くはねぇ」

それからタイキは、眼前の相手に親指を向けた。

「……で。こいつは一体何なんだ。どうせお前が何かしたんだろ」



「……ギガイ?」

「そう。『偽骸ぎがい』。マジックアイテムの1つ」

リビングにてもう1人のタイキが淹れたホットミルクをすすりながら、クロエがそんな単語を口にした。

「先月『原初の者プライマル』と戦った後、アナタたちは1日弱くらい気を失っていた。そしてその間、日常生活でアナタたちの不在を怪しむ人間は誰もいなかったはず」

「ああ、そういや」

確かあの時、トオルが「色々と手を回しておいた」と言っていた記憶がある。

「その時にも、これを使った」

テーブルの上にそっと差し出されたのは、六芒星やら何やらが複雑に描かれた、1枚のお札。

「実在の人物の経験痕跡から本人の行動規則を原理的に学習したものを、当人を模写した存在として一時的に召喚する道具」

「あー、よく分からんが分かった。で、それがコイツってわけか」

「そう。トオルがいない間、代わりに家事をやってもらっていた。アナタはそういうものが得意そうだったから。料理に掃除に洗濯に」

そしてその間にも、キッチンの方から香ばしいベーコンや目玉焼きの匂いが漂ってくる。

空腹だった彼は、それをシャットアウトしようと意識して務めた。

「……それの使い方間違ってるんじゃねぇのか」

言いつつ、ふと近くの小物棚に目を向けた。

眼前の彼女の持ち物なのか、ドクロがデフォルメされたような悪趣味なアクセサリーがいくらか置いてあったが、それよりも。

棚の上を指の腹でなぞったタイキは、満足げに息を吐いた。

「お、流石俺。チリ1つ残さねぇ」

と、それを聞きつけたのか台所のタイキがフライパン片手に顔を覗かせた。

「当たり前だろ。料理は栄養満点かつボリューム満点。掃除は隅から隅まで手抜きなくキッチリとそしてスピーディーに。洗濯はカレーの染みまでキレイさっぱり真っ白爽やかに、だ」

「分かってるじゃねぇか」

タイキはこの相手とは心底分かり合えそうだ――自分自身なのだから当たり前だが――と思った。

「だろ? それはそうととっとと金恵んでくれよ、なぁ。ちっとばかし欲しいモンがあんだ。掃除機の新しいフィルターっていうなぁ!」

「……だから俺も金欠だっつてんだろ。っていうか……」

「細かい事ガタガタ抜かすなや。奥歯ガタガタ言わせてやろうか、え?」

「……ところでよ、さっきから気になってたんだが」

「どうかしたの?」

「この『偽骸』とやらの性格は、俺を元にしてる……んだよな?」

「そう。紛れもなくアナタ」

「……俺はこんなにヤクザじゃねぇ」

顔を歪ませて笑みを浮かべ、舌なめずりをしながら中指を立てる眼前の自分自身を横目に、舌打ち気味につぶやく。

「……アカシックレコード、って知ってる?」

どこかため息交じりにクロエが口にした問いに、首を横に振る。

「この世の森羅万象が記録された、超常的な記録簿。個人の善い行いも悪い行いも、そこには全て記載されている」

いつの間にかもう1人のタイキはキッチンに戻り、ちょうど焼き上がったところらしい目玉焼きとベーコンを皿に盛り付け、ついでレタスとトマトを加えた。

「そしてこの『偽骸』は、そのアカシックレコードからデータを呼び出し、個人の人格を再現している」

言いつつ、待ちきれないとばかりに何度かキッチンの方へと視線を向ける彼女。

「だから、これがありのままのアナタの姿。誤魔化しは効かない、限りなく客観的で公正な審判」

途端、湯気を立てながら運ばれてきた朝食にクロエがかぶりついた。

「……。わーったよ」

心底認めたくはなかったが、そういう事であるのならば仕方ない。

タイキは降参だとばかりに両手をひらひらと振り、これからはもう少し穏やかになろうと決意を固め――

「ただ、投影された『偽骸』の性格はアカシックレコードを軸に、召喚者であるワタシの認識にも多少左右される」

「やっぱり待てやコラ」

今しがたの決意など放り捨て、美味しそうにベーコンを頬張るクロエに詰め寄った。

「……なに?」

「俺はヤクザじゃねぇ。平和を愛する非暴力的なナイスガイだ。それを分かるまでお前の身体に叩き込んでやろうか、ん?」

朝食を作り終えた『偽骸』のタイキは我関せずとばかりに、さっさと掃除を再開し始めていた。

「……ったく、それにしても22世紀の猫型ロボットかよ。他に面白そうな秘密道具でもあんのか?」

「……」

クロエはソースに伸ばそうとしていた手を止めて立ち上がり、隣の部屋から市販の薬ビンのようなものを持ってきた。

そしてその中から真っ黒な粒を取り出し、テーブルの上に置いた。

「飲んでみて。この薬自体には何も問題はない」

「……」

口に入れるものだというのが少々想定外だったものの、断る理由も思いつかずタイキは渋々とそれを飲み込んだ。

「……。んだよ、何も変わらねぇぞ」

「そうしたら、そこの壁を手で叩いてみて」

タイキの事より目玉焼きに夢中と言わんばかりに、視線をこちらに向けずに告げられる言葉通りに、タイキが手近な壁を拳で軽く小突いてみると。

「……あん?」

ふと違和感を覚え、同じ動作を何度か繰り返す。

「……痛くねえ」

そう。殴った時の感触自体は同じものの、拳には一向に反動を感じなかった。

手を見つめてみるものの、やはり赤くも何ともなっていない。

「へぇ、こりゃすげぇ。痛みもねぇし傷ついてもいねぇ。痛みを無かった事にする薬、ってか」

感心したタイキが段々と拳の速度を強めて近くの家具を殴りつけていると、ふと眼前の相手がどこか困ったような表情を浮かべた。

「その通り。ただし効果時間は数分程度。それと……」

「……あん?」

歯切れの悪いその言葉にタイキが疑問符を浮かべたその時。

「……痛ってぇ!」

ふと右手に激痛を感じて叫ぶと、相手はやはり朝食の魅力に勝てなかったのかタイキから視線を外し、トーストに手を伸ばしながら言葉を続ける。

「打ち消した痛みはあとで数倍になって返ってくるから、あまりやりすぎない方がいい。要するに、痛みを後払いできる薬」

「……先に……言え……」

タイキが痛みにのたうち回っていると、彼女は何かを思い出すかのように指を数本立てた。

「他のマジックアイテムとしては、性別を変える鏡とか、魂を安全に保管するペンダントとか、逆に魂を汚染して幽魔にする石とか、生命力を補う薬とか。この辺りはワタシも持ってないけど、そういうものもあった、と思う」

「……」

ひりつく右手にタイキが言葉を返せないでいると、ふとインターホンが鳴る音が室内に響いた。

「クロエー。戻ったよー。タイキ君もいるかな?」

途端、ハチミツを塗りたくったトーストを幸せそうにかじっていたクロエが慌てて立ち上がり、ちょうど掃除機のプラグをコンセントへと差し込んでいた例のタイキへと手を向けた。

次の瞬間、その姿は跡形もなく消え失せ、宙には1枚のお札が漂っているのみだった。

床の上に落ちたそれを彼女が拾い上げて懐にしまい込んだのと、帰ってきたトオルが部屋に足を踏み入れたのはほぼ同時だった。

「ごめん、遅くなったよ。……あれ、その朝食は……タイキ君が作ってくれたのかな?」

「……」

大体状況を理解したタイキがネクロマンサーに視線を向けると、彼女は話を合わせてと言わんばかりに目で必死に訴えかけてきていた。

「……ああ、そうだよ。上出来だろ」

割と本気でチクってやるかどうか迷ったものの、この朝食は実質自分が作ったも同然だと考え直し、とりあえず首肯してやる事にした。

その時、ついに耐えかねたのかタイキの腹が辺りに空腹を叫んだ。

「んだよ。こちとら昨日の夜から何も食ってねぇんだ。先月どこかの誰かさんにおごりまくった金欠でな!」

「……可哀想」

舌打ちと共に吐き出すと、クロエが憐れむような視線と共に丸ごと食べ残した野菜が載った皿を押しやってくれた。

「……」

極めて不本意であったものの、空腹に負けたタイキはトマトをかすめ取って口の中に放り込んでその皿をキッチンに戻した。

「それじゃあさっきのお礼もあるし、まずは食事でもおごらせてもらうとするよ。……ほらクロエ、着替えてきて」

その言葉を合図に彼女が隣室に引っ込んだ後、タイキはもう1人に向き直った。

「大変そうだな、アイツの保護者役」

「そうかい? まあ、僕もそれが仕事だし、それに結構楽しいからね」

「……ドMかよ」

口の中だけでつぶやくと、ふと彼は思い出したかのように手を叩いた。

「そうだ。キミが来たら渡そうと思っていたものがあったんだ。ちょっと待っててね」

言いつつ近くの引き出しの中をガサゴソと漁り始める。

そして。

「あったあった。ほら、今日のお礼と先月のお詫びだよ」

渡されたのは、多少の厚みがある茶封筒。

まさかと思って逆さまにすると、中から出てきたのは10人ほどの諭吉だった。

最初と最後以外白紙になっていないかと何度も確かめてみるもそんな事はなく、こども銀行券で騙されているわけでもなく。

「ほら、先月キミが自腹でクロエを遊ばせてくれたって聞いてね。それの分も含まれているよ。足りる……かな?」

途端、タイキはトオルの服を掴んだ。

「わっ、な、なんだい?」

「……お前だけだ。俺を理解してくれるのは……」

いつの間にか、両の目から雫がこぼれだしていた。

「あのクソ幼なじみやマヌケネクロマンサーから受けた酷い仕打ちを分かってくれる、俺の唯一の理解者はお前だけだ……!」

「よ、よく分からないけど辛い事があったんだね。僕で良ければ相談に……」

と。

「アナタたち、そういう関係だったの? ……不潔」

着替え終わっていつものゴスロリ服に身を包んだクロエが、扉の隙間から何か汚らわしいものを見るような目でこちらの様子を見つめていた。

「ちっ、ちがっ! こ、これは、その……」

「どもるんじゃねぇ逆に本当っぽいだろうが!」

「それにしてもアナタ、お金無かったの?」

不思議そうに首を傾げるクロエ。

「お金がないなら、借金取り立てのバイトで稼げばいいと思う。ヤクザキックとか得意でしょう」

「何度だって繰り返してやるが俺は不良でもヤクザでもねぇ。真っ当で善良な一般市民だ」

「じゃあ、シンナーとか吸わないの? アナタ好きかと思って買っておいたのがある」

「よーし男女平等顔面パンチの出番だな泣くんじゃねぇぞコラ」

袖をまくる仕草をしてから続ける。

「いいか! お前が俺をどう誤認しているかは知らねぇが、俺は常に非暴力がモットーで平和とお花が大好きな平凡で大人しい高校生だ! つべこべ抜かすとぶっ飛ばすぞ!」

ひとしきり叫んだタイキは、改めて空腹を思い出し大きく息を吐いた。

「……で、準備も出来たところで朝食に案内してもらおうか。どこ行くか決まってんのか?」

「んー、そうだね。あの喫茶店のモーニングセットでいいかな?」

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