2-6


ヒーローショーはちびっこたちの大歓声に包まれ、つつがなく終了した。

それからエレベーター経由でデパートの外に出ながら、タイキは大きく息を吐き出した。

「なるほどなぁ……。こりゃアイツがハマるのも分かるってもんだ」

子供騙しだと思って侮っていたものの、いやはや作りこまれていて割と今の年齢でも楽しめる……とは決して認めたくなかったが。

「……」

結局ショーには一切の興味を示さずに、ただ地上の様子に視線を向けているだけだったリンカは、今も真剣な顔つきで首を傾げたままだった。

「変、ですわね……」

「結局幽魔の気配なんて、お前も感じなかったんだろ?」

「……ええ」

どこか不服そうに首を縦に振る彼女に、タイキは吐き出す。

「ま、そういう日もあんだろ」

「……。考えていても仕方ありませんわね。何にせよ用事が終わったのであれば、わたくしは今度こそ失礼させていただきますわね」

「ああ、サンキューな」

数個の洗剤が詰まったレジ袋を振り、応える。

「それにしても金持ちってのはいいもんだと、改めて思ったわ」

「……この程度の買い物で富裕層呼ばわりされるのが、心底不快で仕方ありませんけれど」

「……んで俺も、そんな富裕層の仲間入りしたくなってきたってわけだ」

言いつつ近くの宝くじ売り場に視線を向ける。

3度目の正直。今度こそ大金持ちになって幸せになってやる。そんな願いを込めて。

「へへへ……お前のおかげで盗られずに済んだ全財産、これで俺は夢を掴んでやるんだ……!」

そんな事をつぶやきながらよろよろと売り場に向かっていくタイキを、ホテルに帰ろうとしかけたリンカがいぶかしげな視線で見つめる。

「あ、単発のスクラッチ1枚ください。結果がすぐ分かるヤツ。んで、買うのは……」

そこで適当な1枚を掴み取り、それを買うと強く念じながら頭に片手を当てる。

が、一向に未来予知が発動する気配はなかった。

「……。一体何をしていますの?」

そこで扇子を口元に当てたリンカが、ため息をつきながらタイキの手元を覗き込んだ。

「いや、これはだな……」

ここで正直に話すと昨日のクロエの時と同じように面倒になる。そう思ってタイキは口をつぐんだが、相手の言葉は予想とは違っていた。

「……そんな事だろうと思いましたわ。好きにすればいいですわ、と言いたいところですが」

扇子を閉じた彼女は、それをタイキの額へと向けた。

「訓練も何も積んでいないあなたがギフトを発動できるのは、第六感で危険を感知した時くらいでしょうに。要するに、自由意志で使用できるまでにはまだ時間がかかるでしょうね」

「あ? でもよ、昨日はちゃんと……」

「ギフトの素養の元は天界の空気、というのはご存じかしら? なので天界と間接的に繋がっているネクロマンサー、特にあなたを蘇生した本人がそばにいればある程度は制御が簡単になる……という説がありまして。最も、眉唾な話ですけれどね」

そう口にしたリンカは、再度息を吐いた。

「それにそもそも、たかだか2枚の小銭が惜しいんですの?」

「お前にとっては小銭でも、俺にとっては全財産の金塊なんだ」

「……随分と安い金塊ですこと。メッキの偽物かもしれませんわね」

「うるせ。お前にド貧乏人の気持ちなんざ分かって……」

「なんにせよ、そんな小銭程度で買えるようなもの、わたくしが代わりに買って差し上げてもよろしくてよ」

「……は? ええと、」

いましがたの彼女の言葉を飲み込むのに労力を要し、目を瞬かせる。

「要するに、わたくしがあなたの代わりにここの宝くじを売り場ごと買ってもよろしくてよ、と言っているのです。購入したものは当然差し上げますから、どうぞご自由にお使いなさいな」

「……」

「これくらいの買い物であれば、わたくしの気も晴れましてよ」

「……是非とも!」

例え、眼前の彼女に靴を舐めろと言われても、先月のネクロマンサーの時のように散々接待でこき使われても、残りのゴールデンウィーク期間中にぶっ通しで荷物持ちをさせられたとしても、死ぬまで永久に様付けで呼べと言われたとしても。

それら全てを笑顔で許容できる絶対的な自信が、今のタイキにはあった。

「今度こそ、今度こそ合法的に大金持ちになっちまうのか俺は……っ」

3度目の正直。唐突にやってきた幸せに、タイキが身震いしていると。

「というわけで、お退きなさいな」

「いっ、いえっさ!」

とっさに飛び退ると、リンカが店員に声をかけた。

「もし。ここの売り場の宝くじを、全部いただきたく……」

彼女が鈍色に光る例のカードを取り出し、レジの読み取り機にかざそうとしたその時。


瞬間、両目を驚愕で見開いたリンカが背後を振り向いた。


「なんで、なんでこんな近くに突然……っ」

「あ? どうしたよ」

タイキの言葉を無視し、片手を耳元に当てた彼女は突然駆け出した。

「あなたはそこにいなさいな! いいですわね!」

「……は?」

そしてその場に彼だけがポツンと取り残される。

鈍色のカードを残していってくれるなどといった都合のいい話があるはずもなく、タイキはやはり全財産の硬貨2枚を握りしめたままその場に立ち尽くしていた。

「……あ? くそ、なんだってんだ……」

ぶつくさとつぶやいてから、今しがた去っていた彼女が口にしていた言葉を、頭の中で反芻する。

曰く、第六感で危険を感じ取るとギフトが発動する、との事だった。

「……。今は緊急事態だぞ俺。ここで大金を引き当てないと間もなく飢え死にするわけだ。金だ、生き残るためには金が必要なんだ」

自己暗示をかけるようにぶつぶつとつぶやくも、結局『断面視界フェイズドア』が発動する気配はなかった。



さっきまで気配すら感じなかったのに、どこからか唐突に湧いて出たような幽魔の群れ。

10、20、いやもっともっと。

赤黒い空の下、黒い犬のような形をしたそれが、どんどんと数を増やしていく。

いつしか2人は、それらにじりじりと包囲網を狭められる形となっていた。

「なんでこいつらがこんなところに……っ! あたしがやるしかないっての……!」

とっさにマソラは1歩前に進み出で、隣の人物を片手で制した。

同時、彼女のもう片手に風の球が渦巻き始める。

だが。

「下がって、マソラ」

そう口にして息を吐いた雪下が、今までに見せた事のない真剣な表情を浮かべた。

「……あれ? あたしの名前まだ言ってない……?」

「よく知ってるよ」

落ち着き払ったままの彼は、こちらを威嚇する黒い犬の群れを視界に留める。

「幽魔への対抗手段その1。ヘブンズキャリアが能力、つまりギフトを使用する」

「……え?」

一般人が知らないはずの単語に、思わず聞き返すと。

「幽魔への対抗手段その2」

マソラの疑問には答えず、彼は続ける。

死体蘇生者ネクロマンサーを補助、援護する役割を担うサポーターが、『セントラル』支給の対幽魔用の武器を使用する。……これをキミに見せるのは初めてかな」

どこからか取り出したのは、先ほどゲーム中で使っていたような、二丁の小ぶりな拳銃。

それを顔の前でクロスさせるように両の手で構えてから、吐き出す。


「……僕の武器は、二丁拳銃。銘は『ダブル・フィフティ』」


そうつぶやいた瞬間銃声が響き、次いで共に最も近くにいた幽魔が崩れ落ちた。

一瞬遅れ、脅威を認識した幽魔の群れが一斉に雪下に襲い掛かる!

しかしその黒犬たちが、その脚を再度地に付ける事はなかった。

「……行くよ」

今にも彼の喉元を噛み砕こうとする1匹1匹の急所を、雪下の銃が的確に撃ち抜いていく。

体勢を崩し地に墜落した幽魔たちは、すぐに黒い霧と化し雲散霧消した。

片方の拳銃の弾奏が空になると、器用に片手だけで弾を込め直し射撃を続行する。

その瞬間を好機だと取った数匹が同時に彼へと飛び掛かると、雪下はその場で飛び退る形で地を蹴って宙返りをし、逆さまになった姿勢のまま黒犬たちの頭を撃ち抜き、何事もなかったように着地する。

「……」

マソラは加勢する事も忘れ、舞うようにして戦う彼の様子をただ見つめる事しかできなかった。

まるで先ほどのゲームセンターの時のように、いやそれ以上に、彼は手慣れた動きで得物を扱い、敵の大群を捌いていく。

だがそれでも、後から後から途切れる事なく湧き続ける群れ。

「やっぱり大本から浄化しないとキリがないかな……となると」

懐に手を入れ、何かを取り出した彼は駆け出した。

「こっちさっ!」

あたかも幽魔の群れを誘導するかのように、近くの駐車場へと。

そしてそれを追う形で、黒犬たちが続く。

雪下は近くに停めてあった車を蹴って空中に舞い、その頂点から取り出したものを宙に放って撃ち抜いた。

途端、白い閃光が一瞬だけ辺りに走ったかと思うと、周囲の幽魔たちは一様に動きを止めた。

「よし、それから……!」

次いで彼が再度懐に手を入れたその時。

動きを止めた幽魔たちは、次々と黒い霧と化し消滅していった。



「……ねぇ、アンタ」

全ての幽魔が消え失せ、空の色が平常に戻った後、何やら首を傾げる雪下にマソラはゆっくりと近づいた。

「アンタ、一体何者なの?」

そう問うと、相手はどこか苦笑いを浮かべながら振り向く。

「ええと、本気でまだ気づいてない……のかな?」

「……何がよ。ちびっこにチクられたくなかったら、さっさと自己紹介しなさいってのよ。突き出すかどうかはそれから……」

「あれ、僕の本名まだ言ってなかったかな? ……じゃあ、改めて」

コホンと咳払いした相手は、そっと右手を差し出した。

「僕は雪下。雪下トオル。改めてよろしく、マソラ」

「へぇ、珍しいわね。同じ名前の奴があたしの知り合いにいるってのよ。そいつ小っさい灰色のネコだけど」

「それだよ、それが僕だよ!」

頭を抱えて困ったように振り乱す相手。

「……って、アンタにゃんこだったの?」

「おちょくってるとかじゃなくて、やっぱりキミ本気で気づいてなかったのっ!?」

「うん」

「だから言い出すタイミングに困ってたのに……。はぁ」

どこか疲れたように息を吐き出す相手に、マソラはうなった。

「アンタ、ただのにゃんこだと思ってたら、割と凄かったのね」

「先月言ったよねっ!? 僕は優秀なエージェントだって!」

「で、いつになったら本当の姿に戻るってのよ」

「こっち! 人間の姿が本当で、ネコはあくまでも仮の姿なんだって!」

「……って言うと?」

「太古の呪具による、ある種の呪い。『ネコを模した姿になる事が出来る』ってね。元の姿には戻れるけれど、ネコになれるっていう特異な能力だけは死ぬまで変わらない」

小さく息を吐き、続ける。

「それを使って『セントラル』は、組織内の希望者にその力を植え付けたんだ。例えば幼少期の僕や姉さんとかね。で、それを前提にして僕はサポーターとしての訓練を受けてきたんだ」

「魔法にかけられてネコになった、みたいな?」

「まあ、その認識でもそう遠くはないかな」

そう返したトオルは、ふと思い出したように辺りを見回した。

「……っと、こんな話をしている場合じゃなかったんだった。一応、幽魔の気配は完全に消えてる……んだけど、ちゃんと調べなくちゃ」

「消えてるんならいいじゃない。さっきので全部倒したんでしょ? 何か投げたヤツ」

そう口にすると、トオルはどこか表情を硬くした。

「違うんだ。先ほどのはあくまでも足止め……ええと、キミにも分かりやすく言うと、スタングレネードを投げただけ、みたいな感じかな。で、本命はこっち」

言いつつ、懐から小ビンを取り出した。

「こっちは浄化の力が込められた緊急用の秘密兵器でね。ネクロマンサーの力を借りずとも、小規模な群れなら一掃できるくらいの力があるんだ」

そしてそこで言葉に詰まり、息を吐いた。

「……これを、ちょうど使うところだったんだけど」

「使う前に消えた、って事?」

「そうなんだ。だから、消えた理由が全く……」

と。

ふと2人の眼前に影が出来たかと思うと、頭上に人の姿が見えた。

屋根を飛び移ってきたと思わしきその人物は、空中で数回転しつつ着地する。

「あら。あなたに、それと……」

リンカはまずトオルを視界に留め、それから顔をしかめた。

「……げっ……なんでアンタがここにいるってのよ」

「それはこっちのセリフですわ。突然幽魔の気配がしたので駆け付けてきましたのに。またあなたは性懲りもなく危険な事に首を突っ込みに来ましたの?」

「あー、今回は偶然居合わせただけだし、その辺で……」

周囲を見回した彼女は、乱れた髪を整えつつ息を吐いた。

「……ともかく、少々遅かったようですわね」

「ああ。ひとまず僕の方で片づけたんだけど……どうも変なんだ」

どこか神妙な面持ちで首を傾げるトオルを横目に、リンカは扇子を取り出して口元に当てた。

「ええ。『セントラル』からの連絡にあった通りですわね。わたくしの方でも少し調べてみますわ」

「何よそれ?」

言いつつきびすを返すリンカの言葉を、トオルが引き取った。

「幽魔の気配が突然現れて、同じく突如消えるっていう話さ。それも短時間で、ね」

「先月のプラ何とかの時みたいに、撤退したとかじゃないの?」

「うーん……撤退というよりも、いきなり消滅したといった方が近いんだ。感覚的なものだから、説明はしづらいけれどね。そもそも汚染原因となるようなものも存在していないのも気にかかるよ」

そしてそんな2人には関わらないと言いたげに足早に去っていくリンカの姿は、路地の角の奥に消えていった。



「ほら、キミの分」

そばのフェンスに寄りかかったトオルは、近くのコンビニで買ったアイスクリームをマソラへと差し出した。

「それにしてもアンタがにゃんこだったなんて、ホントびっくりだったってのよ」

「トオルって言ってるんだけど……まあいいけどさ」

不服そうに口にしてから、自身のアイスに口を付ける。

「僕の任務は隠密偵察や監視でね。それにはこの体質が便利なんだ」

「へぇ、どこを偵察してるの? 女湯とか?」

「……キミは僕の事をそういう目で見てたのっ!?」

再度ぶんぶんと頭を振ったトオルは、ふと思い出したように咳払いをした、

「ともかく。正面切っての戦いはあまり得意じゃないけれど、今回は上手くいって良かったよ」

「そういえば、アンタの銃の銘。『ダブル・フィフティ』だっけ。カッコいいじゃない」

「ああ、あれかい? 『セントラル』の実技試験で、的に規定時間内に100発を撃ち込んだ事に由来している……とだけ言っておこうかな。……最も、1度だけ出した最高記録なんだけどね」

言いつつ、片手の手のひらを見つめる。

「それに威力は大した事ない豆鉄砲レベルだから、大型の幽魔相手だと分が悪いんだ。それでも霊体だけに威力を発揮する特殊な弾丸を使ってるから、ある程度は太刀打ちできるけどね」

「ふーん。さっきみたいな集団戦の方が得意ってわけね。さっきのゲーセンの時みたいに」

「そういう事。……職業柄、ってヤツかな」

どこか困ったように笑いながら吐き出した。

「それで、アンタはこれからどうするってのよ?」

「んー、そうだね。さっきの幽魔の件も気になるし、一旦帰ろうかな。クロエの様子も気になるしね」

「様子?」

「晩ご飯の準備とかの家事だね。昼の分は作り置きしてきたけど。ええと、彼女生活能力0だから僕がやらないと……」

「へぇ、アンタもアイツと似たような事言うのね」

2人の数メートル先、数匹の野良犬にエサをあげている通行人らしき男性に視線を向けながら、マソラがつぶやく。

「一応、ネクロマンサーの生活の補助も僕たちサポーターの役割であるからね。まあ、あの子の生活能力が異様に低いのは僕も認めるけど……」

視界の奥で差し出された市販のドッグフードに、犬たちが一斉に食いついた。

「ところでアンタ、お腹減ったらスズメとか食べないの?」

「あの姿は仮初めのものだってさっき説明したよねっ!?」

「ほら、ああいうペットフードが段々美味しそうに見えてくるー」

「目の前で催眠術じみた事しても無駄だよっ」

既に食べ終えていたアイスの外れ棒をゴミ箱へと放り込み、トオルは大通りへと向かって歩き出した。

「じゃ、お昼食べたら次はアンタのところでゲーム大会ね。ハードとソフト一式は既にこっそり持ち込んであるから大丈夫」

「……え、僕知らないけど」

そして、その後をマソラが追っていった。



大通りから外れた小道から、2人が去った後。

「……」

路上で野良犬にエサを与えていた人物は、半ば独り言のように小さくつぶやいた。

「……さぁ、犬ども。食え、もっと食え」

その途端、集まっていた野良犬たちがバタバタと倒れていく。

そして地に倒れ伏したその身体から抜け出すかのように、よだれを垂らした黒い犬たちの姿が現れる。

「……」

幽魔の姿を認めて笑みを浮かべたその人影は、懐から取り出した平たい小石を掲げた。

その小石には真っ赤な血のようなもの、いや血そのものでルーン文字が刻まれていた。

そして呪言めいたものを一言二言つぶやくと、幽魔たちの姿は次々と黒い霧と化し、男の持つ小石の中へと吸い込まれていった。

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